第49話~結衣と鈴~

「はぁ……はぁ……」

 鈴は休憩が終わると、直ぐ鍛練へと戻る。

 息を上げても、止める気にはなれない。


 この数日間ずっとそうだ。

 焦る気持ちが頭を巡って、勉強どころか人の話も頭によく入ってこない。


(帰って兄貴と姉ちゃんの持ってる漫画読みたい……)

 例えその選択肢を選べたとしても……

(結衣さんが見てるのにそんな事できない……!)


 優華がいつものように小さい女の子ののろけ話をしている。

 それを聞かされている結衣は水分補給をしながらジッとこちらを見ている……


 真面目な瞳。飲み込まれそうになる美形の顔。且つ可愛らしい二重。


「うっ……」

(やばっ……気持ち悪くなってきた)


 ここから武道場の端まで届く声で話したらもっと気分が悪くなりそうだ。

 だから無言で入り口から出て外の空気を吸いに行く。



「すぅーーはぁ……」

 青い空を見て深呼吸をすると少し落ち着いてくる。


 背後に気配を感じて振り返る。

 優華かと思いきや……結衣だった。


「ど、どうかしました?」

 気を使って問いかけてみると……

「体調悪い……?」

 眉をひそめて心配してくれている。

(この人天然なのかな……)


「大丈夫です」

 鈴はそれだけ告げると再び空を仰ぐ。


「はい」

 結衣はスポーツドリンクの入ったペットボトルと濡れタオルを渡してくれる。


(相変わらず凄いわね……)

 確かにこんなのされた人は誰だって好印象を持ってしまう。

「ありがとうございます……」

 鈴はそれを受け取ると礼を言う。

 数年以上の付き合いなのに未だに敬語が抜けない。


「また技の鋭さ上がってたわね」

 隣に座ると、親切な言葉をかけてくれる。

 だが、それはお世辞でもなく自分で感じてた事だ。


 優姉や兄貴にも言われないその言葉。

 でも姉ちゃんやこの人に言われても……普通に嬉しいけど足りない……そう感じてしまう。


「険しい顔をするって事はまだ言われてないのね」

 この人の見透かしたような言葉には、握った拳もピクリと反応してしまう。


「言ってくれますよ」

 平常心を崩さずに軽い感じで答える。


「そう。でもね私は言うわ。あの子達は、好きに褒められて育ってきたんだもの」

 それは鈴への共感を促す、彼女の本心であることが分かった。

「そうですか……」

 いきなりの愚痴にうまく反応することができない。


「ええ。あなたは誰が一番前を向けてると思う?」

(これまたズバ抜けた質問を……)

 でも鈴は一番分かっている。この人は頭が良い。というより計算高い。

 一番敵に回してはいけない女性とでも例えればいいかもしれない。


「兄貴か姉ちゃんとか?」

 面倒臭くなってきたので逆に質問してみる。


「私は乱威智だと思うとして、鈴ちゃんはその二人じゃないの?」

 彼女は自分の意見を軽く押し退けて、鈴への関心を深めようとしてくる。

 鈴の答え方から二人ではないと見抜かれているのかもしれない。


「別に優劣付けません。現に辛い事経験した人にしか痛みは知らないです。けど兄貴は簡単にそれを乗り越えてしまった……でも本人は言うんです。記憶に残る物はずっと痛いって……」

 鈴は途中で下を向きながらも、真面目に答える。

(なんで真面目に答えてんのよ……)


「そうね、その通りよ。でも一回だって乱威智はその誰かだけを特別扱いすることなんて無かったわ」

 結衣は鈴の言葉を肯定する。

 そして、乱威智が皆を守る意志を固めた事を伝えてきた。


(そんなの私だって知ってる……!)

