第25話 廻る世界の中で

 ――その時、一方で九十九はコントロールステーションに接続し、応答の無い木虎の精神を捜索していた。


「くそがっ……」


 九十九の耳には回線を通じてユイ達の声が流れてきている。九十九は現状、東方がユイを銃で撃ち、ユイは倒れている事を知っている。そのため、一刻も早く木虎を取り戻さなければなら無い。九十九はコントロールステーションとケーブルで接続し、木虎の探索を行っている途中だった。しかし一向に見つかる気配が無い。苛立ちを隠せなくなってきた九十九は堪らず声を荒げてこう言った。


「なぁ木虎っ! お前アホちゃうか? あないな真っ直ぐな気持ちを無視してよく平然としとれるなァ!」


 そんな事、彼女は知っていた。しかし彼女には何故そんなに自分を生き返らせようとするのか理解できなかった。それは彼女からすればどう言った心理からなのか分からなかった。


 だから彼女は、こう言ってやった。


「何や……これ……?」


 頭の中に何かがチリチリと焼ける様な感覚を覚える。何故かノイズが頭の中から響き出し、次にその中から誰かの声が聞こえたのだ。そしてその言葉を聞いて、理解して九十九は愕然とした。


「『キモチワルイデスヨ』……?」


 間違いない、それは木虎の言葉だった。


「おい……木虎ァっ! このクソボンクラがっ……!」


 九十九は思い切りコントロールステーションを殴りつけ、そのまま崩れる様にしてそこに寄りかかった。酷い脱力感だ。やはり二人が行っている事は無駄なのだろうか。


「……ウチらはただ木虎に逢いたいだけなんや。ウチもお前と一緒に入学できてホンマに嬉しかったんやで。辛い事があってもお前と一緒に乗り越える事を考えたら自然と受け入れられたんやで。なのに何で……何でや……」


 ただ九十九には、その考えも正しかったのかも分からない。やはりそれは一方的で身勝手な、考えだったのだろうか。けれど、それでも木虎には言いたい事が山ほどある。


「木虎……ウチらは傲慢かもしれへん。けどな、お前を想ってここまで来とる。少しだけでええ、ウチらの話を聞いてくれやっ……!」


 そう、九十九が嘆いていたその時だった。


 何かがおかしい。


「う、嘘やろ……」


 それに気が付いて、九十九は涙を拭き、またコントロールステーションの画面と向き合ったのであった。


 ――一方、ユイの状況は絶望的だった。


「やはり彼女はこういう子だったんですよ」


 木虎の言葉を聞いた東方が冷めた口調でこう告げた。そして血だまりの中に横たわるユイを見る。


「それにユイさん、私から見ても貴方の行動は異常です」


 ユイの息は絶え絶えで、いつ死んでもおかしく無い状態だった。だがユイは苦しげにだがその言葉に応える。


「……だから何さ。まさか木虎はそんな言葉が私に届くと思っているの?」


 そう言いながらゆっくりと立ち上がったその時だった。東方の銃が轟き、肩に強い痛みが走って、ユイはまた仰向けに倒れこんだ。


「立つなと言っているんです」


 ひどい痛みだ。視界の警告文の点滅、頭に響くアラート、これらは撃たれる度に激しくなっていた。体が限界に近いことは分かっている。しかしなお、ユイは絞り出す様に叫ぶ。


「……木虎は嘘吐きだ。『気持ち悪い』? なら飛び降りて落ちる時の言葉は何だったんだ、ならあの泣き出しそうな顔は何だったんだ、なら私の目の前でわざわざ飛び降りたのは何だったんだ!」


 轟音。それは天に突き上げられた東方の銃から響いて、弾丸はユイの腹へ落ちた。


「喋ることだって赦した覚えはありません」


 また焼ける様な痛みがユイの身体を走り抜ける。堪らず声を上げたが、直ぐに唇を噛み締めて、痛みを堪えながら言葉を続ける。


「……意味が無いなんて言わせない」


「どうせ死にたくて死んだんですよ。深い意味なんてない」


「東方さんには一切分からないと思うけど、私には何となくだけど分かる。きっと木虎さんは自分の存在を確かめたくて私の前で死のうとしたんだ。余程追い詰められないと考えないと思うけど、死も自分の命の表現方法だから」


