第34話 激戦! キミツ第一地区③

『おつかれー詩子ー! 流石だぜー!』


 ユイが悩み思い詰めていた時に、その軽い言葉が聞こえてきた。勿論、悪い意味ではなく、何だかそれを聞くと安心して気が抜ける様な心持ちになる。ただ、この状況が宜しくない。ユイと八雲の関係が気まずく、さらに言えば八雲が常に苛立っている状況で、猿飛の言葉が更に八雲の心を逆撫でないか心配で仕方がなかった。


「ミコト」


 その言葉を聞いてユイは凍り付いた。八雲が俯きながらぼそりと告げたその言葉。それはさながら種火の様で、次にまばたきした頃には、ごうごうと八雲の怒りは燃え盛っているだろう。


 ユイは内心ハラハラしながら、八雲をじいっと見つめる。額から頰へ流れた汗を拭き、ごくりと唾を飲む。そして八雲が口を開いたので、それを見たユイは身構えたのだが、ユイの想定に反した事が起きるのであった。


「あ、ありがとう……ミコト……」


 八雲は少し顔を赤くして、より深く俯いた。銃をきつく握っていた指も、ほどかれた様に緩くなって、八雲はその指で頰を軽くかいた。


 それはユイにとって、衝撃的な出来事だった。八雲がそんな乙女らしい仕草を見せるなど、当然今まで見た事が無く、そして今後も見せない表情だとユイは思っていた。


 しかし何故そんなに恥じらう事があるのだろう。猿飛と八雲は長い付き合いなのだろうから、そんなに恥ずかしがることもないだろうにと、ユイはそんな事を思いながらも、とにかく助かったと安堵する。


 だがその状況も直ぐに一変することになる。


『詩子よー。ユイの調子はどーだー?』


 それを聞いた八雲はがっかりした様な顔をした。続いてユイを強く睨め付け、恨めしそうにこう告げる。


「……全然ダメよ」


 鋭い視線を向けられて、折角八雲の怒りが落ち着いたのに、この様子では正直こっちががっくり来てしまう。しかし猿飛の言葉一つで急に態度をコロコロと変えられては堪ったものではない。


『まー、そんな厳しくするなってー。こんな状況で教育ができるのは私の知る中では詩子くらいだからなぁー。とにかく、宜しく頼むぜー』


 そう告げて猿飛は回線を切ってしまった。急に回線を切られたこともあって、余計に八雲は不機嫌そうになり、ぶつぶつとユイに聞こえない位の声で文句を垂れた。


「……ユイさんのことばかり気に掛けて……それに私以外でも、能力があればできるみたいに言わないでよ」


「ど、どうかしましたか?」


「……何でもないわ。作戦を続けましょ」


 八雲はそう言って他所を向いてしまった。しかしこのまま気まずい状況も良くないだろう。他愛のない会話をしていなかったと思い、ユイは思いつく限りの、ようやくひねり出した言葉を口にする。しかしそれを出したまでは良かったが、ユイは余りに素材の味を前面に出し過ぎた。むしろ素材をそのままぶつけたと言っても過言ではなかった。


「八雲さんは……猿飛さんの事が好きなんですね」


 余りにダイレクトな言葉だった。ユイとしては、深い意味を込めず、猿飛と八雲の仲の良さについて告げたつもりだった。しかしその言葉を受けた当の本人はまず噴き出して、酷く動揺して、顔を真っ赤にさせた。


「な、な、何言ってるの? 女の子が女の子を好きになるなんて、普通は有り得ないわ! 普通は……ね。た、確かに私達は長い付き合いだけど、ミコトとはそこまでいってないって言うかッ……!」


 顔に両手を当てて、顔を左右に振る八雲。ユイはそのただならぬリアクションを見て焦り、慌てて補足の言葉を掛ける。


「い、いや、私が思ったのは仲良しだなって思っただけで……」


 八雲はそれを聞いてハッとして、真っ赤になった顔を今度は耳まで赤くする。そして前のめり気味になって、ユイに詰め寄り、大きな声でこう言い放った。


「だ、だったら早くそう言いなさいよ!」


「ご、ごめんなさい!」


 逆に余計な事を言ったのかもしれない。ユイは少し反省しながら、もう二度と余計な事は言うまいと心に誓った。


 しかし八雲は変わっている。理由はよく分からないにしろ、猿飛関連の事になると感情豊かになる。もっとこれ位自分に心を開いてくれればなぁとユイは思いながら、一方でどうしたらいいかを大真面目になって考えていた。すると八雲はユイの顔を覗いて、こんなことを問いかける。


