第30話 ユイの秘め事③

 ただ、聞こえてきた声には妙な点があった。前後ろからでも、左右からでもなく、それは空から聞こえてきたからだ。ユイは声の聞こえてきた方向に目を向けると、木に上り、枝葉の陰から顔を覗く猿飛の姿があった。


「うわあああああ?! 猿飛さん?」


「ひでぇなぁー。そんなに驚かなくてもいいじゃんよー」


 猿飛はぼやいてから、軽い身のこなしで木からジャンプして降りる。身体に付いたほこりやゴミを適当に払うと、大口を開けて欠伸をした。見た目は長い金髪を後ろで結った、活発そうな女の子。しかしこの野性的な振る舞いや、間の抜けた様子を見るとギャップを感じてしまう。


「イヤ猿飛さん、ホンマに、木の上で何やってはるんですか……」


「九十九よ、何って見りゃ分かるだろー。昼寝だー、昼寝ー。 おめーらが騒がしいから起きちまったじゃねーか !」


 わざわざ木の上まで登って何やっているんだと、三人は突っ込みたかったが、ぐっとこらえる。そしてこの様子を見る限り、ユイの秘密は猿飛にはバレていないらしい。


 すると猿飛は急にユイをまじまじと見つめてから、うんうんと唸りだし、そしてニヤリとした。何だか嫌な予感がする。直感的に危機を感じたユイは身構えようとすると、猿飛はそれよりも早くユイの肩に勢いよく腕をかける。


「ユイ……お前は面白いやつだー! あの東方に歯向かうヤツなんて見たことねー。クレイジーだぜー!」


 一方でユイの耳には、その称賛の声は届いていなかった。猿飛のパワフルなスキンシップで首を強く打ち、意識が少し遠くへ連れていかれている。加えて猿飛はやたらとユイの身体を揺さ振るので、ユイは次第に気持ち悪くなっていた。


 また、薄れていく意識の中で、木虎がユイへ凍てつくような視線を向けているのが見えた。ああそうか、猿飛がユイに押し付けている脂肪の塊を見て、それをユイが甘んじている様に見えているのだろう。


 悪いがそんなはずがない。どう見ても不可抗力なので許して欲しい。だが木虎の殺意の波動は高まる一方で、見れば懐から携帯を取り出して、おもむろに写真を撮り始めた。恐らく今度会った時、そのデータを高値で買わされるだろう。東方にそれをバラ撒かれなどしたら、ユイの首は物理的に飛ぶ。後で何でもするから本当にそれだけは勘弁してほしい。


 そんな事を考えているうちに、ユイは自分の身体が引きずられている事に気が付いた。それも猿飛にスキンシップと言う名のヘッドロックをキメられながら。ユイは薄れゆく意識の中で、自分がどういった状況か分からないまま、ユイは猿飛に何処かへと連行されるのであった。


「さー、ここが私達の根城だー!」


 そう猿飛に言われたと同時、ユイはマットの様なものの上に投げ捨てられた。なんて乱暴な事をするのだと思いながらユイは起き上がると、なにやら温かいものに触れる。何だこれはと思って、中途半端でとっかかりの無いそれを何度も触ってから、ようやくユイはその正体に気が付いた。


「胸だったんだ……これ……」


「……分かり辛くて悪かったわね」


 ユイはその声でハッとして顔を上げると、鬼の様な形相でユイを睨む、見覚えのない銀色の髪を持つ女性がそこには居た。彼女の顔は僅かに赤らんでいて少し可愛らしく見え、併せておしとやかそうな雰囲気をしている。しかしその視線が持つ殺意の高さが全てを打ち消していた。


「死にたいの……?」


 『死にたくありません』。それがユイの真っ先に思い浮かんだ回答だったが、それを答えるよりも早く銀髪の女はユイの首根っこを掴んで、ギリギリと締め上げ始めた。


「ぎゃあああああああああ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! マットか何かだと思ったんですよっ……!」


