第48話 迷える羊たちは沈黙する③
化け物め。
猿飛は単眼の使者と対峙した時に心の中で毒づいた。東方部隊にとっても新種の遭遇は久々の経験だった。
超巨大な
その代が自身に回って来たのだと、猿飛は考える。
今までの経験と知識を総動員させる戦いに高揚する気持ちと、命を張る事に対する緊張が、猿飛の感覚を狂わせる。思考と神経の制御がきかなくなっている。
お久しぶりなのか、はじめましてなのか分からない経験との出会いに、猿飛がした返事は鼻で笑う事だった。猿飛らしい、ラフな返事だった。
猿飛から緊張も焦りも見えない様ではあったが、実際には心に浸み出てきた恐怖を抑え込む事に必死であった。猿飛は頭の中で様々な言葉を繰り返す。
私にできない事はない。
私の判断に間違いはない。
こんな事は初めてではない。
今まで、何があっても最大火力で捩じ伏せてきた。
そうして、頭の中で自身を鼓舞する言葉を繰り返し、いざ使者との戦闘に臨もうとしたとき、
『ダメよミコト! 冷静にならなくちゃ!』
そんな事を八雲に注意された気がしたのだ。実際、それはただの気のせいだったのだが、この場に八雲がいたならば、そう言われるに違いないだろう。猿飛はその幻聴に従い、踏み出した歩を止めた。
結果、猿飛はその言葉に救われることになる。単眼の使者は触手を猿飛に放出すると同時に、視線を向けていた。そしてそれと猿飛の目が合った瞬間に、何やらぶつ切りになったように、猿飛の視界の合間合間に白い景色が映り込むようになった。
この現象を受けてから、全身から汗が噴き出した。次に違和感と吐き気に襲われ、猿飛は咄嗟に目をつぶった。
「ハァッ……ハァッ……ッ! 何だー、今のはッ……!」
猿飛は吐き気を抑えながら膝に手をついて、息を整える。八雲に助けられたと心の中で思う。だがこのまま目を閉じてぼうっとしたままでは、使者が放出した触手に掴まれてしまう。猿飛は歯を食いしばって、身体に鞭を打つようにして立ち上がる。
「やられて……たまるかよー……!」
触手が猿飛を襲うまでの時は刹那。しかしその間で猿飛は最適解を弾き出す。頭が揺れる様な感覚が続き、立ったままで居る事も困難な状況ではあったが、猿飛は何とかサイコドラグーンを正面に構える。
タイミングを間違えてはならない。
猿飛はその前提条件を頭に焼き込む。使者の触手を正面に引き付け、なるべく多くの触手を焼き払わなければ、残りの触手に襲われる。
視界は閉ざされている。その
残りは自身を信じる事。まだだ、まだだと
「そこだッ!」
その言葉と同時に一条の光線が射出される。次に爆風が吹き、対象物に当たって吹き返ってきた熱気が猿飛の肌へ当たった。そして同時に猿飛の身体は射撃の反動で後ろに飛ばされ、何処かの建物にぶつかってから、地面に寝転ぶようにして落ちた。直ぐに触手が自身に触れてこなかったことから、とりあえずは助かったのだろうと考える。
猿飛はひとまず物陰に隠れ、自身の故障ログを確認する。見れば主幹制御装置(ここでの意味は身体機能を制御するもの。扱い的には脳とイコールで考えて良い)の片系がダウンしていた。もう片方がダウンすれば両系ダウンで機能停止。考えただけで嫌な汗が出る。日頃気にしていないが、改めて同じユニットを二重に使用することで
「……あっぶねー」
制御装置はシステムがダウンしているだけで、再起動するだけで正常復帰できた。再起動はものの数十秒で済む話だった。つまり使者の攻撃は制御装置そのものではなく、嘘の信号を送り込んで見かけ上の故障を起こしているのだ。
「八雲が制御装置への干渉を相手に奪われた原因、何となくわかってきたぜー。あの目ん玉、パルス信号を出してるっぽいなー……視覚を介して情報の信号を送り、阿修羅からの制御ネットワークにいたずらしたんだろう」
猿飛は思考する。
八雲はその攻撃の結果として制御装置の主導権そのものを奪われた。恐らくはその嘘の信号で制御装置が完全にダウンし、ネットワークを再接続させる行き先を、使者側へと一部書き替えられていたのだろう。
しかし原因が分かったものの、対策は非常に困難だ。目をつぶったまま戦うのも調子が悪い。サイコドラグーンの弾丸も触手に阻まれて直撃させることは難しいだろう。加えてサイコドラグーンは射出後の反動で連射もできない。
