第38話 あした天気になぁれ①
「ねー、巫女さんって本当に素敵だね!」
ユイがまだ小さいころ、こんな事を父に告げたらしい。
山の中腹にある小さな貧乏神社の境内で、ユイは子供向けの巫女服を纏って、はしゃぎ回っていた。ユイは始めて着た巫女服の特別さに胸躍らせていた。舞を踊る様にくるくると回っては、纏っているを飽きることなく眺めていた。
「でも、おとーさんは巫女にはならないの?」
そんな事を言ったら、父が腹を抱えて笑ったのを覚えている。当時は父が笑う事さえ、ユイには理由が分からなかった。思い返せばふざけんなと思ってしまうが、今となってはどうでも良い事だ。
ユイは巫女になったことを後悔していない。逆に巫女になってから、なって良かったのだと思うようになった。
巫女は辛く、恐ろしい仕事だ。しかしユイはこの世界を知って、ここにいる人を死なせたくないと思うようになった。
ユイは男でありながら東方として産まれ、生きることを否定されている。しかし今は自分を肯定して受け入れてくれる人が居る。それは幸せな事で、恵まれたことで、よってユイも誰かを受け入れたいと考えるようになった。困った人に手を差し伸べたいと考えるようになった。
だから、後悔などしていない。誰かに言われたからなどど、言い訳する気は無い。
――ただ、自分の子供をこんな環境下へ簡単に差し出そうとするだろうか。腕は機械に
父は何かを知っていたのだろうか。
父は一体何者だったのだろうか。
褪せた記憶の中に映る父の顔は笑ってはいるものの、何処か切なそうで、瞳からは何処か、ただならぬ覚悟を感じた。
――頭の中にピリリと焼けるような感覚があって、ユイは目を覚ました。急に起きたので頭は回らず、目を開けても視界は霞んでいて、ユイは少し戸惑う。ひとまず落ち着いて、記憶を辿ってみると、ユイは自身がしたことをようやく思い出して声を上げながら跳ね起きる。
「……八雲さんは!」
「安心せぇ」
ユイは振り返りそこに誰かが居るらしいのだが、視界がぼやけて容姿がよく分からない。ただ、容姿がハッキリ分からなくとも、声だけでそれが誰だかは容易に判別できた。
「……つ、九十九?」
「何や、まだ寝ぼけとんのか? しゃきっとせんかい」
そう言って九十九はユイの背中を少し強めに叩く。ユイはそれでようやく目が覚めて、頭がマトモに働き始めた。
辺りを見回すと、古ぼけた街並みは消えて失せていた。周りには、いくつものケーブルが繋がれた、楕円形の棺桶の様なカプセルが何台も並んでいる。どうやら『この世』に帰ってきたらしい。
「あの後は、どうなったの?」
「無事に任務完了したで。皆無事に帰って来とる」
そこで九十九は言葉を止めてから、軽く笑んで見せて、そして言葉を続けた。
「ユイのおかげや」
その言葉は温かくて、少し照れ臭かった。言った本人でさえ、少し顔を赤らめて他所を向いてしまっている。
「……そっか」
ユイは簡単に返事をしたが、実際は嬉しくて仕方がなかった。ただし自身の行いで、全員が助かったとは思えなかった。一方で闇を見た人もいる。それがユイの心にモヤをかけて、あまり多くを話せずにいた。
すると視界の端に、ふらりと、浮雲が流されてゆくように、宛てもなく歩を進める誰かが映った。
八雲だ。普段は流れる様に整った銀髪も少し乱れて、少し様子が変に見える。
それを不安に感じたユイは、慌てて自身に接続されているケーブルを抜いて、カプセルから飛び出た。九十九はその様子を見て驚いて、次にユイが駆けていく姿を茫然として眺め、その行き先を理解してから、小さくため息を吐いた。
「……ホンマ、ご苦労なことやね」
