第24話 空穿つ天上の眼⑥

 ―—時は少し遡る。九十九とユイが別かれたあの時にだ。


 辺りは実に静かで、響くのは胸の鼓動だけであった。


 東方卯月。その人を象った殺意の塊と、紐房結衣、彼は目の前にいる異人と対峙していた。刀を伝って互いの殺気が空間を伝播し、殺意を増幅させる。人を殺す前の韻が身体に沁み渡る。しかしいつまでも浸っている場合では無い。今は頭の中で東方の対抗策を考えなくてはならないのだ。


 しかし、東方は随分舐めた構えをしている。刀は最短の距離を、最小の動きで刺す様に切らなきゃ意味が無い。だが東方は滅茶苦茶な構えで、剣先は何処を向いているのか分からず、加えて刀を片手で握っているので安定性が無い。刀を吹っ飛ばしてくれと言わんばかりだ。もしかすれば油断しているのかもしれない。なら隙を突けるかもしれない。間合いに入ったら初太刀で殺す。そう、ユイが考えていたその時の事だった。


「狙いは定まりましたか?」


 寒気がした。東方がそう呟いた瞬間、東方はフェンシングの突きの様に踏み込み、ユイの懐目掛けて刀を前に突き出した。ユイは咄嗟に東方の刀を鍔迫り合いになる様に軌道をずらす。


 何とか直撃は逃れた。しかし東方の力は強く、そのままユイは東方に押し倒されてしまう。まずいと思い、ユイは咄嗟に起き上がろうとしたのだが、つい固まってしまう。その時に、ふと東方の顔が見えたからだ。


 紅潮した頬に汗が流れ、僅かに乱れた黒髪が汗で肌に貼り付いている。思わず見惚れてしまう程に官能的で、美しかった。しかしそう思っていられるのもその瞬間だけだった。東方の眼を見れば、それは恋に焦がれる乙女の様に情熱的で、人を追い詰めるべく狂気を孕んでいた。それはユイを視線から一切外さなかった。それが何より怖かった。


 次に東方はユイの上に跨り、次に背中に背負っていたライフルの銃口をユイの胸に押し当て、息が掛かる程に顔を寄せる。生々しい戦いの熱が東方から伝わってくる。そして東方はこう囁いた。


「ユイさん、ダメですよ、それではダメなんです。貴方が考えているのはそれでは遺言と同じです」


 するとユイの胸に銃を押し当てる力が、ゆっくり、ゆっくりと強くなっていく。冷たい狂気が胸を圧す。それがいつ殺意を吐き出すのか分からないままで、ただただ恐ろしい。ユイはそれに怯え、東方はそれを悦んだ。


 ユイは再認識する。そうだこの人は――


「人を殺すには小細工も飾りもいりません。人を殺すには愚直でなければなりません。人を殺すには……心から笑って相手が死ぬ姿を脳に浮かべなければなりません」


 ――根っからの戦闘狂なんだ。


「私は戦争屋です。戦争に勝てて殺し合いで負ける筈がありません」


 鼓膜に響くは悪魔の囁き。震える身体は東方の熱に当てられておかしくなりそうだった。


 終わりだ。このままユイは殺されてしまうのだろうか? 自ら啖呵を切っておきながら、こんな無様な姿を晒して死ぬのだろうか?


 今、ユイが死ねば木虎、九十九、全ての想いを裏切ってしまう事になる。自分のみならず全てを嘘にしてしまう。


 いいのか、それで?


