第46話 迷える羊たちは沈黙する①

「ヤナ天気だなー……」


 この世での刻は零時きっかり。猿飛はあの世に到着して直ぐにこんな言葉を漏らした。


 猿飛は周囲に聞こえない位で呟いたつもりだったが、それは皆の耳に届いていた。暗闇の雪景色。微かな雑音は雪に閉じ込められて、無駄な音は一切遮断されている。だからこそなのか、普段よりも皆の神経は過敏になっている。おかげで人の言葉は、よく耳に入った。


 皆の表情が微かに曇ったのが見えて、士気を下げる失言だったかと猿飛は反省する。


 猿飛は舞い散る粉雪を天を仰ぐように眺めながら、今度はため息にならない程度に、ふぅと一息ついた。すると一筋の白い煙が小さく立って、直ぐに儚く消える。そんなちょっとしたこととさえも、猿飛にはイヤに感じた。


 あの世は四季はある。ただそれは余りに不規則で、現実が春なのにあの世は冬だったり、夏になったりさえする。


 だからと言って不満を言う訳では無いのだが、あの世とこの世で季節にズレがあっては、面食らったような気分になる。少なくとも体調に良い影響を与えるとは思えない。


 ましてや、よりにもよって重大な任務を遂行する時にこんな調子では、猿飛としても面白くは無かった。


 今回は猿飛にとって完璧な布陣を築いたつもりだ。だからこそ、自分が積み上げた成功率のパーセンテージをつまらない出来事で下げられたくはない。


戦闘制御第一部隊 リーダー 猿飛さるとびみこと

戦闘制御第一部隊 主任 横須賀よこすか姫乃ひめの

戦闘制御第二部隊 リーダー 木虎きとらりん

戦闘制御第二部隊 主任兼技術支援 九十九つくもひびき

戦闘制御第二部隊 紐房ひもふさ結衣ゆい

調整班 制御グループ 主任 海野うみの美幸みゆき

調整班 制御グループ 主任 山里やまざと幸村ゆきむら

調整班 制御グループ 豊田とよだ玉姫たまひめ


 今回はコントロールセンター更新にあたって調整班のメンバーが付く。彼女等は簡単に言うならば、古い装置から新しい装置へ移行するにあたってのセットアップ作業を行う、非戦闘員だ。


 そして、コントロールセンターはこの世からの指令を受けて、あの世の構成体を動作させるにあたっての中継変換装置ゲートウェイにあたる。ただそれも単純に指令を通しているだけでなく内部で複雑な処理を行った上で指令を出力するので、更新にも手間がかかる。早く終わればよいのだが、一台約一時間半、掛ける事八台プラス増強分の四台、合計で十八時間。更にその後の運転調整が長引いたり、不具合など重なればそれ以上かかり、下手をすれば地獄の様な作業になる。


 よって猿飛は作業時間の短縮を意識して調整班を多めに投入している。その代わりに戦闘員にかかる負担は大きい。そして八雲は、このメンバーから外れている分、戦力的に物足りなさを感じてしまう。頭の中にモヤが残るが、猿飛は意識しないようにした。


「とりあえず、私達は作業始めちゃうけどいいのかしら?」


 黒髪おさげで、赤ふちのメガネをかけた巫女が猿飛に問い掛ける。彼女は海野うみの美幸みゆき。性格は物腰穏やか。記憶力に長け、自分が今までに調整を手掛けたシステムだけでなく、他人が手掛けたシステムも暇を見つけては読み解いている。発生した不具合、その原因、対策全てが頭の中に詰まっていて、生き字引の様な存在として重宝されている。


「え、えぇ、海野さん。頼んますわぁー……」


「オイオイ、猿飛お前テンパってんじゃねーのか? らしくねぇな」


 今度は短めの詰まって茶髪の巫女が猿飛に話し掛ける。彼女は山里やまざと幸村ゆきむら。性格は快活で、それもあってか口調も男勝りな所がある。マシンの知見が深く、加えて想像力と発想に優れている。トラブルが発生しても自前の知識とアレンジ力でなんでも解決してしまう、調整員の守り神的存在である。


「うっせー。ヤマちゃんは黙っとけー」


 そして山里は猿飛の同級生だ。補足すると海野はさらに一つ上の先輩にあたる。猿飛と山里は特に仲が良く、現場で何度も仕事を共にし、固い信頼関係で結ばれている。猿飛は山里にぶっきらぼうに答えたが、口元は悪戯気に笑んでいた。


 そんな様子を見た調整班の中で、ただ一人面白くなさそうな表情をした人物がいた。一番背が小さく、やや短めの黒髪で少年の様な容姿をした彼女は豊田とよだ玉姫たまひめ。ちなみに横須賀と同い年である。豊田はその場でぶすりとした表情をして腕を組んでいる。


「ホラ、たまちゃん行くわよ?」


「……行きませんよ」


 そんな事を豊田は生意気にも言い放った。海野が優しく手を差し伸べても、豊田は一向に動こうとしない。足に根が生えた様に立ち止まっている。


「ど、どうしたの玉ちゃん?」


「こんな仕事、納得できないですよ! 今回は海野さんと山里さんがいるからいいけど、この二人が居なかったらこんなテキトーな指示でこんなおっきい仕事は務まんねーですよ!」