 ユイは火に油を注ぐのであった。ユイの言葉を受けて銀髪の女は顔を真っ赤にさせると、より強くユイの首を絞め、ユイもその苦しさで顔が真っ赤になっていった。


「それはどういう事よッ……! 真っ平の床マットだの平均台だの思っているんでしょうが……とにかく死ねッ! 死んでしまえ!」


 そんな事まで思っていない。それよりもこのままでは本当に死んでしまう。ユイの意識が飛びかけたその時に、猿飛が仲裁に入って、ユイから首絞め銀髪女を引き剥がす。


「まーまーまーいいじゃんよー。女同士だろー?」


 ごめんなさい私、男なんです。ユイはそう思い、申し訳ない気持ちになった。また猿飛はへらへらしながらなだめようとするが、一方で銀髪女は興奮気味になって、ユイを指差しながらこう告げた。


「嫌なものは嫌! それに誰、この子? ……捨てていい?」


 人をゴミのように言わないで欲しい。この銀髪女からの第一印象は最悪だが、とにかく命だけは助かった。ユイはそう思っていると、どこからかシャッター音が切られる音がした。


「一部始終、納めさせていただきました」


 ユイは唐突に破滅を告げられた。見れば木虎がユイに携帯を向けて、延々と写真を撮り続けているではないか。ついでに隣には呆れ顔の九十九もいる。


 色々と終わった気がした。ユイは慌てて木虎の下へ向かい、絞り出すような声を出す。


「その写真データは、おいくらでしょうか……」


「非売品です」


「まさかの交渉の余地なし?!」


 すると木虎はクスリと笑って見せてから、貼り付けた様な笑顔を浮かべてこう告げた。


「ユイさん、安心してください。貴方の命は無駄にならない様に私達のエーテルに活用させていただきますから」


「その言葉のどこを安心すればいいんだよ! ……と言うかやめて、勝手に私を殺す前提で会話を進めないで!」


 木虎の目を見れば分かる。そこには感情が無く、それをよく見れば見る程に、瞳には自分にこれから起こる未来が映し出されているような気がした。自分が、殺される未来が、そこにはハッキリと描かれていた。


 そして後ろを見れば、殺意の塊が存在している。銀髪の女は瞳孔を開かせて、黙々とユイを見詰めていることから、ユイをいかに殺すべく思考を巡らせているのだろう。


 神はユイを見放した。そうですかさいですか、もう私は死ぬしか無いのですね、とユイは死を覚悟したその時だった。


「はいはいーい! ちゅうもーく! おめーらそれよりも自己紹介がまだだろーが」


 神は再び舞い降りた。猿飛はいつも通りのマイペースっぷりで、話を強引に進めようとする。


「まず私は猿飛さるとびみこと。お前らから見て二つ上の先輩さ! そして驚くなよー、この場所は生徒会室。そんでもって私は何と……生徒会長だー!」


 場は静まり返った。神は悲しくも余儀よぎなく退場させられたのであった。


「みんな冷たいよォー! なぁ詩子うたこー、私は悲しいよォー……」


「ミコト、私は今、真剣だから黙ってて」


 猿飛は銀髪の女にすり寄って、涙目で悲しみを訴えるが、銀髪女はその態度に意も介さなかった。 ただただ獲物を狙うような、無感情な視線をユイへ送り続けていた。


「おううー……ちなみにこの子は八雲やくも詩子うたこなー。私と同学年。生徒会副会長で、こいつも東方の巫女さー……」


「ユイさんって言ったわね。殺す」


 八雲はユイの事を殺したくて仕方がない様子だった。どう足掻いても八雲の殺意から逃れられることは無いだろう。


 しかし一体何なんだろうか。ユイはこの短い時間の間で散々な目に合わせられた上に、社会的に殺されそうになっている。ただ、それもこれも大体は猿飛のせいだが、どこか憎めない。猿飛の人柄を見れば戦闘制御第一部隊のリーダーである理由が何となく分かる。


