第29話 ユイの秘め事②

 ――それは在る一室での出来事だった。ここはユイと東方が初めて出会った場所だ。やたら広いが、物が無く、随分と殺風景な所である。また辺りは薄暗く、月明かりを頼りにしてやっと、ぼんやりとだが何がどこにあるかに認識できる。


「大事な事を言い忘れていました」


 長い黒髪を後ろで束ねた女がユイを前にしてこう告げた。彼女の名前は東方ひがしかた卯月うつき。宗教団体『東方』の主であり、戦闘巫女集団の頂点に立つ存在である。


 その東方から突然呼びつけられて、大事な事を話すと言うのだから、相当な事を告げられるのだろう。加えて東方は無表情のままでじぃっとユイを見詰るものだから、ユイは身構えてしまう。東方のことだ、ユイは恐らくとんでもない事を言うに違いないと思っていた矢先、東方はこんな事を口にするのであった。


「貴方が精液を出した際に警報が上がる様、機械義手に細工してあります」


「んん?!?!?!?!?」


 本当にとんでもない事だった。ユイは余りの衝撃に頓狂な声を出してしまう。人の身体を何だと思っているのだろうか。この細工、冷静に考えて人権侵害である。ユイは自身の機械の腕をまじまじと見つめてから、「なんでそんな事を!」と叫んだ。しかし反して東方はこう、淡々と告げる。


「貴方が勝手に他の女性とまぐわう事をしない為ですよ」


「そういった事は私はしませんし、機会にも恵まれませんけどね、そんなこと!」


 ユイは自身で言っておきながら、何だか悲しい気持ちになった。しかし本来であれば、不特定多数に自身の血を分け与えられる男の東方は、生まれれば即座に殺される立場にある。その為、ユイはこの程度の処置で済むのであれば、まだ良かったのかもしれないと考える。


 東方には目的があり、それは『最高傑作』の東方を産むことで、つまりは男で東方の血を継ぐユイとまぐわうことを望んでいる。よってユイは殺されることは免れていたのであった。よって命と身体に備わった恥ずかしい機能を天秤にかければ、当然、命の方が大事である。


「時にユイさん」


 不意に東方が声をかけてきた。そして東方を見れば、ユイを問い詰める様な、疑いをかける様な眼差しを向けていた。ユイはあまり良い予感がしなかったので、恐る恐る返事をする。


「……何でしょう?」


「木虎さんに言い寄られた際は、少し興奮されてましたね?」


「…………」


 ユイは何も言い返せなかった。ユイは木虎とのやり取りを思い出して、顔を真っ赤にさせて下を向いてしまう。木虎がユイに心を許したのかは分からないが、あの甘える様な、何かを求める様な言葉をユイは掛けられて、当時は胸の高鳴りが止まらなかった。しかしここでユイの頭に疑問が浮かぶ。何故、東方は木虎の見舞いに行った際の出来事や、ユイの心情が分かるのだろうか。すると東方はユイの心を読んだかのように、こう言葉を付け加えた。


「貴方の興奮状態を私は監視できるようになっています」


 ユイはそれを耳にして目を丸くした。そもそも、『東方』のトップにあたる者がこの様なモラハラを働いていいのだろうか。酷い社風だと思ってしまう。それはさておき、人の興奮状態まで監視されるなど、恥ずかしくて堪ったものではない。ユイは東方に訴える。


「束縛とかいうレベルじゃないですよこれは!」


「これは規則に則った処置ですが、違いますか? これは貴方を殺させないための処置ですよ?」


 そう言われてしまうと何も言い返せない。不満はあるがユイは諦めることにした。恐らく東方の頑固な性格であれば、いかにどのようにして懇願しても、この機能だけは外してくれないだろう。しかしどの世界にも、パートナーの性に関する情報を常時監視する狂った女などいないだろう。東方の闇を垣間見たユイは、将来の事を考えて身震いしてしまった。


「ちなみに、あの世での戦いで、私が跨った時には何も興奮していませんでしたね?」


 それはどうでもいいだろうと、ユイは心底思った。東方が木虎との一件をどれだけ根に持っているかが伺える。そもそもあの状況で興奮できる程に人間は出来ていない。


「……そして、問い詰められている今、貴方は興奮しているようですがどういう事ですか? 変態なんですか?」


 余計な情報を言うんじゃないと、心底思った。確かに一瞬、東方に責め立てられることも悪い気はしない、とユイの頭に愚かしい考えが頭をよぎったが、ユイはその邪念も必死に振り払った。但しあまり意識しすぎてしまえば、きっと余計に気になってより興奮してしまうだろう。笑うなと言われると、余計に笑いそうになってしまう現象が、今ユイの下半身に起きている。


「因みに、もしユイさんが出したいのならば、三人以上の立ち合いの下、私が穢れぬように手袋を付けて対応することになります」


 東方はさらりととんでもない事を言う。その状況を考えただけでユイの動悸は収まらなくなり、鼻血が出てきた。そしてユイは恥ずかしさを紛らわすかの様に、声を荒げて東方に突っ込みを入れる。


