第20話 空穿つ天上の眼②

「……東方さん」


 その二人を見つめる東方の瞳には強い意志を感じさせる。人を殺す、真っ直ぐな目をしていた。また、東方は背後からかかる部屋の淡い灯りに照らされて、薄く橙に染まった姿は何処かしっとりとして弱々しく、切なそうに見えた。理由は分からない。ただ何と無く思っただけで、今は関係の無い事だとユイは思い込む。


 すると東方は感情を込めず、淡々とこう告げる。


「二人が木虎さんを生き返らせたい気持ちは分かります。しかし彼女は死にたくて死んだのです。二人がしようとしている事は木虎さんの気持ちを無視する行為ではないのですか?」


 少しだけだがそれは同情する意味を含んだ言葉だった。ただ感情が込められていなかったからか、東方には凄みがあった。つまりこれは二人を丸め込むだけの言葉で、最後の配慮とも言える。つまりは、これ以上逆らえば、この後に二人はどう処理されるか分からなくなることも意味している。


 九十九を見る。涙目で横たわり、ユイに『諦めるべきだ』と視線で伝えている。


 分かっている。分かってはいるのだけれど、ユイは引き下がる訳にはいかなかった。


「ひ、東方さ……」


「何ですか?」


 遮る様に東方に口を挟まれ、ユイは話を切られてしまった。ユイは東方の威圧に押されて、東方に従おうと諦めかけたその時、ユイは木虎の最期の姿を思い出す。そうだ、今のユイは木虎と同じだ。自分の気持ちを言い切れなくて、誰かの思想に身を委ねて、呑まれて終わる。


 ――私は木虎を取り戻すんだ。そして木虎の口から自分の気持ちを言わせるんだ。


 その考えがユイに火を付けた。


 負けるものか。木虎を説得する前に、今ここで東方に呑まれては木虎に示しがつかない。そう強く思い、震え出しそうな足を必死に抑えて、ユイはつま先から頭のてっぺんまで、東方を越えていく意識をした。


 そしてユイは落ち着き払った様子で、真っ直ぐ東方を見据えながらこう告げた。


「話は最後まで聞くものじゃないんですか」


 そう、言ってやった。東方は眉を少し動かし、脅しをかける様にユイを冷たく睨む。それだけでも堪らなく恐ろしかったが、ユイはそこで怖気付いてはだめだと、また口を開く。


「私には木虎さんの気持ちは正確には分かりません。しかし初めから分かろうとしない東方さんの方が間違っているとハッキリ言えます」


 その言葉を受けて、明らかに東方の表情が一変して険しくなった。しかし怖れ、退く訳にはいかない。


 押し通す。この女に好き勝手されるのはもうまっぴらだ。自分が正しいと感じた事を、明らかに相手が間違っていると思っている事を、黙ったままでいる事は、自分自身が嘘になる事に同義だと感じたからだ。


 だから、続ける。


「東方さん……あなたは木虎さんと向き合いましたか? 割り切る事と諦める事を勘違いしていませんか?」


「だから何なんです?」


「東方さんは木虎さんが死に際に何と言ったかご存知ですか?」


 次第にユイの言葉に熱が含まれてきた。一方、東方は次第に俯き、僅かに言葉を荒げ始めた。


「……そんな事は知りません。知りたくも無いから止めて下さい」


「私が木虎さんに、側にいて欲しいって言った時、彼女は悲しい顔をして泣いていたんですよ。東方さんこそちゃんと木虎さんの気持ちを考えているんですか!」


「止めなさいと言っているんです!」


「……っ!」


 流石にこう言われてしまえばユイも東方に気圧されて黙ってしまう。ユイは拍子で息が止まり、そのまま気を失いそうになった。少ししてから、ようやく息を吸う事を忘れていたことに気が付いて、慌てて再び呼吸をし始めた。


 暫く東方は動かなかった。彼女の一挙一動、その全てが張り詰めた空気を演出している。指の動きから何からが意味を持ち、僅かな動きでも震え上がってしまう。沈黙でさえ、もだ。


