第11話 精神銃《サイコガン》をぶら下げたら①

 まず肉が裂け、血の飛沫く音がした。次に地面に刀が届いて砂利の擦れる音。そして最後に辺りに叫び声。それらは、なだれの様に重なって、ユイを恐怖に巻き込んだ。


 痛い。痛い。痛い。


 その時、ユイは声を上げるだけで固まって動けなかった。刺さった刀の冷たさがしみてゆくのが分かって、少しでも手を動かせば肉が裂けるのが分かって、 その生々しい恐怖がユイをはりつけにしたからだ。


 小林はにたりと笑うとこう言った。


「ナァ、分かるか? この仕事を請け負っているからにはしっかり金を貰っている。やくざの幹部、金に汚れた政治家、死刑囚、誰だって金をくれれば生き返らせる。東方はそんな組織。なのにお前はその立場にいながらも放棄した。つまりは職務放棄って事だ」


 金を貰うからにはそれ相応の責任が生じる。確かに小林の発言は正しいのだが、暴力によって抑圧していることで説得力に欠けた。それがユイには酷く押し付けがましく感じた。


 力があるものが正しく、力が全てだと、小林は主張する。それに逆らえずユイは歯噛みする。だがその態度がいけなかった。その納得いかなそうなユイの顔を見て、小林はより一層苛立った表情を見せ、ユイにこう問い掛けた。


「ふたつある」


「へ?」


「東方の言う事を聞けないのならお前はどっちがいい? 身体を切られて売られるか、このままこの地獄でやっとこさ生きていくか。お前はどっちがいい?」


 どちらも良い筈が無かった。どちらもがユイにとって不幸になるもので、そんなもの到底飲めるものではない。しかしユイはこの煮え湯を否が応でも呑み込むしかなく、消え入りそうな声でこう言った。


「……生きたい」


「聞こえないな」


 随分とこの女は意地悪だ。手の痛みをこらえて何とか声を出しているというのに何と酷い事を言うのだろう。


 だが黙っていると小林が手を突き刺している刀を僅かに動かし始める。ユイはやけっぱちになって痛みの叫びと一緒に、「生きたいです!」と大きな声を吐き出した。


「なら初めから付いて来いよ!」


 そう言って、小林は刀を地面から引き抜いてからユイを蹴飛ばした。ただ痛くて、身体は恐怖で震え、その余りの理不尽さと悲しみでユイはうずくまって泣いた。しかし小林はそれを気にも留めず、振り返って歩いて行ってしまった。


「行くぞ」


 その小林の言葉と同時に九十九はユイの側に寄り、小さな声で声をかける。


「……大丈夫か?」


 ユイは何も言えなかった。大丈夫なはずがなくて、とにかく惨めな気持ちになっていて、口を開くことなどできなかったからだ。


「とにかく起きんとまた同じ事になるで」


 そう告げてから九十九はユイの肩を担いで、ゆっくりと起き上がらせる。ユイの身体は力が抜けてだらんとしていて、重かった。


「……ありがとう」


 ユイは顔をぐずぐずにさせていて、喋るのもやっとだった。九十九は何とも言えないような顔をして、僅かに笑って、小さくうんうんと頷いた。


 しかし何故だろうか。なんでよりにもよってこんな酷い人間を手伝って、見ず知らずの金で何とかしようとする汚い人間を生き返らせなければならない。耐えかねたユイはつい、こんな事を問い掛ける。


「悔しくないの……?」


  その問い掛けに九十九は唇を噛みしめてから、 小さな声でこう悔しそうに告げた。


「もうええ加減分かったやろ? 東方では力が全てや」


  分かっている。痛いほどそれは感じていて、身にも染みた。けれど九十九がそれをどう感じているのかは、未だにユイには分からないままだった。


「ありがとう。そろそろ一人で歩けるよ」


 手の痛みはあるが、少しずつ体の痛みも引いてきた。


「ホンマに平気か?」


「大丈夫」


 ユイは簡単に言葉を返す。


 本当はそんな筈なく、いくら身体は我慢がきいて動いても、心は軋んでまともに機能しない。けれど我が儘を言う訳にもならないので、やむなくユイと九十九は重い足取りで小林の後ろをついて行った。


 辺りは古ぼけた歓楽街の様で、あの世と称するには妙な空間だと思う。ユイが住む世界もここの建物に似通ったものではあるが、ここは更に時代を遡った様な雰囲気を醸し出している。いわゆるノスタルジィを感じる風景と言うヤツなのだろうと思う。


 ただ、少し違和感がある。ここは建物や道にある看板から橙色の光が漏れていて、一見は活気に溢れていそうに見えるのだが、誰も人らしきモノが誰一人としていない。一帯はしんとしていて非常に不気味だった。今辺りに響いているのは三人の足音だけである。


 そしてユイがいちいち風景に目をやっていたその時、大通りの脇にある細い路地から何かの気配を感じた。思わずユイは足を止める。


「何かがいる……?」


 そしてそれを一度意識してしまうと、不安で、不安で仕方が無くなって、そこにいる存在を確かめたくなってしまう。確認する事は許されなかった。だがユイはそれを押さえ付けられなくなっていた。そして、ユイは不安と好奇心に身を任せて、薄暗い路地に目をやってしまった。


