第50話 迷える羊たちは沈黙する⑤

「噂には聞いとったけど……どえらい装置やな……!」


 九十九は思わず感嘆の言葉を漏らす。なぜならば、戦いの最中、考えるより早く、次の手が思い付くからだ。とんでもない速さで頭が回転し、流れるように戦闘を継続できる。


「これが姫乃の『PLA-netプラネット』……!」


 ふと見れば、横須賀の背後に金色こんじきの巨大な輪が浮いていた。それはまるで神が背負う日輪のようで、また横須賀の瞳は神憑かみがかったかのように真紅に染まっていた。横須賀姫乃が目を覚ます。


「リンク確立……バトルシーケンス起動……!」


 分散型戦闘制御装置『PLA-net』。


 それは阿修羅に接続する各隊員を常時監視し、データを収集し続ける事によって、制御装置が最適制御のサポートを行うものだ。その恩恵は全隊員が受けることができ、そして全隊員からの情報が常にフィードバックされ続ける。常に戦場が最適化される。


 その中で、使用者である横須賀は全体の親局としての役割を担う。大量の情報収集と解析を繰り返すにはそれなりの器が必要だ。それを可能にしているのが横須賀の体内に注入されたナノマシンである。


 そしてナノマシンは思考だけでなく、全身の筋肉への連動まで及ぶ。極限までチューンアップされた戦闘体が極限までの超高速戦闘を可能にしている。その相互効果は計り知れない。


 東方曰く。


『PLA-netを起動した姫乃はまさに化け物』


 実際に、横須賀は身の丈の倍はある太刀を振り回し、あっという間に周囲にいる使者を薙ぎ払っていく。踏み込み、切り捨て、血が吹いて、それは飽くことなく繰り返される。


 洗練された立ち振る舞いは演者のごとく。荒々しく蹂躙するは鬼神のごとく。噂にたがわぬ化け物ぶりは圧巻の一言に尽きる。


 ただ、それを使わざるを得なくなった理由がある。


「みんな……力を貸してね……」


 横須賀の額から汗が垂れる。これだけの装置を横須賀が使用しても、誰一人余裕の表情を見せていない。皆の間にはただならぬ緊張感が漂っている。


 もう、出し惜しみしている場合ではなくなっていた。


『単眼の使者がコントロールセンターに出現しました!』


 その言葉を耳にした時には、隊員一同に戦慄が走った。まさか、こんなにも早く外側の護衛を破って中央側に大物が現れるとは思いもしなかったからだ。


「海野さん! 調整の方はどないなってますか!」


 九十九が声を上げる。余裕は見られない。


「新規の全ステーションはセットアップしたわ! 後は新旧の切替。……さて、こっからが大変ね」


 海野は配線作業を終えて額を拭う。その間に山里と豊田は小型のローディングマシンを抱え、プログラムを入力している。


「新旧の回線を並走させ、順次ステーションを切替える。ミスんなよ、玉坊」


「山里さんに言われなくても!」


 豊田はローディングマシンと向き合い、着々とセットアップを進めていた。無数に表示されるデータに気をくべながら、慎重にプログラムを走らせていく。


 その最中に豊田はある異変に気が付いた。ローディングマシンに接続している各隊員のステーションが表示されている中で、ある一つのステーションが不意に動作を停止したのだ。


「あれ……?」


 初めのうちは何が起きたのかよく分からなかった。


 ステーションの動作停止はこの世の身体が機能しなくなったことを示す重大な事故だ。それがオペレータの通達など無しに、何の前触れもなく発生するなどありえない事だった。


 つまり発生した原因は、作業ミスか緊急的なトラブルしかありえなかった。しかし、豊田自身は間違えたつもりもなく、山里もこんなミスを起こすとは思えない。豊田は息をのんだ。


 だから確認する。もしミスでなければ、自分達が気が付かないうちに、何か大きな問題が発生した事になるのだから。豊田は恐る恐る、山里に問い掛ける。


「山里さん……このステーションの動作って―—」


 豊田は後ろを振り向いて、山里の方を見て、いつもとは違う感覚に襲われて、そこで言葉を止めた。そして、飲んだ言葉は改めて豊田の口から出力される。不安から畏怖へと姿かたちを変えて。