 すると東方は鋭い目つきでユイを見据え、「……いいでしょう分かりました。十五分間だけ時間を与えます。あの世へのアクセスを許可しましょう」そう言ったのだ。


 これ以上に嬉しい事は無かった。東方に自分の要求が通ったのだ。ユイの表情がそれによって少し緩みかけた最中の事だった。


「ただし」


 東方の強い言葉に遮られて二人は再び固まりつく、「その時間内に戻ろうとしなければ四肢を潰してでも連れ帰ります」そう言われて息を飲んだ。


 東方のその言葉に宿る強い感情は死さえ意識をさせた。それから二人は直ぐに準備をする事になった。


「響、大丈夫?」


「……何とかな」


 九十九はふらふらだったが、何とか立ち上がる。これから二人は阿修羅に接続し、あの世へ向かう。またあの使者達に囲まれ、命のやり取りをしなければならないのだ。あの世の光景を思い出すだけで震えが止まらない。しかし、これは自ら望んだもので、東方から勝ち取った権利だ。木虎を取り返す最後の切符。だからもう怯えている場合じゃない。


「行こう、響」


「……あぁ」


 二人は阿修羅のカプセルの中に入り、腕にケーブルを差込む。


「阿修羅、転送頼むで」


 九十九がそう言うと次第に意識が遠のいていく。希望も恐怖も抱いたまま、感覚が沈む。


 そして、あの死地へと二人は放り投げられた。


 ―—あの世に着いてからの二人の行動は早いものだった。それは東方から与えられた時間が短いのだから仕方の無いことだ。二人は戦いの支度の最中に言葉を交わす事は無かった。ユイと九十九は武器を手に取って、腕との接続を淡々と済ましていく。


「緊張しとるんか?」


 そんな時に、不意に九十九が声を掛けた。


「もちろん……でも響だってそうでしょ?」


「まぁな……」


 九十九は苦笑いで返す。良く見れば九十九は額いっぱいに汗を溜めていた。


 九十九も怖いんだ。失敗すれば木虎を失うだけではない。あの東方の事だ、投獄、それどころかこの隊に居られないかもしれない、更に言えば殺される事だってあり得る。だから失敗する事ができない事を考えると嫌になる。


 しかし時は悩むことを許さない。九十九はもう次の段階の準備を始めている。


「ほな次に構成体への書き込みを始めよか。ユイはまだこの仕事の流れを知らへんよな」


 九十九はコントロールステーション内にある、ディスプレイが付いている装置を操作をし始めた。


「まずこうやってこの『コントロールステーション』であの世に構築して置いた肉体に精神が宿る様に書き込みをする。それが完了するまでがいつもの作戦時間っちゅう事な……ん?」


「どうしたの?」


 九十九が訝しげな顔をしたので問い掛ける。


「……受信拒否? くそっ、アイツ舐めくさっとるな!」


 そう言って受信装置を壊れない程度に蹴った。


 受信拒否。つまり木虎がその様に一方的な態度を取ると言う事は、まだ死にたい理由が十分にあると言う事だ。しかし今は悩んでいる場合では無い、前に進まなくてはならないのだから。ユイは胸の詰まりを押し込んで、平静を装って九十九に話し掛ける。


「でも、こういう時ってどうしたら……」


「ウチも分からん……なんやアイツ、どういうつもりなん? こちとら時間が無いっちゅうのにっ……」


 しかしこうしている間に時間は過ぎてゆく、あの悪魔の様な女が二人を狩りに来るのだ。ただ、実際恐ろしいのはそれだけでは無い。二人は基本的な事を忘れている。しかし二人は否が応でも思い出す。東方の存在によって忘れ去っていた、この世界に置ける恐怖の源を、身を以って思い出す。


 そして、ついにユイは気が付いた。


「ひ、響っ……使者だ! しかも……あれはこの前の……」


 そう。東方が相手をして居たもの同じ、鴉の使者が遠目に見えたのだ。ただ幸い大きさは前より一回り程小さい。ただし小さいと言っても、背の高さはユイの倍くらいはありそうだ。


