第9話~大きいお屋敷の朝~

 午前七時。朝日が屋敷の四方八方の窓から差し込む。

 直径十メートル程の細長いテーブルには、銀色のトレイと朝食が五つ並べられている。


 メニューはトマトとレタスのサラダ、半熟目玉焼き、大根と豆腐の味噌汁、フレンチトースト。一般家庭でも見られるごく普通の朝食だ。

「よし!これで準備おっけー!」


 銀髪の女の子は白いワイシャツを着て、紺色のスカートを揺らす。

 ピンクのエプロンをした那津菜なづな結衣が、体を伸ばして欠伸をしている。


「あっ……夢中で四人とも起こしに行くの忘れてた」

 普段は一人分か二人分の食事しか作らないから慣れていないのだろう。

 とりあえず起こしに行かなきゃぁと思い、螺旋階段の一段目を踏んだ瞬間。


 二階からドンッと地面を強く踏む音がした。その後も不規則にその音は響く。

「私の家でうるさく出来る人は……限られてるわね」

 無神経な赤い髪の少年を頭に思い浮かべると少し頬が緩んでしまう。


「違う違う……早く起こしに行かなくちゃ」

 自分の頬を軽く叩き、現実に目を向ける。

 大きな螺旋階段を小走りで上り、二階廊下へと繋がる両扉のドアノブを握る。


「あれ?おかしい……んー!」

 二つのドアノブを捻り、押すが少ししか開かない。

「やっぱり開かない……なんでだろ」

 何かが挟まっているのだろうか。いつもなら大きなギシギシ音を立てて開くのに。


 両扉の縦の長さは三メートル程。屋敷等にあるそこそこ大きい扉だ。

彼女は華奢な足を踏み込み、両扉に体重をかける。

「い、いたい……」


 先程想像していた、聞き覚えのある人物の声が聞こえる。

「ちょ、ちょっと乱威智!?扉の前で何してるの!?」

 驚きの表情で扉の向こう側にいる乱威智に問う。

「引っ張れなくて……」

(そっか。怪我をしてて引っ張れなかったのね。ふふっ、ちょっと情けないわね……)


「わかったわ……ちょっとどいてくれない?」

 溜め息を吐きながら聞き返すが……反応がない。でも、扉の引っ掛かりのような重圧が消えた気がした。

「じゃあ開けるわね」

 両扉に両手をかけゆっくりと開いていく。扉の先にはなんと彼が……倒れていた。


「ちょ、ちょっと大丈夫!?無理して起きなくても朝ごはんなら持っていったのに……」

 そっと乱威智の体を掴んで肩を貸す。だがやはり無反応だ。

「これじゃまだみんなも寝てるかな」

 結局昨日は、鈴ちゃんとお風呂に一緒に入ったりご飯食べたりとのんびりしていたら、寝るのが十一時半頃になってしまった。


 でもあの時まで彼女は寝ていたから、あの後すぐ寝れていたのかも分からない。

 客人には二階の空き部屋の寝室に、自分は一階の寝室で寝て、緊急時にいつでも動けるようにしている。


 これが母や父が守ってきたこの家の決まりだ。

(でも私が二階で寝ている時にあんなことが起きるなんて……)

 一年前に起きた辛い事を思い出していたら、乱威智を寝せている空き部屋に着いた。


 彼を背負いながらドアを開くと……

「なにこれ……」

 部屋に入ると数学の数式、基本的な英文などが書かれた紙が散らかっていた。


 ざっと四、五十枚はあるだろう……

「全く何してたのよ……よいしょ」

 まず乱威智をベットに寝かせてから、散らばった紙を拾い上げて纏める。


「でも大体合ってる。やるじゃない。そういえば今日はテストだっけ……」

 紙を拾い終わってテーブルの上に置くと、五つの教科書と一冊のノートに目が止まる。


「これは五教科の教科書で――ってこれって……」

 ノートにはヒントノートという題名と未来の名前が記されている。

「な、なによ……!私を頼れば良いのに」

 いつもだ。勉強面では私を頼ってこない。

(学年首席なのに……!未来よりもちゃんと教えられる自信だってあるのに……!)