「……ユイさん、変だと思ってるでしょう?」


「え、え? な、何のことでしょう?!」


 まさか心を見透かされたのだろうか。ユイは慌てふためいていると、八雲はその様子を見ていぶかしし気な顔をした。


「……いや、戦況のことを聞いたんだけど。何だ、なにかに気が付いてるかと思ったけど、思い過ごしみたいね。とにかく思ったのは、使者が撤退するのが余りに早すぎる。それに、辺りが静かすぎる」


 何だ、そのことかと思ってユイは一安心したのだが、今度は八雲の言葉で戦況の方が不安になってきた。確かに少し前まであれだけ使者が二人目がけてやって来たのに、今は一匹も見当たらない。


 少し嫌な胸騒ぎがした。嵐の前の静けさのようにも感じた。ことわざをそのまま鵜呑みにするわけではないのだが、ユイと八雲の共通認識的には、限りなくその諺の状況に近いと感じていた。


 そして直感は確信になった。少し奥に見える曲がり角から、何やら妙な音がする。


 ――ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ。


 聞き慣れない荒い吐息が聞こえてきた。普段使者はこんな音を出さない。だからこそこの静けさに響くこの音が、気味悪くて仕方がなかった。


 それを確認する為の一歩が、重い。二人はくぎ付けになる様にその場に立ち尽くしていると、二人が居る大通りに、背中から抜ける様にして生暖かい風が吹いた。それは二人の背中を押すようにも、追い詰める様にも感じた。


「……少し、見てみるわ」


 八雲は唾を飲み込んでから、意を決して歩を進めだした。ユイも後ろから、遅れて八雲に付いてゆく。


 一歩、二歩と進めるまでは良かったのだが、音源に近づく程に、足取りは重くなる。そして曲がり角の直前まで来て、八雲とユイはその角の壁に張り付いて、先ずは息を凝らした。


 ユイと八雲は顔を合わせて、一度だけ頷くと、八雲はゆっくりと物陰から顔を覗かせると――


 ――危険信号が、八雲の脳の中で暴れまわった。


 それを見ただけで、八雲は瞬間的に、元居た角へ戻り、物陰に身を隠した。そしてユイにしがみ付きながらこう言ったのだ。


「やばいやばいやばいやばいやばい……!」


 細く、掠れる様な声で言った。それは叫び出したくなる様な思いを押し殺して、手を口元に当てて息を塞いだ結果だった。本当は叫びたくて喚きたくて仕方がなかった。


 八雲は無理矢理に人が起こす条件反射を捩じ伏せていた。恐怖を何とか抑え込んでいた。恐怖しているのか、興奮しているのか、分からなくなる程に、八雲の息は荒くなっていた。


「や、八雲さん……?」


『……うたこちゃん、どうしたの?』


 その異常事態に皆は気が付いて、八雲の回線に注意を向ける。確かに八雲は尋常じゃない表情をしている。八雲は息を整えて、深く吸ってから、こう告げた。


「……ミコト、来て」


 その言葉で、全隊員に緊張が走った。


 副リーダーがリーダーを呼ぶ。それだけで、八雲が直面していることは、良い事態ではない事が分かる。ただ何が起きているのかは分からないままで、皆は不安の下にさらされたまま、次の言葉を待っていた。


『……何があったー?』


 猿飛は率直に問い掛ける。すると、一つ、二つ、息を置いてから、八雲は絞り出す様な音声で、こう答えた。


「……今まで見た事が無い使者がいる」


 皆、その言葉を受けて、きゅうと、頭が締め付けられる様な感覚に襲われた。


『新種ってことかー……』


 猿飛が調子悪そうに言った。見た事のない敵を、この厳しい環境下で攻略することは、骨が折れる事だ。するとオペレータが重い口調で全員に連絡を入れる。


『八雲さんが確認した映像を全員に転送します』


 隊員達の視界の隅にある画像が映し出された。そこには八雲が言う、『今まで見た事が無い使者』が写っていた。


 これは八雲が視界に入れた瞬間的な映像を切り抜いたものだ。おかげでピンボケして見辛いが、それでもその使者の異様さが伝わる程、独特な風貌をしている。


 皆はそれを見て、言葉を失った。唯一、感想を口にした猿飛だけの言葉が回線に伝わった。


『……なんじゃこりゃー。ひでぇビジュアルだなー』


 それは単眼の、鬼の能面を付けていた。


 体型はぶくぶくと太っていて、垂れたぜい肉をだらしなくぶら下げている。脂っこく、ちぢれた長い毛を地面につくまで伸ばしている。妖怪じみたその容姿は、見るものを戦慄させた。


