第49話 迷える羊たちは沈黙する④
一方で、ユイは足元が雪で悪くなった中を駆け、コントロールセンターから木虎の元へようやく辿り着く。走る最中は空気が冷たくて、息がうまくできなくて、到着して直ぐは両膝に手をつき、俯きながら必死に息を整えることになった。
「やっと……見つけたよ……」
そうしてから顔を上げた時、目の前に見えた木虎は、まるでユイの想いを拒絶するような
「……何をしに来たんですか」
必死に駆けて、ようやくたどり着いたユイにかけられた言葉は、随分と手厳しいものだった。その言葉を放った木虎の顔や巫女服は鮮血にまみれていて、髪と服が乱れたままになっていた。それを正そうともせず、気に留めようともせず、在り体のままでいる。それは見ていて痛々しいものだった。
「心配……だったから……」
「心配……ね……」
木虎はユイの言葉を聞いてからそう答えて、意味ありげに含み笑いをした。木虎は呆れた様な、悔しそうな
そして、その後の会話は続かなかった。いや、続けられなかった。木虎から醸される、会話を拒否するような雰囲気がユイに口をつぐませた。たちまち、お互いの間に沈黙が訪れる。
その間、ユイは木虎の様子をうかがうように眺めていた。ただ変わり果てたその姿を目にしていると、ユイの胸の奥がズキンと痛む。木虎が乱したままで居る恰好は、こうなった原因はユイの責任なんだと、見せつける様にも見えてしまう。
もっと早く、リンと話しをしておけばよかった。
後悔だけがユイを襲い、責め立てる。謝りに来たつもりが、仲直りしに来たつもりが、今となってはその目的を果たせる気がしない。そしてそれを達成できると単純に考えていた自分に、ユイは怒りを覚えた。
そんな事を考えていると、ユイは木虎の姿に何だか違和感を覚える。木虎の何かいつもと雰囲気が異なっている気がしたのだ。それは木虎の機械義手の姿が普段の形と異なっている所だった。機械義手のブローバック機構のところにある、エーテルの薬莢が射出される穴をカバーするパーツが、スライドしたままで穴を開放してしまっているのだ。そしてその理由が分かるとユイはハッとして、恐る恐るそれを口にした。
「リン……残りのエーテルは……?」
「もう、ありませんよ。後は命が尽きるまで戦うだけです」
ユイはその言葉を聞いて、愕然としてしまった。エーテルが無いと言うことはつまり、命を削っているのだ。こうしている間にも木虎の命はひたすらに消費されている。それを知ってユイの胸は一段と強く胸打った。そして事の重要さからユイは木虎の気持ちを置いて、声を荒げて木虎を説得しようとする。
「どうしてそんな事を平気で口にできるんだ……! ダメだリン、解列しにコントロールセンターに戻ろう!」
「いいんですよ、私がどうなったって」
「どうでもいいわけない!」
興奮するユイに対して、木虎の返事や態度は冷めたままであった。しまいに木虎はこんな意地悪な言葉を返す。
「この場で八雲さんがピンチになったら八雲さんの方へ行くんじゃないんですか? それどころか困った人のところであれば、どこにでも行くのでは?」
「そんな言い方あるかっ! 私はそんな話より、今リンの事を話しているんだ!」
「……知ってますよそんな事。でも私は……私はっ……!」
木虎は急に赤らんで、そして切なそうな表情をした。
ユイが心配する態度は、恐らく今だけなのだろうと木虎は考えてしまう。確かに今の状況に応じた判断をする事が大切なのだけれども、どうしてもこの瞬間にユイの気持ちを知りたくて仕方がなかった。そしてその気持ちを教えてくれない事が何より切なくて堪らなかった。
こんな様子であれば、きっと自分の存在など、この降りしきる粉雪のように、積もらず留まらず、ただ落ちては消えていくものなのだと考えてしまう。自身の存在の小ささに、胸が強く締め付けられる。
「……猿飛さん。リンは解列した方が良いと思うんですがどうでしょう?」
猿飛にそう報告するユイを見て、一層、木虎の胸の締め付けが強くなる。
「……何でそんな事をするの?」
ポツリと、木虎は呟く。そんな事を猿飛に聞かないで欲しかった。但し、このままで居れば他の隊員に迷惑をかけることは事実だ。自身の立場からして、感情だけで動くことは決して正しい事ではない。ただ、自分が抱えるこの行き場を失った感情を、処理しきれる自信は無いだろう。
そして猿飛が下した判断は、『これ以上、命を削っての戦闘はダメだー……木虎、解列の為にコントロールセンターに戻るんだー』木虎へ業務を
木虎もこうなると分かっていた。しかしわがままではあるが、こんな事を口にせずにはいられない。
「でも、外側の敵はどうするんですか……?」
『外側にいる、見れる限りの使者は全て私が引き付ける』
「無茶ですよそんなの! いい加減な事を口にしないでください!」
木虎はその余りにざっくりとした猿飛の答えに腹を立てた。そんな判断で自分の意思を邪魔されてたまるものかと、思い切り言い返したつもりだったが、