 鈴は更に俯いて拳を握り、悔しそうに震えた声で答える。


「してますよ」

「え?」

 突然な否定の言葉に結衣は驚いている。

 何だって、鈴は一度たりとも結衣へ反抗するような言葉を吐いたことが無いからだ。


「現に兄貴は、その特別扱いを自覚しているのかしていないのか曖昧です。それは結衣さんも多少は思いますよね?そこまでしなくたっていいのにって……」

 鈴は結論から述べ、それの元となる行動を結衣に質問した。


「それはまぁ……少しは……」

 結衣は少し悲しそうな声色でそう答える。

 表情もあまり浮かばれない様子だ。


(兄貴は念願の彼女が出来たのに、未だに一人で突っ走ってるんだ……心配かけてまでどこへ向かうつもりなの?)

「はぁ……」

 鈴は小さなため息を吐いた。

 自分達がどれだけ乱威智の事を心配しているかも、当の本人は自覚していないと思うと更に呆れる。


「俺の思うようにって言っても、その想いは姉ちゃんの背中まんまです。どうせ本当は、大切な人だけをいつも側で見守っていたいって甘えたいはずですよ……」

 鈴は乱威智の一番弱い部分を結衣に伝える。

 結局、彼の一番の弱点は姉の愛美だ。家で見ていても反応ばかり気にしていて、正直気持ち悪い。


 だから鈴も不思議で仕方なかった。

 乱威智は愛美の事をしばらく何とも思ってなかったはずなのに、何故急に距離を気にしだしたのか。


 実は鈴が彼の部屋に漫画を借りようと入った時、不意に見た彼の机。

 その壁にあった物が答えだった。


 兄弟や家族と撮った写真、いつも一緒にいる幼馴染と撮った写真、結衣と二人で撮った写真等々が貼ってあったのだ。

 昔の物もあったけど、最近の物を前に重ねていた。


 もうそこらのコピーアンドロイドなんかを相手にしても、揺るがない気持ちという物を見せ付けられているようだった……


「だから私達は……どう強くなったとしても兄貴には勝てない。一人じゃ難しいところを支えることしかできない……です」

 敬語が抜けてしまいそうになったが、なんとか後付けして深呼吸をする。


 そう、私達は見下されているんだと。守るべき子供のような存在で見られている。

 鈴はそれが分かった時、何よりも悔しかった。


「そう……鈴ちゃんが最近頑張ってるのはそれでなのね……?」

 結衣は、悔しがっている鈴の感情を理解するように問いかける。


 彼女はしっかり話せば理解してくれる人柄だ。だから鈴はこの事を口にしたのだろう。

(話したくなかったけど……)

 でも鈴はその点で大切なことを頭の端に追いやっていた。


「だから愛美は一緒に行くって言ったのね……」

 結衣は、鈴の姉である愛美に対しても同じ解釈をした。

(そ、それは……)

 本当はそうじゃない。本当は……


「ねえ、鈴ちゃん。でもそれじゃ、愛美は絶対にお父さんを押し切ってでも……」

 鈴が黙っている間に、結衣は疑問点を挙げてくる。


「そうですよ、姉ちゃんも変わってきてるんです。自分の気持ちを抑えられるかどうかなんて……今の姉ちゃんには……」

 だから愛美も覚悟を決めなければなかった事を、間接的に結衣さんへ伝える。


 鈴は愛美の事をよく分かっている。小さい頃から二人を見ている。

 好きだどうだなんてずっと見ていれば嫌でも分かってしまう。


 小さい頃の乱威智は愛美に対して、物凄くお姉ちゃん子だった。

 心身共に強くなっていく乱威智に、愛美は苛立ち以外の感情も持っていた事も……

(分かってたのに……!)


 対して愛美は少し乱暴で素っ気なく見えても、家族では一番のお人好しで人情が凄く強い。

 鈴や結衣、優華の正義感なんて比にはならない。


 一方的にいたぶられ続ける乱威智を見て、動くななんて言うのは……拷問だ。


「ねぇ……鈴ちゃん?鈴ちゃんはやっぱり……」

 結衣が口ごもりながら、質問してくる。


「…………」

(やば……!話しすぎた上に、今の私凄く嫌そうな顔して……)


「私と乱威智が一緒にいるのって……辛い?」

 彼女は困った顔で聞いてくる。それはただ兄弟で辛いという意味なのだろうか……?


