第21話 空穿つ天上の眼③
「ユイっ、やめぇっ!」
九十九は止めようと慌てて呼び掛ける。しかしユイは止まる気など毛頭無かった。ユイは今の感覚を前回の様に意味も無く使者へ飛び出して返り討ちにされたあの時の感覚とは違うと感じていたからだ。今度は勝つつもりでいる。だから前に出た。殺す、殺し切るつもりでいるのだ。
「……あの時の東方の様にっ!」
あの時、東方は何の躊躇も無く己の命を危険に晒して、敵の腹に飛び込んだのだ。
東方は分かっていた。命が吸われても、身が千切れようとも、獲らなければならぬモノがある、欲しいモノがある。だからあんな戦いができる。
これは誰の為の戦いだ? 誰かに望まれるの為の戦いで無く、己の意思の為の戦いでなければならない。
「サイコソード起動っ!」
ユイは敵の懐に飛び込む寸前でサイコソードを立ち上げた。黒い刃に彫られた筋に赤い光が流れ込む。
これは何の為の戦いだ? 逃げる為の戦いで無く、欲するモノの為の戦いでなければならない。そうだ、恋い焦がれる様に、己が望まなければ、生命は奪えない、救えない。
東方は分かっている。身体を差し出してもその命を奪う理由をだ。
「そうだ……木虎と私を取り戻す為に殺すんだ!」
ユイは刀を振りかぶりながらその場から飛び上がる。
そして、身を投げ出す様に、使者の身体へと飛び込んだ。次の瞬間、ユイの叫び、弾丸を撃ち込む様な音、使者の悲鳴、様々な音が発され、混じり合う。使者に飛び込んでからは急速にエーテルが減少していき、その度にユイは使者の中でサイコアクチュエータを何度も起動する。命を投げうつ狂気の感覚。ただ、それは恐ろしくもあり、また快感でもあった。
「これで終わりだっ!」
ユイが使者の体内で力強く刀を振り下ろすと、使者は苦しみ、もがいた後に、プツリと電源が落ちた様に固まってしまった。表情の無い能面の様な仮面は呆けた様に空を見つめたままで、その面の目や口から赤い血が流れた。そして次第に使者は透明になってゆき、何もなかったかの様に消え、その場にはユイだけが残された。
「……終わったよ」
こうしてユイは鴉型の使者を倒した。しかしそれに対して待ち受けていたのは、
「アホかっ! アンタなぁ、もし小林はんみたいになったらどないするつもりやったんや!」九十九の叱咤だった。
「何でなん? 何でそんなに身体を大切にせぇへんのや!」
そう言いながら、次第に九十九の瞳は潤み、よりユイを強く抱き締めた。それも強く、強くだ。
「ホンマは辛かったやろ……もう二度とそないな事をしたらアカンよ」
そう言われてユイは無言で九十九を強く抱き締め返した。
勿論分かってはいる。ただ、もう引き返せない道を歩んでしまった様な気がして、ユイには確証のある返事をできなかった。
その後ろめたさに苛まれていたその時の事だった。
「……ん?」
突然、九十九の表情が変わる。何が起きたかは分からないが、どうやら九十九は何かに気が付いたらしく、その顔は青ざめていた。
「ア、アカン……来る」
「……え?」
空気が変わった。ユイは九十九が何故そう怯えるのか意味が分からなかった。しかしユイは視界の端に映る表示を確認して、どういう事か理解する。
「あ……時間……」
二人は寒気に襲われる。約束の時はもう過ぎた。来る。あの女が。
そう思った、その刹那の事だ。突然その場に轟音が響き、同時に九十九の銃を繋ぐケーブルが、焼き切れて切断された。
「うわあぁぁぁぁぁっ!」
「えっ……!」
そして同時に遮断器が落ち、九十九の体に激痛が走った。直ぐにユイは九十九のケーブルを抜き、電源を再投入する。
「……お得意の狙撃銃モデル、か」
九十九は苦しそうな表情をしながら言った。
「今のは……」
頰に一筋の汗が流れた。ユイは何かを感じ取る。後ろに何かがいる。恐る恐る後ろを振り返ると、そこには恐怖を運んで来る者がいた。
「もう大将のお出ましか」
九十九は苦い顔で呟いた。姿、格好は美しく、後ろで結った長い黒髪は風になびいている。左手に刀を握り、背中には長身の銃を担いでいる。見つめるだけで、見つめられるだけで息が出来ない、異常な程の圧力を持っている。