サイコドラグーンに充填した一発分のエーテルを一斉に射出する『チェインファイア』も、発動後にサイコドラグーンが破損するので、これからの戦闘を考えると使用するべきではないだろう。第一、外した時のリスクがでかすぎる。
ユイのように相手を拘束して攻撃を加えるのも一つの答えだ。だが猿飛にはそんな特殊な能力は無い。猿飛は歯噛みする。こんな時に限って良い策が思いつかない。
――こんな時に詩子が居れば。
一瞬、頭の中にその様な考えがよぎったが、猿飛はそれを直ぐに振り払う。いつまでも八雲に頼っていていい訳がない。それに八雲は本来別部隊のリーダーとして自立するために、あえてこの戦闘から外しているのだ。だからこそ、猿飛はこの戦いを八雲抜きで戦えることを示さなければならないと考えていた。しかし、それも今となっては正しい事なのか分からない。
ただ、これ以上皆に、八雲に、示しのつかない事だけはできない事だけ、猿飛は分かっているつもりであった。
「私は戦闘制御第一のリーダーなんだー……」
猿飛は腹をくくることにした。リーダーとして、あの単眼の使者を討つ。討たなければならぬ。猿飛は息を呑むと目をつぶって、単眼の使者が居る場所へ姿を晒した。
「オペさん! 目ん玉お化けの位置情報を秒で送ってくれ!」
そう叫んだと同時に猿飛は単眼の使者に対して背を向けた。猿飛の頭の中には周辺の概略マップと単眼の使者の位置を示すデータが転送され、それを猿飛は確認してにやりとした。猿飛は正面にサイコドラグーンを構えると引き金に指を掛ける。その方向には敵は居ない。ではこの行動にどの様な意味があるのだろうか。
「吼えろ、ドラグーン!!」
その言葉でサイコドラグーンがまた火を吹いた。同時に猿飛の身体にはその反動が襲い、単眼の使者へ向けて猿飛は一直線で飛んで行く。
対して単眼の使者は猿飛へ触手を伸ばす。勿論、猿飛はそれを想定していた。嵐の様に敵の攻撃が襲い来る暗闇の中を、猿飛は突っ切っている。ひどく恐ろしいのだけれども、猿飛はそれを力でねじ伏せる気でいた。
猿飛は吹き飛ばされている身体を、使者へ正面に向ける様に空中で身を捩る。そして機械義手を正面に突き出すと、猿飛はこう叫ぶ。
「
その言葉に呼応して、たちまち純白の機械義手は紅く染まり、モヤが上がって高熱を帯びた。そして猿飛の腕に何かが触れたその時、何かが焼ける音と、けたたましい悲鳴が聞こえて来た。使者の触手が、機械義手に触れる前に放出されているエーテルに焼かれているのだ。
猿飛は拳を正面に突き出したまま、突進する形になっている。機械義手から放出される紅い光から、それは遠目から流星のように見えた。
そして機械義手が何か大きなものにぶつかって、肩まわりに痛みが走る。同時に機械義手の肘辺りまで、ずぶずぶと何かに入り込んでいくような感覚があった。猿飛はその理由を理解すると悪戯っぽく笑う。
猿飛は地面に足が付くことを確認すると、機械義手にめいっぱい力を入れて腕を上げる。するとうめくような声が上がり、機械義手からは締め付ける様な感覚が伝わってきた。そう、今猿飛の機械義手は単眼の使者の身体に突き刺さっているのだ。
「新種だか何だか知らねーけどよー……」
猿飛は握っていたサイコドラグーンを使者の頭に押し当てた。それに対して使者は抵抗できる訳もなく、それを受け入れる事しか出来なかった。
「……お前みたいな
言葉の後、銃口から閃光が走り、単眼の使者の身体を光線が貫いた。使者はその場で固まって動かなくなり、そしてどろりと、その場でとろける様にして
苦戦はしたものの、何とかはなった。思いの外、善処はできたのではないだろうかと猿飛は満足する。
猿飛は再び考える。詩子が居なくても、自分は一人で戦える。そして詩子は独り立ちし、二人は東方を支える要になるのだ。
理想的な将来を猿飛は頭の中に描く。それは昔から夢見ていた事だった。猿飛達は厳しい先代の指導の下で戦ってきた。嘆き、苦しみ、自分達若手の命は反故にされて、多くの仲間が死んでいった。自分自身の命しか考えず、面倒な事は先延ばしか誰かに押し付ける。この設備更新も放置されてきたことだ。だからこそ私達がこの世代を担い、新たな思想の下で後輩を牽引しなければいけない。
そう考えていた、その時だった。
