第28話 ユイの秘め事①

 ―—あぁ、本当に腹が立つ。


 ここは神学を学ぶための高等学校。そのある教室で、ある女が机の上に突っ伏しながら、窓の外の景色を眺めて深いため息を吐いた。彼女の名前は木虎きとらりん。透き通るような白い肌をしていて、サラサラとした長い黒髪を持ち、体つきは小さくて幼く見える。まるで精巧に作られた人形の様な容姿をした少女である。


 木虎は高所からの落下事件(詳細は前章の内容につき割愛する)が原因で数日前まで入院しており、今日は退院してからの初めての登校日だった。本当であれば喜ばしい事なのだが、木虎は何故か一日ずうっと机に突っ伏したままでいた。


「何や、相変わらず辛気臭い顔しくさって。今日は一日そんな感じやん。どないしたん?」


 急に木虎の傍へ、西の訛りを喋る黒髪ショートの女がやって来て絡んできた。彼女の名前は九十九つくもひびき。九十九は木虎と同じく、宗教団体『東方』の戦闘巫女集団に所属している。


 また、『東方』が請け負う仕事内容は、あの世と精神を接続させる装置を使用して死者の魂を奪い取り、人を生き返らせるものだ。また、あの世には巫女達に襲い掛かる使者達が居る為、仕事には常に死の危険が付きまとう。


 二人は長年共に数多くの死線を潜り抜けてきた仲だ。だからこそ九十九は分かってしまう。九十九は直感的に木虎が何か隠している事を感じ取っていた。


「……何でもないですよ」


 そう呟いてから木虎は九十九から目を逸らして、頬を膨らませながら不機嫌そうな態度を取った。それだけなら変ではないのだが、頬が少し赤い。そして変なのは今この瞬間だけではない、何故か木虎は一日中挙動不審なのだ。九十九にも原因ははっきりと分からなかったが、九十九はふとあることに気が付いて、茶化すようにこう言った。


「せや、今日はやけにユイを木虎は見とったな。何や、まさか病室でユイと木虎が二人きりになった時に何かあったんかぁ? まぁ、何もあらへんよなぁ」


 ユイとは同じく『東方』に所属する、紐房ひもふさ結衣ゆいのことである。さらさらとした暖色の髪を持ち、華奢な体つきをしており、彼の容姿は紛れもなく女性の様 。だが男だ。ユイは幼少の頃から巫女になるべく教育を受け、身も心も女性に染められた悲しいカルマを背負っている。


 そんなユイの事など、どうせ興味もないだろうと思いつつ、九十九は面白半分で木虎をからかった。しかし対する反応は意外なもので、木虎はガラにもなく顔を真っ赤にさせて九十九から目を逸らした。


「……な、何のことでしょう?」


 ―—コイツ、何かあったな。


 九十九はそう、確信してしまった。このクソ真面目な木虎に限って色恋沙汰など有り得ないと思っていたが、この様子を見てしまうとまんざらでもないらしい。つまりは、木虎はユイに想いを寄せている。


 そして九十九は木虎が今まで憂鬱そうだった訳を、何となく察してしまった。木虎が想いを寄せているユイが、木虎に対して特別何か反応を示していないことを九十九は普段の生活で知っている。こうなればユイと九十九が木虎のお見舞いに行った際に、何かがあったに違いない。しかし、その後ユイが何もその素振りを見せないと言うことは、ユイが木虎の気持ちを断ったのか、若しくはユイがその気持ちに気が付かないままでいるのかのどちらかだ。だが恐らくは後者であろう。


 つまりはユイが木虎の気持ちに応えていない……と言うよりも気が付いていない可能性が大である。昨日も今日も、ユイは相変わらずマイペースに過ごしていて特に変わった様子がない。加えてユイは男女の関係について少しズレたところがある。女として生きることを定められたユイは、女性に対して友人のように接する。つまりは、告白同然の言葉でさえ恥ずかし気もなく、平然と言ってのけたりする。


 東方とユイが戦闘している際も、よくよく考えたら顔から火が吹き出そうな台詞を木虎に連呼していた。ユイは天然たらしと化しており、それを受けた真面目で純情な木虎が真に受けない筈がなかった。


 九十九は哀れむような、呆れた様な顔をしてため息を吐いた。九十九はこの原因の張本人さんへ目をやる。どうせその人物は何も考えていないだろうなと九十九は思っていると、彼は知らぬ間に九十九の隣に立っていて、顔を赤らめながらこんな事を言うのであった。


「響……ちょっといい?」


 何やらユイは神妙な様子で、いつもと様子がおかしい。その違和感に気が付いて、九十九も思わず動揺してしまう。


「な……どないしたん?」


「後で体育館裏に来てほしいんだ。九十九にしか……言えない事があって……」


 まさかユイがそんな言葉を今ここで、しかも九十九に対して告げられるとは思いもしなかった。ユイの言動はまるで九十九に気があるようなものだった。二人きりになって話す内容など、大抵は決まっているものだ。


 だが九十九は、木虎がユイに気があることに気が付いている。それを知っておきながら、九十九はこの要求を受ける気は起きなかった。木虎からどんな恨みを買うか分かったものではない。だがそう考えた時にはもう遅い、木虎が凄い形相で九十九を見詰めている。


