第51話 迷える羊たちは沈黙する⑥

 私はどうすれば良かったのだろう。


 猿飛はふと、昔のことを思い出していた。始めての戦場を経験した時のことだ。


 あれはひどい戦闘だった。当時、周囲には血の匂いが漂い、やけに生暖かい風が吹いていた。そんな事まで今でも覚えている。さて何がひどかったと言えば、リーダーと猿飛以外の隊員が全滅したことだった。


 その戦闘で分かったことは、リーダーが誰か違っていれば、きっと隊員はそんなに死ななかっただろうと言うことだった。リーダーが的確に指示を出していれば、リーダーが冷酷でなければ、隊員達がリーダーを恐れず提言できれば、もっと違う結果になったに違いない。


 当時のリーダーは今の東方の大将。東方卯月だった。


 だから猿飛は、彼女の様にだけにはなるまいと、組織を変えようと努力した。


 だから私は何より人を大事にした。


 何があっても仲間を助けようとした。


 隊員には慕われるように、気さくに接するようにした。


 誰も死なせないように努力していた。


 はずだった。


『………海野隊員が、命を落としました』


 今まで積み上げた努力が、ひと吹きで崩された気がした。


 何もできなかった悔しさもあったが、どうしようもないのだから仕方がない。猿飛は単眼の使者に掴まれて、意識は闇の中に引きずり込まれ始めていた。身体も、うまく動かせない。


 そんな時に、闇の遥か彼方から声がした。


「猿飛さんッ……!」


 その声と同時に頭の中に電流が走ったかのような痛みがして、猿飛は我に返る。そして、目を再び見開けば目の前にはユイがいた。


 ユイは頭から血を流し、巫女服も血染めになっていた。片腕では眠りについている木虎を抱き、もう片手でサイコソードを振り回していた。見れば猿飛の足に纏わり付いている触手は、根元をユイに切断されて動かなくなっていた。


「ユイ……どうしてだー……」


「私のコトはいいからッ……!」


 ユイは息切れしている様だった。迫りくる触手を乱暴に薙ぎ払い、死に物狂いで戦っていた。


 顔に張り付いた前髪を払う暇もなく、乾いた瞼を瞬かせる事もなく、ただ息を吸い、身体を駆動させていた。それでも喋ることさえやっとなことなのに、絞り出すように、噛み付くように言葉を吐き捨てる。


「部隊をなんとかしてください……!!」


 猿飛はそれを聞いて胸を痛めた。部下はまだ全力で戦いを続けているのに、どうして自分は諦めようとしてしまったのかと。


 猿飛は身を起こす。身体はきしみ、頭の働きはいくぶん鈍く感じる。しかし、辛くても、やらなければならない事にがある。


「この戦場はお前に任せる……でも、死ぬなー。私からの命令はそれだけだー」


 まだこの戦場は終わっていない。終わらせてはならない。だからこそ猿飛はユイに託す。


「ハイッ……!」


 単眼の使者の討伐。猿飛からの難しい依頼に対し、ユイは力強く答えた。しかし、いつの間にこんなに頼もしくなったのだろうか。つい猿飛は口元をゆるめた。


「リンは頼みます」


「あぁー……」


 ユイは猿飛に木虎を託し、猿飛は直ぐにそれを受け取ってから駆け出した。皆のいる、コントロールステーションへと。


 白くなった息が横へ流れていく。喉の奥が針に刺された様に痛む。僅かに溶けて緩くなった雪が、足元を不安定にする。


 こんなに一生懸命になって走るのは久しぶりの事だった。そう言えば、最近は戦闘で無理をする事も無くなっていた。


 昔は滝のように汗をかいて、息をする事さえ忘れてガムシャラになって戦ったものだ。生きるか死ぬかのやり取りの中で、何度背筋を凍らせたかも分からない。


 けれど、今となってはその恐怖も慣れてしまった。感覚が鈍っていたんだ。


「それが今回の結果に結びついていたとしたらー……!」


 猿飛は奥歯を噛み締める。


 自分はひどいリーダーだ。今回の件は自分の気のゆるみのせいで仲間が命を失ったようなものだ。当時の東方はどんな気持ちで戦っていたのだろうか。共感したくもないと思っていたが、今となっては少しでも気持ちを許してしまいそうになる。


 しかし、猿飛はその気持ちを必死に振り払う。何もかも考えまいと、一心不乱に走り続ける。


 顔に何度も雪がぶつかっても、肺に酸素が通わなくなりそうでも、足を前に出す。冷たさと筋肉の酷使で、足に感覚はもうない。それでも前に進むことだけは止めなかった。止めればリーダーの存在を否定されそうで。


 あぁ、まもなく見たくもない結果と対面することになる。いやだ。けれどもそうも言ってはいられない。


 コントロールステーションに近づけば近づく程に、頭の痛みが強くなり、胸の動悸は早まっていく。けれども、自分がでかした結果と向き合わなければならなくて、猿飛はその場にたどり着いて、現場を目の当たりにして、頭の中が真っ白になった。


