第41話 あした天気になぁれ④

「ふぁ〜あ」


 ここはとある喫茶店。斜め向かいの席にユイと八雲が居るにも関わらず、九十九がそんな間抜けな声であくびをする。その腑抜けた九十九の態度に対して、木虎はキッと九十九をにらめ付けてから、静かにするように口の前で人差し指を立てた。


「……静かにして下さい! 何だかんだで、これも仕事ですよ。真面目にやって下さい」


 しかし九十九は聞く耳を持たない。空になったアイスコーヒーのグラスに突っ込まれたストローで、ガチャガチャと残った氷をかき混ぜて退屈そうに遊んでいる。


「けどなぁ、あの二人、ホンマ普通にお出かけしてお店巡りしとるだけやん。別に変なシチュエーションになりそうな訳でもあらへんし。これ、ホンマにデートなんか?」


 確かに、昼を過ぎてもユイと八雲の間で進展したことはない。おかげで九十九はひまだ、ひまだと、しきりに呟いている。


「そもそも、ユイは八雲先輩からすれば女の子やん。前提から間違ってるのとちゃう?」


「でもその間違いが起きるかもしれないじゃないですか」


 大真面目に答える木虎に対して、九十九は呆れながら、そんな事があってたまるかと答えようとした時だった。よくよく八雲の表情を見ると、いつも通り鋭い顔つきをしてはいるものの、顔が若干赤らんでいて、ユイの顔から時々視線を外している。九十九は、まさかと思いながら、この事を木虎に話せば張り込み調査も長くなるだろうと考え、そっと目を逸らした。


「……まぁ、大丈夫やろ」


 その一方でユイと八雲はロクに会話もせず、しきりに飲み物だけを口に運んでいた。ショッピングの最中も特に会話等は弾まず、店を回っていただけであった。それもそのはずで、八雲は非常に無口で素っ気なく、ユイに目も合わせてくれない。


 よって、二人はほとんど無言のままであった。


 八雲の問い掛けに言葉を返すだけ。若しくは、ちらちらと八雲の表情を伺っては、たまに気の抜けた様な笑みを返す。ユイにはそれが精いっぱいだった。ユイからすれば誘われたのにこの様な態度をされて、どうしたらよいのか分からなくなっていた。そもそも八雲はユイの先輩なので、ユイはずっと気を遣って気疲れしてしまっている。ユイがどうしたものかと考えていた時のことだった。


「ねぇ」


「は、はい!」


 八雲から不意に言葉を掛けられたので、ユイは声が一段高くなってしまった。そして八雲はユイの顔を真っ直ぐ見つめると、こんな事を告げた。どこか、寂しそうな表情で。


「……つまんないかしら?」


 元も子もない事を聞かれて、ユイは固まってしまった。勿論そんなことは無いのだが、この様子を見ればユイが楽しめてないように見えるのは当たり前だろう。


「い、いえ! そんなこと無くて、ただ緊張しているだけなんです!」


「そう」


 また素っ気なく返されてしまった。そして、また沈黙が訪れる。


 ユイには最早、どうして自分が誘われたのだろうとさえ思い始めていた。確かに意図も分からず誘われたのだけれども、当時ユイにとって出掛ける事には意図など必要ない気さえしていた。


 それも、少なからず、誘われた時は胸が躍っていたからだ。何故ならあれだけユイを毛嫌いしていた八雲が遊びに誘うのだから。ユイからすれば、八雲がわずかでも心を開いてくれたことが、嬉しくて堪らなかった。しかし、それは嘘かまことか、今となっては正直分からない。


 しかし、この場は余りにも気まず過ぎる。だからと言っても話題が全くと言っていい程、無い。何を話そうかと、ぐるぐるとユイの頭の中で考えが巡り巡って、思考回路がショートして、ユイは思わずこんな事を口にした。それも、大きな声で。


