第22話 空穿つ天上の眼④

 ―—早く。早く。早く。


 九十九は休むことなく走り続けていた。


「頼むからまだしばらくそのまま戦わんといてくれよ……」


 二人の会話は回線を通じて九十九の耳には常に入る様になっている。どうやら二人は今、啖呵を切り合っている様で、今のところ問題は無さそうだ。しかし戦いの火蓋がいつ切られるか分からないので、九十九は常に気を張っていた。


 これは木虎を取り戻す最後の機会。紆余曲折したものの、ようやくここまでたどり着いたのだ。間違いなく風はこちら側に吹いている。九十九はそう信じてやまなかった。しかし、現実はそう甘くなく、曲がり角を抜けたその瞬間に、嫌なものが見えてしまったのだ。


 それを見た九十九はその場で硬直する。急に走ることを止めたものだから、胸が殴られた様に痛くなって、そしてどっと汗が噴き出した。


「うっ……!」


 こんな時に使者の群れにぶつかってしまったのだ。五つ、六つ……もっといるかもしれない。こいつらをまともに相手していたら次から次へと使者がまたやってくるので時間の大幅なロスになる。 一刻も早く木虎を連れ戻さなければ今度はユイが東方に殺されてしまうと言うのに、こんな連中には構ってはいられない。


「邪魔すんなや……」


 なんでこんな事になってしまうのかと九十九は歯ぎしりする。


 よく考えれば、ユイに任せるような言葉や、自分も何とかするような言葉を、本当は言ってはならなかったのかもしれない。ユイは今、あの東方と対峙している。九十九は確かにユイが東方に立ち向かう事を許したのだが、現実的に考えて敵う筈がない。そして九十九自身に与えられた責務を果たせる可能性も限りなく小さかった筈なのだ。


 無責任な言葉だと分かっている。しかしそう言えずにはいられなかった。無茶をすれば木虎を生き返えさせられるかもしれない、そんな僅かな希望にすがってしまった。


 九十九は自分の弱さと考えの甘さに焼かれている。しかし降りかかる火の粉は払うしかない。九十九は歯を食いしばり、止むを得ず銃に手を掛けた、その時だった。


「伏せなー九十九、『ドラグーン』のお通りだー」


「へ?」


 その時、遠くから轟音が響いたかと思えば、突如目の前の使者に紅い光が照射され、次に使者が体の内側から光を発しながら膨らみ始めたのだ。身の危険を感じた九十九は咄嗟に物陰に身を隠す。


 その判断は正解で、次の瞬間、とんでもない爆音と、強烈な光と共に、あの複数いた使者が一瞬で吹き飛んだ。改めて辺りを見ると、爆発で舞った砂煙で回りが見えなくなっている。九十九は余りの恐怖にその場で固まってしまい、冷汗を流しながら震えていると、煙の中に軽快に歩く人影が見えた。


「命中ー」


 容姿より何より、この口調、このふざけた武器でようやく誰か理解した。猿飛だ。そう言えば、東方が自分のサポートの為に連れて来ていると言っていた。


 九十九は口をパクパクさせて、半泣きの状態で猿飛に駆け寄る。それを見た猿飛は両手を広げて九十九を迎え入れる体勢を取った。


「そうだよねー、使者に囲まれて怖かったよねー。けれど安心おし、私が来たからにはもう安心さー」


 しかし実際には猿飛が想像していた様な愛情劇などは無く、九十九はまず猿飛の胸に頭突きしてから強く猿飛を睨み付けて、ありったけの罵声を浴びせた。


「どの口が言うとるんや! あんたが一番怖かったわっ! それに何が『命中』や! ウチも巻き込まれるとこやったやないですか!」


 しかし猿飛は意にも介さないような顔をして、「えー、私の狩り場にいるお前が悪い」そう答えた。


 メチャクチャだ。加えてこのいい加減な性格、軽い返事、相変わらずつかみ所のない人だと九十九は思う。


「そもそも西の汎用武器を使う神経が分からへん! 何で東向けのサイコナンブを使わんのです!」


「西の訛りで話すお前にだけは言われたくないけどなー」


 猿飛は目を細めながら苦笑いをした。しかしこうも冗談じみた話をしていられるのも今のうちである。猿飛は突然神妙な顔をすると九十九の顔を見つめてこう言った。


「それよりさー、どうすんのこの後はー」


 その猿飛の言葉を受けて 九十九は固まる。そうだ、この人は東方のサポートの為にあの世に来た。つまり元々はユイ達を連れ戻さなければならない立場にある。悔しいけれど、流石にここまでくればもう万事休すか。九十九は意を決して、猿飛の問い掛けに答える事にした。


