第16話 精神銃《サイコガン》をぶら下げたら⑦

「ほらユイ、起きィ」


「……ん?」


「何寝ぼけとんのや、会議やで」


 どうやら様子からしてこの世に帰って来られたらしい。そして九十九はユイのケーブルを外してあげてから、ぐいとユイの腕を引いて起き上がらせた。


「うわぁっ!」


 思わずふらついてしまう。まだ身体に力がしっかり入らない。


「おいおい大丈夫かいな、もう始まるから早う来いや」


 ユイはふらふらしながらも必死に九十九に付いて行く。しばらくすると会議室と呼ばれる部屋に着き、そこに入る。そこは会議室と呼ぶには少しお粗末で、狭くて薄暗く、床には配線が這っていた。会議室の中央にある円筒型のモニタが橙色に光り、灯りの代わりになっている。そこには討伐数や使用エーテル量などが表示されていた。


 今回出撃したメンバーは八人で、聞けば多い方らしかった。そして人が揃ったと分かると東方が一人一人を自身の目の前に呼び出す。そうして手渡しで報酬を渡すらしい。


「猿飛さん」


「どうもー」


 さっき話し掛けてきた金髪の子だ。戦闘中、見かけはしなかったが随分と活躍していた様だ。しかし木虎の成績には誰も及ばない。


「木虎さん」


「はい」


 スコアを見れば討伐数が皆よりひとつ頭抜けて多い。


「相変わらずやるなぁ」


 猿飛が口笛を吹いてから茶々を入れた。それだけ木虎の実力は周知のものなのであろう。次々に名前が呼ばれ、東方の手から他の人達に報酬が与えられていく。


 そしてついに九十九とユイの名が残った。


「九十九さん、そしてユイさんも来て下さい」


 一瞬、沈黙があり、二人はハイと答えて東方の前に出る。その後相変わらず冷たく平坦な口調で東方は話し始めた。


「死者が一名、出たらしいですね……九十九さん、ユイさん」


 随分わざとらしい言い回しだった。これで二人は東方から何かしらを言い渡される事を覚悟した。


「貴方達は然るべき対応をするべきではなかったのですか?」


 返す言葉が見つからなかった。ただ無言で、バツの悪そうな顔をして、立っている事しかできなかった。


 それに見かねたのか、東方は一度目を閉じてから、「……分かりました。ただ小林の行った行動も目に余るものでした。しかし罰として二人の報酬は今回ありません。以上です、皆さん解散して下さい」淡々とそう告げてから部屋を出て行ってしまった。


 二人はその罪の軽さに胸を撫で下ろす。ユイに関わる事だ。きっと東方が自分をひいきしてくれたからに違いないと、ユイは思う。お互いに良かったと、ユイと九十九が目を合わせたその時、ユイの身体に異変が起きた。慌てて両手で口元を塞ぐその仕草を見て察した九十九は、ユイを慌てて厠へ連れて行く。そしてユイは厠に篭り、有るだけの涙を流し、出せるだけのものを嘔吐した。ユイは一夜にして家族を奪われ、死と隣り合わせの過酷な環境下に身を置くことになった。その濃密で重厚な絶望は、ユイには堪え難いものであった。


「嫌だ……もう嫌だ……助けて……」


 そう言った後にユイは、壊れる様に泣き出し、崩れ落ちた。最後に絞り出したその悲痛な言葉は、厠の外に伝わっていた。九十九は入口の壁に寄り掛かってそれを聞いていた。ただ九十九は居るだけで、掛ける言葉が見つからなかった。


 ユイがようやく出てきた頃には辺りは静まり返っていて、気が付けばもう朝の四時になっている。


「大丈夫か? 暗いから足元に気ィつけぇよ」


 そう言って九十九は何事も無かった様にユイに肩を貸す。二人の身体は密接しているのだけど、互いの距離を測りながら接していた。しばらくの間、二人は黙ったままであった。


「九十九……」


 初めに口を開いたのはユイの方だった。


「……何や?」


 九十九は出来るだけ優しく、不安気だが少しだけ微笑みながら答える。ただ、ユイにはその態度が少し気に食わなかった。九十九は自分に対して何か求めてでもいるのだろうか、ここまでユイの惨めな姿を見ておきながら自分に付き添う理由が他に見つからなかった。だからユイは九十九に対して真意を確かめるべく、こんなとんでもない事を問いかけた。


「私は東方だった……男でありながら生き永らえた、東方に背いた存在だ」


 それを聞いた九十九は足を止めた。次に目を見開いてユイをまじまじと見つめ、少し焦ったような仕草を見せた。あり得ない、とでも言いたげな顔をしていた。ただ、ユイにはその振る舞いも何だか茶番を演じている様に感じた。