「んふぁっ!」

 急に乱威智が声を出して起き上がる。

「ちょっと!寝てなさいって……」

 注意をするが寝惚けているのか、私の話を全く聞いていない。

「えっ!今何時だ!?」


 ふと我に帰ったのか時間を聞いてくる。

「七時過ぎよ。今日は学校休んだ方が良いんじゃない?」

 これ位彼なら耐えられることは、私だって知ってる。

 頼られなかった仕返しじゃないけど、そう勧めてみる。


「ちょ、ちょっと待て……そ、そのノート見てないよな?」

 唐突にノートの内容の事を聞いてくる。

「まだ開いてないけど……何?もしかして答えが書いてあるとか?」


 疑いつつもノートを手に取り、一ページずつ開いてみる。

「あっ!」

 彼の声は無視してノートを見てみると、そこにはなにも書いてなかった。

 その代わりに右端に小さい絵が描かれている。


「まさか……」

 かわいい猫のキャラクターのパラパラ漫画だった。しかもメッセージ付きの。


「やめてくれぇ……」

 彼は顔を手で隠しながら悲惨な声をあげている。気にせずひらひらページを捲りながらメッセージを読んでみる。

「い、き、な、り、じゃ、な、く、て、ふ、だ、ん、か、ら、べ、ん、きょ、う、を……ふふっ。センスあるわね」


 予想通りのメッセージをニヤニヤしながら読み続けていると……

「もう開くな!絶対最後のページだけは見るなよ!?」

 そんな言われ方をすると絶対見たくなってしまう。


「最後ページね、えっと……」

 最後のページを開こうとした途端、彼が立ち上がろうとする。

 だが、彼は足元にまだ残っていた一枚の紙を踏んでバランスを崩してしまう。


「なっ!」

 最後のページはちらっと見えたが、それどころではなかった。

「えっ、ちょっ!?危ない!」

 彼は紙を踏んでバランスを崩す。そのまま私に突っ込んできて、二人とも転んでしまった。


 気付くと彼が私を床に押し倒す形となってしまった。

 そこでさっきのメッセージを思い出す。

『あなたたちがキスをしようが何をしようが構いませんが、その話をお姉ちゃんの前でしないで!!』


 衝撃的な内容過ぎて、どこから聞けば良いのか分からない……

「ねぇ、あれって私達の話……よね?」

 顔が近くて余計意識してしまう。

(朝っぱらから私は何を考えてるの……!)


「そ、そうだよ!わかるだろ?ジーニズがいつも通り煽ってきたんだよ。あ、あの後すぐの事だ……」

 彼は照れながらもそう言った。日頃からジーニズが私達のことをもてあそんでくるのは分かる。あの後が昨日の未来の部屋での事だとすぐ理解した。


 未来が一度起きたのも分かったが、今は気にする暇なんてなかった。

 顔が近くて目を逸らしても逸らしても結局目が合ってしまう。

(な、なんか恥ずかしいけど、凄い幸せな気持ち……乱威智もそうなのかな……?)


