第6話 かんなぎの子⑤

「何なんだ……一体………」


 波乱の一日であった。胡散臭い訛り言葉で喋る九十九と、お金にがめつく電波な木虎。入学当日にとんでもない人達と関係を持ってしまった。その二人と出会ったせいでひどい目に逢わされたのだから、悪い印象を持たずにはいられない。


 九十九のせいで性別はいきなりバレた。木虎からは得意分野だと信じていた霊獣を、それも強力なものを、目の前で披露された。仕舞にはその状況で、とどめを刺すように、九十九からは去り際には不吉なメモを渡された。おかげさまでユイの心はボロボロになっていた。


『お前は何者や?』


 意味深長で、頭に引っ掛かる九十九のメモ書き。何の意味があってあの様な事を告げたのだろう。結局、ユイにはあのメモの意味が分からないままで、帰り道は頭の中はモヤモヤしたままであった。


「と言うか、最後に至っては意味不明だし……それよりも父上に男であることがバレたことを話さないと……ああ、どうしよう!」


 今日起きたことを思い返すだけで頭が痛くなる。それほどに今日は濃厚だった。ユイは重い足取りで、ようやく家にたどり着く。


 ユイの実家は神社なので、遠目に見ると多少は立派に見えるのだが、生活の場は社の脇に、こじんまりと佇んでいる。社と同じように家が大きいとは限らない。


 家へ上がれば、だいぶ建物が古くなっていているのがよく分かる。木の板でできた廊下を見れば脇にシミがあり、歩けば軋む音が出る。改めてそれを見ると、ため息が出る。更にこの家を継がなければならないと思うと、巫女にならなければならないと思うと、そして自分が男であるとバレたと思うと余計にため息が出た。


 あんまりため息をつくものだから、ユイはそのため息をついている間に、廊下を抜けて、茶の間へ着いてしまった。


 部屋を見ればユイの父は座布団の上であぐらをかいて、呑気に新聞を読みながら煙草を吹かしている。


 父はユイと同じく暖色の長い髪を持つ。唯一ユイと違うのは、それを後ろで束ねているかどうか。ヒゲは生えていないのだが、髪がボサボサとしているからか何となく無精に見えてしまう。


「おっ、お帰り。入学式どうだったんだ?」


 父はいきなりユイの方を向くとそんな他愛のないことを聞いた。人の気も知らないでよくもまぁそんなことを言えたものだ。父がユイを女に仕立て上げたことで、どれだけの気苦労をしたか感じ取ってほしいものだと、胸の中でつぶやいた。そして男である事実を隠し通さねばならなかったのに、直ぐにバレてしまったことを考えると胃が痛くなる。


