第45話 あした天気になぁれ⑧

「ユイよー……ほんっとうに申し訳ない事をした!」


 猿飛はユイの部屋へ来るや否や、顔が見えない程に頭を下げ、黄金のしなやかな髪をまっすぐ垂らし、そのまましばらくユイの前から動かないままでいた。


「こればっかりはリーダーである私の不始末なんだー……」


 そんな訳が無い。 むしろユイは自分の方が悪いと考えていた。自分の甘さが、結果的に八雲へ酷い罰を与える事態を招いてしまったのだから。ただ、ユイと八雲のデートの中で語られた事実を知って、ユイも色々と考えることがあった。ユイは感情を含ませながら、猿飛の垂れたこうべを見詰めながら口を開く。


「そんなことは無いですよ……これは……」


 ユイは言いかけてから、繋ぐ言葉を考えるため、少し間を置いた。そしてわずかの間、苦く、哀いを浮かべた顔をして、次に誤魔化したようにほんの少し笑って見せて、一言だけこう告げた。


「誰のせいでもないんです」


 逆だ。本当は逆のことを言いたかった。皆のせいだと本当は言うべきだった。そしてユイは、この前のデートで語られた詳細も知らず、ただ自分の不始末だと告げた猿飛が、ユイには何となく納得がいかなかった。


 自分が紡いだこの言葉では、猿飛しか助からないだろうとユイは思った。わずかにしこりが、自分の喉元に残った。あと少し吐き出すだけなのに、それができなくて、辛い。


「ユイには嫌な思いをさせたなー……」


 その言葉で片付けられてしまうのは、何の解決にもならないと思った。


 その言葉に甘んじて逃げる自分は、ズルくも思えた。


 ただ、ユイは言葉を返すことができなかった。それが結果だった。


 ふと、ユイは思う。あの八雲の言葉を、自分が猿飛へ伝えても良かったのだろうか。深い関係を持つ二人の間に介入する資格など、ユイには無いと思っていた。


 ただそんな考えも、言い訳になってしまう。本当に八雲を助けたいのなら、八雲の想いくらいは口にしても良い筈だ。言葉を紡げないのも、自分の力不足ではなく、八雲を助ける気持ちがまだどこか足りないのだろう。若しくは自分が逃げているのだろう。


 ――場所は変わって、ユイは猿飛に連れられて東方神社内のある部署へ向かっていた。


 ユイ達は別の棟へ架かる木造の橋を歩いている。東方神社が高い位置にあるために、街は小さく目に映り、少し恐ろしい。ユイは朱色に塗られた欄干らんかんに手をやって、恐る恐る歩いている。


「私はあの時、詩子ともっと話しておくべきだったんだー……。ただ、今となってはどうにもならない。とにかく、私は自分の仕事を成し遂げなきゃいけないんだー。そうすればきっと、詩子とは落ち着いて話せるはずだからー……」


「猿飛さんは、その……八雲さんが口にしていた『キミツ第一コントロールセンター更新』に相当力を入れているんですね」


 ユイは少しだけ寂しそうに告げた。それを皮肉と捉えて貰っても構わなかったが、猿飛は意に介さない様子だった。ただ猿飛は自分の気持ちを、真剣な面持ちで口にする。


「当たり前さー。最重要地区のキミツの設備を、こんなボロボロなるまで放置できる程、私は無責任じゃない。誰かがしないといけない事から逃げちゃいけないって、私は皆に示したいし、その思想を誰かに引き継いで欲しいんだー」


 猿飛の言葉には熱がこもっていた。その仕事に対する思い入れの強さを見ると、八雲の気持ちまで恐らく気が回っていないだろうとユイは少し残念そうにする。


「私が仕事人間に見える、かなー……?」


 不意に猿飛はそんな事を口にして、ユイはハッとする。その寂しささえ感じられる言葉を聞いて、ユイは猿飛が抱える想いを垣間見た気がした。猿飛も全く気が付いていないはずがなく、そう告げるからには自覚があるのだろう。そして、周りからどう思われているのか不安に感じているのだろう。


「どうして八雲さんを外そうとしたんですか?」


 気が付けばユイはそんな事を口にしていた。自分にはそれだけのことを口にする資格は無いと思っていたのだが、もうそんな事も言っていられなかった。ここで声を掛けなければ、猿飛がいつまでも今のままになってしまう気さえして、ユイは一歩踏み出すようにした。