「や、八雲さんって……猿飛さんの事が好きなんですか?!」


 その言葉の後で、八雲だけでなく、各所から吹き出す様な声が上がった。勿論その音は木虎と九十九が吹き出したものなのだが。


 そして質問を真っ向から受けた八雲は強くユイを睨め付けながら、震える声でポツリとこう告げた。


「……こ、殺されたいの?」


「い、いやぁ……まだ生きていたいですが……」


「そんな事、聞いてないわ。死ね」


 直球過ぎる一言が、ユイに全力で投げつけられた。心は折れてしまいそうだったが、ユイは何とか踏みとどまり、情けない笑みをこぼしてその場をしのごうとした。だが八雲は冗談として受け止めている様子は無く、ユイを睨め付けながら唸っている。それを見た九十九は思わず、呆れにも感嘆にも近い言葉を漏らした。


「……アイツすごいなぁ。地雷原の中を突っ切っていくような真似しとるで」


「ユイさんは天然ですからね。それよりも、八雲さんって猿飛さんが好きだったんですか……?!」


 急に木虎が焦った表情で九十九に詰め寄って来たので、九十九は呆れた口調で返す。


「お前も大概やと思うで……」


 九十九は顔を寄せて来る木虎を、手の平で押し返しながら、改めてユイと八雲の方を見る。どうやらユイはボロカスに言われているらしい。八雲はガラにも無く激昂している様だった。そこまで八雲を怒らせた人物は九十九も見たことが無く、ご愁傷さまだなと思う一方で、八雲が本当の自分を見せてまで怒れる人がいただろうかとも考えていた。


 それはユイも少し感じていた事だった。八雲と一緒にいた時間は短いのだけれども、初めて出会った時との態度とは大違いである。


「あのねぇ……普通、今それをこの場で言う?! もう殆どバレてるからもう言うけれど、でもそれは叶わない事で……だから今日はユイさんを誘っ……い、いや、だから何でもないって!」


 そう言い終えた八雲は顔を真っ赤にさせていて、肩で息をしていた。それを見たユイはキョトンとしてしまっている。今日一番で八雲が喋った瞬間だと、ユイは思った。


「……何よ、ボーっとして」


「い、いや、何だか……さっきよりも生き生きしていたようなと……」


 また余計な事を言ってしまったと思い、慌ててユイは口を手で塞いだ。八雲はまたユイを強く睨め付けたが、直ぐに呆れ顔になって、ため息を吐いてからこう告げた。


「怒る気力も起きないわ」


 それを聞いてユイは怒られずに済んだと胸を撫で下ろす。我ながらよくこれだけ言いたい放題言って生き残れたなと、逆に感心してしまう。一方の八雲は今度は俯いて、机の上にある空のグラスを見詰めたままでいた。すると八雲は意を決した様にユイの方を向くと、予想外の言葉を口にした。


「ごめんね、本当はこんなに怒る気なんて無かったのよ。……むしろ、私は今日お礼を言いたかったの。この前は……あ、ありがとう……って」


 そう言ってから八雲は今度は耳まで真っ赤にさせてしまった。余りに恥ずかしかったのか俯いたまま、ユイと顔さえ合わせないままでいる。一方でユイはその言葉を受けて、嬉しい反面、後ろめたさを感じていた。あの戦いは八雲あっての勝利だった。それを自分の手柄のように扱われることは過剰な評価であり、八雲にも失礼な気さえした。


「とんでもないですよ。むしろ私は上澄みを掬い取っただけと言うか……」


「そんなことないわ。私は何もしていない。……勝手に先行して、自滅しただけよ」


 そう告げてから、八雲はまた切なそうな顔をした。ユイとしては八雲のおかげだと思って欲しかったが、それは逆効果で余計な事をしてしまった様だった。ただ、ユイの中ではどうしても納得がいかなかった。あれだけ一生懸命に戦っていた八雲が評価されないのは不当とさえユイには思えた。だからこそユイは、八雲の言葉をフォローする。


「それでも、先陣を切れる人は……私はすごいと思います。私なら足がすくんでしまうし、ましてや新種なんて恐ろしくて」


「そ、そう……」


 八雲は一度、驚いたような表情をしてからから、恥ずかしそうに他所を向いた。八雲が少しでも喜んだように見えて、ユイは調子付いたのか、勇気づける様に八雲を鼓舞する。


「そうですよ! 八雲さんは、私から見てもすごいです!」


 ただ、その言葉には八雲も引っかかるところがあったのか、また表情が曇る。そして淡泊な口調で話すのであった。何か感情を、押し殺すように。


「そうかしら。所詮は副リーダー。すごくは無いし、リーダーの足元にも及ばない」


「そんな事はありませんよ!」


 その言葉はいつもに無く力強かった。あの戦いで、ユイはもてはやされ、八雲は心に傷を負った。こんなにも八雲を持ち上げようとするのは、それを自責として感じ、ユイは苦しんでいるからかもしれない。しかし本心を言えば、自分勝手かもしれないが、押しつけがましいかもしれないが、ユイとしては八雲に自信を持って欲しいと考えている。


