第43話 あした天気になぁれ⑥

 嫌だから辞められたらどんなに楽かと八雲は考える。


 どんなに努力しても、追いかけ続けていても、相手はいつまでも振り向いてくれない。一方で重ねた努力は責任として自分を押しつぶそうとしていた。


「私達はいつ死ぬか分からない……分からないのよっ……!」


 八雲はそんな事を告げた。その言葉を受けてユイはハッとする。それは今まで皆に守られて、熱に浮かされたせいで暫く忘れていた感覚だった。


 そう、ユイたちは人でありながら、周りとは違う存在なのだ。この偽物の腕と、偽物の皮膚はそれを証明している。あの世とこの世を行き来する、半分生きていて半分死んでいるような存在。命の保証などなくて、今生きていることが奇跡な位である。ユイ達の命は常に蝋の灯のように揺らぎ、ふうと息をかければ消えてしまう。それだけ不安定な運命を歩む中で、希望や夢を抱くには少し、難しさを覚えてしまう。


「私は自分勝手な人間かもしれない。けれど私はそれ以前に人間なのよ! 不完全で、不安定で、やりたい事だっていっぱい、いっぱいある……けれどっ……!」


 八雲はそこで一度言葉を止めた。そして震えるような、絞りだすような声で、次にこう告げた。


「……私はコントロールセンターの更新をミコトとやりたがたっていたのよ」


 八雲は言い終えると一気に身体の力が抜けて、全ての体重がユイへとのしかかった。頭の中に抱えた矛盾が遅効性の毒のようにして八雲を苦しめる。八雲の生きる道も不安定だが、夢や希望もまた、不安定さの中に沈んでいた。それは当たり前の様で、手の届かない存在なのだ。


「八雲さんしっかりして!」


 ユイは八雲の身体を受けながら、懸命に身体をさする。この八雲のか細い身体は、儚さを感じさせた。


「……どう? ガッカリした? 私はこんな人間。無責任で、皆からの嫌われ者で、憧れからは程遠い存在よ」


「でも、あの戦いに嘘は無かった。先陣を切る八雲さんはホンモノだった!」


「もう私の事を分かった様に言うのはやめて……!」


 八雲からすれば余計な事を思い出させないで欲しかった。ただ、確かにそうだ。少なくとも、昔はそうだった。猿飛や横須賀以外にも、誰かを助ける為に戦っていた。一生懸命に、一人でも多くの命を救おうとしていた。そしてこの戦闘が終わっても、皆と笑って次の日を迎えたいと思っていた。けれどいつからだろうか、その想いは澱み始め、そんな感情とは疎遠になった。


「ユイさんもいつか分かる。本当の気持ちだけで戦っても、その気持ちは誰も理解してくれる訳が無い事が!」


 皆が死んでいく姿を見て、誰かの手抜きで仲間を失うことになって、自分が注意しても、ただ孤立していくだけだった。心は静かに死んでいき、いつしか自分の想いに嘘が混じって、澱んで、中途半端な今に至る。破綻していく自分の信条が、自分の精神と重なって、自分自身が壊れていくのがよく分かった。


 しかし、「人の気持ちなんて分かりませんよ!」ユイは八雲を見放しはしなかった。八雲の心と真っ直ぐ向き合う様に、強く声をかける。


「私と八雲さんは違う境遇で生きています。だから私が八雲さんの気持ちが分かるなんて失礼な話なんです。けれど、だからこそ八雲さんの気持ちが分かりたいから、八雲さんの話を私は聞きたい。……それじゃ、ダメなんですか?」


 ユイも八雲も人の性格や思想はそれぞれで、全て理解できる訳が無い。ただ、分からない事は分からないままで済ませてはならず、少しでも分かろうとする努力をすれば僅かにでも分かるはずなのだ。本当にその人の気持ちが知りたいのなら、相手の話を聞くことも、それを受け止める事もできるはずなのだ。


 だからこそ話して欲しい。八雲の、本心を。


 ユイは真剣だった。乱れた八雲の心を救う気だった。そんなつもりで言葉をかけた、筈なのに、八雲はとんでもない行動に出る。


「……そんな訳、ないじゃない」


 それは突然で、不意を突くような出来事だった。八雲が告げた言葉の後、ユイにそっと顔を寄せて、押し込むように口づけをしたのだ。


 その間は刹那にも、永遠にも感じられた。


 その間にユイは何もできなかった。初めてしたその行為には、甘美で、でもどこかしこりが残る様な、複雑な味がした。


 そして触れ合った部分がまたそっと離れて、その余韻がまだかすかに残っているその時に、ユイは慌てた様子でこう告げた。


「八雲さん、それはっ……!」


 ごめんね。私、弱い子だから、こんな事をしちゃうのかな。


 八雲はそんな事を思い浮かべながら、また卑怯な言葉を口にする。蕩ける様な顔を付け加えて。


「……いいよ、詩子って呼んで」


 ユイは思わず歯を食いしばってしまった。八雲はユイを猿飛に置き換えているだけでしかない。乱暴な言い方ではあるが、ユイにはそうとしか考えられなかった。それが分かって、イヤに切なくて、どうしても少しだけ悔しい。


 どんなに焦がれる様な顔をしたって、どんなに言い寄られたって、猿飛の代わりだと思うと切なくなる。都合よく遊ばれているのと変わらない。だが、その耐性はユイには充分になくて、この場に流されてしまう。