「馬鹿馬鹿しい」


「それしか出来なくなってしまう人だっているって認識した方が良いですよ」


「……そう、でもあの人はそんな難しい考え事なんてしない。戦う事しか能が無いつまらない人ですよ」


 つまらない。それは、それだけは、最も言ってはならない言葉だった。東方の長として、皆を束ねる者として、皆を見るべき存在の物として、全く筋の通らない事だった。だから、言ってやった。これ程無い位に、ユイが見た、感じた木虎の姿を、気持ちを、言ってやった。


「木虎さん……いやリンはそんな人じゃない」


「……何?」


「アンタはリンの何を見ていた? リンは熱心で、優しくて、強いんだ。いろんな事を考えていた。けれど繊細だからいつも傷ついていた。それでもみんなに認められようと努力していた! なのにリンは最期、みんなを呪いながら死んだんだ。誰がリンをこんな人にしたと思っている……アンタだよ東方!」


 ユイは間違う事は怖くなかった。何故ならそれはユイから見えた木虎なのだから、虚などある筈が無いと思ったのだ。


 そして、間違った事は言っていなかった。間違っていたとしても強く存在を肯定しようとするユイを見て、『彼女』の心が動かない筈が無かった。


「貴方は……そんなに死にたいんですか?」


 東方は少し不機嫌そうに呟いた。しかしユイは物怖じすることも、引くことも無かった。ユイは二人に対して相手に戦いを挑んでいる。ユイは恐れを知らず、拙くとも必死に、ただひたすらに手探りで何かの存在を示そうとしていた。


 一人からすればそれが不愉快で、嫌で嫌でたまらなったらしい。しかしもう一方の相手からすれば、それを不愉快に思ったり、嫌に感じる筈が無かった。


 素直に言うのであれば、嬉しかった。


 しかし、その感情を容易に認めたくは無かった。認めればまたあの忌まわしい『この世』を享受して生きなければならなくなるからだ。


「私は人の気持ちをそうやっていい加減に代弁する人が許せないんです!」


 余りに気に入らなかったのか東方は吠える様に言った。


「代弁じゃない! 私の感じた事をそのまま喋っているんです!」


「ならその大げさな脚色が腹立たしいって言っているんですよ!」


 そう言って東方はライフルを天に突き上げて引き金を引くと、またユイの腹に弾丸が天上から打ち込まれた。


「僅かな期間しかあの子と話していない貴方に何が分かる……」


 そして東方はゆっくりと横たわるユイへと歩を進め始めた。


 ――何故ここまで私の事を一生懸命に話そうとするのか疑問だった。私が誰かに話せる私の事は、教えたところでどうせ理解の得られないものだからだ。だから胸を張ってそれを、怒り狂う相手に語り続けるユイの心情が分からなかった。


 またそう言えるユイが羨ましかった。実際私は私の事を一切話したくなかった。そして周りにはそれが疎遠に感じさせた。私が皆と壁を作っているとだ。


 ある人は私に言った。『アナタは心から話してくれない』と。しかし私はできる限り相手の興味を引くような内容を話している。そして相手ができる話をしようと心がけている。


 なのに『心からって話して』って何ですか?


 折角相手に合わせて話しているのにどうしてそれを否定するんですか?


 あなたは何を求めているんですか?


 第一、私に求めてもあなたが欲しいものを私は持っていませんよ。


 ……と言う事は、私は皆に求められていないのか。


 そうか、私はどこか外れた人間なのか。


 ならいいか、理解されなくても。


 ……いや違う。


 私には私の凄い所があるんだよ。


 皆に好かれたいんだよ。


 でも私の事を伝える方法なんて無くて、共感できる人なんて居なくて、言ったらきっと遠ざかれてしまう。


 だから言いたくなかっただけなのに、こんな思いをするなら、私に気付かなくていいよ。


「『……私が死んでも世界は廻るよ』」


 ハッとした。またどこからかノイズ交じりの声が聞こえたのだ。だがそれはユイの耳だけにしか届かなかったのか誰も気が付いていないようだった。


 間違いない、それは木虎の声だった。抑えきれない声が漏れたものだった。その声は今にも何処かへ消えてしまいそうで、けれどどこか追って欲しげな後姿をしていた。


 だから今度こそはと、その漏れた感情をユイは離す気は無かった。少しでも身体を動かせば気を失いそうになる程の激痛が身体を襲う。しかし、それが何だと言うのだ。追って欲しいと言われてそれに応じない、相手がされて一番悲しい事をする程、残酷な事だけはユイは命に代えてもしたく無かった。木虎が望む一番の答えなど分からない。しかしユイは、出来る限りの言葉でこう応えた。


