映像的な表現にしたい理由


 「リフト・バレーの幻」堂々完結。


 と、重厚な感じで言ってみましたが、前回お知らせした短編を書き切ったというだけでした。

 ここでアドバイスもらえれば嬉しいなと思いながら、今回は「なんで映像的な表現をしたいか」を書きます。


 といっても一言で終わってしまいます。


 僕はテレビっ子だからです。

 根底には、好きな映像作品を小説で再現したいという気持ちがあります。

 小説も好き。映像作品も好き。

 なら、足せば良いじゃん。みたいな気持ちです。



 好きな映像作品を、何個か挙げてみます。


「インセプション」

「踊る大捜査線 The Movie」

「いだてん」

「あまちゃん」


 趣味が出ますよね。

 全て、群像劇です。

 上の二つは、違う場所で同時進行で事件が起こります。

 下の二つは、回想場面が多く、時間軸がコロコロ換わります。


 自分の趣味に気づくと、問題にも気づきました。

 僕が書きたい物語は、たまに小説創作論系のエッセイなどで否定されることがある、ということです。

 

 登場人物の数は絞ろう。

 視点は変えない方がよい。

 回想は少ない方がよい。


 その文を見つける度に、自分の「好き」が小説の形式には合わないのかなと、少し気持ちが落ちたりします。


 でも、諦められないんです。


 小説のカタチに向いてないのなら、より映像的な表現で書くことによって越えてみよう。



 その足掛かりとして、今回は思いっきり

「時間軸と場所をバラバラにしてやる!」

 と考えました。


 しました。

 感想欲しいなー。



 逆に映像に向いてないかもな、と思うこともしました。

 令和からの作品は「映像的な作風を強く打ち出す」と決めてから選んだ題材と場面のことです。


 マラソンという走るだけの題材。

 ただ対面で会話する場面。


 映像を想像するには地味な絵面が続きます。


 続けました。

 感想欲しいなー。



 無料のWeb小説特有の難しさ、「読者を惹き続けなければ、いつでも切られる」という問題に直結しそうです。

 中だるみをしないよう、ずっと全速力で展開させないといけないイメージが、僕にはあります。


 動きがなく地味で刺激の少ない絵面を、場面転換の目まぐるしさでカバーできれば良いなぁと思っています。


 感想欲しいなー。


 感想くれくれと節操がない上、まとまりがない文章になりましたが、これで今日は終わりとします。

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