「このままじゃ駄目に決まってる……」


 そう、呟いた。しかし東方はそれを見ると嘲る様に笑ってこう答えた。


「このままでいいじゃないですか。力の無い貴方は木虎さんを救えずに敗れる。そんな事は分かりきっていた事。けれど貴方は私に戦いを挑んだ。お陰で私は存分に楽しめました。だから私にとって、貴方の役割はそれで充分だと思いますよ?」


 ユイは歯を食いしばる。悔しかった。ユイは遊ばれていたのだと言われたも同然で、加えてユイの価値はそれで終いだとまで言われたのだ。しかし、今のユイは好き放題言われても構わなかった。


 馬鹿にされたっていい、他の人より回り道したっていい。何故ならそう決めたから。私は馬鹿にされた分だけ、遠回りした分だけ、人より多くの痛みを知っている。私は人の気持ちを受け止め続けた分だけ、探し続けた分だけ、人より多くの想いを知っている。


 だから人の悲しみだって、苦労だって、分かち合いたいと思えるし、それを和らげたいと思える。そう考えられる様になったんだ。そしてそれが私の強みなんだ。私にとっての当たり前が、他人にとっての意外であり、人の弱さだって強さになる。


 今まで気が付かなかった。いや気が付きたくなかった。何故ならそれは私が受け入れられない、情けないと思っていた姿だからだ。けれど今は私を受け入れられる。その力を誰かを救う為に使う事が誇らしいと感じられるからだ。


「……まだだ」


 そうだ、まだなんだ。こんなにも強い想いがあるのなら、今は、この瞬間だけは、「まだ死ねるものかっ!」と、心からせり上がってきた感情がユイにそう叫ばせた。


 生きたい、生きたい、生きたい。


 私が死んで、人を想うこの気持ちを全て嘘にしたくない。


 木虎の存在を否定したくない。


 私の力で助けるんだ。


 だから、勝つんだ。


 すると、何処からか何かが近付く気配がした。ユイは直ぐにそれに気が付いて、目を丸くした。その姿を見間違う筈がない。だからユイは、勝ちの意味を込めて、こう言い返してやった。


「そう、東方さんは戦争屋。私が敵う筈がない。けれど生憎、私は人を殺しに来ているんじゃない……人を救いに来ているんだ!」


 それを聞いた東方は不愉快そうな顔をした。生意気だ、もう許さない。そうとでも思ったのだろうか、東方はユイの腹に押し付けているライフルの引き金に指を掛ける。そして、次の瞬間だった。


 鈍い痛みが身体に走る。


 予期せぬ痛みだった。何故ならそれはユイに走ったものではなく、『東方』に走ったものだったからだ。


「ざまぁ見ろっ……!」


 全く予期せぬ出来事だったので東方の身体は弾みが付いてユイから少し遠くに飛ばされた。


 果たしてこの時に何があったのか? それはユイの相棒によって引き起こされたものだったのだ。


「ファローさん……来てくれたんだ」


 そこにはユイの心の支えでもある仔牛の姿があった。そう、ファローさんが東方に突進し、突き飛ばしたのだ。ユイはファローさんの頭を愛おしげに撫でる。


 しかしいつまでも喜んでいる場合では無い。東方に攻撃される前にその場から逃げなければならない。またその理由として東方を今攻撃すれば何かしらカウンターを受けると思ったからだ。なら逃げてより時間を稼いだ方がいい。


 そして、見れば東方の腹に見事にファローさんの突進攻撃が決まった為、東方はその場に蹲っていた。更には数体の使者が東方に集まり始めているではないか。何と運の良い事か。この隙に逃げる他に選択肢は無かった。


「行くよファローさん!」


 ユイはファローさんと一緒に、とっさに目の前の建物を曲がり、東方の射線から逃れようとした。


 その時だった。


 どこかで唸る様な低周波音が響いた。そして同時にユイの肩に焼けるような痛みが走って、気が付けばその場に倒れこんでいた。


「あ……?  ああぁっ?」


 訳が分からなかった。身体に走る耐え難い痛みと、不可解さが混ざり合って、頭がおかしくなりそうだった。今は建物の陰で東方の死角にいる。加えて辺りを見回しても何も敵はおらず、攻撃される要素などどこにも無かった。しかし慌てて肩を見れば銃弾に貫かれた痕があり、そこから血が流れている。