 ほんとは数秒しか経ってないのかもしれない。けどその時間はとても長く感じるし、ずっとそのまま続いてと願ってしまう。

 もうどうにでもなってしまえ。私は勢いに任せて目を閉じた。


 少し間が空いた。それすらも長く感じて、余計恥ずかしくなる。

 吐息がどんどん近くなる。胸の鼓動はどんどんペースを跳ね上げていく。


 次の瞬間ドアが開く音がする。

「ちょっと兄貴!ドタドタうるさ――わっ!?」

 ドアが開いたことに驚き過ぎて、私は目を開いて起き上がろうとしてしまった。


「はむっ!んちゅっ!?んっ……!!」

 目を見開く。視界には彼の目に映る自分の目蓋が見える。

 唇には温かい感触が広がる。自分から彼にキスしてしまったのである。


 そしていきなりの事で、頭が混乱してしまって唇の離し方が理解できない。

 更に唇は押し付けられてしまう。積極的と思われるのが恥ずかしい。


 自分の銀色の髪が冷たい。耳まで真っ赤になっている事に気付き、更に恥ずかしくなる。

「ちゅ……?うぅん!?」

 彼もまさかの展開に首を引くことができなかったのか、驚きの表情で目を見開いている。


「ふぅぇっ!?失礼しましたっ!!」

 鈴ちゃんは慌ててドアを閉めて逃げていってしまった。

「いやぁ……話しかけるタイミングが無くて」

 ジーニズもやっと息が出来るような感じで話しかけてきた。


 雰囲気に耐えきれず、私達は同時に唇を離す。

 乱威智は顔を遠ざけてからジーニズに話しかける

「んっ!はぁ、はぁ……今話しかけるのも、どうかと思うぞ?」


(こんなことをしたらもう顔も合わせられなくなってしまう……!)

「も、もう……!」

 両手で顔を隠して、足をモジモジさせてしまう。予想もつかない朝だった。



 午前七時半。急いで朝食を食べる。俺の唇にはまだ温もりが残っている。

 寝不足だったが先程の出来事ですっかり目が覚めた。

「うぅ、これじゃ八時に間に合わないよ……」

 何も知らない未来は平然と目玉焼きをかじっている。


 全ては未来を頼るほどに状況を悪化させた俺のせいなのかもしれない。

 今あれこれ考えても仕方ない。早く食べて学校へ行かないと。


「勿論だけどあんたは休むんだから、そんな早く食べなくてもいいのよ」

 結衣は少し不機嫌そうな顔で話している。逆らったらどうなるかもわかっている。


「せっかく頑張ったのに途中で投げるなんて出来ない」

 牽制するかのように言い切った。でもやっぱりさっきの出来事を思い出してしまう。


 すると結衣が溜め息混じりに説得してくる。

「はぁ……あのね?今回の試験はあくまで学力を測るものなの。競い合うものじゃないの。それに愛美は放っておくの?あの状態じゃずっと大人しいままとは限らないわよ?」


 核心を突かれた問いに答えられなかった。

 こうなってしまったのは彼女に謝りに行くはずだった俺の責任。

 やっぱり家族の方が大事だ。


「元々は私が暴走したから、乱威智のせいじゃないじゃないよ?付きっきりで看てなんて言わないから少し休んでほしい……」

 少し重い雰囲気になった食卓を未来が和ませてくれる。


「ごちそうさまでした!」

 鈴はもう食べ終わったのか、顔を見せないまま食器を片付けに行こうとする。


「大丈夫よ。置いておいて。私が片付けるわ」

 結衣が笑顔でそう言うと、鈴は軽く首を縦に振って俯いてしまう。

 用意していた荷物を背負い、そのまま玄関に向かってしまった。


「なんかあったの?」

「べ、別に何もないわ……」

 未来が不思議そうに聞くと、結衣は戸惑いながら答えた。


「そう……ならいいんだけど」

 結衣と鈴の俯いた顔に、未来は雰囲気を察したのか少し微笑んでいる。


「ともかく!昨日頑張ったあんたの分も……頑張ってくるから」

 結衣は立ち上がり俺の顔を見て喋っていたが、途中で口ごもって目を逸らされてしまう。

 そのまま二つの食器とトレイを重ね、別の部屋にあるキッチンまで持っていった。


「進展あり?やっぱしノート見られた?」

 未来は彼女がいなくなった途端、ニヤニヤしながら聞いてくる。

(してやられたな……)