「え、何……?」


 そこには妙なものが見えた。


 それは細く背が高かった。それは白い仮面を付けていた。仮面は仏の様に切れ長の目をして、優しい笑みを浮かべたものだ。そして全身はボロボロになった茶色の布を纏い、また布の隙間から青白い肌を覗かせていた。


 あまりに異様な雰囲気だった。それはこの空間にそっと置かれた様に、ポツンと佇んでいた。それは強い存在感と意味を持って存在していた。恐怖と魅力がそこに共存していた。


 そしてそれは半身になって首を傾げたまま呆けている。目線はずっとユイを捉えて離さなかった。それを見つめ続けていると、吸い込まれそうだった。


 そして化け物がゆっくりと近寄って来たので、ユイもそれにつられて歩を進めようとした、その時だ。


「『サイコナンブ』起動」


 ユイの後ろから唸る様な低周波音がし、同時に化け物の額に風穴が空いた。


「ぼさっとすんなや」


 慌てて後ろを振り向けば、九十九がサイコガンを構えてそこに立っていた。九十九は額の汗を拭い、息を落ち着けてからこう話す。


「気ィ付けんと死ぬとこやったで。こいつはあの世の『使者』。ウチらの敵や」


 すると九十九が使者と呼んだ化け物はその場に崩れる様にして倒れ、そして次第に半透明になっていき、遂には消えた。


「こいつには肉体に触れるとダメージがある。因みに接触中は物凄い勢いでエーテルが減少するから気ィ付けなあかんで」


 ユイは無言で頷いた。使者は恐ろしい敵だ。しかしまだその脅威性がピンとこない。ただ、あの強くユイを惹きつけた使者の姿が恐れとしてユイの頭の中に残ってしまっただけで、使者は何をするのかは全く分からない。


 それだけで無く、使者に出くわした時の対応も分からないままになっている。だから次に使者が現れたらどうしたらよいのだろうか、などと考えていると頭は痛くなって、脈は早くなり、額には嫌な汗が垂れ始めた。しかしどうしようと考えているうちに話は進んでいく。


「何やってんだ?」


 その声に二人はどきりとする。


「い、いえ……今使者が近くにいたもんで……」


 慌てて九十九がそう言うと、小林はふぅんと言ってから、「そう言うのは早く報告をするもんだ」と言ってまた歩き出した。何も無かったことに二人は胸をなでおろす。


「しかしラッキーやった」


 九十九はユイに耳打ちする。小林が見逃してくれたことだろうかと思ったが、それは見当はずれで、九十九は急に不穏な事を言い出すのであった。


「普段、使者は群れるんや。何十体もの使者が連続して出てくる」


 嘘だろうと思った。まだ使者の特性を全く知らないのに、それが群がって出てくると思うと寒気がした。ユイは慌てて何か対策の一つでも聞こうとする。


「つ、九十……」


「ユイ、ぼさっとしとったらあかんで。まず武器は準備しとるか?」


「う……うん」


 結局質問は遮られ、なあなあになってしまった。つまりはもうユイは敵と戦いながら対策を打つしかない。まいったなと思っていると、小林が振り返ってこう言った。


「二人とも来い。もう使者が来るぞ」


 そう言われてユイはびくりとする。もう来ているのか? 心の準備も、練習もできていないのにもう実践だと言われても困ってしまう。


「さっき通信があった。猿飛のヤローの取りこぼしがこっちに向かっている。ほんとにアイツ、相変わらずいい加減な仕事しやがる」


 小林は石の段差にドカりと腰を下ろすと、壁に寄りかかって欠伸をした。猿飛とは誰の事か知らないが人の事など言えたものじゃない。ユイは心の中で悪態をついた。


 すると小林はけだるそうに溜息を吐いて、ものを考えているんだか、いないんだか分からないような顔をしたと思えば、急に顔つきを変えてこんな事を言い出した。


「私はここにいるからせいぜい頑張れ」


 唖然としてしまった。本当に滅茶苦茶だ。何が頑張れだ。戦いも分からない人間にいきなりそんな事を言うなど、死ねと言っているようなものだった。ユイがその言葉に腹を立てていると、仕舞には、「私に使者を寄越すんじゃないぞ」などと言い出した。


 実に腹立たしくて、いい加減で、最低だ。それどころか、さっき職務放棄がどうだか言っていた筈なのに、自分がこの様じゃあ筋が通っていない。だけれども何も言えなかった。それだけ小林は恐ろしい。小林に刀で貫かれた手の傷みが恐怖を主張している。


 ふと九十九を見れば、俯いて口を結んで、顔を紅くさせて震えている。言わせっぱなしになってしまい、悔しくて堪らないのだろう。


 そうだ、こんな事は嫌に決まっている。しかし二人は命令に従うしかなく、背中合わせになって道の真ん中に立ち、九十九は銃を、ユイは刀を構える。それを小林は退屈そうに眺めている。それはまるで見世物にされている様で、非常に不愉快だった。

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