「ミコ……ト……ちゃん……私ッ……!」


 横須賀は山里の頭を掴み、もう片方の手には太刀が握られていた。何より、山里の身体は、首と離れて地面に横たわっていた。


 猿飛の全身から力が抜けていく。そのまま気を失ってしまいそうになる。耳を澄ませば、回線を伝ってオペレーターがひくひくと涙声を漏らしているのがわかった。


「……言わなくていい。大丈夫だから」


 猿飛はなるべく優しい言葉をかけるようにした。横須賀は表情を変えないまま、蒼く染まった瞳からとめどなく涙を流していた。


「猿飛……てめぇ……!」


 ふと、声が聞こえてきた方を向けば、怒りをあらわにした豊田がいた。今にも猿飛に掴みかかりそうになっているところを懸命に九十九が取り押さえている。


「お前のせいで……お前のいい加減な采配のせいでッ……!」


「コラ、玉!! そないな事言ったって始まらへんやろが!」


「うるさいッ! ……あの優しくて優秀な海野さんを……山里さんを……どうして失う事が出来た!!」


 豊田はボロボロと涙を流しながら、何度も九十九の腕を振りほどこうとしながら、猿飛の方へ突き進もうとしている。


 これが自分のもたらした結果だと思うと、張り裂けそうになるほど胸が痛む。


「みんな……私がしでかしたことは……」


 猿飛は願う。もう、たくさんだ。これ以上の悲劇はもう嫌なんだ。ただ、皆を助けてください。それだけでいいんです。


 だけれども、そう願ったとしても、ダメ押しをするようにオペレーターが震えた声でこんな事を口にする。


『単眼の……使者が……』


 猿飛はオペレーターがマップに表示した情報を確認すると、なんと更に五体、コントロールステーションの方へ単眼の使者が向かっているのが見えた。


「まだ……来るってーのかよー……」


 もう、無理だと口にしてしまいたい。その言葉はもう猿飛の喉元まで出かかっている。けれど、まだ私の事を信じてくれる人がいたのに、一生懸命にならなければ嘘になってしまう。


 だから、無理を承知で猿飛は、


「……お願いだー……増援を、出してくれー……」


 この戦線を継続することを頼み込むのであった。


 馬鹿なことを口にしているのは分かっている。情け無い事だとも分かっている。しかし、皆を見捨てたまま、この戦場から帰還することなどしたくはなかった。


 這いつくばってでも、泥をすすることになったとしても、これだけは曲げてはならないと猿飛はかたく心に決めていた。


 しかし。


『断る』


 低い、芯のある声がした。


 猿飛は聞き覚えのあるその声を聞いて心臓が止まる思いをした。猿飛の顔はみるみるうちに青ざめ、次に口にした声は震え上がってしまっていた。


「……そ、その声は」


『調整班団長、和邇わにだが』


 猿飛の反応も仕方のない事だった。何せ、東方の実質ナンバー3から返事があったのだから。声色はやけに落ち着き払っていて、その様子が余計に恐ろしい。


『初めに言っておく。お前の仕事は、もう二度と引き受けない』


 その言葉に反論するつもりはなかった。


『増援は出さん。黙って、死ね』


 ぴしゃりと、そう言い切られてしまった。一番重要なことを真っ向から拒否されて、猿飛は初めのうち口をパクパクさせて、何も口にすることができなかった。


「……そう……ですか」


 そして、ようやく返せた返事には力が感じられなかった。


 分かっていた。分かっていたことだった。だが、瞳の奥底ではぐずぐずと熱いものが湧き上がってくる。こんな思いは久々のことだった。何だか懐かしい気持ちにさえなる。


 歯を食いしばる。このやるせなさも、情けなさも、かつて忘れていた感覚の一つだ。そして、忘れてはならなかった気持ちだとも思い出す。


「でも……」


 だから、気がつけば猿飛はまた言葉を続けていた。


 猿飛は思う。諦めてはならないのだ。このままでいいはずがない。だって、このままでは皆が死んでしまうから。皆は私に希望を抱いているのだから。ここで私が引き下がれば、一体私は何の為にいる? 無意味だ、いない方がマシだ。


 だから、情け無いことだと分かっていても、猿飛はすがる思いで言葉を続ける。


「それでも……助けて欲しいんです……私のミスだと分かっていても……このままみんなを殺したくはない……」


 しかし和邇は厳しく、落ち着いた口調で言葉を続ける。怒りを押し殺していることも、よく分かる。


『いや、何を言っているのか、何がしたいのかよく分からない。何故お前のケツ持ちのために、リスクを冒してまで人を出さねばならん』


「しかしー……このまま引き下がれば全滅してしまいます……和邇さんだってそれはー……」


『オイ』


 和邇はより一層低い声を出す。そのたった一言だけで猿飛は怯え、すくんでしまう。その一言の裏に潜む情報量は計り知れないもので、和邇はそれだけの意味を込められる凄みがある。


