4章 愛透救出編Ⅱ

第17話~春影~

 土曜日の朝七時。

 小さき少女、未来は家族分の弁当の用意を仕上げる。

 赤いアホ毛をふりふりと揺らしながら、腰に手を当てる。

「よしっ!そろそろ起こしに行かなくちゃね」

 ベージュ色のエプロンを身に着けたまま階段を登っていく。

 手にお玉を持ったままなのは勿論気付いていない。

「でも結衣ちゃんも起きるの遅いなんて……珍しいなぁー」

 つい彼女の事が気になり、ドアをノックしようとした。

 だけど……ここは愛美の部屋。

(数日前あんな酷いことしちゃって……昨日も怯えていたのに、こんな平然としてられる

なんて私……)

「うぅ……」

 ノックしようとしていた手を引っ込める。

 それと同時に、他の部屋から勢いよく乱威智が飛び出してきた。

「あ、おはよ……」

 彼は急いで部屋の扉を締め切った後、こちらに気付いた。

「お、おはよう?」

 彼の顔からは汗が滲み、顔が若干赤かった。

「ど、どうしたの?また悪い夢……?」

 彼はここ最近の一ヶ月、悪夢をたまに見ると聞いていた。

 だからその事かと思っていた。

「いや、今日は大丈夫だった。その代わりなっ……!」

 それだけ言い切ると、彼はドアノブを両手で押さえて引っ張っている。

「ちょっとー!開けてってばー!逃げんな~」

 ドンドンとドアを叩く音と、優華の声が聞こえてきた。

「なっ!なんで優華が……」

 どうして朝から彼女が乱威智の部屋にいるんだ。全く意味がわからなかった。

『お、おい……!静かにしろ!そして服を着ろ……!』

 乱威智は低く小さな声で、彼女に語りかけている。

 だが内容は一語一句聞き逃さなかった。

「ふ、服!?」

『ちょっ……!姉ちゃんも静かに!』

 この言葉は姉として聞き逃せない。この二人は朝っぱらから何してるんだ?

「ちょっとそこどきなさい!」

 きつく言葉を飛ばし、ドアから彼を剥がして無理矢理開く。

 そうすると、ドアを引っ張っていた優華が反動で後ろに転んだ。

 彼女は、一糸纏わぬあられもない姿で仰向けになっていた……

「なっ!?」

 私はとんでもない光景に圧倒されていた。

「てへ」

 後ろでは乱威智が頭を押さえて、溜め息をついている。

「てへじゃなーい!!」

 お玉のげんこつを二人の頭上に落とした。


 何とか優華は着替えて、その後起きた皆にはバレずにうやむやになった。

 そして俺達は、花見を予定していた広い公園に向かう。

 優華の家族や幸樹とその母親とも合流した。合流した時、優華の姉の紗菜さなさん

と目が合った。

「あっ」

「何ですか?」

 声をかけられ何かと問い返すが、彼女はニコニコと笑うだけ。

「いや別に~」

 茶色い地毛のセミロング程の長くもなく短くもない髪の長さ。そしてロールのかかった

ボブヘアの髪型。

 そしてシャンプーの甘い花の香りが、その笑顔をあざとく魅せる。

 最近は結衣の家に行くとほとんど会う。母親の手伝いを積極的にしているらしいが……

 ふざけて結衣や俺に微笑ましいいたずらをしたりと、到底真面目だとは思えない。

 それに最近いたずらの方向性がちょっと破廉恥な方向に片寄っている気もする。

 きっと俺も面白い後輩だと思われ、からかわれているに違いない。勿論冗談だと分かっ

ている。

 花見を用意していた敷地に向かい、皆は楽しく談笑しながら食事をする。

 昔と相変わらず、父さんは幸樹の母親とお酒を酌み交わしていた。

 そんな中、背後に先程と同じ甘い香りが漂った。

「最近うまくいってるの?」

 振り返ると紗菜さんが屈んで、こちらを向いて俺に顔を寄せてくる。

「何のことだ?」

 結衣との事とは分かっていたが、とぼけたふりをする。

「キスまで行った?」

 ちょっと離れた結衣が動揺して咳き込んでいた。

 そうすると紗菜さんが納得したような顔で反応した。

「ほーん」

「何もないからな」

 俺は否定して再び前を向いて食事を続けようとした。

「ほんとかー?」

 なんと彼女が背中にもたれ掛かり、腕を前に回してきた。

 背中に当たる柔らかい感触、そしてチラチラと結衣から痛い視線を向けられる。

 いつも屋敷に来る時も、紗菜さんはいたずらにこうやって絡んでくる。

 結衣の心を揺さぶりたいのか、意地悪をしたいのかよく俺には分からない。

(女心なんて一生分かりそうもないな)

