第32話 激戦! キミツ第一地区①

 日をまたぐ頃になって、彼女達は動き出した。


 あの世で魂を奪還するために集められた隊員達は、昇降機に乗って、生と死の接続装置インターフェースマシーンである阿修羅あしゅらの元へ向かっていた。その隊員の中にはユイの姿もある。


 昇降機の中は六畳ほどあって、今回出撃する隊員の六人を乗せても空間には余裕がある。だがユイには、どこか息苦しく感じた。


 内部は薄暗く、淡い橙色の灯りが隊員の姿を陰鬱に見せる。死地へ赴く前の緊張が皆の心を冷やしていく。昇降機が深く闇の底へ降りてゆく程に胸が締め付けられていく気さえした。


「これが今回の案件だー。詳細はこの電子端末に記載があるから、各位は目を通しておくよーに」


 猿飛の指示はそれだけだった。随分とざっくりとしたものである。昇降機に乗っている際、皆は事前に猿飛から手渡された板状の電子端末をじっと見つめて、作戦を確認したまま沈黙を貫いている。更に言うと、それを見詰める皆の表情は揃って険しかった。


「何でこの案件、断らなかったの?」


 沈黙を破ったのは八雲だった。呆れた様な、うんざりした様な顔をして猿飛の方を向く。それを聞いた猿飛は苦笑いをする。


「そうは言っても、もう請け負っちゃった案件だしねー。まぁ、今回はメンバーをしっかり固めたつもりだから失敗はないと思うよー」


 猿飛はそう告げて八雲の目線を出撃する隊員達に向けた。今回の構成はこうだ。


 戦闘制御第一部隊、リーダー、猿飛さるとびみこと

 戦闘制御第一部隊、副リーダー、八雲やくも詩子うたこ

 戦闘制御第一部隊、主任、横須賀よこすか姫乃ひめの

 戦闘制御第二部隊、リーダー、木虎きとらりん

 戦闘制御第二部隊、主任兼技術支援、九十九つくもひびき

 戦闘制御第二部隊、紐房ひもふさ結衣ゆい


 部門を跨ぎ、大多数を高給取りの隊員で固めている。今回は民間から依頼を受けた小規模なもので、これだけのメンバーで対応する事は中々ない。小規模な案件であれば人の費用を安くして、儲けを多くしたいのが普通だ。加えて東方の規定では、案件を進めるうえで余程重大なリスクが無い限りはリーダーを二人投入することは義務付けられていないのだ。


 ただ今回の案件は、表面上には見えない、隠れたリスクがある事を隊員達は感じていた。ひとまず八雲は猿飛がそのリスクを承知で臨んでいることを理解し、嫌そうな顔をしていたが頷いた。


「まぁ、もう今更だから良いけれど。でもこの魂、死後から一年近く経過しているわ。ここまでくると、魂は奥深くまで逝ってしまうから取り戻す難易度も格段に上がる……」


 八雲はため息を吐いて、猿飛の方を向く。


「金は出すって?」


「言い値だってさー。ホントか分かんないけど、まぁ信用できないねー」


「馬鹿げてる。ホントなら断りたいわ」


「確かに嫌な話だねー。けど人を生き返らせたいのは分かるからなー。……ただ、東方も請け負うのは良いけどよー、せめて、やるのは私達だってことぐらいは感じて欲しいぜー」


 その後、また沈黙が始まった。ユイはこの空気に辛抱ならなくなっている。昇降機の環境が嫌なこともあるが、一番はこの場に居る人々が作り出した雰囲気が問題だ。


 八雲からは常に、ユイへありったけの敵意を向け、話しかけて欲しくないと言わんばかりの空気を醸し出している。例の、ぶつかった拍子にユイが八雲の胸に触れた一件が主な原因だろう。不可抗力だと言っても、恐らく許してはくれない気がする。


 また、木虎はユイと目線を合わせようものなら、睨み返してくる。これまたユイには理由が分からない事が、余計に厄介だった。


 他は、猿飛からは謎の期待とプレッシャーを掛けられる。九十九はこの居心地の悪い雰囲気から逃げようとして、上手く面倒事から離れようと他所を向いている。最後の救いである横須賀は、迂闊に触られようとでもすれば例の馬鹿力で病院送りになるであろう。