「山里さん……?」


 豊田が振り向いたその先には山里がいた。ただそれはいつもの彼女の姿では無くて、尋常ではない様子をしていた。


 見開かれた瞳は遠くを見つめ、服の胸元を握り締めて立ち尽くしていた。何より瞳の色が、おかしかった。


「そのまま振り向くな……」


 蒼く染まった瞳と、その言葉で豊田は全てを理解する。山里が何者かから攻撃を受けていることに。そして、機能が停止したステーションが山里のものだったことに。


「逃げろ……玉坊……!」


 山里は苦しそうにうめき、唾液を口から垂らし、それでも意識を保とうと必死にしていた。豊田を守ろうと、必死になって呼びかけていた。けれども、その気持ちを豊田は受け入れられずにいた。


「いや……だよ……!」


 豊田は現状を受け入れられず、必死に首を左右に振る。目の前で仲間が、大事な先輩がこんな姿になって、何もできずにいる自分が悔しかった。いずれにせよこのままでは山里を助けられない事は分かっている。けれども、ただ震え、ただ怯え、ただ見ている事しか出来なかった。


「……ばか……やろうッ……! このままじゃッ……!」


 山里は言葉を止めてハッとした表情になった。上手く動かないのか、震える腕を必死に動かして、指をさす。


「う……しろ……いるッ……!!」


 そう、豊田は気が付かなかった。真後ろに単眼の使者が迫っていることに。触手が背中まで迫っていることに。だけれども、


「させないッ!」


 そうはさせまいと、必死になって駆け付けた横須賀が、叫びながら太刀を横に薙ぐ。すると単眼の使者はうめき声をあげ、触手がのたうちまわり、動きが止まった。ただ致命傷には至っていない様で、直ぐに後ろにいる横須賀の方を振り向き、触手を這わせる。


「傷が浅かった……!」


 横須賀は即座に後ろに下がり、単眼の使者と目を合わせないようにする。


「後ろに回り込んで叩きたいけど……それじゃ調整班が危ない……!」


 時間も余裕もない。だとしたらできることは一つしかない。PLA-netが叩き出した結論に従うしかない。胸は早鐘を打ち、脳は危険だと警報を出している。しかし、やるしかない。やらなければならない。


 横須賀は息を整え、太刀を強く握り、そして固く目を閉じる。横須賀は無茶ともいえるが、視覚情報を遮断した状態での戦闘を選択したのだ。


「私だからできること……!」


 横須賀はぐっと足に力を入れ、単眼の使者がいる方へ駆けだした。横須賀は足を前に出せば出すほど、恐怖心が強まる。何がどうなるのか、目の前で何が起きているのか分からない。ただそれは、単純に横須賀だけで戦っていればの話であった。


 迫りくる触手。それが横須賀の目と鼻の先にまでやって来たところで、横須賀は思い切り跳躍した。


 単眼の使者は、横須賀が反応できたことにきっと驚いただろう。とにかく触手は虚空を掴むことになり、その場で絡まって動きを止めてしまう。横須賀も、追ってこない触手の様子を察して笑みを浮かべる。


 これを可能にしたのはもちろんPLA-netのおかげだった。横須賀はPLA-netのネットワーク上で共有されている全隊員の視覚情報を拾い上げ、自分のものとしていた。本来その情報処理には複雑なプロセスと時間を要するが、横須賀からすれば容易いことだった。


「私のPLA-netに……不可能はないんだからッ……!」


 そして、横須賀は宙で太刀を構える。勝利を確信し、単眼の使者を両断しようとする。ただ、ギリギリの駆け引きの中で掴み取った一手に、横須賀は少々興奮していた。それが、まずかったのかもしれない。


 横須賀は戦いの快感に身を委ね、太刀を思い切り振りかぶった、その瞬間に、ある違和感に気が付いた。


「え……?」


 それを感じ取って、まずいものだと勘付いて、全身から汗が噴き出した。刃がとらえた感触は、薄くて、柔らかいものだった。単眼の使者の身体が持つ重ったるさを感じさせなかった。