「席はずすわ」

 右隣にいた愛美がふと立ち上がる。

「あれ、気分悪くした?」

 紗菜さんの言葉への反応は全くなかった。完璧な無視だった。

「と、トイレじゃない?」

 愛美の更に右隣にいた鈴がそうフォローした。だがあの乱暴な口振りは相当怒っている

だろう。

「仲直りしたんじゃなかったの?」

 昨日のことを紗菜さんは知らないはずだ。でも何故仲直りの事を知っているのかが疑問

だった。

「離してください。様子を見てくる」

 紗菜さんはちょっと驚いた様子だったので軽く手を振り解けた。

 そのまま愛美の後を追い、広い公園のトイレに向かう。


 満開している桜の並木道を歩く。公園は広くて移動するのにも少し時間がかかる。

 休日の土曜日。日曜日程ではないが子連れの家族や花見を楽しむ人も多い。

「何でお前まで付いてきたんだ?」

 後ろから気配がして、鈴が歩いてくるのが分かる。

 女心は分からなくても、家族の独特な雰囲気や香りは分かる。

 単純に彼女の部屋の甘い香りがした。

 俺が前に、なんで俺と同じシャンプーを使うの?と聞いた日から彼女は芳香剤を使い始

めた。

「な、なんで分かったし」

「な、なんとなくだし」

 少しからかおうと彼女の口調を真似した。

 適当にごまかすしかなかった。雰囲気や匂いだなんて照れ臭くて言えない。

「シスコン。変態」

 またこの二文句だ。だが否定はできない。

 でも突っ走った愛美のことを追いかけるのは俺の役目だ。

 どれだけ彼女が怒りに狂ったとしても、それを止められるのは俺だけだ。

「今に始まったことじゃないだろ」

「ふーん。あ、後ついてくのはねーちゃんが心配だから!あんたが心配だからとかじゃな

いから!」

 何か言ってるが気にせず先を急ぐ。

「無視すんなし!」

 後ろから飛び蹴りが跳んできた。

 そのまま振り返り、右に躱して彼女の体をキャッチ。

 両脇を手で掴み、そのまま力が抜けるまでくすぐってやった。


(あいつの存在が憎くて、でもあたしのこと考えて追っ掛けてくるから……振り切れなく

て)

 気付いたら怒りを抑えられずに逃げていた。

 あたしは、いつの間にか公園のトイレの便座の蓋を閉めたまま座っていた。

「はぁ……そろそろ戻らないと」

「本当は誰の元にも戻りたくないんだよね?」

 (あれ?誰の声……?)

 間違いなく誰かの声がした。

「だ、誰なの?」

 キョロキョロと回りを見渡しながら問いかける。

「大丈夫よ。私はあなたの味方。あなたはその誰かより強くなりたいのよね?」

 分かったような口振りで。こういう上から目線があいつと似ていて腹立つ。

「だから何?あんたにそれがどうにかできるの?」

「率直に言うと……私は光属性能力の制御方法を知ってる。それも自由操作型のね。貴女

にとっては最高の条件よ?それともプライドが許さない?」

(なんであたしの光属性の能力のことを知ってるんだ……?それに自由操作型?そっか、

創造現壊イメージパスカルのことね)

 まるで全てを見透かされているようだ。

「何で知ってるのよ」

「やっとあなたにもチャンスが来たの!そんな些細なこと良いじゃん!」

 相手の声は少し感情的になっているお陰で、大体の年齢は掴めた。

 少し年下ぐらいの年の子だろう。むしろその声に思い当たる節があった。

「あんたこそどこで雇われてるの?」

 あたしはこいつのことをよく知っている。記憶力の良いあたしが忘れるはずがない。

 初めて会うまで意識を戻さず、植物状態にあった時雨透香のことを……!

