第5話 かんなぎの子④

「こ……これはまさか……?」


 木虎が驚いた様子で口を開く。それを見たユイは少し得意げに喋りだした。


「そう、これは『霊獣』。この子は仔牛の『ファローさん』だよ」


 見ればユイの目の前にちょこんと小さな牛が床に座り込んでいた。この仔牛は黒い大きな目がきらきらと輝いていて、茶色のふわふわした毛を持っている。牛と言うより小鹿の様な容姿だった。


「おいでおいで」


 ユイがそう言うと、ファローさんはユイの足元にやって来て頬ずりをした。これがユイの才能。霊獣を携えることができるものだ。


 まず霊獣とは神の使いであり、あの世とこの世を自由に行き来できる存在である。霊獣は普段は一般人の前には現れず、関係を許したものの前には姿を現す。


 そして霊獣は巫女と主従関係をもつと、悪霊退治や神事の助けを霊獣が行ってくれる。その為、霊獣と関係を結べた巫女はどの神社でも重宝されるのだ。


「どう? これが私の力。霊獣を自在に呼び出せ、そしてこの様に親密な関係を結べている! 一級神官でも中々できない芸当だよ!」


 ユイはこれぐらいの『才能』であれば、女装してまで入学してきた言い訳にはなるだろうと心の中で頷いた。だがしかし、木虎は驚きというよりも感激している様子で、ファローさんに近づいて頭を撫で始めた。


「か……かわいいです」


 感想はそっちかい。拍子抜けしてしまったが、ユイは一度咳払いしてから話を続けることにした。


「とにかく私はこの才能で巫女になって、がっぽり稼いで、実家を安泰にさせるんだっ!」


「グルルルルル」


「……ん?」


 その時、どこからか不穏な音がした。誰かの腹の虫かなとすっとぼけてみたくなったものの、この胸高まる迫力の重低音が、小腹が飢えた人の、間抜けな腹からなど出せるはずが無い。


 現実逃避したくて仕方がなくなった。よく見れば木虎の背後に何が白いモノが見える。加えて先程の鳴き声。


 嫌な予感がした。


 しかもよく見ればゆっくりとした歩みでこちら側に大きくて白いものが近づいて来ているではないか。そしてその全貌が明らかになった時、堪らずユイは声を上げた。


「トトトト……トラッ!」


 そう目の前に現れたのは虎の霊獣だ。それも通常とは異なるホワイトタイガーで、木虎の肩近くまでの大きさがある。加えて虎の背中でごうごうと青い炎が燃えており、体には何故か鎖が巻かれている。


 もう見るからに強そうだ。こんなおしゃれさんな虎に関わっていいはずが無い。そしてユイのファローさんとは比べものにならない。ファローさんだって目を離せば知らぬうちにこいつのランチになってしまうであろう。


 明らかにこの状況はよろしくない。ユイも今まで出会ったことがない霊獣なので野良のものなのだろうか。とにかくこのままでは襲われる可能性が大だ。


「どうかしました? 顔色がよろしくありませんが……」


 そして困ったことに木虎はこの状況に気が付いていない。慌ててユイは木虎の肩を掴み、真剣な眼差しで注意を促す。


「い、いや。ちょっと真面目な話をすると……木虎さんの後ろに悪霊がっ……!」


「……壺はいりませんよ」


 いや、そう言った意味ではない。しかしこの言い方ではそう言われるのは仕方の無い事だった。慌ててユイは言葉を選んで改めて木虎に声を掛ける。


「そ、そうじゃなくて! 木虎さんの後ろにヤバそうな野良の霊獣がいるの!」


「知っていますよ。だってこの子は私の霊獣ですから」


「なら話が早い! じゃあ後ろにデカい虎が見えるでしょ? だから……え?」


 ユイは目をパチクリさせ、木虎を見つめ直してから改まって質問する。


「木虎さんの霊獣?」


「はい」


「……じゃあ、あのアクセサリーは?」


「強そうでしょ?」


「強そうじゃないよ! おかげでびっくりしたよ!」


 そう言い終えてからユイの体から力が一気に抜ける。とんだ取り越し苦労だ。この霊獣は木虎と主従関係にあったのか。


「……あーそう、なんだ」


 ホッとしてから改めて考えると、自分と木虎を見比べてから、何だかこの程度の才能で自慢していた自分が恥ずかしくなってきた。仔牛と虎では才能の差も大違いである。


 もちろん、これを見た九十九が茶々を入れない筈が無かった。九十九は小ばかにしたような目線でユイを見ながらこう告げた。


「あーユイ、とにかくお前の言いたいことはよう分かった。結局女装がしたいからここに入学したんやろ?」


「分かってないじゃん! 違うわっ!」


 ユイはそう突っ込んでから、どっと疲れを感じた。頭がなんだか重くなって、ただただ女装をしていることが恥ずかしく感じ、嫌な汗が噴き出してきた。


「それよりユイさん、私のお友達を悪霊だなんて……」


 面倒な事になりそうな発言が聞こえた気がした。どうせ、たかり屋の木虎が言うことだ。この後に続く事など想像するまでもない。ユイは微笑んで、軽く木虎の肩を叩いてこう告げた。