ユイは八雲の方へ駆け、その背中に追いついた。ユイは、八雲が未だに気が付かないままでいるので、引き留める様に大きな声を出す。
「ま、待ってよ!」
ユイはしかし八雲はそっぽを向いて、昇降機の方へ向かっていく。本当に気が付いていないのだろうか、単純に無視しているだけだろうか。次第にユイは腹が立って、八雲のそばにまで寄って、グイと手を引いた。
「何とか言っ…………や、八雲さん……?」
無理矢理にでも振り向かせようとして、八雲の顔を見たユイは言葉を失ってしまった。目を赤くして、腫れぼったくさせている。口は堅くつぐまれ、そして少し震えている。ユイはそれを見詰めたまま動けなっていると、今度は八雲がきっぱりとこう告げた。
「今回の戦闘で私は皆に迷惑をかけたわ。きっと厳しい処罰を下される。私は皆に合わせる顔が無い」
そう言い切ると、ユイの手を振りほどいて、また振り返って昇降機の方へ歩を進めるのであった。ユイは固まって、追う事もできなかった。そうすると八雲はユイを背にしたまま、聞こえない位に小さく、こう呟いた。
「アンタには感謝してる。けど、もういいの。私は」
何でそんな事を口にするのだろうか。ユイはずるいとも思った。そんな事を言われてもどうしようもない。まるでそれは、ユイの活躍のせいで八雲はいらない存在になったと言わんばかりの言葉にしか聞こえなかった。
「逃げる気かよー」
すると声がユイの後ろから聞こえてきた。ユイはその声で振り返り、八雲はそのままでいた。その声の主は猿飛だった。ただ口調はいつもの通りだが、表情はいつも以上に真剣な面持ちをしていた。
「逃げると言うより、見えてる結果を見る必要は無いと思っただけよ。結果から逃げるつもりは無いわ」
「まだ私は結果を言ってないぞー……」
「言わなくても分かるし、むしろ私からお願いするわ。私を副リーダーから外してくださ……」
そう八雲が言い切る前、猿飛の口から怒号が飛び出した。
「いつまでそんな子供みたいなことを言い続けるつもりだ、お前はっ!」
ユイはそれを聞いて茫然とした。いつもの気の抜けた様子からして、そんな強い言葉を猿飛が口にするとは思いもしなかったからだ。ただ、猿飛は今にも倒れてしまいそうなほど、苦しそうな顔をしていた。
一方で八雲は未だに猿飛の方を向こうとしなかった。猿飛はそれが悔しくて仕方なかったようだった。そして猿飛はうめくような低い小さな声で、言葉を続ける。
「……私はお前を戦闘制御第四部隊のリーダーに推薦するつもりだったんだー」
それは衝撃的な事実だった。傍で聞いている隊員は皆、目を丸くして唖然とするほどだった。しかし八雲はそれでも動じない。それどころか八雲の
「私にリーダーになる資格なんてないわ。それに第四部隊? どういうつもり? ……それに、私があの部隊の人間からなんて言われてるか知っててそういう事を言うの?」
「……ッ! そうやってお前はいつも逃げてばっかりで……!」
言い放った後で猿飛はハッとして、手の平で咄嗟に口をふさいだ。言葉を感情に任せてしまったことを、猿飛は強く後悔する。いつも喉元につかえていて、いつかは告げなければと猿飛は思ってはいたが、今それを八雲に告げていいはずがなかった。
八雲はゆっくりと猿飛の方へ振り返って、垂れた前髪の奥から潤んだ眼を覗かせた。唇を噛みしめて震えていた。言い訳もできまいと、猿飛はこもった声で目線を逸らしながらこんな事を口にする。
「これは……いつかは向き合わないといけない事なんだ。八雲、お前は上に立つべき人間なのに、そんなことで自分の成長を止めちゃダメなんだ……!」
「……とかなんとか言って、ミコトは私を追い出す事でも考えてるんでしょ! 次のキミツ第一コントロールセンター更新の案件で、私を外すくせに!」
