第35話 激戦! キミツ第一地区④

「間に合ってッ……!」


 八雲は咄嗟に自身の左腕を、使者が振るう腕から身体を守る様に構える。使者の腕はもう目と鼻の先。八雲は止む無く腕を差し出すつもりなのだろうと思った、その時だった。同時に八雲はサイコアクチュエータを起動させ、機械の腕は薬莢を吐き出す。


応答形態リアクティブモードに移行します!」


 その言葉に応える様に、純白だった機械の腕は紅く染まり、獣の唸り声の様な音を上げる。そして使者の腕が八雲の腕に触れたその時、何かが焼けるような音がしてから、二人の間から煙が立った。


 その場にはけたたましい声が上がり、使者はその場でひっくり返ってのたうち回りだした。見れば使者の腕は赤くなり、焼けただれている。それを見て八雲は安堵する。使者の攻撃によって腕に力がかかり、痛みがあったが、使者の攻撃から身を守ることはできた。


「…………いける!」


 八雲は確信するように呟いた。今までの様子から見ると、攻撃も直線的で、これと言って特殊な攻撃を仕掛けて来る様子はない。八雲は一気にケリを付けるべく、自身のサイコガン二丁を両手に取り、使者へ向けて構えた。


 だがこの考えが慢心だと言うことは、この時に八雲は思ってもいなかった。


 八雲が向けた視線の先。そこには気色の悪い容姿をした、単眼の仮面を付けた使者がいる。それはうずくまったままでいたのだが、ゆっくりと顔を動かして、視線だけを八雲に合わせた。


 不思議な感覚だった。その充血した目を見ると、何故か他所を向けなくて、引き込まれていくようで、気が付けば八雲は自然と手と足を止めていた。その場でぽうっとして、立ち尽くしていた。何だかいけない気がするのだけれども、何もすることができなかった。


 このままではマズイ。いい加減に攻撃しなければ。


 そうして改めてサイコガンの引き金に掛けた指に力を加えたのだが、八雲はそう思ったものの、動く事が出来なかった。魔法にかけられた様に身体が石の様に固まってしまっている。それは八雲が使者に怯えて固まったなどの生理的反応から来たものでは無い、手心を加えた訳でもない。


 何故だ、何故だと思っていると、血の気が引くような出来事が起きた。


 突然、視界が黄色く染まり、頭の中に警報が何重にも重なって響き、視界には無数の故障表示が一斉に羅列された。


『軽故障:伝送回線ループバック発生』

『中故障:伝送系異常発生』

『中故障:等値異常発生』

『軽故障:制御装置系切替発生』

『中故障:待機系制御装置機能停止』

………………


 他にも表示されている故障アラームはいくつもあり、それが視界いっぱいに表示されていた。八雲はそれを見て目を疑った。これだけの警報が発生した事など、一度も経験したことがない。


「何……この不具合の量? これが新種の能力なの……!?」


 原因不明の状況が、八雲の心を恐怖で侵していく。頭がじんわり熱くなって、一方で心は次第に冷たくなっていく。


 ミコトの言うことを聞いておけば良かった。


 そんな言葉は死んでも口に出したくなかったが、頭の片隅に浮かんでしまった。自分の心には、八雲は嘘が吐けなかった。ただ、そんな事を今更考えたところで、もう手遅れだった。


 視界の隅に黒いモヤが見えた。それは次第に視界を侵食していき、完全に八雲の視界は暗黒に閉ざされていく。


 このまま死んでいくのかな。こんなつまらない事で死んでしまうのかな。そんな事を思い浮かべると、急に切なくなった。ただ、それよりも辛かった事は、こんな死の間際で、自分の好きな人がこんな言葉を寄越す事だった。


『逃げろー……逃げてくれ、八雲ォッ!』


 八雲は通信回線を介した猿飛の言葉を聞いて、一筋の涙を頬に伝わせた。


 こんな状況で、良い言葉なんて伝えられるはずがない。最後の最後の言葉が、こんな弱気な言葉になるなんて思いたくなかった。そして、震える声でポツリと八雲は呟く。


「……無理……だよ」


 そう、全てが手遅れだった。


 そうして八雲の視界は、心は、深い闇に飲まれることになった。


 ――幸い、しばらくしても八雲の意識が消えることは無かった。ただ、どうせ死ぬのだろうと八雲は思い込ませるようにした。淡い期待など抱かぬようにしたかったからだ。だけれども、生きたいことには変わらず、期待の篝火かがりびを一思いに消す事などできなかった。