「コラコラ、ダメよ玉ちゃん。先輩に向かって利く言葉じゃありませんよ?」


「だって……だって……!」


 まるでその態度は駄々っ子の様だった。それを見かねた山里は厳しい言葉を豊田に告げる。


「だってもクソもねぇよ。テメーみてぇな下っ端がグダグダ抜かすな。ほら見ろ、姫乃はちゃんと言う事を聞いているぜ?」


「ぬ……ぐっ!」


「ホレ、行くぞ玉坊」


 そう告げて山里はひょいと豊田を持ち上げて、肩にのっけて担いでいく。運ばれていく豊田の後ろ姿は悲しいもので、父親に咎めを受けた子供の様であった。海野はその傍に寄り添って猿飛に手をひらひらと振ってコントロールセンターへと向かって行った。


「……おぼえてろぉぉぉぉぉお!」


 その豊田の言葉も、何だか情けなさを覚えてしまう。それを見て猿飛は思わずため息を吐いた。國弘には腕の立つメンバーと、今後技術を継承するべき人を選抜するように依頼したが、これでは豊田と呼ばれる奴の子守で手一杯だろう。仕事に影響が出ないか、ハラハラしてしまう。


 そして不安要素はそれだけではない、戦闘制御第二部隊の面々もどこか関係がギスギスしているように見える。特にユイと木虎の様子が傍から見ていても変だ。


「さ、寒いねぇ、リン」


「…………」


 しかしその言葉を木虎は一切受け付けず、そっぽを向いたままで居る。これも一度や二度であればいいのだが、もう五、六回呼びかけても同じ態度を木虎は取る。その態度にユイもいい加減しびれを切らし、木虎の肩を掴むと、面と向かって力強くこう告げた。


「ねぇ、何なのさ。さっきっから私の事を無視して……!」


「……ユイさんは不潔です。話し掛けないで下さい」


 ユイは木虎の言葉で一蹴され、ユイはしばしの間、その場で固まってしまっていた。それは余りに理不尽な態度だったので、思わずユイも釣られて悪態をついてしまう。


「何さ、その態度……もしかして八雲さんと私との間に起きた事を気にしてるの?」


 ユイは無警戒にも思いついたことを口にする。木虎からすれば躊躇いもせず、核心に迫る言葉を吐き捨てる様にも見えた。その言葉が余りに無遠慮思えて、木虎は怒りで一気に顔を赤くし、急にムキになってこう答える。


「気にしていない訳ないじゃないですか! みんな心配していたんですよ?」


「八雲さんが心配なのは分かるし、実際に事は起きたけどさっ……!」


 ユイの回答は少しずれていて、あたかも木虎が八雲の状況を案じている様に話すのだ。木虎からすればその言い回しを後からされることは、騙されて、自分の想いを引き出されたような気さえして、わざとではないと分かっていても腹立たしくて仕方がなかった。


「ユイは何も分かってない! 八雲さんなんかどうでもよくて……ユイを心配しているのがどうして分からないの?」


「わ、私……? ど、どうして私なんかが?」


「そんなことを平気で口にするから話し掛けないでって言っているんです!」


「よく分からないな。私は八雲さんの力になろうとして必死だったんだよ? それで怒られる筋合いなんて、無いと思うけど!」


 それはちょっとした言葉のズレが原因だった。ユイからすればそんなことを口にするのは当然かもしれないが、ユイの事を思う木虎からすれば八雲に嫉妬しユイに対して怒るのは当然で、そしてユイの言葉は木虎にとって冷たすぎた。


 木虎は息が出来なくなるような気さえした。自分の想いの届かなさに、自分の存在の意味の無さを感じてしまう。そうして何故か目頭が自然と熱くなってきて、喉元から想いがこみあげてきて、気が付けばユイに向かって感情を正面からぶつけていた。


「ユイさんなんて……もう知りません!」


 その後しばらく静寂があって、木虎は振り返ってからそのまま、しんしんと降る粉雪の中を駆けて消えていった。ユイはその場に立ち尽くしたままで、ただそれを見詰めている事しか出来なかった。そして九十九は無表情でそれ見つめている。


 皆の調子の悪さと言うのか、噛み合わなさと言うのか、余りに酷いコンデションである。猿飛は焦りを感じ始めていた。こんな事は生まれて初めて経験することだった。それも自分が初めて挑戦する大仕事に限ってこんな事になるとは思いもしなかった。


 猿飛は心のどこかで、何とかなると考え、おごっていた。そしてそれは大いに甘く、そして最悪の事態を招きつつある。


 それでも猿飛は、「各位、配置に付けー。このまま始めるぞー……」いつもの調子で声を掛ける事しか出来なかった。馴れ合いを許したまま、仕事を続行しようとしている。


 きっと東方には笑われるだろう。ただ、それでも何とかしなければならない。そして、『まだなんとかなる』。そんな自分にとって都合の良い言葉が頭をよぎり、何度もそれを自己暗示の様に猿飛は言い聞かせた。


「……みことちゃん」


 そんな時、傍らで不安そうに猿飛を見詰める横須賀の姿があった。ただ、そんな気持ちを振り払うためにも猿飛は笑顔を返して見せる。


「姫乃……大丈夫さー。安心しろってー」


 ただ、その笑顔も余裕は無く、猿飛は額一杯に汗を溜めていた。これだけ寒い環境下ではなり得ない姿だった。横須賀はそれに察し、ただならぬ猿飛の様子を感じ取っていたが、横須賀も気を遣って無理に笑って見せた。


 もう、やるしかない。


 ただ、隣に八雲が居たらどんなことを言っただろうか。費用が少しかかっても日を改めた方が良いとか、無茶ながらも大局を見た判断を下すのだろうか。ただ今となっては分からない。


 しかし、もう踏み出した足は戻すこともできず、隊員達はこの長い長い時を、駆けてく事になった。

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