『どの立場で口を聞いている。そのために生贄を差し出せって? 馬鹿馬鹿しいと、自分でも分かっていないのか?』


「しかし……」


『話にならないな。お前の気持ちは痛いほど分かる。だからこそ、お前が全然ダメだってこともよく分かる。お前、言ってみろ。今までこの東方で何を見て、学んできたのかを』


 それからしばらく猿飛は言葉を返せなかった。和邇の言う事はもっともだ。


 猿飛は考える。私はずっと東方を否定してきた。何も受け入れることをしなかった。東方の想いを、無視し続けていた。だから、学ぶことはなく、自分よがりの考え方をただ膨らませていただけだった。


 そんなことを今更ながら知って、いたく情けなくなった。


「私はー……今まで一体何を……」


『じゃあ、質問を変えよう。いくら出すんだ?』


「……え?」


『この任務には十三億くらいの金を掛けてたはずだ。なら出せるよな』


 その言葉を受けて、猿飛は冷や水をかけられた気持ちになる。改めて思い出した。この東方での価値観を。


『一人頭で五千万どうだ。こんなのはした金だろう』


 それは普通なら有り得ない、法外な価格だった。通常の千倍はある値段。しかし、状況が状況だ。言い値なのは致し方ない。


 ただ、あまりの値段に言葉に詰まる。身も心も震えてしまう。猿飛はわずかに考え込んでから、身を投げる思いで言葉を吐き出した。


「は……払っ……!」


 だがそれは、すぐに和邇に言葉を遮られてしまう。


『もうダメだ。そんなの私なら即答だ。そんな覚悟もないくせに、人の命を任せられる訳がない。ウチからは人をもう出さん』


 最後の最後で、猿飛は対応を誤った。


「…………そう……ですかー……」


 猿飛は力なく返事をする。


 こうなってしまえば、もう後は自分が何とかするしかない。ただ、この状態はどう考えても自分でどうにかなる範疇を超えてしまっている。


「……みんな……ゴメンよー……後は私が死ぬ気で戦うから」


 諦め半分で猿飛は呟いた。


「許してくれッ……」


 許してくれるはずがない。こんな情け無いリーダーなのだから。


 けど、今まではリーダーとして、頑張れていたのかな。頑張ってきたつもりだったのにな。


 ふたたび、猿飛はサイコドラグーンを構える。視界が滲んでかすむ。


 後はできることをするだけだ。死に物狂いで戦い抜くだけだ。まだ希望は無いわけではないのだから。


「皆の為に……私はァッ……!」


 その時。


『しかしだ』


 また低い声が猿飛の頭の中に響く。


『金も出さず、まだお前の仕事について来る阿呆がいると言うならば……』


 そんなこと、万が一でも、億が一でもあり得ないこと。だけれども、損得を超えて、最後まで付き合ってくれるヤツがいるとしたら、


『後は結果を出せ。それが東方の巫女なのだから』


 きっとそれは、猿飛の後姿を見て、心から信頼し、評価してくれている人なのだろう。


「全く……私をのけものにするからこうなるのよ……!」


 コントロールステーションが音を立て、煙を吹く。その後に聞こえてきたその声の主は、子うるさくて心配性の、だけどいつも猿飛の傍にいて支えてくれた人だった。


「全く、私がいなくちゃホントにダメなんだから」


 八雲詩子。猿飛の右腕と言っても過言ではない彼女が、この絶望的な戦線に舞い降りたのだ。


「詩子……! どうしてお前がー……」

 

「説明は後! 今はここをなんとかしなくちゃ……! それに……」


「八雲だけじゃあないさ」


 さらに、別の声がした。この状況で余裕たっぷりの事を口にできるのは一人しかいない。


「ばばーん! 副大将兼技術統括、國弘立、見参! ……ってね」


「なっ……! く、國弘さんまで! どうして?!」


「こんなヤバい現場を放置するほど私は情に薄くないからな。それと……」


 國弘は猿飛の肩に腕を回すと、優しくこう告げた。


「ここまでよく頑張ったな」


 そして、國弘はいたずらっぽく笑って見せる。なんだか、そんな些細なことだけで心の奥底がじんと温まる。感情を抑えることがこらえきれなくなる。気が付けば猿飛はボロボロと涙をこぼし始めていた。


「國……弘……さんッ……!」


「おいおい! 泣くのはまだはえーぞ! さぁて、こっからが踏ん張りどころだ。行くぜ、みんな!」


 戦闘制御第一副リーダーと東方の副大将。彼女らの参戦で、この戦場の流れはまた変わり始めた。

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