最新作と次回作のあいだ、物語と非物語のあいだ。

 今日も書けない。ノートを閉じ、ペンを置く。

 最近はよく書いていた。いま書けないのは、書き切ったからだ。

 この文章は、ある小説を完結させた上で、書いている。


 とりあえず『自分至上最長の小説を書く』という目標のもと、八日連続公開で九千字くらいを投稿した。

 こんな小さな目標でも、僕にとっては初めて尽くしだった。


 その1。今まで書いたモノで、最長の文字数で完結させること。

 その2。大体決まった時間に、定期的に公開すること。

 その3。各話の文字数を、出来る限り揃えること。


「連載」「長編」「完結」

 この三つが、尊敬できる作家の基準。

 そう掲げていた僕自身が、それを目指す為のステップとして、小さな縛りを設けてみた。


 やってみた結果は……。

 個人的には、イマイチ。好きな部分もモチロンあるけど。


 また投げ出そうかと思ったけれど、連載にしたものだから、せめて完結してからだと決めた。あなたがこの文章を読んでいる頃には、もしかしたら大幅に改稿された別物か、はたまた非公開になっているかもしれない。


 ■


 なぜか素人でも、『それっぽさがない』『しっくりこない』ことだけは、鋭敏に知覚できる。たいてい、どうすればいいか具体的な策は浮かばない。


 でも、最新作を作ってる過程で、思うことはあった。


 ちょっと話を長くするだけだ、そう思っていたのに射程が伸ばしてみて、気づく。

 シーンを繋げただけの、つぎはぎ感。


 起承転結、カタルシス。

 前回も述べたけど、そういう構造をちゃんと理解したり、理屈で書いたりせず、『感覚でイケるべ』とばかりに書いていた。

 しかし、少し文字数を増やして、連載で区切るだけで、その感覚も自信も消え、よく分からなくなる。

 双六のように淡々と、イベントを繋げたようだ、エピソードを並べただけのようだと、自分でも強く感じた。

 連載の区切りに気をとられ、物語の盛り上がり所を見失っていたよなぁ、とは思う。直そうにもどうしていいか、さっぱりだった。


 ■


 全体は部分の総和にあらず、という。

 もっと平たく言えば、1+1は2ではなく3にも4にも成りますよ、的な。


「アホか。1+1は2に決まってんだろ」


 子供の頃の僕は、近所のおじさんが「1+1は2以上にもなれる」なんて語ったときは『ふん、詭弁を使うなよ』と思っていたが、意外にそうではないらしい。


 福岡伸一という生物学者の本で知った。「動的平衡」という本か、「生物と無生物のあいだ」かは忘れたけど。

 物質の塊であるはずの生物が、なぜあれだけの複雑さを持つのか、みたいな疑問について答えるヒントになる言葉。


 全体は部分の総和にあらず。

 物語も同じことが言えるかも、と僕は思った。

 単語の連なりの総和、エピソードの連なりの総和以上のモノが出来上がることを、物語と呼ぶのかなと。

 例えば、深読みが出来る、という形で。

 例えば、読んで泣ける、という形で。

 例えば、どんでん返し、という形で。


 今回の作品は、エピソードの集積にならずに物語になっているだろうか。うーん……どうだろうか。自信はない。


 薄々気づいていたが、趣味だし別に、とそのままにしていた。

 ちょっとした挑戦でも、『なんとなく』が通用しなくなり、理屈の重要性が沁みてくる。

 他の作者が持つ練度を、書くたびに思い知らされるけど、それでも次回作は、ままならないなりに面白いモノを書きたいな。

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