「いやいやいやっ! 立ち合いって、御前試合ごぜんじあいか何かですか? それにッ……そんなことされたら私、お嫁にいけないじゃないですか!」


 正確には婿である。


にもかくにも」


 東方は少し息を吐いてから、ユイの方へ歩を進める。そしてすれ違いざまに東方はユイの耳元で、「余り、他の方々に情を移さない事ですね」と、そう告げたのであった。


 ユイが振り返って、声を掛けようとした頃には東方の姿はもう無かった。ただ、引き留めたところで今のユイには東方に応えられるだけの言葉は持ち合わせていない。与えられた運命を変えられるだけの気持ちが無いのだろうとユイは考えて、嫌気がさした。


―—そして九十九はユイの話を聞き終えて、心底呆れた様な顔をした。


「あほらし、ほんっまにあほらし!」


 勿論、九十九には、ユイが木虎の言葉に興奮した事や、東方からのモラハラやセクハラについては省いて説明した。九十九に伝えたのは、他者との交際を認めない事と警報に関する情報だけである。


「私にとっては一大事なんだってば! とにかく私はその機能を取っ払って欲しいのさ! 私イヤだよ、こんな恥ずかしい事を常時監視されているなんて!」


 すると九十九は困ったような顔をして、ウンウン唸ってからユイに回答する。


「いや、それをウチが改造したら、ウチは殺されへんやろか……」


「た、確かにね……」


 考えてみれば元々東方が設定した機能を改造するとなると、バレた時に九十九が第一被害者になるのは当然だ。ユイとしても九十九を巻き込んでまで自分が助かりたいなどとは思わない。ただこの状態が一生続くと考えると、あまりよろしいとは考えられない。ユイの思春期は殺されたも同然である。見れば九十九もどこかしら申し訳なさそうな顔をして、ユイには憐みの視線を送っている。何だか段々ユイは悲しい気持ちになってきた。


「マァ、ユイも男やしなぁ。可哀想っちゃ可哀想やけど」


「でしょう? 響だってそうなったら嫌でしょ?」


「マァ、ウチは…………いや、待チぃな! ア、ア、アホちゃう? そないな事を女子に普通聞くか?」


「ゴ、ゴ、ゴ、ゴメン! 気が緩んでた!」


「そないな言葉で許されたら警察要らんわ! あぁもうホンマあっほらし!」


 九十九は顔を真っ赤にさせてそっぽを向いてしまった。


「……とにかく、木虎に事情を説明するで」


「え……なんで?」


「いや、仲間は多い方がええやろ?」


 とは言いつつも、ただ九十九は見の保身のためにユイと恋愛沙汰になってい無い事を木虎に伝えたいだけだった。このまま木虎に恨まれたままでは面倒ったらない。


「安心せぇ、ああ見えて木虎は真面目や。面白半分に秘密を悪用する奴とちゃう」


 適当な発言だった。九十九は心の中で、『守銭奴でゲスやけど』などと台詞を付け足した。


「……そうだよね。私も、あの世でリンの心に触れて、そう思った。確かに、私達の間に隠し事は良くない」


 ユイは真剣な眼差しを九十九に向けて、ゆっくりと頷いた。一方で、『本当にチョロいなこいつは』と九十九は心の中で呟いた。


 そうして木虎に事情を話そうとした時には、彼女はその場でうずくまり、しょぼくれて動こうともしなかった。恐らくはユイと九十九の会話も、冒頭を聞いて会話ポートを切ってしまったのだろう。大事な所だけ聞き逃したせいで誤解を生んだままでいる。


 更にユイは、「な、なんでそんなところに!」と木虎に間の抜けた事を言ったが為に、木虎の機嫌が余計に悪くなった。木虎は強くユイを睨め付けると、涙ぐんでまたうずくまってしまった。


 事情を知っている九十九はため息を吐いてから、しゃがんで木虎の顔を見て、落ち着いた口調で語りかけた。


「聞いてくれへんか、木虎。真面目な話や」


「私の事は放っておいてくださいよ……」


「結論から言うで。ユイはな、射精すると警報が出るように改造されてもうたらしい」


「……何ですかその面白機能は」


 九十九の話を聞いた木虎は、死んだ魚の様な目をしていた。最早呆れを通り越し、精根尽き果てた様な気持ちになる。今まで落ち込んでいたこともアホらしく感じられ、木虎は余りの疲れにぼうっと遠くを見つめたまま固まってしまった。


「全然面白くないよっ!」


 ユイはすかさず突っ込みを入れた。だが木虎にはその突っ込みもクソどうでも良く感じられ、適当に言葉を返す。


「それで九十九さんに改造を頼もうとしたんですね。事情は分かりました。誰にも言われたくなかったらお金を下さい」


「誰だ! リンが面白半分に秘密を悪用しないって言った奴は!」


 ユイはすかさず九十九の胸倉を掴み、前後に揺らす。九十九も守銭奴の木虎がタダでは起き上がらないだろうとは思っていたので、リアクションは薄い。こちらもまた、適当に返事を返す。


「ウチは木虎を信用しとった。ただそれだけのことや」


「コノヤロー……それで綺麗に纏まると思うなよ!」


 ユイと九十九が、そんな泥沼の言い争いをしている時のことだった。


「おいー。おめーらなにやってんだー」


 そんな気の抜けた声がどこからか聞こえてきた。

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