第42話 あした天気になぁれ⑤

 しばらくしてからユイと八雲は店を出た。横並びに歩く二人の間で視線が合うことは無く、八雲は前を向き、ユイは俯いたままで居た。


 本当は別の人が良かったのだろうな。そして、その人物は紛れもなく猿飛であろう。


 そんなつまらない事をユイはずうっと考えていた。ユイは少ししゅんとした顔をしていると、急に手に触れるものがあってユイは驚いてしまう。見れば、ひんやりとして少し汗ばんだ八雲の手が、ユイを包んでいた。八雲は前を向いたままで、ユイより少し前を歩いていたので、表情は見えなかったのだけれども、きっと顔を真っ赤にさせて緊張しているに違いないと、ユイは思った。


 しかしこの覚悟を決める様な態度は、八雲は猿飛にできないであろう。ユイなら別にこの態度を取っても問題ないと思っているのであろう。そう穿った考え方をするからなのか、ユイには嬉しいとか、緊張するだとかの感情は不思議と芽生えなかった。


 そしてそのまま、ユイはぎゅっと手を握られ、引かれて、なすがままに八雲の行く先へ付いて行った。ただそこはユイも想像さえつかない場所で、目的地に到着して、その建物を前にして、ユイは目を丸くした。


「……あのぅ、八雲さん?」


「何よ……?」


「いやぁ……ここはまずいと思いますよ」


「何が?」


「何がって、ここってその……男女の恋人同士とかが来る、そういう所じゃないですか!」


 ユイはつい、上ずった声になってしまった。なにせここは寝具やアメニティの充実した宿場、兼、休憩場だからだ。『何の?』と聞かれたらそれは割愛せざるを得ない。ここは泊まる事も休憩することもできる場とだけしか、この場では説明できない。


「私が行きたい所があるから一緒に行こうって言ったら、うんって言ったでしょ?」


 八雲はユイの方へ振り返ってから涼しい態度で告げる。頬は紅く染まっていても、緊張していても、やけに強気な態度だった。もちろん、ユイはその言葉に反論できるはずもなく黙りこくってしまった。


「……へー、そういう人なんですか。ユイさんって、直ぐにそーゆーことしたがる人なんですか」


「落ち着けや木虎。ちゅうか目が怖い……」


 一方でユイと八雲を追いかける二人のうち、木虎は怒りで身を震わせていた。目は光を失い、声はやけに低い。


「これを見て落ち着いていられる訳ないですよ。だって、さっきまで何にもない様子だったのに急に獣になって、いや誘われたのかもしれないけど言われるがままに付いて行って……何なの何なの何なの何なの……」


 九十九は突っ込む事さえ止めた。木虎の様子が何だかおかしいからだ。これだけ物事に執着する木虎を、九十九は見たことがない。


 しばらく経ってから、ユイは八雲に背中をやわく押されるようにして建物の中へ入った。それを目撃した木虎は勢いよく身を乗り出して、飛び入るようにその建物へ突入した。勿論、九十九もそれに付き合う事になった。


 建屋内は随分と暗く静かで、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。どこからか小さなボリュームで流れるクラシック音楽は、心の奥にある不安や恐れを緩和させる役割を果たしていた。


 八雲は部屋の案内表示についているボタンを選択すると、ユイの手を引いてエレベーターの中へ入る。それを遠くから凝視していた木虎は迷いなく八雲が選択したボタンの隣を押す。


「……ちょ、ちょい待てや木虎! お前、自分が何しとるんか分かっとんのか?」


「ここまで来た私をもう誰にも止められない」


「そんなシリアス口調で言われてもなぁ……」


 そしてまだ目が怖い。相手を狩る為なら何でもする。この興奮状態の猛獣を止める手立てなどないだろう。


 九十九は半ばあきらめた気持ちで木虎に同行し、ユイ達が入った隣の部屋に潜入した。すると着くや否や木虎はとんでもない事を言う。


「九十九さん。この距離ならいけますよね? ユイさんの通話回線を無理矢理解放させて下さい」


 九十九は目ん玉が飛び出そうになった。東方管轄のシステムへ平気な顔で介入しろと言うのだから、九十九は慌てて首を左右に振る。


「……いやいやいや、何言うとんねん。ウチにはそんな変更権限あらへんわ」


「やろうと思えばできるクセに。それに、東方さんからは管理者権限アドミニストレータでの変更許可を貰ってます」


 九十九はそれを聞くと嫌そうな、また呆れたような顔をした。


「こんな下らない……いや大切な事やけど、それだけの為にこんな大それた事するのはどうかと思うで」


 九十九は持ってきたカバンから分厚いノートパソコンを引っ張り出すと、それを起動させた。次に九十九は人工皮膚を引き剥がし、端子口にケーブルを繋ぐと、ノートパソコンと接続させる。