「つ、辛くなんてないですよ!私は結衣さんの事好きですし尊敬だってしてますよ?え、ちなみにどうしてそう思ったんですか?」

 鈴も慌ててフォローをしようとする。辛くないは嘘だけど尊敬しているのは本当だ。

 それを正直に見れないだけで……


「うーん。鈴ちゃんが乱威智の事好きなのかは分からないけど、でもやっぱり優華の事が……」

 結衣はそう言いながらも口ごもり、言葉を切らしてしまう。


(ぜ、全部バレてるし……!!フォ、フォローしなきゃ!)

「で、でででも!だったら私、結衣さんにこんなこと喋ったりしません……!兄貴の想いだって大切ですし……」

 鈴は恥ずかしながらも必死にフォローをする。


(あーーー!私の馬鹿馬鹿馬鹿!こんなんじゃ優姉だけが辛い思いするだけって分かってるのに……!)

 そして心の中では頭を抱えていた。


「大丈夫よ」

 それを落ち着かせるかのように結衣に抱き締められた。

「え」

 その包容力に我を忘れてしまう。



 そもそも、乱威智は優華の事をヒーローだなんて言うけど……

 それは真逆だ。


 過去の優華は、人間不信のような時期が頻繁にあった。

 国や家族を兄に焼かれた壮絶な過去、虐待などの絶望的な家庭状況から友達とも深い仲になれていなかった。

 だからまともな話し相手は天崎家や結衣、幸樹位しかいなかった。


 大人が助けようにも入れない。だから子供も優華とは距離を置くようになってしまった。

 優秀な能力を持つ二人の引き取り手。それがどうにも周囲の判断を鈍らせていたらしい。


 そんな中、乱威智の恋愛感情にいち早く気付いたのは彼女だ。

 でもその人生のどん底から引き釣りあげたのも彼だ。


 乱威智にとっては恋のキューピットと言う名の幼馴染みだけど、優華にとっては人生を救ってくれた本物のヒーロー。

 彼女には……乱威智しかいないだろう。



 そして昔の優華を思い出している間、ずっと抱き締められていた。

(て!?嘘!?こんなに優しいなんて聞いてな!?)

 考えてみれば、こんな姿を皆に見られたら恥ずかしくてたまらない。


 鈴が正気に戻った時、結衣は話を再開した。

「確かに私は、乱威智を愛してる。で、ででも!あの二人は私の親友。べ、別に浮気デートの一つ二つ……気にしないわ!」

 結衣は愛してるという言葉が恥ずかしいのか、本当は浮気を気にしているのか、どちらか分からない程に動揺していた。

 抱き締める腕も凄い震えている。


(絶対気にしてるじゃん……でもやっぱり、こういう優しいところなんだね……)

 意外な姿を見て驚く反面、その優しさに劣等感を感じる。


「でも、鈴ちゃんが心配することは無いわ。乱威智が最初に変わったきっかけは、優華に酷いこと言って泣かせた事なの」

 結衣は過去にあったであろうことを、懇切丁寧に話してくれる。

(そ、そんなことが……)


「まあ優華にも悪い節はあったけど……それを私が怒ったら、次の日に

『もう優花の事は傷付けないように証明してみせる』

 って私の前で宣言したわ」

 結衣はその詳細まで細かく教えてくれる。


 でも背後からする誰かの視線は、鈴の口を硬直させる。

 視線がする右側、武道場の中を横目で見ると……

 皆さんお揃いでニヤニヤとしている中、優華だけはこちらを怒りの笑顔で見つめている。


「ゆ、結衣さん……?」

 流石にこれ以上は友情関係にヒビが入ることを恐れて声をかける。


「だ、だから……わわ私はあの二人と一緒でも……か、構わないわ……」

 でもそれを驚いたのかと勘違いされ、再び説得される。

(やっぱり気にしてるじゃん!!と、というかこれ以上は……!)