 何故なら八雲は凄いのだから。本当は優しく、誰よりも思慮深く戦う人なのだから。ユイとしてはそれを周りにもっともっと理解して欲しかった。だからこそユイは力強く、八雲へこう告げたのだ。


「それに、リーダーでも副リーダーでも変わらないです! 私から見れば、そんな事関係無くて、八雲さんの戦いへのこだわりが……カッコよく、私には映ってますよ」


 率直で、嘘偽りない言葉をユイは口にした。少し恥ずかしくも思えるような言葉をユイは八雲の心へ突き付けたのだ。すると八雲は急に目を輝かせて、ユイの方へ視線を向けた。八雲は東方に居る誰もが今まで見たことが無い様な顔をしていた。何かに感謝するようなその顔は、いとおしささえ感じ取れた。


 だけれども八雲はハッとしてから、再び切なそうな顔をした。その理由はユイには分からなかった。ただユイに向けられた目を見詰めると、何だかこっちまで切ない気持ちになってしまう。


 その視線は、ユイを誰かに重ねる様に感じられた。そしてその想いは、いつまでも叶わないような、遠い想いにさえ思わさせた。そして、ユイと八雲はしばらく見つめ合ってから、八雲は視線を背けて、自嘲気味に笑って見せてからこう告げた。


「でも……私はもう、ちょっと辛くなってきたかも。それに、私なんていてもいなくても変わらない。代わりはいくらだっているわ」


 それはユイにとって衝撃的な言葉だった。あれだけ戦いにこだわりを持っていた八雲からそんな言葉が出るとは思いもしなかった。そして、聞きたくもなかった。


「そんな事、ないですよ……」


 すると八雲はまた、軽く笑って見せてから、試すような口調でこう告げる。


「私と一緒に東方から抜け出さない?」


「な、何を言って……!」


「割と本気な話だけど」


 八雲がそんなことを簡単に口にしてしまえば、ユイ達の立場は無い気さえした。そしてそれは逆に、そこまで八雲は暗に追い詰められている事を意味していることが、良く分かった。よってユイは歯噛みするだけで、何も言い返せなかった。八雲の気持ちははっきりとは分からない。しかし会話のに織り込まれた八雲の苦しみが、ユイの口をつぐませた。


 すると八雲はその様子を見て、優しい口調でこう告げる。


「ユイさんは、優しいのね。矛盾してる事、いっぱいあるのに突っ込まないでいてくれるんだから……私は、情けない先輩なの」


 そう言って、八雲はまた切なそうに笑う。その物言いが、ユイには悔しくて堪らなかった。


「……どうしてそこまで言っておいて、本当の気持ちを私に話そうとしないんですか?」


 そんな事を言っておきながら、何となく、何となくだがユイには八雲の気持ちが分かっていた。分かるからこそ余計に悔しくて堪らない。だからと言って、ここで八雲が求めている人の名前を出せば、そこで全てが終わってしまうような気さえした。


 きっと、自分の言葉は慰めにしかならない。


 ユイは自分のひざ元の服をぐしゃりと掴む。そして俯いたまま、何も喋らなくなった。自分が何を言っても、八雲はきっと、別の人からの言葉を待ち望んでいる。自分はその替え玉だと分かると急に悔しさがこみあげてきた。そしてユイは八雲を救いたくて仕方ないのに、自分ではどうにもならないのだ。


 すると八雲は仕舞にこんな事を告げた。頬を赤らめながら、情熱的な視線をユイに向けながら、だ。


「ユイさん……私の本当の気持ちを聞きたいのなら、この後、行きたいところがあるんだけど、付き合ってくれる……かな?」


 ユイはこの女は本当にズルい女だと思った。ただ、この誘いにずるずると引きずられることに甘んじる自分も、ユイは十分ズルいとも思えた。

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