『直ぐに援護に向かうー。詩子一人じゃ無理だー。ユイを連れて逃げてくれー』


 猿飛が皆へそう告げた。皆は当然の指示だと思った。ただ、八雲だけはそれを聞いて納得していない様だった。恐怖の震えはぴたりと止んで、怯えていた表情は切り替わって、怒りにも切なそうにも取れる様な顔をした。


「……口を開けばユイさんの事ばかり」


 八雲は歯噛みする。とても悔しそうな顔をしていた。理由はユイにも分からない。ただこの切迫した状況の中で、八雲だけは皆と違う想いが働いている事をユイは感じ取って、不安が頭の中で膨らみ始めた。


 その予感は的中した。八雲はユイにしがみ付いていた手で、ユイの肩を強く握る。そして俯き加減のままで、ユイにこう問いかけた。


「……ねぇユイさん、この戦闘を何のためにするのか、分かる?」


「……わ、分かりません」


 それ以上にユイは言いようが無かった。しかし八雲はそれ以上の言葉を求めている様だった。ただ何かを求められても、ユイは何故こんなに自分が責められているのか分からないまま、困惑する事しか出来なかった。すると八雲は、すうと息を吸い込んでからこう告げた。


「『キミツ第一コントロールセンター更新』」


 八雲は一度そこで言葉を切った。ユイはそんな題など聞いた事も無い。その様子を感じ取って、理解して、八雲はつらつらとこんな事を語りだしたのであった。


「……これは今度ミコトが実施する一大プロジェクト。これは今回はその予行演習も兼ねているの。そして私達、第一部隊が前面に出て対応する予定だった。だから本来なら、その貴重な時間をアンタみたいな新人に割いてる場合じゃなかった。けれど、けれどッ……ミコトはアンタをその戦闘に出したがっている!」


 ただユイにはその言葉を聞いても、どうしようもなかった。だから何なんだと言いたくもなる内容だった。しかし今度は八雲は泣き出しそうな顔をして、全てを吐き出すようにこう告げた。それでようやく、ユイは八雲が自分に対して取る態度の理由を、理解したのであった。


「……私には意味が分からない。ユイさんが参加することで私達が死ぬリスクが増えるのよ? ……そして何より、どうして私が外れる事になるのっ!」


 どうしようもない。どうしようもないのだけれど、その悔しさだけはユイは僅かでも分かりたいと感じた。ただユイはその八雲を苦しめる張本人で、どうしてあげることさえ、八雲にとっては迷惑なのだろうとユイは思った。


 実力が無かったのか、猿飛からどう思われたのか、真意は分からない。だからこそ辛い。きっとこの様子だと八雲も真意を理解していないのだろう。


 だからと言ってユイは猿飛を否定しなかった。それにユイには猿飛に悪意があってのこととは思えなかった。何かしらの理由があると思った。しかしこの不安定な八雲には何となく伝わらなかったのだろうと、ユイは察してしまった。


 譜面から紡いでいた運命が、指揮の乱れによって徐々に崩れていく。人と人が生んだ不協和音が、指揮をずらし、完璧で、安定していたはずのメンバーが、足並みを崩していくことになる。


