第4話 かんなぎの子③

 入学時の行事などは滞りなく執り行われた。この後は帰りのホームルームが行われる。


 結局ユイは九十九以外の人間に男であることがばれることは無かった。九十九もそれをばらす様な事をしなかったので、ユイはほっとした。ただ、ユイは九十九とすれ違うたびにひらひらと手を振ったのだが、九十九はその都度に憂鬱そうな顔をした。九十九が中々心を開いてくれないので、ユイは残念な気持ちになる。


 また、この学校の中に入ってからも驚いたのだが、流石は神学の専門学校と言うべきか、教師は皆女性で巫女服を羽織っている。担任の女性教師も然りで、巫女服の袖を引きながら黒板に明日以降のスケジュールを記載しながら説明している。ユイはその予定をメモに書き留めようとした際、隣の席から弱々しい声が聞こえてきた。


「……どうしよう、ペン忘れちゃった」


 聞こえた声の方向を振り向くと、ずいぶんと慌てた様子でカバンの中をガサゴソと探している。どうやら書き物を忘れた様だ。


 その女子の容姿は非常に良く整っていた。透き通るような白い肌、サラサラとした長い黒髪、体つきは小さくて幼く見える。まるでそれは作り物のように見え、少し浮世離れしている程に感じたものだ。ユイはこんな可愛らしい子と仲良くなれたらなぁと思いながら、そっとその子にペンを差し出した。 


「良ければ私のペンを貸そうか?」


 そう親しげに告げるとその隣の子は突然のユイの言葉に驚き、うろたえる。その姿を見てユイは、そんなに驚かなくても良いのに『変わった子だな』とつい思ってしまった。


「えっ、あ、すいません」


 それは至って普通の反応。全く以て不自然な所はない。彼女は申し訳なさそうな表情をしながらペンを受け取ると、彼女はユイにこの様なことを言った。その言葉が彼女の口から飛び出すなど思いもしなかった。


「あ、あのっ、『利子』はどのくらいですか?」


 ユイはその言葉を受けてフリーズする。


『利子』?


 そんなに私がガメツく見えたのだろうか。そんなに私が貪欲そう見えるのだろうか。様々な考えが浮かんでは頭の中でぐるぐると回り、ユイは軽い混乱状態に陥る。


 すると彼女はあろう事か畳み掛けるように、「……やっぱり『トイチ』ですかね?」などと言葉を付け加えたのだ。


「は、はい?」


 ユイはまさかこの大人しそうな子の口から『トイチ』と言う台詞が出るとは思いもしなかった。それに出て欲しくもなかった。


「イヤイヤイヤ、利子なんていらないって。その前に物体にどうやって利子付けるのさ!」


「十日後に返したらペンの十分の一のパーツを……」


「いらないよ、それほとんどゴミだよ!」


 そうユイがツッコんだその時だった。突然、その子の瞳は潤み、上唇を噛み締めて少しずつ俯き出す。


 いやあ、まさかなとユイは思いつつも、この状況はどう考えても嫌な予感しかしない。


 そして予感は的中する。彼女はゆっくりと屈み出し、頭が机につくと、そのまま突っ伏したまま動かなくなってしまったのだ。


「……うぅ」


 アカン。


 彼女はあろうことか泣き出してしまった。流石にユイは驚きを隠せなかった。確かに思いっきり突っ込んだのは悪かった。しかし泣く沸点が余りに低過ぎる。


 どうしたものかとユイはたじろいでいると、その彼女は机に突っ伏したまま片方の手を広げ、こちらに突き出した。これを見たユイは何となくこの手の意味を察する。


「……金」


 突然冷たい声が飛んできてユイはひどく怯えた。嘘だろうと。さっきまでの可愛げと大人しさは塵芥となり、この世を去ったのだ。そしてユイに求められた要求。答えはひとつしかない。


『買収か? 私がこの子を買収しろと言うのか?』


 ユイの頬を一筋の汗が伝う。これをやってしまったら、もう人としての全うな道を歩めない様な気がして、しかし踏み出さなければ過ちに身を投げる様な気がして、ユイは躊躇いと焦燥に心を焼いた。


 そう悶々としていたら、何やら辺りが騒がしいことに気がついた。ふと辺りを見回せば少しざわついているではないか。それはそのはず当たり前で、入学早々に隣の大人しそうな子を泣したのだから。


「このままじゃマズイ」


 とにかく周りに変に思われる前に事を片付けなければいけない。いやもう手遅れではあるのだが、致命傷はせめては避けたいものである。もうどうにでもなれと言う気持ちで仕方なく財布から硬貨を取り出し手のひらに置いた。


「どうだっ!」


 しかし、動かない。そして心なしかその手のひらは横に揺れている気がする。何と言う強気な取り立てかただろう。とんでもない娘だ。


「も、もっとよこせってか? 何なんだこの子は……ってうわっ!」


 振り返って見れば、クラスの人の目が何故か白い。いや、理由は分かる。泣かした女の子を金で黙らせようとしていたらそうなるに決まっている。しかしもうヤケになり始めていたユイにはもうどうしたらいいのか分からない。


「こうなったら!」


 とにかくこの場を終息させたい一心で、泣く泣く財布から紙幣を取り出し、手のひらに置いた。すると急に泣き止み、何事も無かったかのように再び起き上がった。


「すいません取り乱しちゃって」


 とんでもない変わり身の早さだ。どちらかと言えば取り乱していたのはこっちの方だとユイは内心思い、また同時にこの子は怖いなとも思い始めた。

 