猿飛はそれを耳にして、ハッとした様な顔をして、俯いて、その場で立ちすくんでしまった。八雲も苦しい表情をしていて、言い終えた後は激しく呼吸をしたままで、しばらくは何も口を動かさなかった。
しばらくの間、沈黙があった。八雲も次第に息が整って、一度深く息を吐くと、また昇降機の方へ振り返った。そして、震える声でこんな事を告げた。
「ゴメン。私、猿飛リーダーが何考えてるのか……もうよく、分かんないや」
その言葉を皮切りにして、八雲は昇降機の入口へ目がけて走り出した。
「ま、待って……!」
そんな事を猿飛が口にしたころには、すでに八雲は昇降機の入口の正面近くに居た。猿飛は今ほど自分の事が情けないと思ったことは無かった。悔しくって、しかし自分には八雲を止めるだけの言葉が無くて、狼狽えてその場に立ち止まる事しかできなかった。
ただ猿飛の気持ちは、ユイにはっきりと伝わっていた。そしてユイは以前、同じ様な経験をしたことがある。屋上で木虎と対峙したあの時、止められなかった飛び降りを、ユイは今の光景と重ねていた。
ここで動かなければ、あの時と同じ事が起きる。勿論、ユイも八雲を説得する言葉を持っていない。しかし、今何もしないで取り返しのつかない事が起きるよりは、ずっとマシだとユイは知っていた。
「今、行かなくちゃ……!」
そう呟いて、ぐっと脚に力を込めて、ユイは弾ける様に八雲の元へ駆け出した。今駆け出せば、ギリギリだが間に合わない事も無い。そして八雲が昇降機の内部に入った頃、ユイもその入り口付近まで追いついていた。
ユイはより脚に力を込めて、走る。コンマ一秒でも早く、あの扉をくぐらなければいけない。あれが閉じ切ってしまった時には、八雲の心も閉じてしまう気さえしたからだ。
一方、走って来るユイに気が付いた八雲は、慌ててボタンで地上に向かうように操作する。すると扉が、ゆっくりと閉まり始める。
だがユイも諦める気は無くて、それを見たユイは、いっそう脚に力を入れる。最早、脚を自分自身で制御している感覚が無くて、自分の足が誰かに乗っ取られているのではないかと思ってしまう。その甲斐あってか、気が付けばユイはもう、昇降機の入口の目前に居た。
「間に合ってくれっ!」
もう後は、神頼みだ。昇降機の扉が半分閉まりかけた時、ユイは思い切って身を投じる様にして飛び込んだ。
扉の間にできた幅は、人が通れるか通れないか微妙なものだった。そこで、ユイは身体を捩る。無理くり、身体をねじ込むようにする。巫女服の袖が、僅かに扉を掠める感覚があって、ひやりとする。
そしてユイは、何とかなれよと祈り、目を瞑った。走ったせいなのか、緊張のせいなのか分からないが、血管が破裂するほどに早く強く脈打っている。結果は暗闇の中で、その回答はイヤに長く感じられた。
すると、何かが正面にぶつかったような感覚があった。同時に、「きゃあ!」と言う声がしてユイはそのまま地面に叩き付けられた。しかし、そこはやけに温もりがあって、柔かった。
何だ何だとユイは思って目を開くと、気が付けばユイは八雲を押し倒していた。
「ご、ご、ごめんなさい!」
そうしてユイが狼狽えていると、チン、と音がして、昇降機の扉は完全に閉ざされ、地上へと向かい始めた。どうやら何とか昇降機の中へ飛び込んだらしい。……などと思っている場合ではないらしい。押し倒した八雲の顔を見ると、彼女は顔を真っ赤にさせて、強くユイを睨め付けている。
「……いつまでそうしてるつもりよ」
「ご、ごめん! でも、疲れて身体がうまく動かなくて!」