「……廻る世界が良いなんて誰も言ってない!」


 そうだ、今の世界の流れは速過ぎて、考えているうちに置いていかれて、分かりやすい零か一でしか答えざるを得なかった。


 私達はいつもつまらない物差しを腰にぶら下げていた。世界が望む、人に対する考え方、共通規格の印が押された思想をだ。私が持っていた規格は有能なら安堵でき、無能は諦めろと決めつけるもの。もちろんその様な規格は全員がそれぞれそれなりに持っている。何故なら皆は世界に置いていかれる事に怯えているからだ。いちいち無駄に人の事を考える時間を割きたく無いのだ。


 ただしそれが正解かと言えば違っていて、しかし間違ってもなお使い続けるしかなかった。何故なら世界が望まないものを持とうとしない者は、疑いをかける者は、次々と置いて行かれる羽目になるからだ。


 人々は世界に無理やり廻されていた。その中で木虎はその共通規格に自分を見つけられず自分を必死に、必死に探した。しかしその間に世界に、皆に置いて行かれ、気が付けば取り残され、仕舞いには死ぬ羽目になってしまった。


 だからそんな木虎の為に、待ちたいとユイは思っていたのだ。


 そして、ユイもそれは同様で、速く廻る世界の中で自分の事を待ってくれる、一緒に歩んでくれる人を求めていた。だから同じ境遇の木虎を求め続けていたのかと、それにようやく気が付いた。


「私には世界が廻るスピードが速過ぎて、もっと考える時間が欲しくて……世界が止まってくれと何度も考えた。けれど世界が止まらないから自分の良さを考える時間が無くて、私もリンも周りの評価基準から外れた自分の事を嫌うしかなかったんだ」


 そうだ、人の事を考える続ける事は怖い事なのだ。世界から取り残される気がして、みんなから孤立する気がしてだ。


 しかし、何かがおかしくないかと、考え過ぎて遅れをとった人は、つまずいたと評価され、孤立する。


 だが実際は違うのだ。考える事はつまずいた事と同義ではない。それを皆は重々承知している。しかし誰も差し伸べる事は無かった。それは皆が悪いのではない、世界が速く廻り過ぎて、早く行動しろと急かすのだ。


 そして、この答えが見つかって、ようやくあの時の言葉と繋がった。あの時コンバートする事が出来なかったあの言葉とだ。


「でも世界が止まらないなら、私が止まる努力をする。歩けるようになったら一緒に歩こう。それでその時にこう思いたい、『私はリンと見えるこの世界で生きたいっ!』って! 私は世界に決められて気付かされるんじゃなくて、互いに気付き合える人が居て欲しい。だからお願いだよリン、還って来てっ……!」