 最後を除いて、ユイを中心にして渦巻く関係が、場をよどませてしまっている。


 居辛い。帰りたい。負の感情がユイを襲う。


 更に言えば、この案件は隠れたリスクがあると言われているではないか。本当にユイが参加して良いものなのか、改めて不安になる。そして、このメンバーで共闘すると思うと胃が痛い。だが一番困ったことは猿飛が八雲に課した、あの話だ。


「……ミコト。私、こんな案件でユイさんまで面倒を見切れないんだけど? 別の案件で、優秀な木虎さんとかにお願いしたらどうなの?」


 八雲はふてくされた様子だった。


 そう、一番厄介な事は、八雲がユイを教育する話だ。ユイも、八雲とこの関係のままで教育を受けるなど、とてもじゃないが勘弁して欲しい。下手をすれば命にかかわる問題だ。だが猿飛も頑固で、八雲の目を真っ直ぐ見つめてこう告げた。


「ダメだ。ユイにはこの戦闘で、一番大事な事を学んで貰う必要があるんだよなー。この案件、この戦闘区域で教育を行う事に意味があるんだー」


「……ミコトがそこまで言うなら……仕方がないけれど」


 さすがの八雲も、猿飛の言葉に折れた。しかしユイへの態度は変わらず、ユイに視線を向けて、また嫌そうな顔をした。ユイはその態度に少し怖気づく。


 しかし、ユイは気折れしてはならないと、ぐっと負の感情を抑え込む。八雲がいくらこっちを睨もうと、構うものか。ユイは八雲の敵意を他所にして、猿飛に他愛のない問い掛けをする。


「あ、あの……」


「んー? どうした、ユイー?」


「その、今回の案件はそんなに大変なんでしょうか?」


 ユイには疑問だった。皆はこの案件を問題視しているが、そのハッキリとした理由が分からない。そんなユイに、猿飛は優しく答える。


「案件自体はちょっと面倒な位さー。魂が死後からだいぶ経過してしまっているから長い戦闘時間が要されるってとこ。まぁそれは良いんだけど、今回は場所が悪いんだよねー」


「場所、ですか?」


「そう、今回の戦闘区域は『キミツ第一地区』。ここは設備が二十年近く昔に立ち上がったところでねー、戦闘中に不具合がよく起こるんだー。状況によっては急に遮断器が落ちたり、伝送不具合も起きる。もう現場あの世側のマシンのガタがきてるのさー」


「何でマシンを新しくしないんですか?」


 ユイは率直な疑問をぶつけると、猿飛は苦笑いをして答える。


「説明するのが難しいけどー、設備を更新するのって、すげー手間がかかって大変なんだー。あとはー……」


 猿飛は人差し指と親指で丸マークを作ると、「お金もかかるんだよねー」と悲しそうな顔をして答えた。


 内容は掴み切れないが、悲壮さがにじみ出た猿飛の表情から、大変さだけは伝わった。


 するとその問答を聞いていた八雲が、イライラした様子で、急に食ってかかってくる。


「……あのね、ユイさん。簡単に更新って言うけれど、その対象は色々あるんだけど? サイコアクチュエータの制御装置。エーテルの需給装置。その他のライフラインだって更新しなきゃいけない。その点、分かって話してる?」


 そこまで言わなくても、とユイは思ってしまう。すると猿飛も八雲がやたらとユイに引っかかる様子から察して、なだめるようにして八雲を抑えながら口を開く。


「新人にこくなことを言うなよ、八雲よー。とにかく、一つの地区は色んな装置やシステムが組み合わさって動いているから、簡単には更新できないってことよー」


「そうだよ! いっぱいかかるんだよー!」


 すると今度は横須賀が会話に入ってきた。この割り込みは許せる。かわいいは正義だ。


「キミツ第一だけで大体ね、全部できっと五十億円はかかるんだよ!」


 その言葉を聞いて目玉が飛び出そうになった。値段が全然可愛くない。


 この話を聞くと、更新を渋って二十年間も使い続けるのも当然だろう。ただ猿飛は、その言葉を冗談では受けなかった。大真面目にユイの顔を見て、こう告げた。


「でもいつかはやらなくちゃいけないんだー。このまま、放っておいて良いハズがないのさー」


 そう呟いた猿飛の瞳の奥には、強い意志を感じさせた。よく見れば彼女の目は本当に綺麗で、宝石の様な輝きを持っていた。もしかするとその目には、彼女が描く未来を映し続けているから、こんなに綺麗に見えるのかもしれない。ユイは猿飛の目を見ながら、そんな事を考えていた。