 しかし何故こんな思いをしなければならないのだろうか。ユイは辛く思うその一方で、ユイが女装することになった経緯を色々と考えていくうちに次第に腹が立ってきた。


 考えてみれば元々は全て父が悪いのだ。それにこの出来事を隠していても仕方がない。もう知らないぞと、何かが吹っ切れたのか、ユイは起きた事象を淡々と告げる。


「バレたよ」


 茶の間に冬が訪れた。その言葉を受けて父は少しの間固まっていたが、咳払いをして、落ち着きを取り戻してから、またユイに問い掛ける。


「…………何が?」


「私が……男ってことが……」


 その言葉で父は余りの動揺にタバコを膝に押し当てて火を消した。すると父は余りの熱さに飛び跳ねて、その拍子のままユイに近づいた。


「お前どういう事だ、一大事じゃないか!」


 お前の方が一大事だと思ったが、ユイは突っ込む気すら起きなかった。


「まさか……ちんちんが付いていることもバレたのか!?」


 それ以外に何があるのだろうか。父の問い掛けにしばらくあきれ顔でいたが、「答えろ」と強く父が言うので、仕方なしにユイは吐き捨てる様にこう答える。


「そうさ、ちんちんが付いていることもだよ!」


「お、お前あれほどそれに関しては注意しろと言ったのに!」


「注意はしたさ! でもあんな事をされたら……っ!」


 そう言ってからユイは口を押えた。あと少しで余計な情報を漏らしてしまう所であった。九十九にスカートを捲られ、木虎には股を触られた事など口が裂けても言えまい。


 一方で息を呑む父。普段になく、神妙な顔つきをしている。何となく嫌な気配を察したユイは、苦笑いをしてからそっと立ち去ろうとする。


「それじゃあ私はここで……」


 しかし父がそれを逃すはずがなかった。むんず、とユイの腕を掴むと、襲いかかるようして問い詰めてきた。


「待て、こうなったことは仕方がない。これも想定内だ。それよりもお父さん、どうやってばれてしまったのかそっちの方が気になって仕方ない! 何だ『あんな事』って? 見られたのか? まさか、触られたのか? じっくりと、そのお祓い串を!」


「ええい、やかましい!」


 そう言って、腕を掴む父の手を思い切り払うと、今度は父が悲しみに暮れた声でこんなことを言い出した。


「ななな、なんだそれは! 家庭内暴力だ! お父さんはそんな子に育てたつもりは無かったのに! おしとやかに育てたつもりなのに! ううっ……ユイがグレたあああああ!」


 グレたつもりなど微塵もないが、冷静に考えて、この教育方針でグレない方がどうかしている。ユイは最早面倒くさいので無視することにし、二階にある自室へと歩を進めていった。


 父の手を振り切って部屋に戻ると、ベッドの上に子牛のファローさんが転がっていた。なので、しばらくユイも一緒にファローさんとダラダラする事にした。とにかく今日は疲れたのだ。今は何かに癒されなければ何もかもやっていられない。しかし、いくらファローさんに癒されようともあの言葉が胸の奥につかえている。


『お前は何者や?』


「何なんだろうな……」


 九十九から受け取ったメモ紙の事をまた思い出す。同時に、そう言えばと思ってユイは携帯を取り出した。ユイは一応、メモ紙に書かれていた九十九の連絡先IDを登録して、自身の連絡先を登録してもらう申請をしたのだ。しかしその申請状況を確認する限りでは、九十九はどうやら申請を許可していないようだった。


「何なんだよもう」


 ユイはぶすりとする。こちらからすれば連絡がない事が不安で不安で仕方がない。九十九からのレスポンスによって、メモ書きの意味が分かるかもしれないと言う不確定な希望に焦がれながら、ユイはそれをいじらしく待つことを強いられた。よくよく考えると、それも九十九のからかいで、実は考え過ぎなのかもしれない。


『なんや、ウチの連絡をずっと待っとったんかいな。男のクセにホンマ乙女やなァ』


 ……なーんて事を言い出すかもしれない。


 そうだ、考え過ぎなのだ。九十九の過ぎる悪戯に付き合わされているだけなのだ。何かが起こるなんてそんな事あるはずが無い。何も起こらず明日になる。毎日、当たり前がやってきて、積み重なって日常になる。それが待っているに決まっている。


 そうだ、折角だから明日は木虎や九十九を誘って街に遊びに行こう。木虎さんの連絡先は九十九が知っているだろう。


 明日が楽しみだ。


 そしてその明後日も楽しみだ。


 これからきっとその楽しみが重なって、これからもっと素晴らしい毎日になる。


 ―—はずだった。


 時計が十二時を告げる時、携帯に連絡が来た。それは九十九からの申請受理に関する通知と、ある一文が送られてきた。

 

『逃げろ』


 その次の瞬間、部屋の明かりはふっと消えた。いや部屋だけでは無い、窓から見えるこの辺り一帯の明かり全てが消えている。


 ただそれが普通の停電なら良かった。ただ、どうにも様子がおかしい。外は何だか騒がしく、暗がりに目を凝らすと外には数台の黒塗りの車が停まっている。


 嫌な予感がした。


「何だ何だ ? 停電か?」


 階下から父の狼狽える声が聞こえる。とりあえず父の無事を確認でき、安堵したが、それも束の間のものだった。派手に家の扉が開く音がしたのだ。


「……誰だお前達は!」


 その父の言葉の後、その声は直ぐに叫び声に変わる。ユイはただその場に固まる事しか出来なかった。唐突で、訳が分からなかった。脳に届く危険信号さえ現実味が無くて、ただ呆然としていた。