 少女は黙っている。今更気づいたのか。

「あたしの能力を甘く見たのね。あたしに騙すことなんて不可能なのよ。あんたはこそこ

そと周りの記憶まで消して何やってたの?」

 正体不明の侵入者がいるとは聞いていた。

 透香という名前に、まさかとは思っていたがこの子だったのか。


 彼女、透香は五年前に初めて出会った。

 時雨勇馬、こいつの兄の家に案内されたときだった。

 きっかけは簡単だった。

 勇馬と戸澤が先輩共の怒りを買ってしまい、集団リンチに合いそうになった所をあたし

が助けた。

 相手は男ばかりだった。あたしが女だからって手加減してくれたお陰で、楽に気絶させ

ることが出来たのだ。

 二人は舌を巻き、お礼に家の物を一つあげると子供染みたことを言った。

 興味本意でついていけば……

 部屋で昏睡した彼女を見つけ、更に彼女は目を覚ました。

 二人は更に驚き、弟子にして欲しいと懇願してきた。

 勿論断った。理由はあたしは強くなりたかったから。けどその強さは人数なんてあまっ

ちょろいもんじゃない。

 絶対の力で悪が挑むことを恐れる力。だからこう言ってやった。

『女の子一人守れない男なんていらない。あたしとその子の命、どっちが大事なの?あた

しについていって、その子の面倒は誰が見るの?』

 もしかしたら喧嘩後で少しイラついていたからかもしれない。

 その後そいつらに面と向かって話すことはなかった。

 確かにあたしにも守るべきものがあれば、また強くなれたのかと時々思う事がある。

 だけどあの選択に後悔はしてない。


「貴女のそれは能力なのね?記憶の強さも自信があれば実現出来てしまう……」

「これが絶対能力さいのうって言いたいの?」

 少し怒った口調で問い返した。

 あたしは才能って言葉が大嫌いだ。

(努力も積み重ねない才能?あたしはそれがいくら強力になろうと!ひっくり返して手中

に収めてやる!)

 あいつらは自分を謙遜してあたしの一歩前へ進んでいく。あたしを守る対象にしたがる。

その事を思い出すとまた怒りが湧いてくる。

「落ち着いて。もうすぐここに誰か来るわ。決断するなら今よ」

 彼女は急に慌て始めた。恐らく誰かさんがトイレにやってくるのだろう。

「同じようにあたしの記憶を消せるとでも?」

「調子に乗ってると拐うわよ!」

 透香は背後に現れた。そのままあたしの肩の傷痕に触れる。

「貴女の弱点は知ってるんだよ。これは私を目覚めさせた罰……!」

 背後から感じるのは殺気どころではない。まるであの時と同じ狂気だった。

「お、脅かそうったって無駄よ……!」

 だが驚くべきことは狂気だけではなかった。

 振り返ると彼女は半竜化していた。

 赤い息を吐き、黒い竜の鱗が少しずつ露になっていく。

「あンタの……セイで……ワタシハ……!オニイチャンハ……!」


『グャァアアシャァア!!』

 近くから竜の咆哮が鳴り響く。

 周りの人達は竜が暴れたのかと、恐怖してどよめいていた。

「今のって……」

 鈴が心配そうに俺の顔を見る。

「トイレの方向からだ!急ぐぞ!」

「うん……!」

 走りながら鈴に注意を促した。

「俺が良いというまで能力を使うなよ!」

「あ、あの能力必要なの!?」

 鈴の時空逃走エスケープの能力について直接聞くのは初めてだ。だからいきなりで

驚いたのだろう。

「違う!なるべく使って欲しくはない!発動の仕方は分かるのか!?」

「わ、わかんないけど……多分大丈夫!」

(やっぱいきなりこういう場で使うのは危険すぎる!俺がなんとか出来れば良いことだ!)