実際、ユイはへとへとでマトモに身体を動かせなかった。そして動悸も早く、それは八雲の身体にも伝わっていた。そしてユイの動悸が早い理由も、勢い良く走っただけでなくて、八雲と身体を重ねているからでもあったが、それだけは口にできなかった。ユイも顔を真っ赤にして顔を他所に向ける。
ただ、ユイはどうも八雲が気になって視界に入ってしまう。薄暗い、橙色の空気を通して見える八雲は、より陰鬱に映るのだけれども、何だかそれが八雲を引き立てている様に思えた。
音は昇降機が出すものと、人のものがあった。動悸と、吐息が、特に耳に入った。
「演技よ」
「……え?」
不意に、八雲が真面目な口調でそんな事を告げるのでユイは焦ってしまう。ユイはいままで別の事に集中していたので、余計に動揺してしまった。それを見て、八雲は少し噴き出して、急にこんな事をぺらぺらと話し始めたのだ。
「いやいや、そんな大した話じゃないわ。さっきの言葉、少し芝居が掛かってたって事。あのね、私、ミコトに少し灸を据えなきゃって思ったのよ。ミコトもまだまだ子供だからね。私に異動するなら異動しろって、
その口調はやけに明るかった。
「……八雲さん」
「ミコトには第一部隊の看板を背負ってる自覚がないわ。身内びいきしたままでマトモに仕事なんてできやしないって。でもこれでミコトも仕事がしやすくなるのかしらね」
冗談めかしく、
「それでも八雲さん……」
「何よ?」
「悲しい顔を……されてますよ……」
ユイには、八雲の本心を隠せることはできなかった。
八雲の気持ちなど、ユイはとうの昔に知っていた。強がっていたって、明るく振る舞って見せたって、そんな事は何一つ本心ではないのだと、分かり切っていた。何故なら、八雲が猿飛に、あそこまで強い言葉を向けられる程、心が強くないからだ。猿飛が八雲にあそこまで強い言葉を向けられて、心が耐えられるはずがないからだ。
何故なら八雲は、猿飛が好きなのだから。
「……うるさい」
八雲は他所を向いて、一言だけそう呟いた。ただ、このままでいられたら良かったのだが、八雲も我慢の限界だった。肩が少し揺れて、それが少しづつ大きくなって、嗚咽が漏れた。一度吐いた弱さは抑えきる事など許してはくれず、八雲の瞳に溜まっていた涙は決壊する様に、ぼろぼろとこぼれだした。
もう、どうしようもなかった。
「……私、恐いの。皆と離れたくないのっ……! 自分勝手だと分かっていても、私皆と離れたら何のために戦っているか分からなくなりそうで……!」
それは八雲が今まで胸の内に隠していた本心だった。今度の言葉には嘘偽りがなくて、ユイもその言葉で胸を痛めた。
「確かに自分勝手だけれども、もっと私に話して欲しかった! 私が反対すると分かっていても、相談して欲しかった! なんでミコトが全て抱え込んで、私を遠ざけるのっ! ……そんなの、寂しいよっ!」
自分勝手かもしれない。子供っぽいかもしれない。だがこの想いには嘘を吐けなかったのだろう。そしてそれを口に出す事はできなかったのだろう。
八雲の純真さと真っ直ぐさから生じた亀裂は、見ていて胸が苦しくなってしまう。ユイもどうにかしてあげたいのだが、こればっかりはどうしようもないと思ってしまう。そう思っていたその時だった。
「……ユイさん」
その一言で、ユイは身構える。しかし全てをユイは受け止めようと思っていた。誰かの力になれるのであれば、誰かの心を救えるのであれば、何だってするとユイは考えていた。
「どうしました?」
ユイは意を決して返事をすると、次に思いがけない返事が飛んできた。
「今週の週末……時間あるの、かな?」
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