「ゆ、結衣さん!!それは凄い嬉しいんだけど……左、見て?」

 鈴は焦りながら、抱き締めあったままの彼女に現在の状況を伝える。


「ひだ……りぃっ!?」

 結衣はやっと気付いた。

(どんくさいというか天然……やっぱり兄貴って甘えられたいタイプなんだ……)


「結衣ぃぃ……!」

 怒った優華はこちらへ近付いてくる。


「え、優華ゃっ……!?」

 答えるよりも早く、優華は結衣の胸を揉み始めた。


「人の恥ずかしい話をするのはこの胸かぁ~~?」

 優華は彼女の胸を揉み続けている。お仕置きのように。


「ちょ、ひゃっ……!あ、そこはだめぇ……ご、ごめんなさいごめんなしゃっ……!?」

 結衣は軽く嬌声を上げながら謝っている。


「ゆ、優姉……?」

 鈴は結衣を心配して声をかけると……優華にじっとりと凝視される。


「よ、余計な気を遣う子には……お仕置きだから……!」

 恥ずかしながらもお仕置き宣言をされる。


「あ、あはは……ごめんなひゃっ!?」

 鈴も照れながら笑うも、そのお仕置きは直ぐにやってきた。

 まさかの背後から。


「ふふふ、鈴ちゃんがそんかハーレムっぽいこと考えてたなんて……エッチね🖤」

 後ろから紗菜さんに抱き着かれ……小さな胸を揉まれていた。

 そして最後には耳元で囁かれる。


「あら?この布ってもしかして……それにこの留め具……うふふ、前なんて大胆ね……🖤」

 たまたま今日はスポーツブラの日ではない。雨で遅れた洗濯で切らしていて、フロントホックのブラジャーを着けていた。


「あっ……ちょ、それはだめ――」

 紗菜さんはそのホックを外そうとしていたので抵抗しようとすると……


「はむ🖤れろれろ」

「ひゃっ!?……うぅんん!」

 鈴は耳をしゃぶらると、強烈なむず痒さに首をすくめてしまう。


(ちょっと待って……!私って耳弱すぎ!?)

 耳だけ凄く過敏なんて今気付いたところだ。

 優華にすらそんなことされてないので気付くことなんてなかった。


『カチッ』

 その隙にホックも外された。

「あっ、ちょ……だめ!うぐぅんんん!!」

 鈴は変な波のような強い感覚に襲われる。

 そして全身を硬直させ、しばらくすると脱力する。


「あれ?もしかして今ので……」

 紗菜はちょっと驚いた素振りで、鈴を心配している。

 鈴も年頃の女の子だ。漫画でそういう知識も分かってはいる。


「はぁ、はぁ……」

 鈴は息を整えて、普段の感覚を取り戻す。


「じゃあもう一回……」

 紗菜がもう一度耳を咥える前に……

「ふんっ!!」

 彼女の頬に沈むほどの、か弱い鉄拳制裁をする。


「ふにゅ……?」

 彼女はその行為に驚き、硬直する。

「紗菜さぁ~ん?」

 困惑した紗菜の名前を呼び、手を振り解く。


 そして即効性のあるくすぐりツボ……太股の内側をコリコリと押した。


「あ……!あっはっはっは!ちょ!だめぇ!そこは!あっはっはっは!やぁ……!」

(ふふ、案外子供っぽい……)


「普段セクハラばっかりしてるバチが当たったのね」

 優華はやれやれといった表情で呆れている。


「あ。あんたが伸びてたのもバチ当たってたのね」

 結衣に指摘され、足元を掬われている。

 すると優華はそっぽを向いた。


「そ、そうかなぁ……ただマッサージしてもらってただけだよぉ?」

 年下の女の子達の目の前では恥をかけないのか口先で誤魔化している。


(姉よりあんな恥ずかしいことしといて……最低)

 今だけは結衣の味方になってしまう鈴であった。

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