第36話 激戦! キミツ第一地区⑤
「……ファロー……さん?」
その姿をユイが見間違えるわけが無かった。それは仔牛のファローさん。ユイが小さい頃から使役する霊獣だ。それが今、ユイの傍に寄り添っている。
慰めにでも来たのだろうか。この惨めな姿を見て、癒しにでも来てくれたのだろうか。そして、八雲には力不足と判断されて、強制的にその場に留まることを強いられた自分はファローさんにはどう映ったのだろうか。
「ごめんね、こんな不格好な姿を見せちゃって」
ファローさんに向けてそんな事を呟いた。自分の情けない姿を、同情を求める様に晒した。そうしてしまうと、心のどこかが緩んで、ユイは次第にこの事態をどうしようもないように考え始めた。
これは皆が決めた仕方のない事だと、自分の判断は総合的に見ても止めるべきだったのだと、ユイは自分の心にささやきかけた。やつれた様な顔をして、目を少しだけ潤ませて、ファローさんと目を合わせたその時、こんな声が聞こえた。
「このままじゃ、きっと彼女は殺されるだろうね」
その言葉で、ユイの胸が強く脈を打った。その言葉は確かにユイの父の声で聞こえてきた。前の不確かは、今の確かになった。ファローさんがそう告げたのだ。
「ホラ、見てごらん?」
また父の声でファローさんがユイに語りかけた。すると同時に視界がクリアになって、周囲は暗転して、その世界には人影はおろか建物も見えなくなり、ユイとファローさんだけの世界になった。ユイは戸惑っていると、今度はユイの頭の中でチリチリと何かが焼けるような感覚が走って、頭の中に映像が映し出された。何だ何だと思いながら、ユイは意識を集中させて映像を捉えると、そこには衝撃的なものが映しだされていることが分かった。
そこには血まみれになった八雲の姿が映っていた。単眼の使者に八雲は身体を掴まれて、ぐったりとしているではないか。そしてよく見れば左腕が引き抜かれ、その腕を使者は摘まんでまじまじと見つめていた。
そして使者は八雲の腕を放り投げると、
八雲の顔は真っ青になっていた。使者はゆっくりと
酷い有様だった。ファローさんが言う通り、このままでは八雲は殺される。しかし今のユイにはどうしようもなくて、その力も無くて、事実だけを知っていることがもどかしくて、自分の情けなさに嫌気がさした。
「助けなくていいのかい?」
ファローさんはそんな事を言った。 それができない状況にあるのだから、ユイは困っているのだ。 余りに当然のことを聞かれたような気がして、ユイは少し声を荒げた。
「助けたいに決まってる……!」
だがユイ怒りの言葉に対して、ファローさんは厳しく、たしなめる様に、こう告げた。
「助けたいと願うことは、口にすることは簡単な事だ。反対に、それを諦める事だって簡単な事なんだ。お前はこの光景を見て、私に何も言わなかった。私に言われて助けたいと言った。お前が八雲さんを助けたいと考える本当の想いが、私には伝わってこない」
ユイは言葉を失った。そんなつもりは無く、ユイは八雲の事を助けたいと考えている。しかしファローさんの目にはその様にユイの姿が映っていなかった。
「中途半端な気持なら、やめた方が良い」
ダメ押しするように、ファローさんはそんな事を告げた。しかしユイには、どうしたら良いのか分からない。ユイはしばらく黙ったままで居た。
すると今度は八雲が使者に掴まれている光景に切り替わって、今度は八雲が巫女達に囲まれている姿がユイの頭の中に映った。
『アンタ、いっつも自分よがりで、心の中では私達の事馬鹿にしてたでしょ?』
『あそこに倒れているユイさんだって、あんな扱いして、よく何も思わないと思って』
「うるさい……うるさいっ……!」
八雲はうめくように、うわごとのように、絞り出すような声でその言葉だけを言い続けていた。八雲は暗闇の中で、人としての何かを否定され続けていたのだ。
見るに堪えない光景だった。ユイはそれを見て、違うんだよと、そんなことないよと、真っ先に言ってあげたかった。八雲の凄さも、立派さも、十分は無いかもしれないが、ユイは理解しているつもりだった。だからユイはふと、こんな言葉を漏らした。
「私は八雲さんが否定される姿なんて見たくない……八雲さんがそんなことを言われる筋合いなんてないよ……」
しかしその声は、八雲の耳には届かない。いくら何を言おうとも、ユイには何もできない。すると巫女達がまたこんな事を言いだした。
『次はどうしようか?』
『そうね、目玉をくり抜こうか?』
「…………ッ!」
八雲はその言葉で顔をこわばらせ、ユイは身が凍り付くような感覚を覚えた。巫女達は無邪気な様子で、残酷な言葉を掛け続ける。