「え……?」
猿飛の視界に、嫌なものが映る。
それは粉雪で視界が悪くなったとしても、それが何か猿飛にはハッキリ確認できた。
あの図体、全身から無数に伸びる触手、それは紛れもなく単眼の使者だ。それも一体ではなく、二体見える。そしてそれらは猿飛の方向へ向かう訳では無く、コントロールセンターの方へ向かっているではないか。
「やめてくれよ……やめてくれよッ……!」
それを理解してから全身から汗が噴き出している事に気が付いた。あれらがこれから行おうとしている、未来の出来事が容易に想像できて、同時に身体が恐怖で震え出す。猿飛はそれらを無理矢理ねじ伏せて、最速最短で、サイコドラグーンを構える。モードはチェインファイアだ。
早く殺さなきゃ。早く殺さなきゃ。早く殺さなきゃ。
自身の脳が発報するアラートが、猿飛の思考をかき回す。判断力に焦りと感情が流し込まれ、
額から垂れる汗も
必ず一撃で全てを破壊する。当たれば何事もなく済むが、外せば横須賀達の命に係わる。ニブイチの賭けではあるが、猿飛は決めるしかないと心に決めていた。
そして、運命の引き金に猿飛は指を掛ける。
「『チェインファイア』!!」
轟音。そして地響きと熱風が辺りを襲う。放たれた熱線の通り道にあったものは跡形も無く、全て消し飛んでいく。猿飛は強力な反動を受けて真後ろの建物の壁にぶつかり、それを突き抜けて瓦礫の中に埋もれた。猿飛は気を失いそうになったが何とか耐えた。この結果を聞くまで倒れられるものかと猿飛は心の中で思っていた。
「オペさん……どーだい? 私は単眼の使者を仕留めきれたかい?」
猿飛は自信ありげにオペレータに問い掛ける。しかしその反応は猿飛の想像と反していた。
『…………』
オペレータは何も口にしなかったのだ。その様子から猿飛は冷や水を掛けられたような感覚を受けた。まさか、まさかなと自分の都合の良い結果を求めつつも、強烈な不安が猿飛を襲う。その不安は首根っこを締め上げるような苦しさを猿飛に与えた。そして、ついにオペレータのハッキリしない態度に腹が立った猿飛は、食って掛かる。
「おい……何で無言なんだよー……ハッキリ結果を言ってくれよッ!」
そしてオペレータはついに意を決した様に息を吸い込んでから、バツの悪い様子でこう答える。
『単眼の使者ですが確かに仕留めていました。ただ……討伐できたのは一体だけです』
唖然としてしまった。猿飛は無言で、怒りのままに、熱で銃口が溶けてしまったサイコドラグーンをその場に投げ捨てた。そして顔に強く両手を押し当て、悔しさのあまり唸り声を上げる。
「嘘だろ、オイ……」
後悔したところでどうしようもない。しかし猿飛の置かれた現状はかなり厳しいものである。猿飛が携帯していたサイコドラグーンは二丁から一丁になった。残りエーテルは四発から二発になった。単眼の使者はコントロールセンターへ歩を進めている。
猿飛の頭の中で色々な考えが浮かぶ。
姫乃と九十九だけであの強力な単眼の使者を倒せるだろうか。加えてコントロールセンターには非戦闘員がいるので、それを守りながら戦闘ができるだろうか。
木虎側に単眼の使者は出現していないだろうか。自分側に複数出現したと言うことは、他の所で出現してもおかしくはない話だ。
木虎とのエーテル所持量がほぼ同じであれば、木虎と解列タイミングが同期することになる。リーダー格が二人も戦闘から一時離脱ことにリスクがないだろうか。ここまで来ると念頭に置かなければならない。命を、使う事を。
不安が不安を呼ぶ。脳が壊れそうになるぐらい、悩みに圧迫されている。猿飛は冷静な判断をするどころか、自身の精神を保つことさえままならない状況になっていた。
だが、不幸は重なるとは言ったものだ。慈悲もなく、神も仏も関係なく、ただ結論に向かうだけの運命が
猿飛は対峙したその運命を、受け入れることができなかった。
「そんなのって、アリかよ……」
猿飛は涙しそうになった。猿飛の目の前に見えたそれは嫌と言う程、目にしたものだった。巨体、触手、単眼。これらを持つ使者が三体、粉雪の向こう側に見え、それらは猿飛の方へ歩を進めていたのである。
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