第19話 空穿つ天上の眼①

 ―—深夜二時。場所は東方神社。皆が寝静まったその時間に二人は動きだした。


「……本当に大丈夫なの?」


「ええから黙って付いて来ィ」


 木虎を蘇らせるにはその器となる肉体が必要だ。よって、先ずはそれを手に入れなくてはならない。通常、隊員は亡くなった場合、外部からの監査を避ける為に東方神社の遺体安置所に保管される決まりになっている。よって二人は東方にばれない様にこの暗がりの中、木虎の身体を探しに遺体安置所まで向かっていた。


「く、暗い……夜の木造建築はどうしてこう……ヒィッ!」


 木造の床が派手に軋んだので、ユイは堪らず声を上げてしまった。


「……ふ、ふざけんなぁっ!」


 床に対して怒りをぶつけるユイを見て、九十九は呆れ顔をする。


「アホやってる場合とちゃうぞ? ほな、行くで」


 九十九はそう言って、真面目な表情をしてからまた歩を進め出した。廊下は非常に長く、その途中にいくつもの扉が並んでいる。


 そしてしばらく歩いてから、九十九はある扉の前で立ち止まると、「一度ここに入る」そう言って扉を開いて中へ入って行った。


 部屋は随分と狭く、そこには無数の金属製の背の高いロッカーが整列して並んでいた。また暗がりの中で機械の唸る様な音や、カチカチと何かを叩くような音が響いていて居心地が悪い。


「ここはサーバの中継器とかがある部屋。因みに遺体安置場は目と鼻の先や。そしてこっからセキュリティが厳しくなる。遺体安置場は元々入れる人間が限られとるからな」


 九十九は、あったあったと言って、あるロッカーの扉を開く。その中にはケーブルやら基盤やらが詰まっていて、様々な色の粒の様な光が点滅していた。


「これからどうするの?」


「ぶっちゃけるとな、木虎を生き返らせるには咎められる前提なんやっと……おっ、ここにおったか。つまりは……」


 そう言って九十九はケーブルを取り出した。それを腕と装置の端子穴同士を接続する。


「勿体無いけど、こういう事や」


 すると九十九の機械義手から乾いた音がして、薬莢が飛び出し、煙が上がった。どうやらエーテルを使用したらしい。


「サイコアクチュエータを起動させて、遺体安置場のサーバにアクセスしとる。元々組んでおいたプログラムをサーバに走らせた。多分まぁここの扉を開ける位なら……んっ!」


 すると九十九の表情が急変する。九十九の額から汗が噴き出し始め、引きつった顔をしたまま目が見開いていた。慌てて九十九はコードを掴んだその時、九十九の腕から何かが弾ける様な鈍い音がして、九十九は気を失ってその場に崩れ落ちる。ユイは直ぐに九十九の身体を支え、焦りながら大丈夫かと何度も身体を揺らした。すると九十九は辛そうな表情をしながらも、目を薄く開いたのでホッとする。


「響っ! 良かったっ!」


「……へ、へーきやし、腕の遮断器が落ちただけやから問題あらへん」


「保護機構ってこんな時にも役に立っているんだ」


「せや。この腕は、系統からの絶縁による保護の考えが大切にされとる。第一世代では、過電流が流れて『脳を焼かれる』事が増えたから今はスペックを落としてもこっち側を採用しとる……って、それよりはよ逃げんと」


 そう言って九十九はケーブルを引き抜いて直ぐに立ち上がる。


「ちゅうか何やアイツ! 四六時中サーバに接続しとるとかアホちゃう?」


「一体何があったの?」


「東方やっ!」


「……え?」


「ウチの侵入に対して既にメインサーバに接続していた東方が攻撃してきたんや。こんなん普通ならAIとかに張らせとくんやけどな」


「じゃあ東方さんがここに来る?」


「あぁ、もたくさしとると捕まる! こっからずらかるで!」


「わ、分かった!」


 二人は部屋を抜け出し、廊下の深い闇を突き進む。しばらくしてから出口の様なものが見え、そこから薄明かりが見えた。そこを抜けると、突然二人の目の前に木像で朱塗りの細い橋が見え、その先には巨大な円柱状の建物が見えた。


 そこは外に出たのではないかと錯覚するほどに、異様にに広い空間であった。ここは東方の施設の中心部になるものらしく、円柱状の建物からは放射状に何本も橋が出ている。また橋から下の景色を覗いても底が見えない。落ちればまず助からないだろう。さらにその建物の周りにはケーブルが這っていて、それは宗教的な意味を持ちながら電気的な装飾が施された奇妙なものであった。


「す……ごっ……」


 目の前に広がる光景にユイは凄んでいると、「ぼさっとすな」九十九はもう橋を渡り始めていた。ユイは慌てて付いて行き、橋を二人は渡り切ると、九十九は建物の入り口の横にある端末に駆け寄る。そして九十九はカードをさし込んだ。それは東方神社に勤めている皆に配布されているものだ。するとそれが認証されたのか、電子音がしてから扉が開く。