 いままでユイはこの事象から現実味の無い地点にいた。しかしそれは気がつかぬうちにユイへすり寄ってきた。遠くで聞こえるうめき声。床を叩く鈍い音。生々しい音が、家中に、漂うように響く。胸の鼓動が早くなって、高まって、ユイの感覚を弾く。次第に恐怖が心の奥底からせりあがってきた。


 すると、ある拍子で父の声は突然ぷつんと途切れた。ユイはその意味を直ぐに察する。原因とその手法は分からない。だが父は非常に危険な状態だということは、はっきりと分かった。


「……嘘でしょ?」


 だらりと嫌な汗が額から流れた。そして次に戦慄、遅効性の恐怖が身体を廻り、震えが始まった。しかし戸惑っている場合ではない。薄い扉を隔ててその向こうから、誰かが階段を昇る音がする。次の狙いはユイに違いない。しかしこの後どうしたらいい? 相手は恐らくこの手のプロ、まして相手は複数だとしたら逃げ切れる気がしない。


「無理……無理だよっ!」


 そう言っている間にも足音が近づいている。その一歩一歩の音が脳を震わせる。そして扉の前で足音は止み、次にドアのノブを捻る音がする。破滅への感覚が脳を麻痺させる。もう時間が無いと、限界だと思ったその時、ユイの部屋のドアは勢いよく開かれた。


「……誰もいないな」


 部屋に入ってきた者がそう呟いた。見渡してもユイの部屋の中には誰もおらず、しいんとしていた。


「どうせこの中にいます。探しましょう」


 しばらくしてからもう一つ、落ち着き払った声が聞こえた。どうやら二人組らしい。かつ両方とも女性だ。そして二人は話がまとまったのか、部屋に踏み入る。


 一方でユイはクローゼットに飛び込み、間一髪で難を逃れていた。しかしそれはあくまでも応急処置。臭いものにふたをした状態で、根本的な解決にはなっていない。見つかれば即、殺されてしまうであろう。


 胸の動悸がおさまらない。気付かれるのは時間の問題だと分かっている。しかし、こうするしかないのだ。このまま見付かって、殺されるのを待つしか無いのだ。脱臭剤の香りの漂うクローゼットで、溢れそうな涙と嗚咽を抑え込んで、震えながら残された命を枯らすしか無いのだ。


 すると襲撃者は妙な話を始めた。


「何だ? この牛は?」


 ユイは息を飲む。ファローさんを隠すまで気が回らなかったことを強く後悔する。するともう一方の襲撃者はこう返事をする。


「居られても邪魔です。『サイコガン』を使用して下さい」


 彼女が言っている事は意味不明だ。しかしこのままではおそらくファローさんが殺されてしまう事は想像できた。


「いやだ……」


 だが自分が出たところでどうにかなるとは到底思えない。かと言って、ファローさんが殺される姿を放ってはいられない。


 やむを得まい。ユイは意を決し、クローゼットから飛び出した。


「え……?」


 その言葉がユイの第一声。間の抜けた、驚きの声だった。だがその声が漏れることは、仕方のない事だった。


 そこには巫女服を纏う女性が二人いた。そのうちの一人は、見覚えのある意外な人物だった。彼女を見間違えるはずがない。黒髪の人形の様に姿かたちを創り込まれた少女。それが月明かりに照らされてユイと対峙している。


「木虎……さん……?」


「ほらやっぱり出てきました」


 その声、姿は、『木虎』に間違いなかった。木虎の後ろには学校で見た、白い虎が控えている。ユイは余りの驚きに、へたりとその場で座り込んでしまった。


「なん……で……?」


「……何ででしょうね。ユイさん」


 そう告げた木虎の片手には何か長細い筒のようなものが握られていて、それは突然光を発して、ユイはショックで気を失った。その後の記憶は残っていない。

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