第3話 かんなぎの子②
――この国の建築物は奇妙な風貌をしている。
無造作に、寂れた家屋を縦方向に高く積んだような建築物が群がって建ち、一つの大きな城の様になっている。
奇妙なところはそれだけでは留まらない。宗教観念が強いだけあって、この建築群の中に、真っ赤な鳥居やら、縄の巻かれた御神木やらが見えて、何とも統一感がない。更に言うと街の風景が少し古ぼけて見える。
これでもこの地は都市部に相当するのだから、妙な話だ。
学校へと続くその道を、ユイと九十九はのろのろと歩いていた。歩の進みが悪いのは、気分が沈み切って遅くなったユイの歩調に九十九が合わせているからだ。
九十九の下の名前は
「私は変態じゃないからね……決して……そんな訳じゃ……」
しかしある事象が分かった以上、何を言ったところで説得力のかけらもない。そう、紐房結衣は男なのだ。女性用の制服を着ようと、女の子らしい容姿をしていたとしても、女の子らしい振る舞いをしていたとしても、彼は男である。そして世の中にはどんなに女の子らしくとも、できる事とできない事がある。
「けどなぁ、うちらが入学するのは共学やのうて女子校やで? いくらアンタが女になりきっとっても代官様が許さへんやろ。なんで男なのに女装して、そんなリスクを冒してまで入学したんや?」
二人がこれから通う学校は大和国で最大の神学専門の学校である。そして巫女を目指す者のみが通える学校、つまりは女性のみしか通えない。それをユイは突っ込まれて、つい口ごもる。
「そ、それは……」
「さては……スケベなことしたかったんか?」
「違うわ! 流石にこんな姿になって、高校生活を捨ててまで、スケベに人生は賭けたくないよ!」
「まぁ、入学する理由も何となく察しはつくんやけどな。ウチのガッコは神学や巫女の養成で有名な学校やから、その勉強のために入学したんとちゃうか? 巫女になれば食いっぱぐれも無しで、将来は安泰やしなぁ」
しかし何故ここまで巫女の存在が優遇されているのか。それは神に仕える巫女は人の命を司ることができ、その中で死人を蘇らさせる『黄泉落とし』と呼ばれる『神事』を行う事ができるからだ。
そしてその神事にかかる費用はバカにならず、一回の費用で立派なお屋敷が一軒建てられてしまう。加えて神事の際に行う儀式は美しくて思わず見とれてしまうものなので、世の女性が巫女になることを憧れない訳がなかった。
「せやけど、女装してまでとはなぁ」
そう言って九十九はあきれ顔をする。しかしどんな態度を取られようとも、女装好きの変態だと思われようとも、こっちにはれっきとした理由がある。男としての何かをかなぐり捨ててまでやらねばならない事があるのだ。
それはユイが五つの歳になった頃であった。残酷な話ではあるが、ユイは男でありながら、父にある事を頼まれた。
「ユイ、頼むから巫女になってくれ!」
それを聞いてユイは目を丸くした。更に土下座しながらむせび泣く父を見て、よりいっそう目を丸くした。当時、ユイは思った。泣きたいのはこっちである、と。しかし事情も事情なので、仕方の無い事だとも思った。
ユイが生まれ育ってきた『紐房神社』はこじんまりとしたものだった。家に神社を持つことは一般的に富裕層にあたるが、規模が小さい上に、丘の上というへんぴな場所に建てられていると言うことは、大した財産はないだろうということがよく分かる。つまりは貧乏なのだ。
「神社にとって巫女が居ないことは神事が出来ないから大問題。そしてうちには巫女を雇う金もない。また、男手が継いだとしても、結局巫女なしの貧乏神社を細々と経営する事になる。……だが、お前が巫女になるなら話は別だ」
父は子に、真顔で大人の事情をぶちまけた。ユイは虚ろな目で父の言葉を聞くしかなかった。確かにユイが幼い頃は、巫女になりたいだなんだと、そんなことを父に言った。しかし成長した今となっては考えられない事で、過去に言ったその言葉を思い出しただけで顔が真っ赤になる。
「し、しかし父上!」
今はあの時とは違うのだ。ユイはもうある事を知っている。だからユイは力強くこう告げた。
「……男は、巫女になれません! なれないんです!」
「成せばなる。成さねばならぬ事がある!」
父は強い言葉でユイを制した。それを聞いたユイはキョトンとしてしまった。理論など全く無視されたその言葉に対して反論する気など起きもしなかった。だがユイは、次の父の言葉で心を動かす事になる。
「今まで子供のころから親の背中を見て学んだ神学の知識、申し分ない容姿、そして驚くべきことに、お前には男だが、とんでもない巫女の『才能』がある。頼む、後生のお願いだ!」
才能。その言葉にユイは昔から弱かった。ユイは自分に自信を持てない気弱な子だ。だからこそ、才能があるだなんだと言われてしまうと、少し舞い上がってしまう。