「本当は認証されへんのやけど、やる事はさっきやっといたからなぁ」


 九十九は得意げな顔をしてカードをちらつかせる。その仕草が腹立つなぁと突っ込みたかったがそれをぐっと堪える。今はそれどころではない。


 そして円柱状の建物の内部に入る。内部はそのまま建物の内部をくり抜いてそのまま造った様な構造で、壁際に沿ってアーチ状に足場があり、中央は空洞になっている。まるで竹筒の中にいる気持になる。


 また内部は薄暗く、無数の何かが壁で橙色に発光している。これらは何だろうかと、ユイはよく目を凝らすと、それは液体が充填されたガラス製のカプセルで、その中には人の体があった。


「……ひぃっ!」


 ユイは堪らず声を上げる。何だこの空間は、と思っていると九十九がこう告げた。


「ここが安置所や。仏さんになりおった肉体をこうして保管し、場合によっては魂を取り戻しにうちらがあの世へ向かう。ここにおるのは予約待ちや入金待ち、はたまたただ単に残さなければならない理由があってここにいるか、そう言う奴らや」


「じゃあ、ここにあるのは全て遺体……」


 ユイが想像していた安置所とは大きく異なっていて、こう言っては失礼だが、この光景の壮絶さに気分が悪くなる。とにかく早くここを出たいと思い、「じゃあ次は木虎さんを探さなきゃ」と九十九に話を振る。


「その必要はあらへんよ」


 すると無数のカプセルのうちの一つが壁から内側に向かってせり上がり始めた。その中には見覚えのある少女がいる。


「木虎さん!」


 それを見間違う筈がない、また身体は若干傷が付いてはいるが派手に損傷していないようで安心する。ユイはほっとして、胸を撫で下ろすと、何やら不穏な音がする。どうやらそれは建物の中央からで、低く唸るような音が次第に近づいて来ている。ユイは身構えていると、下側からコンテナの様なものが昇ってきた。


「な、何これ?」


「昇降機や。これで阿修羅の場所まで降りるで。ちなみこれもさっきやっといたんや」


 流石だなとユイは感心する。ここまで手際良く事を運べたのは九十九の手腕があっての事だろう。これであの東方を出し抜いてやったぞと、思ったその時、ふとユイの頭に何かが浮かんで、ついこんな言葉を漏らした。


「……何かが変じゃないか?」


 冷静になれば東方はここのトップの人間、ユイや九十九の数十段も格上の人間だ。その人間が二人の行動をここまで許し、ましてや撒かれるなどあり得るだろうか。


 そう考えていたその時、九十九はもう昇降機に乗り込もうとしていて、同時に嫌な汗が吹き出して、「響、ちょっと待って!」ユイは思わずそう叫んでいた。


「ど、どないしたん?」


 しかしもう手遅れで、扉は開き始めていた。何かを感じるんだ。その奥に何かがいると、何かが起こる気がすると本能がそう告げているんだ。そして、扉が完全に開かれたとき、ユイは目を見開いたまま呆然とした。


「……あれ?」


 何もそこにはいなかった。


「何や血相変えて、びっくりしたやないか。ホラ、早うせんかい」


 九十九は何も気にせず昇降機の中に入っていく。その様子からして本当に何も居ない様だ。改めると考え過ぎだったかもしれない。何かがいると言う方が本来ならおかしいのだ。考え過ぎか。ユイはそう考えてから昇降機の中に入る。


 本当に何もいない。あんなに慌てていた自分の事を思い返すと本当に恥ずかしい。九十九は地下へ向かう様に昇降機のパネルに数字を入力すると扉が閉まり、昇降機が動き始めた。


「ホンマびっくりしたでー、ユイが急に焦りだしたからウチがヘマしたかと思ったやん」


「いやぁ……ごめんごめん」


 ユイは恥ずかしそうに頬を少し赤らめる。


 そうしてから一息着くと、「でも惜しかったでユイ」不意に九十九がそんな事を言い出した。


「……へ?」


 だから、ユイの口からは間抜けな声が思わず漏れてしまった。そして急に全身が熱をもって、汗が肌から滲み出して、急に頭の中を焦りが支配し始めた。


 待て、待ってくれ。何が惜しかったんだ。何がでもなんだ。その意味を聞きたくて、問い正したくて、「そ、それはどういう意味?」堪らずユイは九十九に問い掛けた。


「ん? いやいや、深い意味なんてあらへんよ」


 その表情も、口調も、全て普段通りの九十九だった。だからこそ、そんな素振りをされてしまっては、何もかもが信じられなくなってしまう。根拠は無いが、ユイは直感的に九十九は何かを演じていると感じ取ってしまった。人を嘲る様に何故か感じてしまった。よってユイは、この場の空気に耐えられず、こんな言葉を九十九に掛けた。