「……で、東方からの電子証明書はこれか。ホンマ、これだけの為にアホらしいなぁ」


 九十九はノートパソコンを弄りながら、ぶつくさボヤいている。一方で木虎は早くしろと九十九の背中をバシバシと叩く。


「叩くのをよさんかドアホ! ほな、できたで!」


 九十九はノートパソコンにイヤホンを差し込むと、片方を木虎に渡す。木虎と九十九はそれを片耳に入れ、聞こえてくる音に耳を澄ました。


 その頃、ユイと八雲は微妙な間を取ってちょこんとベッドに座り込み、しばらくは沈黙したままでいた。お互いに顔もお合わせず、二人俯いたまま。初め、木虎達は全く音が聞こえてこないので、不具合でも起きたのかと思った程だった。ただ、暫くしてから八雲がこんな事を呟いて、木虎はつい前のめりになる。


「とりあえず、シャワー浴びて来るね」


 静かに八雲は告げて立ち上がると、ユイは咄嗟に八雲の服を強く掴んで引き留める。


「私は、そんな事をしにここに来たんじゃ無いです」


 八雲はそう告げたユイへ視線を向けると、ユイは何かをとがめるような力強い目をしていた。


「良く言ってくれましたユイさん!」


「やかましいわ、だぁっとれ!」


 ユイの行動に対して、隣の部屋では実況でもするかのように盛り上がっていた。九十九は木虎の頭を叩くと、また耳を凝らす。


「そうでもしなくちゃ、話が始まりそうになかったから」


 八雲はユイを見ると淡々と言葉を返した。自分から誘っておいてこの態度は無いだろう。少し癪にさわったユイは挑発的な事を口にする。


「八雲さんは、私を捌け口にしたいんですか?」


 すると八雲は冷たく笑って、「そうして欲しいなら、してあげてもいいわ」と告げた。そんなことをユイは言うとは思っていなかった。また言っても欲しくなかった。戦いにおいてあれだけ真面目な八雲から人をからかうような、それもいやらしい誘い方を、耳にしたくなかった。


「止めてくださいよ……私は……憧れているのにっ……!」


「憧れ? それは私から一番程遠い言葉よ。……それに私だって、好きであんな立場になった訳じゃないわ」


「どうしてそんなことを言えるんですか!」


 気が付けばユイはその場から立ち上がり、八雲に向かって叫んでいた。流石にそれを見た八雲も、話だけを聞いていた木虎と九十九も、思わずキョトンとしてしまった。


 ユイからすれば、生まれて初めての感覚だった。そして人が人の為に、感情的に怒りをぶつけることがこれほど苦しいものだとは思わなかった。同時に喪失感に似た切なささえ覚えた。胸が詰まって、喉元が苦しくなって、ユイは気が付けば八雲の肩を掴んで寄りかかる様にして身体を寄せていた。


「八雲さんは副リーダーなんだから……すごいじゃないですか。どうしてその結果を否定するんですか……!」


 ユイはどうしてここまで感情的になったのか分からなかった。相手は別部隊の人だ。それに年齢も異なり、階級も違う。それでもユイはこの人を何故か放っておけなかった。だけれども八雲は返事をしないままで、ユイは余計に悔しくなって、仕舞には核心を突く言葉を口にした。


「私が猿飛さんだったら、もっと違う事を口にしたんですかっ……!」


 流石にその言葉は八雲にとって答えたのだろう。今度は八雲はユイの肩を掴み、ユイを起き上がらさせてから、怒号に近い声を浴びせた。


「ユイさんは副リーダーになった事がないからそんな事を平気で口にできるのよ!」


 そう言い切ってから、八雲はハッとして、次に歯を食いしばりながら俯いてしまった。


 こんな事を言っても仕方がないと分かっている。ここまでユイに言わせてしまった自分が悪い事も知っている。ただ、八雲はユイに理解して欲しかっただけなのだ。


「私はもう限界なのよ! 副リーダーなんてやっているけれど、そんな器じゃなくて、仲間だっていっぱい見殺しにして、バカにされて……周囲からすれば私が生きていることが罪で、だから生きることが息苦しくって……!」


 後輩にこんな八つ当たりして、何故こんなにも心が弱いのだろうか。しかし八雲は口を止めることができなかった。一度決壊した思いは、容易に止めることはできず、言葉が濁流のように溢れだしてくる。


「小さいころからミコトと私は一緒だった。けれどミコトはいろいろあって東方に入って、苦しんでいた。それを私は助けるために東方に自ら志願して、ずっとまた一緒に頑張って生きていけると思っていた。けれどここでの生活は私には合わなくって、でもミコトはうまくやれていて、そして今度は離れて行ってしまいそうで……どうしたら良いの? このままじゃ私、何の為に生きているのか分からなくって……!」


 だから私を代わりにしようとしてんですか?


 私と一緒にこの東方から抜け出して、私で寂しさを紛らわせようとしたんですか?


 ユイの頭には言葉は浮かんでいたけれども、そんな言葉は口にできなかった。今の八雲に掛けたいとも思えなかった。彼女は副リーダーである以前に、人なのだから。


 八雲は気が付けば泣きじゃくって、ユイに抱き付いて離れなかった。頭をユイの胸にうずめたままでいた。ユイはそれを受けて、自分ができる事をするしかないと思い、そっとその背中を抱き返すのであった。

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