「響は私の正体を知っていたんじゃないの? 私が東方だからこんなに優しくするんじゃないの? ……そうでもしなきゃこんな無能に付き合う必要がないって」


 九十九は困った顔をした。ユイも言った後で、追い詰められていたとは言え、答えの無い意地悪な質問をしてしまった事を申し訳なく思った。ただ、ユイは九十九の真意を知りたかった。自分はただ利用されているだけなのか、本当の優しさで動いているのか、答えが欲しかった。


「ユイの正体は知らんかった。男でもいいから東方で身元を引き受けたいって、普通は有り得へん事や。せやからウチはその理由を知りとうてユイの近くには確かにいた。けどな、優しくする真の理由はちゃう……」


 すると九十九は手を自身の顔にやり、苦い顔で何かに迷う様な素振りを見せてから、意を決したのか、ユイを真っ直ぐ見つめてこう言った。


「ユイ……ウチの両親は東方によって見世物小屋に行ってもうたんや」 


 言葉を失った。そうだこの場所にいるのだから同じ様な境遇に逢っていてもおかしくはない。今になって自分がいかに身勝手な態度を向けていたかが分かり、震えた。


「……だから信じられへんけど、ユイが東方やとしても関係あらへん。ウチはここに来る全ての人を受け入れたいんや。やけど、ユイにかける都合のいい言葉があるとかそう言う事ともちゃう。ただ、無理言っとるかもしれへんけど今を受け入れて、乗り越えて欲しい」


 九十九は至って真面目だった。ユイの態度を咎めず、ただ受け入れて、助言までした。けれどどうしてもこれだけは分からない。


「どうしてここまで私に気を掛けてくれるの?」


 その言葉を受けて九十九は少し俯いて、渋い顔をした。


「もう嫌なんや。誰も同じような境遇で東方にやって来て、不幸を嘆きながら死んでいった。そないなのもう見たくあらへん。それに……」


 九十九は少し言葉を伸ばし、また少しだけ口ごもったのだが、意を決したのか、息をゆっくりとため込むように吸ってから、少し哀し気に語りだした。


「辛さも、全てを分かち合っていた人間が突然いなくなる事の怖さを知っとるか? ウチには同い年の人間はもう木虎しかおらへん。仲間が死んで、木虎はどんどん遠い存在になってもうて、ひとりぼっちになってもうて……いやすまん。ウチは勝手や。死んだ人たちをユイに重ねて、生かそうと必死になっとったのもあるかもしれへん」


 ユイは首を左右に振った。


「勝手なんかじゃないよ」


 多くの事を言える立場ではない。九十九がどんなに辛い経験をしたかも知らない。けれどここまで自分の事を大切に思ってくれる人間の感情をくみ取ろうとしない程に非情な人にはなりたくないと思っていた。けれど、今すぐに九十九に掛けられる器用な言葉が思いつかなくて、自身の言葉足らずに嫌気がさす。ユイは何か応じなければと思い、せめてものだが九十九に少し無理をして微笑んでみる。すると九十九もそれに応じてくれた。


 ……しかし、このままで良いのだろうか? ユイは少し俯く。この優しさにいつまでも甘んじている訳にはいかないのだ。自分は九十九の言葉を受けて何ができるだろうか。しかし何も思い付かない。何も考えられない。何故だろうか。無能だからだろうか。その言葉は頭の中をぐるぐると回り続けている。ユイの中では、何かしようにもまだ無能の烙印は落ちないままで、それが障害となってユイをなお苦しめる。しかしそれを言い訳に使い始めている事も気付き、余計に嫌な気持ちになった。


 そして答えは出ないまま、二人は無言で元来た道を歩き、ユイが起きた部屋を過ぎると、ドアが並ぶ廊下に出た。


「ここがウチらの住む場所や。ユイはこの部屋、ちなみに隣はウチ、何かあったらウチを呼びぃ。何でも答えたる」


「分かった、ありがとう」


 少し落ち込んだ様子で答えたからであろうか、九十九が不安げな顔をしたのでユイは少し笑ってみせる。九十九もそのユイの表情から何かを察して、今度は少し怪しく笑みを浮かべてからこんな事を言いだした。


「寝込みを襲いに来てもええんやで?」


「だ、誰が行くかっ!」


 九十九はそれを聞いて笑って見せたので、それにつられてユイも笑ってしまった。それを見て九十九は安心したような顔を見せたが、まだ九十九はその笑顔を心の底から出せている訳でなく、まだ何処か心配そうにしていた。


 そして九十九は軽く手を振り、ユイは指定された自分の部屋に入って扉を閉じる。それを九十九は見届けてから、ぽつりと言葉を漏らした。


「……ユイ、無理はすんなや」


 九十九は何だか寂しげな表情をしていた。併せて九十九の紅くなった頬と物憂げな目は、何か物足りなさを訴えていた。


 こうして、長い夜は幕を閉じた。

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