 ユイはやり場のない悲しみを背負い、がっくり肩を落とすと、その場にへたり込んで涙目になった。もうどうにでもなれと思っていたその時、天使がその場に舞い降りた。


「イジメはだめよ! みことちゃん、うたこちゃん!」


 短い黒髪で前髪をピンで留めた、かわいげのある女の子が、突然生徒会室の扉を開けて乱入してきたのだ。だが見た目からすると、高校生であるユイたちよりも遙かに幼く見える。


「な、な、何言ってんだー姫乃! ……い、いじめてなんかないぞ!」


 そして急に狼狽える猿飛。猿飛はその少女の傍に駆け寄り、抱き付きながら必死に訴えかけた。そして少女は猿飛の頭を撫でながら、「いい子いい子」と声を掛ける。


 それを目撃したユイはその二人のやり取りで、この世界の闇を感じた。高校生が少女に慰められているこの関係は、見ていて色々と不安定な気持ちになる。


「……えーと、その子は?」


 ユイは恐る恐る問い掛けると、少女はユイの前にやって来てこう告げた。


「初等部五年生、横須賀よこすか姫乃ひめのと申します! 以後、お見知りおきを!」


 そう言ってふかぶかと頭を下げる。随分としっかりした子の様だ。そして猿飛は聞いてもいないのに補足の言葉を入れる。


「姫乃は良くここに遊びに来るんだー。因みにちゃんとした東方の巫女だかんなー」


「それより、みことちゃん! またうたこちゃんを怒らせたでしょ! めっだよ、めっ!」


 横須賀は、ぷうと頬を膨らませながら猿飛を叱る。それを受けた猿飛は酷く傷ついたようで、顔を真っ青にしてから直ぐ横須賀に抱き付いて必死に謝るのであった。


「ご、ごめんよ姫乃!」


「いいのよ、みことちゃん……。元気出して、ねっ!」


 ……ダメだこのリーダーは。


 ユイはそう考えたものの、横須賀が可愛らしいのは事実だ。猿飛が骨抜きになる理由も分かる。


 よってユイは話し掛けるつもりは無かったのだが、横須賀の存在を無視できなくなり、「まるで姫乃ちゃんがお姉さんみたいだね」と、お姉さんぶった事をユイは口にしてしまった。すると少し横須賀はムキなった様子で言葉を返す。


「お姉さんだもん!」


 胸を何かが貫いていくような感覚にユイは襲われた。ユイは自分の中から湧き出す感情を必死に押さえつけながら、なるべく優しく、かつ自身の精神的優位性を保ちながら返事を返す、つもりだった。


「はいはい、姫乃ちゃんがお姉ちゃんだもんね~」


 ユイも、甘やかす様な口調で横須賀に返事をしてしまう。同時に自分の中で抑えようとしていた感情も、ついさらけ出してしまった。


 この少女は危険だ。自分の大事なものを奪い、そして崩壊させる力を持っている。但し、そこらにいる守銭奴と冷血漢とは違い、人々を受け入れて包み込む力もある。天使であり悪魔。少女はここにいる全ての者を従える、頂点に立つ大器たいきであった。


 そんな下らない事をユイは大真面目に考えていると、急に九十九が割り込んで、ユイの耳を引っ張って自分の元に寄せた。


「いだだだだ! な、なにすんだよ!」


「なにだらしない顔さらしとん。……それよりも、ちょいとええか?」


「ん?」


 すると九十九は急に神妙な顔をして、ユイにこんなことを告げるのであった。


「悪い事は言わへん。姫乃へ迂闊に近づくな」


 その不穏な言葉を受けて、ユイは固まってしまった。ふと横須賀の方へ視線を向けるが、変な様子は見当たらない。じわりとユイの首元に汗がにじむ。ユイはその言葉の意味が分からなくて、知りたくて、恐る恐る九十九に問いを掛けた。


「……何で?」


「今に分かる」


 その言葉は重く、ユイの胸にのしかかった。見ればわずかに九十九は震えている。その様子の裏に隠された意味は、この時のユイには知る由もなかった。

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