 こんな人に勝った自分が信じられなくなってくる。


「勘弁してくれよ……あと、姉さんも無理しないでよ?暴走後とはいえ、複雑だから何が起こるか分からない」

 未来に体調を注意をするように伝えた。


 昨日の夜、ノートの貸す代わりに自分がどうなったのか聞かれたのだ。

 こればかりは本人に話さなければいけなかったし、それにジーニズもいるあのタイミングが最適だった。


「わかってるよ。けどジーニズ君ってほんと凄いんだねぇ……何でも知ってる」

 彼女がジーニズを誉める。残念ながら今この場にはいない。二階の部屋で寝ている。

(相変わらず食べるペースが遅いなぁ……間に合うのか?)

 トレイを見るとまだ半分位食事が残っている。


「だけどあの知識をどう活かせるかは俺の脳味噌にかかってる。というか俺はもう食べ終わるけど、姉さんは時間大丈夫なのか?」

 ジーニズの話よりも時間の心配して話しかけると、未来は気持ち悪そうな顔をした。


「味噌汁飲んでる時にそういう話やめてよぉ。ほんとデリカシーない……」

 最後は少し笑っていた。昨日から表情が暗かったからちょっと安心した。


 彼女はお喋りだし、いつもこんなくだらない会話をしている。

「たまたまそういう例えになってるだけだ」

「ちょっと目玉焼きまだ残ってるからー」


「それは流石に無理があるんじゃ……?」

 そうこうしていると扉が開き結衣が戻ってきた。

「まだ食べ終わってなかったの!?」

 結衣は食べきれていない彼女に驚いている。

 いつも食事中ゆったりとしているから話していなくても遅い。


「ほら急いで!」

「わかってるよぉ……!」

 急かす結衣に彼女は頬張って食べている。

 そして時間が経ち、騒がしい二人は学校へ向かっていった。


「もうすぐ八時かぁ……」

 時計は七時五十分頃を差していた。

『学校へ連絡もしなくていいわ。私が話しておくから』

 と結衣に口酸っぱく注意されたこともあり、特に何もすることがない。


「愛美の様子を見に行くか……」

 二階の客室へと続く階段を上る。何度も言うが結衣の屋敷は本当に広いと思う。

 来る理由は大体、武道場を使うため。専用の武道場すらかなり大きいお屋敷だ。


 他にも掃除を手伝ってほしいなど、定期的にここに来ては泊まっている。

 二階の両扉も大きいし、客室の数は余裕で二桁はあるだろう。

「相変わらずこの扉……重いなぁ」


 この扉をいつも結衣が触れていたことを思いだし、切なくなる。

(でも冷静に考えると俺達の関係って……)

「同棲かぁ?というか痛いから!転がるまで待ってくれ!」

 扉の向こうから聞き慣れた刀の声に驚き、尻餅をついてしまう。


「な、なんだ……お前か。びっくりしたなぁ……!」

(やっぱりこいつ、俺の考えてること分かってるんじゃないか?お前はナルシストだとか言いそうだから聞かないけど……)


「この扉こっち側からうまく開けれなくてさぁ……」

 重い扉を開けて、鞘部分を持ち、刀を拾い上げる。

(そもそもこいつはここの――いや、武道場に封印されてたんだっけ?)


「というかお前一人で動けるのか?」

 三ヶ月も一緒にいて、勝手に動くことを初めて知った。

「そりゃ多少は」


 愛美の部屋は扉から近かった。結衣が心配して扉に近い部屋に寝せていたのか。

 中からは苦しむような愛美の声が聞こえてくる。

 ドアを開けると彼女は眠ったまま悪夢のようにうなされていた。


「うぅ、やぁ……!すぅ……」

「昨日からこの調子らしい。相当だな……」

 ジーニズも心配そうな声で呟く。

 それを聞いて、愛美なら大丈夫かもと状況を甘く見ていた自分が恥ずかしくなった。

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