第26話 後日談――廻り出した世界
「入学早々、入院生活とはホンマご苦労さんやなぁ」
ベットに横たわっている木虎を見て、九十九は呆れた様に言ったのであった。ここは東方が保有する病院の一室。ここで木虎は身体の外傷を治療する為に入院している。今、九十九とユイは学校の帰りがけに木虎の見舞いに来ている。
戦いの夜は明け、三人は日常にまた身を戻していた。深夜までの戦闘。限界まで削られた命と精神力。東方と言う強敵との対峙。これまでの濃密な出来事があったにもかかわらず、三人には疲労の色を感じさせなかった。それよりも得られたものの存在が大きすぎて、疲労など気にも留まらなかった。
「でも本当に良かったよ! 外傷も少ないんでしょ?」
「まぁ、ところどころ身体は軋みますが、特に大きな異常は無いみたいです。数日後には退院できますよ」
その得られたものとは木虎鈴、彼女の存在だった。見る限り木虎は元気そうで、ユイはほっと胸を撫でおろす。一方で木虎はやはり自分が周りに掛けた負担について気にかけている様だった。
「……とにかく、お二人にはご迷惑をお掛けしました。私の身勝手な行動で二人に命を危険に晒させて、償っても償い切れないくらいです」
そう言って木虎は悲し気な表情をして俯いてしまった。それを見た九十九はフォローの言葉を入れようとしたが、ユイの方が先だった。ユイは首を左右に振ってから、力強い言葉を入れる。
「大丈夫だって、そんな事思わないで! 迷惑なんかじゃない。むしろ私は私達を受け入れてくれて、この世に還って来てくれたことが何より嬉しいんだから! そ、それに、こう言ってはなんだけど、逆にこれで木虎さんの気持ちが少し分かる事が出来て、嬉しかった」
それは真っ直ぐで素直な言葉だった。言っている方も聞いている方も恥ずかしい位のもので、包み隠さないユイの気持ちがそのまま表れていた。言い終えたユイの顔を見て、木虎は顔を赤くしていて、恥ずかしがっているのか被っている布団で顔を隠した。それを見て九十九はニヤニヤと笑みを浮かべ始めたので、九十九の様子に気が付いた木虎は話題を変える様にしてこんなことを言った。
「……まぁでも、ユイさんは私が生でハグしたのでチャラですね」
注意の矛先はユイへ向いた。ユイは突然の事に目を丸くして突っ込みを入れる。
「んん?! ちょっと待って、あれ料金発生するの?! やり口が汚いんだけど、ヤクザ過ぎるんだけど! あと、生でハグするって言い方は止めて!」
木虎が言っているのは、ユイが木虎にトイレで胸を押し当てられたあの出来事の事だ。ユイは改めてその出来事を思い出して顔を真っ赤にする。またユイは横目で九十九の方を見ると、九十九はまるで汚物でも眺めるかの様な目つきでユイを見つめていた。
「何やねん生ハグって……」
「加工食品みたいに言わないで、そして変な目で見ないで……」
「九十九さん……私はそこの暴漢にトイレに連れ込まれ、身体検査を要求されました。そして……私の身体を舐めまわす様に見つめた後、私の胸の中に顔を埋めたんです!」
「有罪や、この変態糞スケベ!」
九十九の反応は早いもので、即座にユイの胸倉をつかみ、殴りかかるポーズを取った。迫られたユイは殴られる前に、九十九に慌てて突っ込みを入れる。
「いやいやいや! 冤罪だよ冤罪! 脚色に悪意があるって!」
そのユイの言葉を聞いて、九十九はより前のめりになる。
「ちょい待ちぃ! いや、脚色っちゅう事はどこまでがホンマなん? ……ちょっち詳しく教えてくれへんか」
「何興味持ってんだお前は」
ユイは冷静に突っ込みを返した。明らかに動揺しながら問い
「まぁええわ。ウチはちょっち、お花摘みに席を外すんやけど、弱った木虎に変な事せえへんよな?」
「色々と突っ込みどころあるけど……まず、そんな事しないからなこのヤロウ……」
トイレに行く事をお花を摘みに行くなんて言う奴は、近年でも中々居ない。いつの時代の人間だお前はとユイは思った。
さて、ユイと木虎は病室に取り残された。二人の間には何となく気まずい空気が漂っている。木虎はより布団を深くかぶって顔を隠し、布団の中で手遊びを始めている。それを見てユイは何だか木虎の様子がおかしいと薄々感じる様になってきた。何だか意識されているように感じてしまう。
すると木虎はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうにこんなことを言い出した。
「しかしユイさんも無茶をする人なんですね」
「ま、まぁ私は昔からこんな感じだから」
「でもそんなユイさんが良いんだと思いますよ。真っ直ぐで、全力な……」
「そ、それなら、本当に良かった」
二人とも言葉の歯切れが悪い。二人とも目を合わさず、そわそわしたままでいる。
すると木虎はしびれを切らしたのか、顔を真っ赤にしたままユイに向け、急に声を張り上げた。
「あぁもう! ユイさん!」
「は、はい!」
思わずユイも木虎の言葉に驚いてしまう。
「違うんです! 私が言いたいことはそのっ、あのっ……もう一回だけ言って欲しくて……」
「えーと、何を?」
すると、その間の抜けたユイの返事を聞いて、あり得ないだろうと言わんばかりの表情で木虎はユイを見詰めた。
「わ、忘れたんですか?! 私と一緒にその……あの……」
「あ、『私はリンと見えるこの世界で生きたい』って言葉?」
木虎は真っ赤になりながら頷いた。ただユイも、ようやく思い出して言えた様で、その拍子で言った為か何だか言葉に重みがなくなってしまった様な気もした。何だか申し訳ない気持ちになる。
「……言ってて恥ずかしくなかったんですか?」
「そう言われると恥ずかしいからやめて!」
冷静に考えると告白同然の言葉ではないか。ユイはそれに気が付いて顔を一気に赤くした。よくそんな事を勢い付けたとしても言えたものだ。ただ、木虎は馬鹿にする気持ちも無さそうで、じいっと真剣な眼差しでユイを見詰めていた。ユイには何だかそれがむず痒くて、胸がいっそう高鳴った。そして、木虎は口を開く。
「でも嬉しかった……だから私からも……」
すると木虎は急に行動に出た。言葉を一旦切って、布団の中から細い腕を出して、ユイの手を握った。そうしてユイの身体を引っ張り寄せ、木虎自身も少し起き上がって顔を寄せた。ユイは木虎が普段見せない様なその仕草にまず驚いたが、それ以上に普段見たことのない木虎の顔を見て、ユイはそれどころではなくなった。頬は赤くなって、なんだか切なげに見えて、ユイはその姿に心を揺るがされてしまった。そして木虎は少し震える声で、こう告げた。
「これからも一緒に生きていこうね……ユイ」
顔は強張って、緊張しているようだった。慣れない事を言う様で、上手く話せない様だった。ただ、木虎は不器用な事を、ユイは誰よりも知っている。現にユイには分かっていた。木虎がユイに見せた目にはこれ以上に無いほど、希望と幸せが映っている事が。
―—世界はこうして廻り始めた。誰かに邪魔される基準は消えていた。彼らは運命に囚われているかもしれない。生を受け、死へと進み続ける道を辿っているのかもしれない。ただ、その始点と終点に意味は無いのだ。ただ彼らは零と一が重なり合った世界を生きている。それを否定することは誰にもできない。人は生きたいから、生きるのだと、彼らは信じている。
~一章完~
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