「アホか、この守銭奴がっ!」


 その言葉の後に、何者かがユイから金を巻き上げた彼女の頭をひっぱたいた。その犯人は誰だかすぐに分かった。この訛りのある口調。間違いない、九十九だ。


 そうして九十九は、引っ叩かれて頭を抱えて痛がっている彼女に近寄って、馴れ馴れしく肩に腕を巻くとこんなことを言い出した。


「おうおう木虎、またがめついことしとるんかいな」


「げ……九十九さん」


「げ、とはなんや木虎。折角おんなじガッコで顔会わせられたっちゅうのに」


 ユイはキョトンとしてしまった。


「へ? 二人ともお知り合い?」


「せや、ちなみにコイツの名前は木虎きとら りん。ほんでウチと中学は違えど塾が一緒やったんや」


 完全に予想外の展開だった。初めは知り合いがいたことでより接しやすくなったと安心したのだが、冷静に考えればこの二人が出会ってはマズイことがある。


「へ、へぇー木虎さんと響は知り合いなんだぁー」


 冷汗が止まらない。そうだ、ユイの秘密を九十九だけが握っている分には構わない。しかし、たかりの木虎。彼女が知ったときには何を要求されるか分からない。とにかく自分を守るためにも、ユイは慌てた様子でまずは木虎に話し掛ける。


「き、木虎さんとはさっき出会ったばっかりなんだ! だから響、木虎さんの事いろいろ教えてよ!」


 ここは別の方に注意を逸らし、ユイは自身の話をさせまいとする。しかしそれは無意味で、九十九はあっけらかんとした口調でこんなことを言い出した。


「ウチはユイの色んなことよく知っとるで。木虎はまずそっちの話を聞きたいんとちゃうか?」


 そして九十九は、「……あんなことや、こんなこともなぁ」などと余計な言葉を付け足した。


 言う気だな、言う気満々だなこいつ。九十九のニヤついた顔を見れば何をしようと考えているかよく分かる。なんて悪質な真似をするんだ。ユイは慌てて九十九の肩を掴み、教室の隅に寄って密談を始めた。


「お互いの和平の為にも……ここは、何とかして頂けないでしょうか?」


「ウチは和平の使者とちゃう。エンターテイナーや」


「響ッ! 校門で誓ったあの言葉は嘘だったの?」


「嘘もクソも約束なんてせえへんかったやないか。とにかくなァ、ウチはまだるっこしいのはイヤなんや」


 そう面倒くさそうに九十九は言ってから、木虎を呼び寄せる。


「何でしょう。きっと九十九のことだから、下らないことをするんでしょうけ……」


 だが木虎の言葉は九十九の行動で遮られた。


 九十九は木虎の腕をぐいと引くと、「ええ勘しとるなぁ、まさにその通りやっ!」と言った。


 それは余りに突然で止める術も避ける術もなかった。九十九は何と、その引っ張った木虎の手をユイのまたぐらに押し当てたのだ。


 そのぷっくりとした小さなふくらみに触れて、触れられて、木虎とユイは同時に顔を真っ赤にした。木虎はその場で動かなくなって、一方ユイは九十九に掴みかかった。


「響のバカぁっ! ななななにすんだよ!」


 だが九十九は悪びれもせず、こう言うのであった。


「ナニは試しやろ」


「変な造語作ってんじゃないよ!」


 ユイはそう突っ込んでから、木虎の方を向く。一番分かってはいけない人に分かられてしまった。見れば木虎は冷たい、軽蔑するような目線をユイにくべている。更に言うならば、木虎はユイの隣の席の子。明日から不穏な学校生活が始まることになる。


「……とにかく事情は分かりました。しかし、これは金銭のやり取りが発生する事案です。いいから出してください」


「ナニをか?」


「響、もう余計な事を言うのはやめよう。これ以上、私の罪を重くしてはいけない」


「しかし、どうして女装までして巫女の道を?」


 木虎が不意に問い掛けてきた。そう疑問に思うのも無理はないだろう。しかしその理由もはっきりしないものなので、ユイは歯切れの悪い様子でこう告げる。


「実家が神社で……貧乏で巫女を雇うのも苦しくて……だからそれを継がなくちゃいけなくて……」


「そんな理由で? そんなことをしなくてもユイさんにはもっと別の道があったんじゃないですか?」


「で、でも、私には才能があるから!」


 ……とは言ってはみたものの、女装をすることを差し置けるほどに、その才能が優れたものとは言い難い。このままではまるで自分が好き好んで女の道を歩んだように思われてしまう。そう思われてしまえば今後この二人との関係はどうなるだろうか。変態扱いされたままこの学校生活を続けることになるに決まっている。


「才能? いいですよ、ならその才能とやらを見せてくださいよ」


「思い返せば、その話はウチも聞いとらんなぁ」


 そして木虎と九十九からはこのプレッシャー。引くに引けなくなったユイはどうにでもなれと思い、その『才能』を披露することにした。そのためには場所を移さなくてはならない。ユイたちは人気のない校舎の裏側へ移動する。


「こんな所まで連れてくると言うことはよっぽど自信があるんでしょうね」


 木虎が嫌なプレッシャーをかけてくる。しかしここまで来たからには後に引く事は出来ない。このまま変態のレッテルを張られたままで生きるわけにもいかないのだから。もうどうにでもなれと言う気持ちで、ユイは空に手を掲げ、こう叫んだ。


「……きっと見て驚くよ! ええい、来てファローさん!」


 その言葉と同時、ユイの目の前にまばゆい光が放たれた。九十九と木虎はそのまぶしさに目を瞑り、そしてその光がおさまってから目を改めて開くと、正面に今までそこに居なかった何かが現れた。

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