『猿飛の引っ付き虫が』


 ふと八雲の頭の中に声が響いた。同時に八雲は、むっとした気持ちになった。一言、物申したい気持ちになり、暗闇の中、言葉の主を探していると、振り返った先に人の姿があった。それを見て八雲はぎょっとした。


「……なっ!」


 見れば巫女服を着た者が数人、知らない間に八雲の周りを取り囲んでいた。そして何より気味が悪いのは、皆の顔にモザイクが掛かっていることだった。八雲は驚き、たじろいでいると、彼女達は八雲にこんな事を言いだすのであった。


『何が戦闘第一部副リーダーだ。ただの馴れ合いで猿飛の傍に置かせて貰っているだけだろう』


『なんか、めんどくさいよね、八雲さんって。戦闘に細かいって言うか、いちいち変なことをうるさいよね』


 八雲は怪訝な顔をした。この言葉は八雲にいたく刺さる言葉で、そして何より嫌だったのは、全て八雲が言葉だった事だ。東方神社の中で、別部隊の人間が陰で喋っていた言葉だ。それをたまたま耳にした時は、胸にとげが刺さったような痛みがして、今も抜けないままでいる。そのとげを突かれて、また強い心の痛みが八雲を襲った。


 八雲は、人の心を弄ばれている様で、非常に不愉快に感じた。恐らくこれは使者が見せる幻影だろう。それに気が付くと八雲は余計に腹を立てた。八雲は彼女たちを睨め付る。


「何なのよ、一体っ……!」


 しかし使者が見せる巫女の幻影は八雲の様子を気にも留めないようで、あたかも八雲などその場に居ないような態度でまた話を始めた。


『八雲さんってさ、なんか気取ってるって言うか、鼻に着くよね。まぁ、仕事熱心なのは結構だけどさ、私達が助かる訳だし』


『まぁ仕事人間でも、両腕改造するのは、ちょっと引いちゃうかな』


 八雲は今までこの話は聞いたことがない。こんな話を聞けば、また影で何かを言われていたのではないかと考えてしまう。使者が見せた偽りだとしても、胸に痛みを感じる。


「……アンタ達に何が分かる」


 最悪の気分だった。この両腕を差し出した意味や重みを理解できない連中から、考え無しに否定されることは怒りさえ覚えた。


 するとあろうことか、幻影の一人が冗談を話す様に、ある事を告げたのだ。八雲を真っ向から否定する様に、無邪気で残酷なこんな言葉を。


『引っこ抜いちゃおうよ』


 どくんと、胸が強く脈打った。


 コイツらは何を言っているのだろうか。八雲はその意味を理解できたが、ただそんな事をするとは想像もつかなくて、だがいろいろと考えているうちに、幻影達はクスクスといやらしい笑い声を出しながら、八雲の元へ寄って来るのであった。


「ちょっと……嘘でしょ……?」


 そう、言っている間にも二体の幻影が八雲の機械の左腕に触れる。他の幻影達は八雲の身体を動かないように、しっかりと八雲の身体を押さえ込んだ。


『嘘だと思う?』


『ホントかどうか、試してあげるよ』


 そう幻影が告げると、腕を引っ張る力が急に強くなった。そうしてようやく実感した、彼女たちが本気で自分の腕を引っこ抜こうとしている事が。


 動悸が早まってきた。


 まだ大丈夫、まだ大丈夫だと言い聞かせながら、抵抗することも出来ず、ただ自分の腕が抜かれるのを眺める事しかできなかった。


 幻影が無茶に思い切り引っ張る度に、八雲の呼吸は乱れ、同時に恐怖が肺の中に流れ込んできて、息も苦しくなってきた。


「……やめ、やめてっ!」


 だが八雲の言葉は無下にされ、幻影達が手を緩めることは無かった。その力は異様に強く、八雲の腕は悲鳴を上げる様に軋む音を立て始めた。あと少し力が加わるだけで、壊れてしまうことも分かっていた。そして、クイと腕を引く間隔があってから、嫌な感覚が八雲を襲った。