 八雲は意を決した様に、ユイの目を真っ直ぐ見つめ、こう告げた。


「……ユイさんはここから遠くに離れて。アレは……私がやる」


「でも八雲さん一人じゃ……!」


 八雲はその言葉を受けて、より声が荒くなり、また涙で掠れてきた。


「一人じゃなきゃダメなの! ……私がアレを一人で倒せないと見られたら、それこそ二度と……二度とミコトの隣で戦えなくなるのよっ!」


 もう八雲の目には正常さが見当たらなかった。感情が先行してまともな判断を下せていない様に見えた。だからこそだろうか、八雲はこんな狂ったことを言い出したのだ。


「……九十九さん。ユイさんの遮断器を落として」


 ユイと九十九はその指示を聞いて、体の芯が凍るような気持ちになった。九十九は首をぶんぶん左右に振りながら、恐る恐る声を上げる。


『……せ、せやけど!』


「早くして! このままじゃアンタの友人が死ぬわ!」


 その一言で九十九の心は折れてしまった。それだけ強烈な意思を感じて、九十九は従いたく無くても、八雲に気に当てられて身体が勝手に動いてしまう。


 堪忍してや。


 そう思いながらも、九十九はユイのエーテル受給用遮断器を、開放してしまった。


 ――バズン。


 その鈍い音と同時にユイはその場に崩れ落ちる。まるで引く糸を手放された人形のように、一気に、倒れた身体はだらりとしたままになった。


「悪く思わないでね」


 八雲は動けなくなったユイに向けてそんな言葉を吐いてから、踵を返す。すると今度は、その異変に気が付いた猿飛が八雲に通信を入れた。


『お、おい、詩子? な、何やってんだ! さっきも言ったじゃないか! お前一人でどうにかなる相手じゃないって!』


「できるわ。私に……私にできないはずがないんだ……!」


 人の心は脆い。安定などない。安定と決めつけることが、その慢心が、亀裂を生み、闇を決壊させて、心に洪水を起こす。


 亀裂の入った八雲の心は、崩れていく。彼女の精神は闇を、駆け出した。


『八雲さんが新種に向かっています!』


『ダメだ詩子ッ! 下がらないと!』


「……うるさいっ! そんなに私が信用できないの?!」


『う、詩子……』


 八雲は思わずハッとしたが、直ぐにその思いをぐっと飲み込んだ。走り出したからには、止まれるはずがない。そして――


「これが、新種」


 猿飛の言うように、本当に酷い容姿ビジュアルだった。一瞬見えた時よりも鮮明に見えるので、余計に気持ち悪く見える。


 八雲は息を整えて、両手に握る拳銃を握り直すと、「お前なんかに……私達の日常を壊されて良いはずがないんだ……!」そう叫んで走り出した。


 ――その時だった。


『中故障:伝送系異常発生』


 そんな文字が、八雲の視界に映ったのだ。今まで見えていた景色がぐにゃりと歪んだ。吐き気と頭痛が八雲を襲い、思考がままならなくなる。身体も、自分を操っていた糸がプツリと切られた様に、一切の動作を受け付けなくなった。


 八雲はその場に倒れて動けなくなった。この故障現象の理由は明白で、ここにきて老朽化した設備の問題が発生してしまったのだ。


 ――嘘だ。


 八雲はサイコアクチュエータの仕様で、中故障発生時に起こる薄く黄色くなった視界から世界を眺めている。歪んだ視界では認識できるものは限られていて、目の前にあると分かったものは地面と、自分に歩み寄る使者の足だった。


 八雲の額に、汗が滲んできた。


 こんな時に限って神は自分を見放した。こんなちっぽけなことで、時の運で自分はこの使者に襲われるのか? ましてや、この使者は新種だ。何をされるか分からない。


 地面にこすりつけられた胸の脈動が、地面を強く叩き続ける。頼むから早く復帰してくれと、八雲は祈る様にして一点を見つめ続ける。何もできないもどかしさが身を焼いて、苦しくなって、苛立ちも、自己嫌悪も、ありとあらゆる負の感情が自分の心を殴り続けてくる。


 限界だと感じたその瞬間、八雲の頭の中に言葉が響く。


『伝送不具合を直しました! 八雲さん! 復帰するで!』


 ――電光石火。


 瞬時に八雲はエーテルを再装填リロードする。サイコアクチュエータはブローバック式拳銃の様に、薬莢を吐き出して煙を上げた。システムが正常復旧するのを確認すると、八雲は即座に跳ね起きる。その間、刹那。立ち上がりに遅延ラグは無い。


 八雲は起き上がる直前まで様々な事を考えていた。復帰後はどうするか、様々な立ち回りを模索していた。


 銃を構え、牽制しながら敵との距離を作り、相手の情報を限りなく引き出して、打てる手を全て出させてから、潰すのだ……と、思っていた。


 ただそれも、一瞬で頭から消し飛んだ。


 目の前にいるそれを見て、殴られた様な衝撃が脳を走って、戦意が一気に削がれてしまった。


 酷い圧を感じてしまったのだ。立ち直れなくなる程に、強烈な圧を。


 新種の使者は八雲の目の前にいて、顔を目の前に寄せて、仮面から覗く真っ赤に充血した眼球が八雲に向けられていた。それだけで叫び出しそうで、恐ろしくて、同時に八雲の視界のには、嫌なものが見えた。


 そして八雲が起き上がった時には、使者は太い片腕をすでに振りかぶっていてた。今はそれを八雲にぶつけようとする最中だった。

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