そんな、女がいた。
「どうもユイさん、九十九さん。木虎さんは見つかりましたか?」
それは東方の長。小林も、木虎も、猿飛も、全ての強者を束ねる女だ。
しかしまた、答えは分かっている筈なのに、随分と意地悪な問い掛けだ。
「……いいえ」
九十九がそれだけ答えると、東方は表情を変えず淡々とこう言った。
「なら撤退する他にありませんね」
木虎は無理だ。木虎は死ぬ事を望んでいた。東方には少なくともそう見えている様だった。
すると東方は軽く鼻で笑ってから、黙る事しかできない二人に対して追い討ちをかける。
「ユイさんは誰の為に木虎さんを生き返らせたいのですか?」
「それは木と……」
「貴方の為でしょう?」
ユイの言葉は言いかけて遮られた。
「木虎さんの為にではなく、自分の意見を正当化する為の蘇生なら殺した方がマシです。また木虎さんは同じ事を繰り返す」
確かにそうかもしれない。しかしだ、ユイは落ちる寸前の木虎の姿を見ている。
あの最期の悲痛な呟きを聞いている。だからこそ、ここで木虎の事を話さずにいれば木虎の気持ちを反故にする事になる。
「……生き返らせたいと願うのは私のエゴかもしれない。けれど貴方は何故木虎さんが死んだか知っているんですか? 木虎さんの話を聞いたことあるんですか?」
今度はもう東方から引く事はしたく無かった。しかし東方も譲る気は無い。
「木虎さんの気持ちを深追いするはありません。死にたいなら死になさい。生きたいなら生きたいと早く言いなさい。そうとしか私は言えないのです。勿論、木虎さんは戦力です。取り戻せるなら取り戻したい。しかしそれに見合わない代償を払う所まで到達したら私は見限る」
あくまで東方は自分に付いて来られなかったら切り捨てる方針だった。その人物については一切考えず、ただ一定の基準で裁いてしまう。まるでユイが有能無能で判断し、自らを無能と切り捨てて諦めた様にだ。
人の事を考える余裕の無い時に、人を早急に判断する為に基準を設ける事をユイは行っていた。だから東方の気持ちは分からなくも無い。しかし共感しようとするつもりは毛頭無かった。
「何でだ、何でそんな他人面していられる……木虎さんは東方さんがダメにした。貴方のその基準が優秀な人をふるい分けるだけでなく、人と人を無関心にさせてしまった。その結果、木虎さんの様な優秀な人間まで自殺する羽目になってしまったんだ! 私は木虎さんの身に起きた事を怒っているんじゃなくて、貴方が木虎の事を一切考えていなかった事を怒っている!」
「仕方の無いことを怒られても困ります」
しかし東方はその全てを一言で一蹴する。
「私は戦争屋です。感情論では戦はできません。強ければそれは正となる。死ねばそれは嘘となる。それが東方に居る上での在り方です。そして私は東方の長。効率的で、冷徹で、そして誰よりも強くなければならない」
東方は言い切ってしまった。東方はユイの様に人の気持ちを考える事は無駄と考えていて、それよりも判断する事に重きを置いている。
しかしユイは絶対に違うと思っていた。私が東方の長ならば死にたい死にたく無いで判断するのではなく、その人の周りに何が起きているのか聞く筈だ。本来、部隊の長を名乗るのならば隊員の気持ちを聞きたいと思う筈で、もっと人を心配するべきでは無いのだろうか。そう考えてやまず、ユイの中である感情が育ち始めた。
すると頃合いだと感じたのか東方はこの話に区切りを付けようとし始める。
「もう問答は終いです。二人とも帰りますよ。それにわざわざ使者を止める為に猿飛だって連れて来たんです。一刻も早く帰るのが礼と言うものでは無いのですか?」
九十九は悔しさの余り歯ぎしりする。今の二人には東方を止める手立てが無い。折角ここまできたのに失敗、全て水の泡にしてしまった。万事休すか、九十九が深く俯いたその時だった。
「響……お願いがあるの」
ユイがそう囁いたのだ。
何だ? 何のつもりだ?