 すると猿飛は歩を止めて、ユイの方を向く。


「今度の戦闘は、今まで以上に酷い戦いになる。きっと誰か死ぬことにもなる。……勿論、私がこの戦いで、死ぬことも念頭に入れている。だからこそ八雲は入れられないんだー。きっと詩子は戦いに情を持ち込む。アイツは命に優先度を付ける。私と姫乃の為に誰かを犠牲にしようとさえすると、私は考えちゃうんだー……」


 ユイに向けた猿飛の面持ちは、苦しそうで、その様子は病的にも思えた。 こんな弱気な猿飛の姿を見るのはユイは初めてで、唖然としてしまう。


「ただ、その気持ちは詩子にはきっと伝わらない。アイツは私以上に頑固だから、いくら話しても戦闘に出るに決まってる。なら、もう無理矢理でも外すしかない……馴れ合いじゃ、仕事はできないからなー」


 猿飛が居に語り掛ける間、ユイはそれを黙って聞く事しか出来なかった。


 橋を横切る、風の冷たさを知った。


 今の自分には猿飛に掛ける言葉は無くて、更に言うならば自分一人ではどうしようもならない様な、根深いものをユイは感じてしまった。


 そして猿飛は少し微笑んで見せてからから、また前を向いて歩を進める。それは、もうどうしようもないんだよとユイは言われた気さえした。


 ユイが思う以上に、猿飛と八雲の関係は複雑で、でも抱える問題は単純で、どうしてもっと二人は歩み寄れないのだろうかと思ってしまう。二人は話し合える関係なのに、出来ない理由は何なのか、理解できそうでできないこの感覚は、思い詰めた猿飛を見た時のそれ、『病気』と言うのがやはり適切なのだろう。それもこの病は、特効薬が無く、治るまでは安静にするしかない、タチの悪いものである。


 二人はその後、言葉を交わすことは無かった。ユイはその間、悶々としたまま歩を前に出すだけで、周りの風景も頭の中に入ってこなかった。


「ここが技術部だー」


 そう言われてユイはようやく我に返る。気が付けばその技術部と呼ばれる部隊の仕事場に到着していた。皆はデスクに座ってパソコンと向き合い、黙々と仕事をしている。少し雰囲気は戦闘部隊と比べて、重苦しい。


「おぉ……まさか君の方から私に逢いに来てくれるなんて……」


 そんな浮ついた言葉が聞こえた時にはユイは後ろから誰かに抱き付かれていた。こんな事をする人物は一人しかいない。


「ぎゃぁぁぁあ! どうして國弘さんが!」


「どうもこうも、ここは私の統括下だからね。私は副大将兼、技術統括だからさ」


 そう言いながら國弘はユイをきつく抱きしめて放さない。一応これでも男なのだから、いろんな意味で勘弁して欲しい。勿論、國弘はそんな事を知るはずもないのでどうにもならないのだが、バレた時の事を考えると恐ろしい。


「あれ? ユイは國弘さんを知っているのかー?」


「知っているも何も、ユイちゃんは私の愛人だからな」


「テキトーな事を言わないで下さいよ!」


 國弘が真顔でそんな事を言い出すので、ユイは真っ向からそれを否定する。しかしユイがどう否定しようが國弘は気にも留めない。幸せそうな笑みをしたまま、甘える様にユイにくっついたまま離れないのであった。そんな國弘の様子を見た猿飛は呆れた様子で、國弘からユイを引き離すべく、ここに来た目的の話をするのであった。


「國弘さーん。それよりもキミツ向けのコントロールセンター製作はどうなんですかー?」


 すると國弘は目の色を輝かせ、ユイから身を離す。


「あぁ、進捗は上々さ。私が製作指揮しているんだから間違いないに決まってるだろう。まぁあんな大物件、私以外の技術担当がやってたらどんな奴でも失敗するだろうけど、副大将の名に懸けて私はそんな事はしない。……そんな事よりも、現地だよ現地! こんだけの作業量を少人数かつ短期間でこなせなんて、作業団長のワニちゃんを説得するの大変だったんだから。因みに、手配してくれた作業員を一人でも仏さんにしたら、『お前からの仕事は二度としない』ってクギ刺されてんだからな!」