「わ、わかりました……」
だからユイはついその言葉に押されて、しぶしぶではあるが、巫女になる事を受諾してしまった。そしてそれと同時に、ユイは巫女になると同時、女の道を歩むことになった。
容姿、立ち振る舞い、全てにおいて生活を矯正された。その上で巫女の知識を徹底的に叩き込まれた。それは辛く、苦しい生活だった。唯一の救いは、男性の象徴を去勢する事を免れた事だった。
ユイの性別を偽っていることがばれることはなかった。親戚との連絡の取り合いはなく、近所付き合いも無いので、一切そのことに関して疑われることはなかった。ユイは女性として生活していくうちに、まんざらでもない気持ちが浮かび上がってくるときがあった。それが少しだけ悔しかった。更に言えばこの巫女服が似合ってしまうことが、とても屈辱的な事だった。
そしてある日、彼は父からこんな事を言い渡された。「女子高校に進学してくれ」と。その高校は神学を学ぶための、巫女の道を究めるための学校だった。故に父はこんな無茶なことを言ったのだ。さらには「ユイには才能があるから」と付け加えて。
逆らう気も起きなかった。ユイはため息をついて、「家の……為だしね……」と言って、父の言葉をまた受諾した。これが家の都合に振り回された、ユイの不幸な人生のあらすじである。
「そう、私がこんな姿になってまで入学したのは巫女になるためだよ。実家の小さい神社を守るためにね!」
その一連の流れを聞いている際、九十九は終始キョトンとしていた。そして九十九は死んだ目をしながらこう答えた。
「理由は分かった」
「ほんと!?」
「ユイが一生変態として生きねばならへんことがよう分かった」
「私の気持ちは分かろうとしてくれてない!」
この話を聞いて、同情しようと思うには無理がある。結局、父親の口車に乗せられただけではないか、と九十九は思ってしまう。
「まー、そろそろガッコにも着きそうやし……ほな、また」
そう言って九十九はこの場を立ち去ろうとしたが、ユイはそれを放しはしなかった。
「……待って!」
「何や?」
九十九は、神妙な顔つきをしたユイを、訝しげな表情で見つめる。するとユイの表情は一気に崩れ、今にも泣きだしそうな顔をして九十九にすがりついてきた。
「お願い九十九さん。何でもするから私の事……助けて……」
「んなっ!」
九十九はユイの潤んだ瞳と情に訴えかけてくる表情を見て、思わず顔を赤くする。堪らず九十九はユイから顔を背けてしまった。なんだその小動物みたいな反応は。こいつは本当に男なのだろうかと九十九は思ってしまう。
一方ユイはその九十九の反応が、単純にそっぽを向かれたと勘違いする。なので、逃がさんとばかりに九十九にしがみつき、こう告げた。
「いやだ、待って! せめてこの記憶を消していって!」
「無茶抜かすな! ちゅうか離せこの変態!」
「離さないよ! 何せ私の人生が掛かっているんだからね!」
九十九は必死に抵抗するもののユイも中々離さない。九十九はユイを引きずるようにして無理矢理学校へ向かう。校舎に入り、クラスさえ別れてしまえばこっちのものだと九十九は思っていたが、現実はそう甘くはなかった。
「なんでや!」
学校内の昇降口に掲示されていたクラス表を見るとユイと九十九は同じクラスにいた。
「良かったぁ。これも何かの縁だね」
「良いわけあるかい! 何を能天気なこと言うとるんや!」
そう強く言い放ったとき、見えたユイの目はまた潤んでいた。どうもその顔をされるとやりにくい。九十九はいい加減諦めたのか、頭を掻いてから深いため息をつく。
「はーもう分かった! 助ける! 助けたるからそんな辛気臭い顔すんなや!」
「ほ……本当!? ありがとう九十九さん!」
「あぁ、ほんまや。ユイを見てると、ちと不安になるしなぁ。それと、ウチを呼ぶときは響でええよ。いちいちバカ丁寧に呼ばれるのも嫌やしな」
「うん、わかったよ響!」
しかし、これだけ大胆なことをやってのけて、この頼りない態度。傍から見ている分にはハラハラして仕方がない。
そしてこの、九十九にバレておきながら、まだ何とかなると思い込んでいるユイのすっとぼけた態度が何とも腹立たしい。九十九も他人事ながら胃を痛くした。
九十九はユイをじろじろ眺めてから、「けどまぁ……なんとかなりそうで嫌やな」と言い、不機嫌そうな顔をした。一方でユイはなんてことないような顔をしている。
不安は残るものの、こうして紐房結衣の高校生活が始まることになった。果たしてこの男は無事に巫女になれるのだろうか。
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