『何か、違うものを斬っている』


 横須賀はそれを知って、咄嗟に太刀の動きにブレーキをかける。ただ、その軟らかいものはある程度、刃をくぐらせてしまっている。


 だから、ついやってしまった。横須賀は、その自分がしでかした結果を知りたくて、つい目を開いてしまったのだ。


 それを見て、どっと、胸が強く脈打った。


「みちゃ……ダメだったのに……」


 そうやって、か細く呟いたのは、触手に捕まって掲げられていた、海野の姿だった。もちろん瞳の色も、蒼く変わってしまったままで。


「う、海野さん……! どうして……!」


 知った事だ。黙ってくれていたんだ。身を切られる痛みを押し殺して、そのまま切り捨てて、単眼の使者を殺してもらおうとしていたんだ。


 その精神力と気高さを、自分の情けなさと思慮の浅さを、何もかもを理解して、横須賀は泣き出したくなってしまった。


 そして、横須賀の頭の中に一斉に警報が鳴り響く。視界には無数の故障表示が一斉に羅列される。横須賀もまた、単眼の使者に心を呑まれてしまったのだ。


 ―—助けてくれ。


 かみ合わなくなった、いや、崩壊したともいえる惨状に、猿飛はすがるような言葉を頭の中で何度も呟いていた。


「どうしたら良かったんだよー……」


 責任者たる人間の台詞だとは思えないなと内心思っていた。額から流れた血を拭い、荒くなった息を整える。


 ただ、猿飛は突如として目の前に出現した単眼の使者を、命かながら二体葬った。我ながらよくやったと思っていた。それでも、事態は最悪になっている。


 何とかしなければならない一方で、猿飛も手一杯になっていた。まだ後一体、目の前にいる単眼の使者を倒さなければならない。


「お前さえいなければー……!」


 コイツさえいなければもっと何かできたかもしれない。コイツを紐房に倒してもらえばよかったかもしれない。しかし、そんな事を今言っても始まらない。どちらにせよ、新人が捌ける敵じゃない。


 そもそも新人を連れて来るべきじゃなかったのかもしれない。だが、この戦場に新人を連れて来るべきだと判断したのは紛れもなく、自分なのだ。


 そんな時に、紐房が回線を伝って話しかけて来る。


『猿飛さん! このままじゃ全滅してしまいます! 全員を緊急解列してしまいましょう!』


「そんなことすれば次の戦闘をするときにはどうなるー……同じ隊員が、瀕死の状態でリスタートすることになるんだぞー……」


 緊急解列とは言わば苦肉の策だ。倒れた肉体を、誰も居ない間に使者に貪られ、器を再作成するまであの世に行けなくなる事だって十分にあり得る。


 案としてはなくはない。しかし、今となってはそれが正しいかも分からない。


『ダメです! 単眼の使者の影響か、システムに介入できません!』


 オペレータがそんなことを口にした。


 どちらにせよダメな事だった。


 でも、何としてでもどうにかしなければならないのだ。


 こんな状態でも前を向かなければならない。でも、私に全部言われても困ってしまう。なんてことを思い浮かべ始めた自分がひどく情けない。そんな時に紐房はこんな事を口にした。


『東方さんに相談しましょう……』


 紐房の言葉は猿飛の気持ちに触れるものがあった。まるで、自分の能力不足を指摘されたような気持だった。猿飛は唸るような声で言葉を返す。


「何だよそりゃー……つまりは何が言いてえんだテメーはよー……!」


『でも、この状況はいくら何でもッ……!』


「私だってどうしたら良いか必死に考えてるんだッ!」


『自分ひとりでどうにかなると思わないでください!!』


「…………ッ!」


 そう言われて、猿飛は思い当たる節があって、言葉に詰まる。猿飛は自分の能力の高さゆえに、周囲の事を信じられなくなっていた。自分が全てやればいいと思うようになっていた。


『私は猿飛さんみたいに力がある訳じゃない。けれでも、それでも私にできる事だってある! 私を信じてくださいよ!!』


 信じてくれ。その言葉もいたく猿飛の胸に刺さる。


 結局はその通りだ。八雲に生き続けて欲しいからこの戦闘から遠ざけた。とどのつまり、八雲の事を信じられなかったのだ。


『猿飛さんが悪くないってことは誰だって分かってます……でもこのままじゃ、誰もかも死んでいなくなっちゃう……!』


「ユイ……お前……」


 ただ、気付いたころには、その時になってからは、もう何もかも遅かった。


「ハッ……!」


 猿飛は会話をする中で少しだけ気が散漫になっていた。だからこそ、単眼の使者が自分に向けて触手を這わしていた事など気が付かず、片足にそれがべったりと張り付いていることも分かっていなかったのだ。

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