 ユイはそう、言い切った。


「聞いてみれば実に下らない話でした」


 東方は冷たい目をしていた。自分と相反する考えを一方的に語られたのだから当然だろう。


 ――だからここで私が応えなければ、


「では最期に……」


 ――『私』そのものが嘘になると、そう思ったんだ。


「言いたい事はありますか?」


 東方は倒れたユイの目の前でライフルを突きつける。しかしユイは怯えも、焦りもせず、その台詞を待っていたかの様に、歯を見せて笑ってみせてから、こう告げた。


「…………私達の……勝ちだ」


「そんなに死に急いでいるのですか?」


 虚ろいでいく瞳、掠れていく声、ユイはもう死にそうなのだけれども、これだけは言わない訳にはいかなかった。


「……流石は東方の長、豪気だね。もう一度言わせてくれるんだ……『私達の勝ち』だって」


 その時、東方は後頭部に固く、冷たいものが押し付けられる感覚を覚え、咄嗟に後ろを振り向いた。


「何ですか、さっきからいい加減な事ばかり言って……!」


「……いいんだよ……私達は『勝った』んだから」


 そう、そこには憎まれ口を叩きながらも、目にはいっぱいの涙を浮かべていた木虎いた。そして銃を東方に突きつけて立っている。


「木……虎……?」


「そうです、来ちゃ悪いですか?」


 こんな事はあり得ないと思っていた。東方は木虎の性格を知っている。そのため、こんな事態にはなり得ないと、信じ込んでいた。


 しかし現実は違っていた。木虎が目の前に居て、東方の間違いを、敗北を証明している。東方は、一度息を飲み込んでから尋ねる。


「……この世を離れたかったのではなかったのですか?」


「ええ……でも私はもう私でいられる場所を見つけましたから」


 混じりけの無い、真っ直ぐな言葉だった。すると東方はその言葉を受けてなのか、まるで憑き物が落ちた様に、すうと、東方の目に宿っていた狂気が消えた。


「そうですか」


 そう呟いてから東方は銃を背負うと、「帰り支度をしましょう。早くコントロールステーションに来てください」そう言ってコントロールステーションの方向へ歩き出した。


「良いんですか……私達を見逃してくれるんですか?」


 ユイは掠れる様な声で東方に問い掛ける。


「当然です。そう言った約束事でしたから。強きが、結果が全て正しい。それが東方です」


 随分とあっさりした答えだった。しかしそれはユイにとっては充分過ぎる答えだった。胸の中を満たしていく、えもいわれぬ感覚。許せば気を失いそうな程に、ただただ嬉しかった。そのまどろむ意識の中ではっきりと聞こえるものがあった。


「大丈夫ですかユイさん!」


 木虎の声だ。またもう一方で、ユイの求めていた声がする。


「待たせたなぁユイ!」


 ふと顔を横に動かせば遠くにこちらへ走ってくる九十九が見えた。


「……二人とも遅すぎだって」


 安堵したユイは軽口を叩いてみせる。


「ユイさんが見当外れな事ばかり言うからです……」


 ユイは少し笑う。木虎はそう憎まれ口を叩いていても、瞳が潤んでいるのをユイは知っていたからだ。


「アホ、お前がどっち付かずだからや」


 九十九だっていつも通りに突っ込みを入れているが泣きそうになっている。何だか、『いつも』が帰ってきた様な気がした。当たり前の友人が、当たり前の会話をして、当たり前の様に接し合う。それを守り抜くことがどんなに大変だったことだろうか。いつもはいつまでもじゃない。だからこんなにも大切なのだ。


 すると木虎と九十九はユイを起き上がらせると、両側からユイの腕を肩に掛けて立ち上がる補助をした。二人の身体は暖かくて、そして何より幸せを感じた。『いつも』が私を受け入れ、支えてくれているからだ。


 だから、今なら分かるから、ユイは口を開く。


「……リン……響」


「何や?」


「私達は生きていていいんだ……」


 その言葉を漏らしてから心が緩んだのか、一筋のぬくもりがユイの頬を伝った。それを見て木虎はユイの背中をさすり、九十九はより強く肩を抱いた。


 ユイは続ける。


「誰かが否定しようが、世界の基準からズレていようが、どんなに不幸な目に遭っても、生きたいと思えれば生きていていいんだ。明日遊びたいから、何気ない事を話したいから、そんな小さな事でいいんだ」


 そう、生きる意味は、自分の価値は、誰からも否定できるものではない。また自らも否定してはならないもの。受け入れ、それを分かち合いたいと思うから人は生きていて、楽しくなるのだから。


 そして分かち合える人は、自分の『いつも』になる。空気の様に、気に障らない、なくてはならない存在に。


 その言葉を言えるようになったから、ユイは、こう、二人に告げる。


「だから私達、ずっと……この先も生き続けよう」


 ここまでが彼らの始まりの話。


 ここから再び、彼女達は奪われたものを取り返そうとするかの様に日常を歩み始める事になる。


 切に願う。


 明日が楽しみだ。そしてその明後日も楽しみだ。


 これからきっとその楽しみが重なって、これからもっと素晴らしい毎日になる。

そう思える日が彼女達に永久に続けと。

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