もう木虎は諦めるしか無いのだ。このまま撤退する他に答えが無いのだ。しかし、このタイミングで『願い』をするのであれば……いやまさかな、と九十九は自嘲気味に笑って見せたが、ユイがそのまさかを回答するとは思いもしなかった。
「私に東方さんを止めさせて」
そう、ユイは東方に対して反旗をひるがえすと言うのだった。
「バ、バカ言うなや! 相手はウチの大将やぞ! しかもここまで事を大きくすれば命まで保証出来へん!」
しかし慌てて九十九が止めようとした時にはもう遅い。ユイはその言葉を無視して銃を腰から抜くと九十九にそれを渡してから、刀を東方へと向けた。
「ダメだ響、許せない人がいる」
九十九は口を開けたまま固まった。ユイが東方に歯向かった事も驚きだったが、普段の弱々しいユイとは打って変わって、こんな姿を見せるなど想像がつかなかったからだ。
一方東方と言うと、微かにだが笑っていた。東方の笑いは混じり気のない実に純粋なもので、その笑う姿は童の様だった。すると東方は腰の刀に手を掛ける。
「そうです。それこそが東方部隊のあるべき姿……そして私はその目が見たかったんですよ。正直、木虎さんなんてどうでもいい。私は真に人を殺す、人を求めるその目を拝みたかった。私だけを見つめるその目が欲しかった」
「狂人め」
「それより私に復讐がしたいのでは無いのですか? なら殺しに来なさい、紐房結衣。延長戦といきましょう」
東方は正面に構えた刀はユイを捉え、手首を捻って刀の脇腹を見せると、そこには悪魔が映った。
「次の制限時間は貴方の命が消えるまでで良いですね? ユイさん?」
ユイは頷いた。
私は無能。頭は悪い、力はなく、手は遅い。けれど、自分が出来ない分だけ人の悪いところ良いところを探す事はいつもしてきた。誰かを理解しようと努力してきていた。誰かを倒す力はなくても救う力はあるかもしれない。
「ごめん。九十九はコントロールステーションに行って引き続き木虎の構成を確認しに行って」
九十九はその言葉に返事をしたく無かった。言えばユイは東方と真っ向に向かい合わなければならなくなる。ユイが死ぬ可能性だって十二分にある。しかしここで九十九にユイを止められるだけの理由が無かった。九十九にはユイが木虎を想う気持ちを無下にはできなかったのだ。
だから仕方なく、「……無茶だけはすんなや」そう告げた。
「うん」
ユイの返事に保証は無い様に見えた。ただ、九十九もユイが無茶をするだろうとは薄々感じてはいる。だからユイを見殺しにする真似などしない様に、一秒でも早く、自分の任せられた仕事を終わらせなければならない。そう感じた九十九はユイの後ろ姿を名残惜しそうに見つめてから、「ユイ、待っとれよ……!」
勢い良く振り返り、そのままコントロールステーションへと走り出した。
「……追いかけなくて良いんですか?」
何事も無かった様にその場に立っている東方を見てユイは問い掛ける。
「それは詰まらない質問ですね。私は私を殺そうとしている人間にしか興味がありません」
東方は狂っている。しかしその根底は純真で、真っ直ぐ過ぎる程だった。
その心、穢れを知らぬ処女の様。だからこそこの女は恐ろしく、そして強いのだ。木虎や猿飛などを束ねるだけはある。
そうして二人は対峙したまま、暫く黙ったままでいた。
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