『もうここまで来たからには無茶でもししないとやり切れないんだよ!』
猿飛の強い言葉によってかき消されてしまった。その言葉で木虎も思わず固まってしまう。あの猿飛がこんな言葉を口にするのは初めてだったからだ。
その意図は木虎の態度を思ってだろうか、それともそれだけ危険な戦況にあると言うことだろうか分からなかった。しかし焦った木虎にはその言葉の意味を確かめる余裕は無かった。ただ口をパクパクとさせて、ただ言葉は出ることは無く、ただその場で建っ尽くす事しか出来なかった。
『もうこのままじゃラチが明かねー! こうなったら木虎を緊急解列させろー! ……そしてユイ、抜け殻になった木虎の身体をコントロールセンターまで届けるんだ』
そうしているうちに猿飛はそんな指示を出した。木虎はユイの方を向くと、ユイは納得した様に頷いていた。違う、そうじゃないと木虎が思っている間にも話は木虎の気持ちを無視して次々と進んでいく。
『九十九。緊急解列のやり方は分かるなー』
『大丈夫や。木虎の保護系統は動作せえへん様に全てロックかけました。あとはエーテルの供給系を落して阿修羅からネットワークを切断するだけです』
その言葉を聞いて木虎は焦りだした。このままではもう直ぐにでも自分は解列させられてしまう。そんな事を木虎は受け入れることができないままでいた。
「待って九十九! ダメですよそんな事! 私が、私が今落ちればユイさんに負担がかかる!」
「大丈夫だ、響! 敵が少ない今しかないんだ!」
そうして、木虎の想いはユイによって直ぐに遮られてしまう。
どうしてそんな事ができるのか。
本当は九十九の行動を止めて欲しかった。ユイと気持ちを話し合う時間ぐらい、設けさせて欲しかった。その気持ちを理解して欲しかった。しかしこうなってはもう遅い。ただ木虎は悔しくて、ユイにこんな事を問いかける。
「ユイさん……ユイさんにとって私は何なんでしょうか……?」
するとユイは少し驚いた表情をしてから、次に大真面目な表情で木虎を見つめながら口を開くのであった。
「大切な……」
「……大切な?」
つい、その言葉の続きを、木虎は期待してしまう。しかしその言葉に続く言葉は、
「大切な、仲間だよ」
余りに非凡なもので、そして自身の存在の小ささを教えられてしまうものだった。
その言葉を聞いてから、木虎の目には僅かに涙が浮かんだ。本当に聞きたかった言葉は、そんな言葉では無かったのに。そう思いながら木虎の意識は混濁していき、暗闇の中に消えてしまった。
『木虎隊員の緊急解列を確認しました。再復帰に備えてコントロールセンターでセッティングを始めてください』
「よーし、よくやったー……」
そのオペレータの言葉を耳にして、猿飛は安堵する。しかしそれも気休め程度だった。猿飛は三体の使者を目撃してからその後、酷い目に逢っていたのだ。
「……命からがら、だなー」
猿飛は自身の姿を見て嘲笑する。巫女服は血と泥にまみれ、生地は所々裂けてボロボロになっていた。また、サイコドラグーンの撃ち過ぎで身体は軋み、腕は動かなくなりつつある。それでも、こんなになってまでも強いられる行動は逃げる事だけであった。
現れた三体の単眼の使者に対して、猿飛は、威嚇射撃をして注意を猿飛に引き付けながら単眼の使者をコントロールセンターから遠ざける事をしている。また、それが精一杯だった。現状維持のままで、それ以上の事をできる気がしなかった。
しかし、このままジリ貧を続ける事は賢明ではない。もう十数分も時が経てば、猿飛のエーテルは残り一発になる。だが今はそんな僅か先のことさえも考えが浮かばない。戦況が余りにも流動的なので、その場その場で判断することしかできないと猿飛は思い始めていた。
そんな時に、最も恐れていた事態が起きる。
『単眼の使者がコントロールセンターに出現しました!』
あ。
頭の中に浮かんだのは、その一言だった。何か大切なものを地面に落っことしたような感覚だった。頭の中が真っ白になって、全身からじわりと汗が滲みだす。こうなることは分かってはいたのだけれど、手前の事に注意を引かれ過ぎて、対処を後回しにして、気が付けば手遅れになっていた。
最悪だ。
猿飛は自分自身を強く呪う。大変な事になってしまった。自分で思考せず、成り行きで、皆に判断を委ねた自分が招いた失態だった。猿飛はそんな自分の行いを振り返って、地面を強く殴りつけた。
「私は一体何なんだー……ただこの場に居て戦っているだけなら誰でもできる事じゃねーかッ!」
痛みは手からじんわりと広がって、やがて胸に届いた。この戦いをどうするべきか考えていなかった。皆を守るためにどうするべきか考えていなかった。自分はただ好き勝手に戦うだけの存在だった。その無計画と責任感の無さに猿飛は気が付いて、戦闘制御第一部隊のリーダーとして、猿飛は自分自身の存在意義を初めて疑ったのであった。
そしてついに、物語は悲劇へと姿を変えていく。
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