「……嘘、つかないでよ」


 その言葉の後に静寂があった。ただ昇降機が動く音だけが響く。その間、二人は見つめ合っていた。そして何故だろうか、その時に見えた九十九の瞳に感情が見当たらなかった。


 すると九十九は一度溜め息を付いてから、こんな事を言い出した。


「なぁユイ、『始めは処女の如く後は脱兎の如し』、知っとるか?」


 ユイは、胸が一段と高鳴ったのが分かった。


 この感覚、今でも覚えている。


 あの女と同じだ。


 身勝手な問いかけ、中々見抜けない演技、全ての雰囲気が、あの女、東方と同じなのだ。ユイは息を飲み、「……いや」と答える。


「なら教えたるわ。おとなしく振舞ってみせて敵を油断させ、後に素早く動いて防御する暇さえ与えない兵法や」


 九十九の様子はおかしいものの、表情はマトモな、いつも通りの顔をしている。学校でユイに声を掛ける様に、気兼ねない様子でだ。それが余計に恐ろしくて、冷や汗が止まらない。


「何さ急に。それが……どうかしたの?」


 ユイは冷静さを装って答える。だが実際、頭の中は不安で一杯で、九十九からはこの会話が全て冗談だと、説明して欲しくて堪らなかった。


 しかし、次の言葉で全て裏切られた。


「東方はそのやり方が堪らなく好なんやて」


 何故その女の名前が出てくるのだろうか。いや、答えは一つしかないだろう。まだ信じたくないと思いながらも、九十九を見据えて、叫ぶ。


「響……アンタはっ!」


 すると九十九は自身の頭に指を向けると、とんでもない事を言い出した。


「そう……今もウチに語りかけるんや」


 今も? それはつまり響は東方と今も連絡を取っていると言う事か?


 すると更に九十九は、ユイの心に、絶望を厚く塗り始めた。僅かに感じていた狂気が、ついにユイに牙を向け始めた。


「春の日は嫌いや。餌撒きは嫌いや。追い詰めて、狩り殺すのは大好きや」


 何だろうか、その語りは。


「ユイ、もうちょっとや、もうちょいやったんや」


 何だろうか、その口振りは。


「ウチがユイを昇降機に入れるその前、ユイは気付いとったんや。そう、もう少しで……」


 もう止めてくれ。


 それでは、まるで響が、「お前さんはウチを出し抜けたんや」私を誘い出したみたいじゃないか。


「ひび……き?」


 答えは出た。九十九はユイを騙していた。九十九は東方側の人間だったのだ。そう思ったその時に、ユイの頭にある疑念が走り抜ける。


「……待てよ」


 そうだ、今までの流れで説明がうまくつかない点がいくつかある。東方と繋がっているならば、サーバに接続した時にエーテルを使用して、わざわざ遮断器が落ちるまで演出する必要はあったのか? それどころか、ユイを追い詰める為だけなら、九十九がユイに木虎を助けようと手を差し伸べたあの時のやり取りすら必要無いのではないか?


 頭の中で整理がつかない。


 ユイが色々と考えていた時だ、一瞬、九十九は目を大きく見開き、慌てた様な顔をしてから、早口で、すがる様にユイに話し始めた。


「いやいやいや、待てやっ……! 何を言っとるんやウチは……せ、せやユイお願いがある! ウ、ウチの首を絞めてくれへんか……? そうすれば全て解決や、そうやろ!」


 訳が分からない。九十九は狂っている。いや壊れているのかもしれない。良く見れば目の焦点が合っていないではないか。


「響……ちょっとおかしいぞ! 一体どうしたんだよ!」


「な、なんや、やらへんのか? ならええわ、ウチが自分でやったる」


「へ……?」


 すると九十九は躊躇せず、自身の首を思い切り絞め始めた。


「あぁぁぁぁっ!」


 何が起きているのか全く理解できない。ただ九十九の苦しみの声が部屋に響く。


 このままではまずい、「バカっ! 何やってんだ!」そう言ってユイは咄嗟にそれを止めようとすると、ある事に気が付いた。


 良く見れば、九十九の腕に知らない間に、ケーブルが差さっているではないか。

そしてそれは昇降機のパネルと接続されている。


「それかっ!」


 ユイは勢い良く引き抜くと、また九十九の腕の遮断器が落ち、室内に鈍い音が響き渡る。ようやくケーブルからの支配から解放された九十九は、直ぐに手を首から離してその場に倒れ込んだ。


「ひぃーっ……ひぃーっ……あ、あぁっ……」


「クソッ、これで響を操っていたのか。じゃあさっきサーバに侵入した時にはもう響はここまで行動する様にプログラムされていたって事に…………東方っ!」


 ユイは恨めしそうにパネルにある端子穴を睨め付け、それを殴りつけた。だがこれだけで問題の本質が解決した訳では無い。まだ大きな問題がある事をユイは思い出す。


「じゃあここまでは……東方の術中だっ!」


 しかし気付いた頃にはもう遅く、昇降機は目的地に着いていて、もう扉は開き始めていた。


「バレないと思っているんですか?」


 その声を聞いて心臓が潰れるかと思った。その扉の向こうには、傍に片耳の兎を携えた、美しく背の高い、そして大人しそうな女性が立っていた。

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