「猿飛さん。あなたは私達を捕らえ……」


「とりあえずこいつら片しちゃっていいのー?」


 それは予想外の返答だった。九十九は目をぱちくりとさせる。


「さ、猿飛さん?」


 まさか自分を捕らえに来た人間がその様な事を言うとは思わなかった。

 そうして九十九は口を開けたまましばらく固まっていると、「いいの? 悪いの?」猿飛は首を傾げながらそう尋ねてきた。


「た、頼んます……」


 あたかも東方の命令などハナから無いように思えてしまう程で、狐に化かされた様な気分だった。九十九たちがただ悪い夢を見ていたかのよう。仕舞には猿飛は手をひらひらと振りながら「よーし、じゃあここは私がやっとくわー」などと言い出した。九十九に対して、いってらっしゃいと言わんばかりに。


 訳が分からない。どんな意図があってこんな事を言うのか。それは九十九には全く理解できなかったが、とりあえず恐る恐るだがこの場を離れようとする。


「あ、待ったー」


 その時、猿飛の声がポッと飛んできた。やっぱりか。見逃す素振りを見せておいて、また呼び止めるなんて意地の悪い人だと思う。


「……どないしました?」


 観念したように九十九は振り返る。だが九十九の予想はまたも大きく外れていて、猿飛は相変わらずの口調でこう告げる。


「分からないのかよー。お前どっちかと言うと『戦闘屋』より『技術屋』だろ? だから早くコントロールステーションに戻って、『戦闘制御装置バトルシーケンサ』を立ち上げてくれよー」


 右にも左にも旗を振らない、どっちつかずのその輪郭のぼやけた態度に、だんだん頭が付いていけなくなってきた。しかしこの回答は、「……それはつまり私に遠方補助せえって事です?」どうやら九十九を見逃してくれるとの意であろう。


「そうだよ、お前の得意分野だしー。あと、私に助けてもらえるだけ感謝しろよー」


 しかし、良いのだろうかそんな事。九十九を見逃して、さらには援護するなど東方が許す訳がない。そうごちゃごちゃと考えていると、「とにかくー……」九十九の思考に割り込むように気の抜けた言葉が飛んできた。


 すると猿飛は銃を気だるそうに横に向け、引き金を引く。すると銃から強烈な甲高い音と銃口から野太い光線が発された。発射された方向を見ればそこには複数の使者が居て、光線を受けた使者は体内から光を発しながら爆発し、その周りの使者もそれに巻き込まれて焼かれていった。


 一方で猿飛は銃の反動をモロに受けて地面に倒れている。しかし気の抜けた様な表情を見る限り問題は無さそうだ。


「敵も沸いてきたから早急にコントロールステーションに戻れー、頼むー」


 この猿飛の、間の抜けた振る舞いを見て、九十九は少し笑う。すると何だか胸の奥で閊えていたものが取れた様な気がして、「はい!」そうはっきりと猿飛の問いに返事をした。


 そうだ、今は助けてくれるのであれば関係ない。これが普段の猿飛なのだ。どうこう考えたところで関係は無く、裏も表も関係ない。猿飛が九十九に対して何かを誤魔化しながらでも道をひいてくれるのであればそれに応えるのが気遣いであろう。


「しかし流石は『サイコドラグーン』。コンセプトが『誘爆』だけに単騎やったら無類の強さですわ 」


 九十九は猿飛の武器を称賛する。だがあの爆発に巻き込まれた使者を見る限りでは共闘は絶対にしたくない。しかしその言葉を受けた猿飛は不服そうで、訝しげな表情を浮かべている。


「……でも妙だなー。思ったより爆発が派手じゃない」


 そう言って目を凝らすと、煙の奥に普段の使者と異なって、『妙に頭が大きい』人型の個体が見えた。頭の形は不揃いで、泡立つ様に頭の所々が大きく膨れていて、そこに走る血管が浮き出ていて非常に気味が悪い。


 そしてこの見慣れない使者の存在を二人は知っている。


「……アカンっ! 『念動種』や!」


「知ってる知ってるー。コイツに何人ウチの部下が殺されたか……」


 その相変わらずの軽口の中には若干だが怒りが忍ばされていた気がした。


「そして何より厄介なのはこいつには……サイコガンが通じない」


  念動種は念力による遠方からの攻撃に加え、サイコガンの弾丸を念で打ち消す事ができる。だからただ撃つだけでは弾を無駄に食われるだけなのだ。しかし弱点が無い訳では無い。その対処法を握っている人間がそこにはいた。


「ほな、『戦闘制御装置バトルシーケンサ』立ち上げるまで耐久出来ますか……?」


 そう言って険しい表情で猿飛を見つめている者がいた。九十九響。そう、彼女はこの状況を打破しうる力を持っている。


「超よゆー。第一部のリーダーをなめんなよー」


 猿飛は軽口を叩いてから、九十九の背中を軽く叩いて早くコントロールステーションへ行ってこいと促した。九十九は少し笑ってから頷いて、直ぐ走り出した。


 猿飛は九十九が走り去る姿を見届けると、「さてとー。他部所だけど、かわいい後輩の頼みだしなー」そう言ってから猿飛は腰を落として膝を立てて銃を構える。獲物を見つめるその目は輝いていて、そして口元は笑っていた。