『へぇ、八雲さんってこんな顔するんだ。初めて見たわ、こんな、悔しそうな顔』
『でも、たまに笑うんだぜコイツ』
『そうそう面白いよ、女のくせに猿飛の事――』
その言葉に八雲はやけに敏感に反応を示した。目を見開いて、口を大きく開けて、力強く叫んだ。
「やめて、言わないでっ!」
しかしそんな事、巫女の一人は軽々しく、
『好きなんだから』
八雲は真っ赤になって口をパクパクさせる。恥ずかしそうにも、悔しそうにも見えるような顔をして、八雲は前の言葉をかき消すような思いで無理矢理言葉を続けようとする。
「私は……私は……!」
ただ、八雲には言い訳も、何もさせてはくれなかった。巫女は、相手の気など意にも留めない言葉を、突き刺すように八雲に向けた。
『自惚れるなよ、お荷物』
止めを刺された様だった。八雲はそれ以上言い返せなくて、ただ涙を流しながら、茫然として、その場に立ち尽くしていた。八雲にとって、その言葉を受けて感じた痛みは、左腕の痛みよりも、ずっと強かった。
「違うっ!」
ユイは思わず叫んでいた。届かないと分かっていても、口にせずにはいられなかった。
「八雲さんは立派な人なんだ! 皆を助けるために孤独になっても必死に戦っているんだ。少なくとも私はそれをこの目に焼き付けた。だから、お前等が何を言ったって……八雲さんは私達の副リーダーなんだ! 」
その声が届くはずがなかった。それでも届いて欲しいと願ってしまった。一方で、八雲はぼうっと
何もできない。何も力が無い。安全圏から分かったように物を言うことは、評論家だってできる。ただユイはそれとは違うと心から思っていて、自身の言葉には熱や想いがあるんだと、信じていた。信じたかった。
もう理由もなく人の事を分かったような口は利きません。
自分の事を頑張ったから諦めていいなんて考えません。
自分の決めた事から逃げる事も、
「だからっ……頼むから私の言葉を信じてくれよっ……! 私は八雲さんを助けたくて、助けたくて仕方がないんだよっ!」
そうユイが心からの言葉を叫んだ、その時に、「お前の今の言葉は、本物か?」そんなファローさんの言葉が聞こえてきたんだ。
ファローさんは言葉を続ける。
「ユイ。責任逃れの為に、形づくりの為に言葉を並べただけなら、絶対に止めなさい。力を与えられた者は、力と向き合う義務がある。力を得た者は、自分の義務から逃げられない。……それでも、力が欲しいのか?」
「……欲しい」
ユイの言葉には迷いが無かった。
「ファローさん……いや、父さん。私は東方に来てから、自分の存在を呪われたようなものだって、真っ向から否定された。それでも私は生きるべきだって、救い出してくれた人がいた。産まれて間もない、私をここまで育ててくれた人がいた」
ユイはファローさんと目をしっかりと見据え、言葉を溜めてから、こう告げる。
「ありがとう、父さん。今更だけど、ようやく気が付いたね、ようやく言えたね」
ユイは涙をこぼしそうになった。しかし感傷に浸っている場合ではない。ユイは大きく息を吸ってから、自分の想いを、力強い言葉に乗せる。
「だから、自分がされて嬉しかったことを、望まない人なんていないから……だから私は、人が生きる事を否定したくなくて、人を救いたくってっ……誰かを助けるための力が、欲しいんだ!」
その言葉は、自然とユイの口から出たものだった。嘘偽りのない、ユイの本音だった。そしてファローさんはその言葉に何か物言うことは無く、一言だけこう告げた。
「行きなさい」
するとファローさんは振り返って、ゆっくりとユイから離れていく。もしかして自分の言葉が届かなかったのだろうか、間違っていたのだろうか。 ユイはその後ろ姿に向けて慌てて声を掛ける。
「ま、待ってっ!」
だが、ファローさんはその言葉に耳を傾けることなく、遠く、遠くへ向かって歩んでゆく。もう、ファローさんは自分の事が嫌になったのだろうかと、ユイが思っていた時だった。よく見れば、ファローさんが通ったその道には一筋の赤い線が引かれている。その線を手前に辿っていくと、ユイの元へ続いていて、ユイの胸から帯状の、赤い
「何……これ……」
ユイは改めて、その紐が伸びた先に視線をやると、そこには光が見えて、意識が引っ張られていくような感覚があった。その時に、ユイの意識は元居たあの世へと引き戻されたのだ。
そしてユイは起き上がったと同時に、意味が分からなかったはずなのに、自分が授かったその力を、自然と口にしていた。
「『
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