 ユイはそれを見てから、猿飛の意図が見えてきた気がした。八雲に教育させようとする意味も、猿飛が描く未来の為かもしれない。はっきりとは分からないが、意思だけは感じ取れる。


 一方で八雲の顔を見ると、未だに不機嫌そうな顔をしていた。ユイはそれを見て、少し寂しさを感じてしまった。猿飛の意思を、八雲はどう感じているのだろうか。ユイには二人が近しい存在の様で、少し、離れている様に見えた。


 そうしている間に、昇降機は阿修羅が設置されている階層へたどり着いた。各隊員達は腕の人工皮膚を外し、接続装置であるカプセルの中に入っていく。


 ユイも皆にならって腕の人工皮膚を外すと、無機質で無駄の無い美しい、白く輝くフレームが姿を現した。これはあの世とこの世を結び付ける意味を持つ、代償を払った者だけに与えられる新たな機能アプリケーションだ。しかし天然自然のものをいでまで、羽ばたくための翼を与えるとは、何とも変な話ではある。


 そうして、ユイがカプセルの中に入って、腕にケーブルを差し込もうとした、その時だった。


 ユイは何故か手を止めた。急に額から汗が噴き出して、手の震えが止まらなくなった。


 躊躇ってしまったのだ。自分は何をしているんだろうと思ってしまったのだ。これから自分がしようとしている事は、死と向き合いに行くことだ。それを遊び半分で、馴れ合う気持ちで出来るはずがない。


 全ての戦いにリスクはある。どんな案件だって人は死ぬ。それを思い出して、気が付いて、ユイは手を止めてしまったのだ。そうすると震えは全身に広がって、反射的に自身の身体を押さえ付ける様に抱いた。


 恐いんだ。焦っているんだ。ユイが今まで抑え込んでいた感情が、蓋をしていた感情が、隙間から漏れ出したのだ。息をする事さえ、辛くて仕方がない。


 一度入り込んだ恐怖は、心を満たすまで止まらない。かき出す事もできなくて、溺れる事を待つことしかできない。


 ただ―—


「皆、聞いてくれー」


 誰かが手を差し伸ばしてくれるのなら、話は別だ。


 暖かくて芯の通った声が、カプセル内に、ユイの心に響いた。


「戦いを怖がるな」


 短くて、でも胸がいっぱいになる言葉だった。


「自分の想いを忘れなければ、運命は自分を裏切らない」


 不思議な気持ちだった。その優しい言葉で心はほどかれていく。


「安心していけー。自分が分からなくなったら、私が居るからなー」


 一つ一つの言葉が、重みをもって心に響く。微かな鼓動が次第に大きくなって、胸をならす。


「お前等は一人じゃない……いくぞ!」


 部隊長の号が出た。その言葉で、猿飛の声に背中を押されるようにして、隊員達は次々にあの世へと向かってゆく。


 ユイも、それに続かないはずがなかった。駆け出した心に順じて、身体は驚くほどによく動く。今は嘘のように恐怖も焦りも感じない。ユイの身体は自然に動いて、当たり前の様にケーブルを握れていた。


 これが大器、猿飛さるとびみこと。皆を導き、勇気を与えた、戦闘制御第一部リーダーの力を、ユイは改めて実感させられた。


「私も……立ち止まっていられないね」


 そう呟いて、ユイはフッと笑ってから、強く握りしめたケーブルを自身の腕に接続する。


 そして―—


「戦闘制御第二部隊、紐房ひもふさ結衣ゆい……出ます!」


 その言葉と同時、ユイの頭に強い衝撃が走ってから、ユイは眠りに落ちる。


 あの世へと精神こころが旅立っていった。戦いの幕が開く。長い夜が始まる。

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