「さて帰ろっか木虎さん」


 ユイはそのまま木虎の横を抜けて、しれっと逃げる態度を取る。しかし木虎は直ぐにユイの服を掴み、離さない。


「慰謝料」


 ユイはフゥと溜め息をついてから、やれやれと言いながら首を左右に振る。


「ハハハ、木虎さんは若いのに難しい言葉を知ってるなぁ」


「お金を下さい」


「嫌に決まっているでしょうが!」


 全く、この娘は傍若無人だ。木虎はあれだけおとなしそうだった様子から、打って変わってユイから突然金を巻き上げようとこんなに執拗に迫ってきた。それを見てしまうと、木虎はひどい猫かぶりだと思う。ユイは頭に手を当ててため息を吐いた。


 一方で木虎はぷうと頬を餅のように膨らませて、ぶうぶうと文句を垂れはじめた。


「けちですね」


「ケチじゃありません!」


「……まぁいいです。この件は貸しにしておきますよ」


「はぁ……そうですか」


 ユイはぐったりした様子で答える。もう疲れ切ってしまって突っ込むのも面倒だ。


「それよりユイさん。お借りしていたペン、返しますね」


 そう言えばそうだった。ユイは余りに疲れてペンを貸していたことも忘れていた。木虎がペンを差し出したので、適当にそれを受け取ろうとした時だった。


「……?」


 何故か木虎はそれを渡そうとせず、ペンを強く握ったままでいた。こっちも少し力を入れてペンを受け取ろうと引っ張たが、中々木虎はそれを離さない。意地悪でもされているのだろうか、そう思ってユイはムスリとした表情で木虎を向くと、彼女は妙に神妙な面持ちをしていた。


「余りにうまく行き過ぎだとは思いませんでしたか?」


「え?」


 呆気に取られてしまった。木虎から不意に告げられたの言葉は余りに意味不明で、だがその問い掛けは喉元に鋭い何かを突きつけるような威圧感があった。


 何故、答えようのない問いかけをしたのか。何故、急にユイを追い詰める様な言葉を掛ける必要があったのか。全く以って理由は分からない。その意図が分からず、言葉に困ったユイは口を開いたまま黙り込んでしまう。


「ユイさんは男であることを難なく偽り、入学できた。それを黙認する友人が現れた。でもそれって本当に上手く言ってのことなんですか?」


 息が詰まる思いだった。その木虎の発言はまるで自分は騙されていて、全て自分を嵌める為に物事が動いているような物言いだった。その認識をすり合わせる様に、ユイは恐る恐る問い掛ける。


「……私が男でありながら女装したことがまずかったって事?」


 そのユイの解答に対する木虎からの回答は早いものだった。


「違います。私が話しているのは、これからの事。それを案じての問い掛け。『運命』は生まれた時から『計画プロット』されている。その中でどう生きようと、変わらない」


 何だ? 彼女は何を言っている。意図の見えない問い掛けにユイは混乱状態に陥っていた。もしかすると運命だとかなんだとか難しい言葉を並べて、実は意味の持たず、からかっているだけなのかもしれない。


「いや、ちょっと何を言っているのか分からないっていうか……」


 ユイはそう告げて木虎の真意を引き出そうとしたが、それは無意味に終わった。木虎は立て続けに意味の分からない事を話す。


「ユイさん、覚えておいて。私達は『運命』の家畜。誰も助からず、いつその首をねられるのか淡々と過ごすだけの存在なんです」


「木虎さん貴方は一体……?」


「その順番ときは……」


 ユイはごくりと生唾を呑む。そして木虎が言葉を続けようとした、その瞬間のことだった。


「いつまでやっとんねん! 嫌がらせかいな!」


 九十九は木虎の頭をひっぱたくと木虎が握るペンをひったくった。木虎は痛そうな素振りを見せてその場にうずくまり、それを見て九十九はため息を吐いた。そうしてからユイへペンを渡して、微笑みながらこう告げた。


「ほな、また明日な!」


「う、うん……!」


 木虎が続けようとした会話は気にはなったが、あまり深く考えないほうが良いのかもしれない。


 しかし、木虎は腹黒いキャラなのか電波的なキャラなのか分からないなぁと、ユイが呑気に考えていた時、握り締めていたペンに違和感を覚えた。見れば何やらペンに小さなメモ紙が巻かれているではないか。


 恐る恐るそれを広げてみると、紙には九十九の連絡先のIDらしき文字と、ある言葉が記されていた。この言葉で、木虎の発言は狂言ではなく、意味が含まれていたことが証明されてしまった。


『お前は何者や?』


「何……これ……?」


 心臓が一段強く脈打つのを感じた。またメモを読んだ瞬間、それはこっちの台詞だと思った。だがそれ以上に、相手が自分の思い当たらない何かを知りたがっている事に、一種の気持ち悪さを覚えた。


 自分の知らない何かが、運命に沿って動き出している。ユイはその意味を問おうとしたものの、彼女たちはユイの目の前から姿を消していた。

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