「クソッ、こんな時に!」


 九十九は舌打ちをすると、「ユイ、一度こっちはお預けや。アレを先に倒さなアカン」そして銃を腰から抜いた。


「行くで!」


「……う、うん!」


 二人は鴉型の使者へ向かって走り出した。しかしそう返事したものの、恐ろしいものは恐ろしい。東方だってアレを倒すのにエーテルを何発も使ったのだ、ユイと九十九ではどれだけ時間とエーテルを消費する事になるか皆目付かない。引き返してしまいたい、しかしその感情を押さえ込んで、ついに対峙する。


「……こいつやな」


 改めて見て、最悪だと思った。その容姿の気味の悪い事と言ったら無かった。そして、そうしてよりにもよってこいつが来てしまったのかとも思った。他に人型の小さな使者が居ないだけマシなどと言う思想は浮かばなかった。それだけこいつは脅威であると誰が見ても分かる。ユイの身体は芯から冷えていて、引き返したくて仕方が無くて、いざ的の前に対峙すると、ユイは凍りついた様に動かなくなっていた。


 しかしこのままじっとしている訳にもいかない。九十九は銃を使者へ向けて構え、撃つ。するとそれは使者の首元に当たって、少しだけ煙が出て、すぐ消えた。それは全く効いておらず、まるで小石でもあたったかのようだった。


「こなくそがっ!」


 そう言って九十九は何度も何度も撃つのだがこれまた同じでびくともしない。しかも最悪な事に、使者はいい加減腹が立ったのかこっちを向いて、尻尾を振り上げた。

まずいと思った次の瞬間、突風が吹いた。辺りの建屋を薙ぎ倒し、その建屋の破片が舞って、それらがユイ達を襲う。


 しばらくは砂埃で前が見えなかったが、それがおさまってから使者を見ると、辺りの建屋がきれいさっぱり無くなってしまっていた。


 開いた口が塞がらなかった。こんなもの出鱈目だ。こんなものと東方はマトモにやりあっていたのかと思うと乾いた笑いが出てしまう。


 手が出せない。九十九がどうにも対処できないのだからユイはなおさらどうしようもないと思っていた。しかし、実際には二人とも対抗策は心得ている。


「東方さんの様に敵の腹に飛び込めば……」


 ユイは呟く。そう、ユイが初陣で見た東方の様に、使者の腹に飛び込んで刀を振り回せば倒せるのだ。しかし、今こんな力の差を見せつけられてしまうと、すくんで動けない。九十九だってそうだ。分かってはいても、あの自殺行為に近い方法など取れる程、度胸も覚悟も無かった。


「くそっ、時間もあらへんのに!」


「……へ?」


 九十九の何気無い独り言がユイの頭を強く揺さぶった。見れば東方が指定した時間まであと五分、リミットはもう僅かになっているではないか。このままでは木虎を助け出す事が失敗になる。東方に逆らってまでここまで来たのに、それが水泡に帰すなどユイには耐えられなかった。


 ふと思う。


 良いのだろうか。いつまでもいつまでも九十九の背中を眺め、九十九が無理だから諦めるのは。人に責任を押し付け続けるのは。


 良いのだろうか。諦めるのは、仕方ないと決めつける事は。


 当然、自分が初めての経験だからって、無能だからって、何だって言い訳はできる。けれど誰かから、無能のお前はできないに決まっていると、そう言い続けられる事は、もう嫌なのだ。


 もう自分を負かせ続ける事はうんざりなんだ。もう自分に無能と言い聞かせるのは耐えられないんだ。私が諦めて、誰かに諦められてしまう事は何より嫌だから。だから、勝つ為の幕を開ける。


「やるしかない……」


 そうだ、何を恐れているんだ。


 何の為に私はここにいるんだ。


 何の為に私はここに来たいと思ったんだ。


「木虎さんの……為だ……!」


 ユイは刀を握り締め、使者へ向かって突撃した。

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