「ど……どうして弾丸が?」


「ダメです……あんな目を私に向けたからには背中なんて見せては……」


 声が聞こえた。遠くからなのに、それは余りに鮮明に鼓膜に響いた。


 殺される。ここまでそう明確に感じる経験も初めてだった。


 ユイは恐る恐る建物の陰から東方のいた場所を覗く。そこには圧倒的存在感を放つ何かがいた。群がっていた使者共の姿はなく、そこには片方のみだが背中に大きな白い羽を生やし、ライフルを構えている彼女だけがいた。


「開発の意を持つ、そら穿うが天上てんじょう


 そいつはこう呟いた。


 緋色の目、片翼の羽、悪魔でもなく、天使でもない。


 打たれた銘は東方。


 彼女が、そこにいた。


 そう、東方は一瞬で使者を撃退し、何かしらの手段でユイに弾丸を撃ち込んだのだ。そこに突然、九十九の通信回線が入ってきて、慌てた様子でこう喋り始めた。


「まずいユイ! 東方は『精神共振回路』を立ち上げた。今、東方は手懐けている兎とリンクして能力を一つ宿している」


「え? な、何それ?」


「とにかく今の東方は何処を撃っても命中する! 座標指定してそこから弾丸が飛んでくるんや! ウチもこいつはどうしたらええか分からん!」


「そんなのめちゃくちゃだ!」


 空間に目を持つ東方の片耳の兎。東方はそれと今リンクしている。


「逃げては駄目です。殺しに来なさい。私を殺しに来なければ、来るまで私は貴方を撃ち続けます」


 酷い寒気に襲われた。東方は何処に居たってユイを殺せる立場にあるのだから


「……離脱するしかあらへんかもな」


 九十九は悔しげにそう呟いた。確かにそうかもしれない。しかし今のユイに諦められる筈が無かった。


「嫌だ……絶対に嫌だっ!」


「こらユイ!」


 今は心を鬼にして九十九の言葉を無視することにする。ユイは東方にどう対抗すれば良いか分からない。しかし今のまま立ち止まっていればまた何処からでも弾丸が飛んでくる東方の攻撃にやられてしまう。


「……行ってくるよ」


「アホかっ! もうやめぇ! 勝ち目はのうて、更にユイはボロボロやんかっ!」


 しかしユイは、「ファローさんはそこに居てね」と言って頭を撫でてから、九十九のユイを止めようとする言葉を振り切って、ユイは東方の前へと飛び出した。


「近接戦闘ならまだっ……!」


 真正面へただ走るユイ。それは特攻して華々しく散るかの様に見えた。しかし拙いものの策は準備している。すると東方はライフルを構え、狙撃の体勢に入り、引き金に指を入れ、僅かに力を入れたその瞬間だった。


「そこだっ!」


 ユイは咄嗟に右斜め前に転がった。もう東方の撃つタイミングに合わせて避けるしかない。第二射が来る前に近接戦に持ち込む。そう、決め込んでいたのだが、「誰が正面から撃つと?」嫌な言葉が聞こえた。


 そして低周波音が響くとユイの身体に激痛が走り、ユイはその場から動けなくなった。


「貴方が避ける軸に合わせて撃ち込めば良いだけの事です」


 所詮は付け焼き刃の作戦。ある程度結果は見えていた。


「けどっ!」


 ここで怯む訳にはいかない。言う事を聞かない身体に鞭を打って、ユイは無理矢理にでも立ち上がる。しかしそのユイの懸命な姿に対しても、東方は非情でいた。


「立つな」


 また低周波音が響く。今度は正面からの弾丸を肩に受け、ユイは仰向けに倒れ込んでしまった。それと同時に視界に突如として赤字で『損傷甚大:機能制限開始』との警告文が浮かぶ。そして虚ろな目に映るは悪魔の様な女の姿。圧倒的な力の前にユイはどうすれば良いか分からなくなりつつあった。


 すると痛みのせいで混濁する意識の中、ノイズ交じりの何か妙な音が耳にユイに届いてきたそれは東方の耳にも届いた様で、それを聞いた東方は少し笑って、一方ユイは愕然としたのであった。

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