「行けばいいんじゃないですか?」


 無意識のうちに、九十九の額から汗が噴き出てきた。なぜそんな態度を取るのだろうか。いや、原因は分かってはいるが九十九にはこの状況はどうしようもなかった。そもそも、ユイの言葉の真意も確かめもせず、九十九に敵意を向けるのは間違っているような気もするが、それだけ木虎の想いは強いのだろう。余計にため息が出る。


「いやーウチもちょっとこの後は行けるか怪しいかもしれへんなぁー……」


 九十九はこうして上手くユイの誘いをかいくぐろうとしたが、木虎は意地っ張りで、九十九を睨め付けて、こう言い放った。


「行けばいいじゃないですか!」


「な、何を怒ってるのさ、リンは」


「私を名前で呼んでおきながら……! いいですよ、私には関係の無い事なんでしょう? そうなんでしょう!」


 ユイよ、話をややこしくしないでくれと、九十九は心の中で思った。また、涙目でムキになっている木虎を見ると、九十九はいたたまれない気持ちになった。しかしこうなったらもうユイの話を聞くしかない。九十九は仕方なくユイの指示通り体育館裏に向かう事になった。


「……ほんで、何の用や? わざわざ人気のない所に呼び出して」


 場所は移って人気の無い体育館裏。二人は向き合って立ち尽くしている。ユイは顔を真っ赤にさせたままで、九十九はどうにも調子が悪いと思った。


 更に、よく遠くを見れば、物影に隠れて木虎がじいっとこちらを見ているではないか。余計に調子が悪い。九十九は何となく悪い気がしたので、機械義手が持っている、通話のポートを木虎に開放することにした。これは骨伝導式で、スピーカーが無くとも音声が骨を伝って耳に届く。そして九十九は、『ユイはもったいぶっとるが、どうせ大した話やない。好きに盗み聞きしてくれ』と思った。


「じ、実は……」


 するとようやくユイは口を開いた。しかし直ぐに口をつぐみ、うつ向いてしまう。その素振りを見て、九十九はもどかしくも、何だか不思議な事にドキドキしてきた。すると不意にユイが九十九に目を向けたので、九十九は思わず目を離してしまった。ユイの目は幼くて、みずみずしく、いやに輝いていた。


 九十九の胸の高鳴りが止まらない。何なんだ一体と、九十九は思っていると、ユイは不意にこう告げた。


「私が人並みに青春を送れるようにして欲しいの」


 余りに突拍子もない言葉だった。告白同然の台詞に九十九は顔を真っ赤にさせる。同時に九十九の通話回線にノイズが乗った。どうやら木虎も動揺しているのだろう。だがそれを気にする余裕は九十九には無かった。


「そ、そ、それは……! どっ、どういう意味や?」


 九十九は緊張で言葉がうまく出なくなっている。大した内容ではないと、たかをくくっていた内容がこんなにも真剣な内容だとは思いもしなかった。そしてユイはだめ押しするように九十九に、恥ずかしそうに言葉を告げる。


「だからそれは……私の身体を九十九に預けたくて……」


 九十九の頭はもう、いっぱいいっぱいだった。この輩は何を言っているのだろうか。自分の発した言葉の意味を理解して使っているのだろうか。分からない。分からないが九十九にはもう判断がつかない。


「は、はぁっ?! そ、それはウチでないと……アカン事か?」


「うん」


 九十九は、その真っ直ぐな言葉に心打たれてしまう。最早、木虎の事など忘れそうになっていた。ユイの真っ直ぐさが、純粋さが、九十九の心の壁を崩しつつあった。その最後の砦を晒す様に、九十九は身を委ねるような言葉を告げる。


「で、でもウチも心の準備が……」


「きっと大丈夫……だって響は技術に詳しいって聞いたから」


「…………ん?」


 冷や水をぶっかけられたような気分だった。


 改めて、この輩は何を言っているのだろうか。どうやら様子がおかしいことに九十九は気が付いた。そして九十九は感情を弄ばれただけだったと気が付くと一気に熱が冷めた。そうだ、冷静になればこの男はそう言う奴だった。九十九はこれまでにない位、不機嫌そうな顔をして、ユイにぶっきらぼうな態度で問い掛ける。


「……技術の事やと?」


「うん、私を改造して欲しくてさ」


 またも突拍子のない話だった。右から左から次々と殴られる様な気分だ。流石に九十九も話に付いていけない。


「まて、まて、まてや……! 話が掴めへん。一体全体どういう事やそれは?」


 するとユイは更に顔を真っ赤にさせて、とんでもないことを言い放つのであった。


「いいから私の下半身を改造してよ!」


「?!?!?!?!?」


 九十九は、また話が変わって混乱してしまう。悪いが九十九はそんな技術力は持ち合わせていない。いや、改造してもいいが、などと意味不明な発想も浮かびつつ、九十九は我に返ってつっこみを入れる。


「落ち着けや! とにかく順を追って話してみぃ!」


「いや、実は……」


 するとユイは急に神妙な顔付きになって、こんなことを語りだしたのだ。時は少し遡る。それはユイが東方に呼び出された時の話であった。

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