 ――ずるり。


 決壊する様にして、ついに八雲の腕は一気に引き抜かれた。腕は肩の途中から外れていた。そこからは配線が剥き出しになって、ぼたぼたと黒い油が垂れた。


「あ……あぁっ……!」


 痛みがある。生身の身体に伝わるものと、変わらない。涙が出る。耐え難い苦痛と、屈辱を受けて、八雲の心は崩れていく。


 誰も助けてくれない暗闇に取り残されたまま、永遠と自身の存在を否定される。抗う術もなく、そして粛々と、八雲は少しずつ壊されていった。


 ――その一方で、ユイが系統を遮断されてから、しばらく時間が経っていた。ユイは八雲を止められなかった罪悪感にさいなまれながら、その場で倒れこむことを強要されていた。


 八雲はどうなったのだろうか。


 まどろむ意識の中でユイは、そんな事を考えていた。ぼうっとして、こうしている間にも八雲は命を削られている。なのに倒れてじっとしていることが仕事と言われ、何もできない事は本当に惨めだった。


 そんな時に、ノイズ交じりのオペレーターの声が聞こえてきた。


『八く……重大な損傷……。……絶望的で……諦めるし……です』


「あぁ……」


 ユイの口から情けない声が漏れた。


 言葉のからでも分かる。八雲は今、危険な状態にあるのだ。それを理解して、酷く情けない気持ちになった。これだけ八雲の近くにいるはずなのに、何もできない自分の力不足をユイは呪った。ただ、自分が戦闘に参加したところで、どうしようもない。それが答えだった。


 ただ、自分が力不足だからと言った理由で、八雲が死にゆく様子を受け入れることは正しい事だと到底思えなかった。自分が新人だから八雲さんを見殺しにしましただなど、反吐が出る様な台詞を吐きたいとも思わなかった。


 しかし、ユイは一度それに近い行動は取ったことがある。始めてあの世を経験した戦闘で、小林を見殺しにした一件をユイは改めて思い出して、より一層辛い気持ちになった。自分にはその反吐が出る様な台詞を、態度で示した実績があった。


 自分はこんな人間です。だから誰かを助ける事なんてできないんです。


 そんな事を言いたくなくても、このままでいる事は、それを体現しているようなものだった。また同じことを繰り返す事になる。


「……変わりたい」


 そう言ってから、ユイの頬に一筋の涙が流れた。もう言い訳などしたくなかった。自分勝手な考えで誰かが死ぬ事など嫌だった。


 八雲はユイから見て、誰よりも生への執着が強く思えた。八雲は生きたいと、切に願っていた。その為にも彼女は腕を差し出した。そこまでして生きたがっていた。ならその命が断たれて良いはずがなくて、ユイは余計に八雲を助ける事を諦めたくなかった。


 その時、ユイは自分の言葉を思い出す。


『生きたいと思えば人は生きていていい』


 木虎を生き返らせたあの日、ユイはそう口にしたのだ。ならその思想を誰かの為に示さなければ、嘘になると思った。だからユイは

心の底から湧き上がる想いを、ありのままに口にした。


「絶望的かもしれないけれど……私はあの人を助けたいんです。だから遮断器を投入して下さいよ! 誰でもいいから、お願いだから聞いてよっ……私の……想いをっ!」


 掠れた、今出せる精一杯の言葉をユイは口にした。だがユイの言葉に誰からも反応は見受けられなかった。


 分かってはいた。無力な自分がどうこうできる問題ではない。ただ、自分の真の言葉に耳も傾けて貰えない事は、いたく辛いことだった。


 もうダメなのかな。


 ユイがそう思っていた、その時だった。


「どうしたんだ、ユイ?」


 どこからかある男性の声が聞こえたのだ。その声は聞き覚えがあって、聞き間違えるはずがなくて、今までは毎日耳にしていたもので、もう二度と聞けないものだと思っていたものだった。ユイはそれを察して、震える声でこう問いかけた。


「まさか……父上……?」


 ユイは身体が動かせないので、目線だけを声の方向へやった。しかし、そこには人らしきものは見えなかった。


 さっきのは幻聴だったのだろうか?


 ユイがガックリしたその時だった。視界の端に、柔らかい茶色の毛を持つ何かが見えた。それは背が低く、四つ足で歩くことから、何かの動物の子供であることが分かる。そして、それはそっとユイのそばに近づいて、ユイの頰を舐めたのであった。

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