「…………詩子」


 ユイは自分に溺れて欲しいとさえ、猿飛から目を背けて欲しいとさえ、考えてしまった。そう考えている自分が怖いのだけれども、そうあって欲しいと願ってしまう。何故なら安心できるのだから。何も考えなくて済むのだから。お互いに傷付け合う事をやめて、ただ幸せになる事が、余りにも楽過ぎるのだから。


 すると八雲はユイの肩に腕を回し、体重を正面に掛ける。ユイは不意を食らって、そのまま八雲にベッドにへ押し倒された。


「いいよ、好きにして」


 八雲の言葉に身を委ねたくなってしまう。八雲がそんな態度を取るならば、もうどうでも良い気さえした。しかし、ユイの中にある罪悪感がそれを踏みとどめた。


「……やっぱりだめですよ八雲さん! こんな嘘みたいな真似は、虚しいだけだ……!」


「でもさっきので本当になった」


 この女は本当にずるい。ユイから見れば本当に見えたとしても、八雲からすればまだ嘘なのだ。


 すると八雲はらちが明かないと思ったのか、上体を起こすと、あろうことか穿いていたショートパンツを脱ぎ始めたのだ。ユイは慌てて手で目を塞ごうとしたが、もう遅い。あらわになった八雲の姿がユイの視界へ映り込んだ。


 ――雷に打たれたような衝撃があった。そこにはとんでもないものが見え、ユイは目を疑った。


「…………?!?!?!?」


 初め、レベルが高すぎてユイには付いていけなかった。何と、人工的な漆黒の棒状のそれが、八雲の股下に取り付けられていたのだ。補足するとそれはてらてら光る皮のパンツと一体になっている。


 わぁ、なんだこれ。


 一旦思考が停止し、頭が再起動してようやく理解した。これは本来、女の子同士で遊ぶものだ(?)


 だがユイは男である。そしてそのことは決して口にはできない。


 その前に何でこんなもの仕込んでるんだとか他にも色々突っ込みどころがあるが、とにかく先ずは貞操の危機だけは回避しなければならない。


「もう、いいよね」


 八雲は顔を赤らめる。


 ユイは思う。


 何もよくない。


 このままでは色々な意味で大変な事になってしまう。ただでさえギリギリなのに、いやアウトかもしれないが、これ以上、良い事など一つもないのだ。


 するとそんな事を考えている間に、気が付けば八雲の手がユイの股下に伸びているではないか。まずいと思ったユイは慌てて回避しようとするが、八雲にマウントを取られている以上何も抵抗できない。興奮と、焦りが入り交じり、胸の鼓動は余りにも早くなっている。そして、八雲がユイの純白のパンツに手を掛け、それはずるりとユイの股下から外れて、同時にあるものが露出した。


 南無三。


 それを見た八雲は気を失ったように固まって、同時に顔を真っ赤にさせた。そして二人の間には余りに気まずい空気が流れる。


「ユイさんって……男なの……?」


「…………」


 物的証拠を抑えられてしまったのだから仕方あるまい。ユイは観念したのか、涙が浮かぶ目を八雲から背けながら、小さく頷いた。


 流石に八雲も状況を見て、混乱しないわけが無かった。今まで巫女として立ち振る舞っていて、それも余りに女の子らしいこの子に限って、こんなにかわいい子が男の子なはずがない。


 だが、出したモノは引っ込められない。もう後戻りはできないとでも思ったのだろうか、八雲は震える声でこんな事を言いだした。


「……でも、関係ないわよね」


 大ありだよ!


 ユイは心の中で強く叫んだ。しかし、つまりは何だ? ソレを使うと言うことは、そっちが攻めなのか? 攻められると言うことは攻める場所はただ一つで、八雲はトンネル工事をする気としか考えられない。


 とにかく、このままではユイは八雲に女の子にされてしまう。だが八雲の力も強く、抵抗できない。


「や、やめてくださいっ……!」


 何だこれ。ユイは内心悲しくなるのと同時、涙が出てきた。しかし八雲は積極的で、ユイの足をたたむようにして無理矢理押し付ける。このままでは大変な事になる、誰でもいいから助けてくれと、ユイが強く願ったその時だった。


「そんなことして良いと思っているんですか?」


 凛とした声が、その場に響いた。


 その声、そして現れたその人物を二人は間違えるはずがなく、それを認識して二人は凍り付く。


「な、何で貴方が……東方さんがっ……!」


 そう、その人物は東方。普段の巫女服ではなく制服を纏った彼女は、黒髪の長い髪を振ってこの部屋に押し入ってきたのだ。また寄り添うように後ろには木虎と九十九がいる。


「八雲さん。貴女はユイが男だと知りながら言い寄りましたね? 東方の御法度を承知の上で、口づけをし、身体を開け渡そうとした」


 二人は空いた口がふさがらなかった。東方の言葉も頭に入らない。この現場の惨状は言葉では表せないほど酷く、言い訳もできない。現行犯で一発逮捕である。さらに言うならば、これを見た木虎と九十九の目は死んでしまっている。


「残念ながら……その子、東方の血を引いていましてね。微量でも遺伝子を外部に流出させる可能性があれば、私が飛んでくる仕組みになっているんです」


 その言葉で八雲はハッとする。これでは八雲は、結果的に東方の血を受けようとし、東方の掟に逆らう真似をしたことになるではないか。だが気が付いたところでもう遅い。事態は最悪のところまで進展している。


「八雲さん。貴方には後で正式に言い渡します」


 八雲は言い訳することも、歯向かう事もしなかった。ただその場で固まり、震えていた。東方の掟に逆らう事の罪の重さを、彼女は重々理解しているからだ。


「貴方の行動に見合った、罰を」


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