 國弘は急にゴキゲンな様子で、ぺらぺらと話をし始めた。どうやら自分の好きな事になると夢中になって我を忘れるタイプなのだろう。一方で猿飛はマイペースな口調で簡潔に言葉を返す。


「そこは盤石な体制で挑むんで安心してくださいよー。私も和邇わにさんに殺されたくないですからねー……」


 話を聞く限りでは、戦闘以外にも、現地で機器の更新作業のみを行う、特別なメンバーも投入するようだ。それは戦闘部隊とは異なる部署の人らしい。


 そしてその部隊のリーダーにあたる『和邇さん』と呼ばれる人物は、話の様子からするに、二人が恐れる程おっかない人物なのだろう。


「それより、猿飛よ。八雲……投獄されたんだって?」


 國弘は急に神妙な顔つきになる。同時に國弘の言葉を受けて、猿飛の態度が露骨に不機嫌そうになった。それを見た國弘は、ふぅん、とわざとらしい声を出してから猿飛にこう告げた。


「まぁ、そんな事があっても無くても、そもそもキミツの更新では外す予定だったって私は聞いてたが……全くお前、昔から成長しないな」


「どういう意味ですかー……」


「分かんないなら分かんないままでいいさ。お前が気付くときに、真剣に考えればいい。きっと近々、分かる時が来る」


「それは、『偉大なる父グランパワー』で見たんですかー……?」


「いんや、勘さ。当たるぞ? 私の勘は」


 その言葉の後に間があって、猿飛は一度ため息を吐いた。


「さいですかー……とりあえず状況が分かったんで、安心しましたよー。では、私はこれから設計に挨拶へ行くんでー。ユイよ、國弘さんとよく話しとくんだぞー」


 猿飛はそう言って踵を返し、事務所の奥へ歩いて行ってしまった。それを見た國弘は呆れた様な顔をする。


「アイツ、逃げやがったな。全くこれだから猿飛はよ……」


「あ、あの……」


 その言葉の後に、ユイは猿飛の気持ちをフォローする言葉を投げかけようとした。しかしその言葉を國弘は遮る。まるでユイの告げる言葉などお見通しで、かつそんな事を話すのは野暮だと言うようだった。


「ユイちゃん、大丈夫さ。私だって、猿飛の事情が分からない訳じゃない。今ユイちゃんができることは、八雲の代わりにユイちゃんがアイツの事をよく見ておくことさ。猿飛はああ見えて繊細だから、あのままじゃ、良くないね」


「……私に八雲さんの代わりが務まるでしょうか?」


 すると國弘ははにかんで、ユイの頭に手の平をやると、優しい口調でこう告げる。


「大丈夫。務まる、務まらないは関係ないさ。ユイちゃんはユイちゃんなりにやる事をやり切ればいい」


 そしてその言葉の後、國弘は表情を引き締めてから言葉を続けた。


「それにこのミッションは失敗すれば、今回発生した費用はすべてアイツの借金になる。若くして数十億の負債を抱えることになる。」


「え……借金?」


 それはユイも初めて聞く内容だった。猿飛は人の命、金、全ての責任を背負っている。そのプレッシャーは想像もつかないほどで、他人のこととは言え、圧によって吐き気さえする。


「そうさ。だから皆はこんな事をやりたがらない。猿飛自身も、明るく振る舞っているが相当プレッシャーを感じているハズ。……だからこそ、アイツの事をしっかり見ていて欲しい」


 國弘から告げられたその言葉は、ユイに重く突き刺さる。


 だからこそ自分がしっかりしなければならない。猿飛をしっかりと支えなければならない。しかし、不安要素は残されたままで、八雲の気持ちに蓋をして戦闘をしてしまって良いのだろうかと、ユイは考えてしまう。ユイにはどうしようかと思ったものの、その答えを今、見つけることができなかった。そして想いは浮かべたものの、時が過ぎるのは早いもので、気が付けば決戦の時が来た。


 キミツ第一地区。東方の黎明期れいめいきに構築された、東方の第一戦線。そこに彼女達は降り立った。


 そしてその時はあいにくの空模様で、彼女達の心を裏切る様に、映すように、そこには静かな暗闇の中、寂しく粉雪が舞い散っていた。

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