 話しながら走っていたら公園のトイレに到着した。

 だがそのトイレは跡形もなく粉砕していた。

 竜の正体は……ジーニズの話していた黒い鱗のドラゴン。まだ竜化の途中段階にあるのだろう。

 竜化というのは、能力の暴走を抑えきれなかった人間が、竜のエネルギーを地脈から取

り込んで変竜化して狂暴になること。

 体も姿も竜になり、戻れない例も少なくはない。

 黒いドラゴンは粉砕したトイレの壁の瓦礫を被っている。

 つまり一度は人間に戻っていたことになる。

 そうなると仕留めるのは相当厄介だ……

「あの竜は……この前話した侵入者の黒竜に間違い無い!」

 ジーニズはもう記憶にはないあの侵入者だと伝えてきた。

 ということは愛美を拐おうとした人物がもう一度接触してきたのだろう。

「わ、私どうすればいいの!?」

 今、相手の能力も記憶操作位しか分からない。下手に手を出さない方が良いだろう。

「まあいい!俺が合図するまで手を出すな」

 だが黒竜が上体を起こした瞬間、予期していた恐るべき光景が起きていた。

 瓦礫の合間から血の染みた金色の髪が見える。

「ねえちゃ……!」

 慌てて鈴の口を塞ぐ。そして膝をつき姿勢を低くする。

『喋るな!今俺がどうにかする!』

 小声で彼女に注意する。手をほどくと、彼女はこくりこくりと涙を流しながら頷く。

 だが実際のところ黒竜にバレていない隙は今しかない。

(鈴までも危険に晒すわけにはいかない……!)

『ジーニズ……行けるか?』

 この前のベヒモスの式神とやらより、黒竜の図体は三倍以上はある。

 威力が高いとはいえ居合い斬り一発で無茶なのは分かっている。

 あの竜に睡眠の耐性が付いていたら終わりだ。

『大丈夫だ。ただ、失敗したら目を狙え』

 確かに目を潰せば、愛美を助け出せる確率は跳ね上がる。でもそれは……

『おい……それは人間の方にも影響が……』

『どうにかする。気にしなくていい!』

 心配だったがそこは任せよう。

 俺は低姿勢のまま、深呼吸をする。

「いくぞ!」

 空気抵抗の力を操作し、地面にヒビが入るほど後ろ足を踏み込む。

「はあああぁぁ!」

 全ての力を妖刀村正の柄を持つ右手首にかける。

 一瞬で地面から黒竜の後頭部に、アーチを描いた縦の居合いの残像が残る。

 確実に当たった。そのまま竜の上体部分の下に潜り、愛美を抱える。

「効いてない!あの黒竜に、物理攻撃も睡眠も無効だ!」

 ジーニズの声と同時に、黒竜は右前肢を振り下ろす。

 そのまま右手の村正の刀身で受け止める。

「今、分析してるが……これは人工の、黒曜石か……?」

 実際に触れたジーニズは黒竜の皮膚状態を診ているが、相当硬いようだ。

 道理で重い。体中に重みがかかって、内出血の痛みが走る。

「――くっ!弱点は!?」

「強酸性の毒だ……」

「そんなのあるかっ!」

 村正の刀身を振り払い、黒竜の右前肢を押し退ける。

 その隙を見て左手で愛美を抱え、瞬時に鈴の場所へと跳んで戻った。

 去り際に黒竜が左手を地面に叩きつけていた。

(あっぶねぇ……!)

「鈴!愛美を頼む!皆の所に戻るまでに捕まりそうだったら、あの能力を使っても良い!」

 鈴に意識を失った愛美を抱えさせながら指示をする。

「なんで!兄貴も血だらけで、置いてけない……!」

 彼女は俺の事を見捨てないと言い張るが無意味だ。この黒竜が追い付くことは無い。

「俺は死なない!分かるだろ!?早く!」

「兄貴のバカ!」

 彼女は躊躇った後、愛美を抱えて走り去った。

(ここで殺されて大事なカウントを使う訳にいかない!)

 自分の左腹から胸部中心に、確実に心臓を村正の刀身で貫く。

 吹き出した赤い血が黒い血に変わり、体内に戻っていく。

 刀身は押し出され、全身に赤黒いオーラを纏い、髪は色を無くす。

(何としてもこいつを追い払う!今の俺じゃこいつに勝てないのは分かってる!でもやら

なきゃならないんだ!)

 俺は誓った。限界の力に抗ってみせると。こいつを喰らうほどの強い意思で。

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