「派手にいくぜー」


 そう言うと応える様に銃は唸り、紅い光線を吐き出した。しかしそれは一度だけで無く、二発、三発と何度も何度も撃ち込まれ、仕舞いには建物に誘爆して辺り一面が煙に包まれた。


「流石にこれだけ撃ち込めばエネルギーを抱え込めなくなるんじゃ……」


 しかしその煙が次第に晴れていくと、その煙の隙間から強い光が漏れていて、それが次第に収縮していくのが分かった。


「……できちゃうのかー」


 猿飛は苦笑いする。流石にあれを正面から受け止められるとは思いもしなかったからだ。


「回生能力を持たない奴だからいいけど、これはちょっと今後の参考にしないとダメだなー……ってマジ?」


 猿飛の頬についに冷汗が垂れる。煙が晴れ、また気味の悪い、色白の大頭が見えた。これだけなら全く問題は無い。だが猿飛が不安に感じたその理由は、それが三体並んでいたからである。


「なるほどねー、こんなに来てたからかー。流石に捌けるかなー……」


  そう言葉を漏らした次の瞬間の事だった。猿飛の身体に強い痛みが走り、身体が自分の言う事を聞かなくなりだした。例え腕を上げようとしても、足を曲げようとしてもピクリとも動かない。どうしてしまったのか分からず、慌てていると、なんと勝手に自分の腕が動き出して、思い切り自身の首を絞め始めたのだ。これには堪らず猿飛も苦肉の策を講じる。


「サイコアクチュエータッ!」


 すると猿飛の腕から薬莢が弾き出され、次に遮断器が落ちる鈍い音がした。猿飛は咳き込んでから直ぐに電源を再投入する。その次に銃を右や左の建物に向けて乱射し、誘爆させて辺り一面を砂煙りにした。それに上手く紛れて建物の角に逃げ込むと、そこに座り込んで息を整える。


「アブねー。念力をエーテルで無理矢理遮断したから何とかなったけど、一瞬だけ過剰にエネルギーを流したから頭が痛いよー」


 この時、猿飛は敵にまた見つかる前に少し離れなければまた同じ事の繰り返しになると思った。 しかし念動種を放置してしまえばそれが九十九の方へ悪さをしに行くかもしれない。だから今は変な動きをさせない様に建物の脇から覗き込んで見張る事に徹した。


「言うてキツイかもなー……」


 いざという時は念動種の前に飛び出して動きを止めなくてはいけない。それを考えて猿飛は深くため息をついて、嫌でも流れてくる額の汗をいい加減に拭った。


 一方、九十九は必死になって、敵にも見つかないようコントロールステーションに向かって走っていた。大通りを避けて、小道を次々と右や左に曲がっていく。早くしなければ猿飛が死んでしまう。けれど待っていてくれと九十九は願った。あと少しだ、この道を抜ければもうコントロールステーションが目の前に見える筈なのだ。そうやって心の中で猿飛を励まして、自分の気持ちを奮い立たせて、もう大丈夫だと思った時、悪運がここで尽きた。角を曲がったその先に、使者の姿が幾多も見えてしまったのだ。


「くそっ! こっちにもおるんかいな!」


 気が付いた時にはもう遅く、使者はこっちを振り向いて、互いにぶつかり合いながら我先にとやってくる。それと同時に通信回線を伝って、遠方にいる、猿飛の苦しそうな声が聞こえてきた。


「頼む九十九……流石にエグいよー。早くしてくれー……」


 しかし苦しいのは九十九も同様で、今どうする事もできないのだ。


「ちょい待って下さい! もうちょいなんです!」


 この緊急事態に九十九は慌ててしまっていて、猿飛の要求に対して強く言い返してしまった。


 そうだ、猿飛を助けながら目の前の敵を捌くなどそんな都合のいいやり方などあるはずがない。九十九は、目の前の使者に阻まれて前に進めない自分に、無理難題を突き付けられたとつい思ってしまう。自分の無力さを改めて感じさせられて惨めな気持ちになる。


 しかしどうしてこんな思いをしなければならない。諦めたくなった、帰りたくなった。けれど木虎を、猿飛を、そしてユイを諦められなくて、悔しさと苛立ちが頭の中で渦を巻く。


「……切り抜けられるはずがあらへんよ、こないなのっ!」


 前に進みたいのに道が見えない。まるで目隠しをさせられて、綱渡りをしろと無理難題を強いてくる様な気持ちだった。そして時間が過ぎれば過ぎる程、身を削られているのが良くわかる。こんな酷い話があるだろうか。


 九十九はただその場に立ち尽くし、万策尽きたと思ったその時だった。


「……手の掛かる後輩だなー。九十九、今から数秒で座標送れー」


 その言葉を聞いて、九十九は俯いていた顔を上げる。


「何でですか?」


「奥の手を使うよー」


 そう告げた時、猿飛は苦しみながらも笑みを浮かべていた。

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