第7話 正統なる血統による子造りを

 ユイは夢を見ていた。少なくともユイはそう感じている。夢の中では、ぼんやりと光が見えた事だけは何となくだが覚えている。


 次第に景色が鮮明になってきた。見れば自分は仰向けになっていて、多くの白い服を着た人間に囲まれている。淡々とした彼らの会話と、定期的に遠くから電子音が聞こえた。いやに緊迫感を感じた気もした。そして彼らの服は何故だろうか、胸の辺りまで、まるで飛沫が掛かったかのように、紅が付いていた。


 ――――。


「ゆっくりとお休みできましたか?」


 ふと優しい声が聞こえ、ユイは目を覚ました。


「……ん?」


 寝ぼけ眼のまま周りを見渡す。見れば随分と広い一室で、まるで御屋敷の一室の様な所にユイは居た。木造で、床は畳が敷かれている。その部屋の中心でユイは白装束を纏って布団の中で眠りに落ちていたのだ。


 またよく見れば直ぐ傍に、見知らぬ長い黒髪を後ろで束ねた巫女姿の女性がいた。ユイから見て年はそれほど変わらなそうだが、随分大人っぽく見える。


「どうも、こんばんは」


 女性はユイに微笑む。それに応えようとユイは少し起き上がる。


「こん……ばんは……」


 そう返事をしかけてからユイはふとある事に気が付く。『巫女服』。そうだ、ユイは少し前に何者かによって襲われた。そしてその者たちは巫女服を着ていたではないか。


「う、うわぁぁぁぁっ!」


 ユイはそれに気が付いて咄嗟に、障子を勢いよく開けて部屋から飛び出した。


 ここは何処だ? 何でもいい、外に出てしまえば誰かが助けてくれるはずだ。そして家に……家族に……。


 ユイは再び思い出す。昨晩起きたあの惨劇を。


 あの時に聞こえた父の叫び声が頭の中でこだまする。父はどうなったであろうか。あのまま死んでしまったのだろうか。もしかして生きているだろうか。しかし生きていても普通であればマトモな扱いを受けているとは考えられない。考えれば考える程、涙が溢れ出し、頬を掠めて行く。


「うわっ!」


 するとユイは床につまずき、派手に転ぶ。そして直ぐに起き上がろうとしたその時、目の前には先程傍らにいた女性が立っていた。女は悲しそうな、心苦しそうな顔をしている。


「かわいそうに……こんなに怯えてしまって」


「来るな……来るんじゃないっ!」


「大丈夫ですよ、私は貴方の事を傷付けたりしませんから。私はこの神社の主。東方ひがしかた卯月うつきと申します。今後ともよろしくお願いいたします」


 『東方ひがしかた』。この単語を聞いてユイは唖然としてしまった。『東方神社』と言えばこの国一番の宗教組織だ。東方は宗政治的な介入もできる組織であり、大和の東側に強大な勢力を持っている。


「ま、待って! 『東方』なんて立派な組織の人間が何で私をさらった? 私の父さんに危害を加えた?」


 すると東方は少し俯き、黙ってしまった。その態度に苛立ったユイは、ここぞとばかりに罵声を畳み掛ける。


「だんまりみたいですね。それに何? 『今後ともよろしくお願いいたします』? 私をこんな目に逢わせておいて話す言葉ですか? とにかく私はアンタの施しを受ける気は無い、早く家に返してよっ!」


 そう言い放った時だった。


「貴方は自分が何者か分かっていますか?」


 俯いていた東方の垂れていた前髪の奥から、冷たい声が聞こえた。


「……へ?」


 ユイは東方のあまりの態度の変わり方を見て少し前の勢いなど吹き飛んでしまった。それと―—


『お前は何者や?』


 東方の言葉でユイはまた九十九の問い掛けを思い出す。何故こんなにも皆は自分にも分からない事を聞いてくるのだろうか。それだけ自分が持つ何かには重大な意味があるのだろうか。しかし分からないものは分からない。ユイは淡々と自身の経歴を話す事にする。


「私は貧乏神社の跡取りで……男の身でありながら巫女を目指しているだけの……」


「違います」


 それは話の途中で遮られてしまった。その態度は何だと、ユイは視線を東方へと移した時、その反抗的な気持ちは一瞬で消え失せた。何故なら目を向けたその先から、今まで感じた事の無い様な圧力をあてられたからだ。そこには無表情で酷く不気味な顔をした女が立っている。まるで別人。そう感じてしまう程に、少し前の東方と雰囲気が全く異なっていた。


 東方をよく見れば見る程に、彼女の存在感の強さを再認識させられる。一定のリズムで吐出される息。首の僅かな傾き。手の置かれた位置。目線。一つ一つの挙動が意味を持ち、それはユイにとって自分を追い詰めるものに感じられた。


 そして東方は軽く息を吸ってから口を開く。その挙動だけでユイは身構えてしまった。その意味が、重要性が、ユイの脳に何よりも優先されて伝達されたからだ。そうして東方はユイにある言葉を告げる。端的で明快、かつ運命の始まりを感じさせるような事を。


「貴方には東方の血が流れている」


「……え?」


 ユイは東方の血を継ぐ者だったなど、一度も聞いたことが無かった。つまりその言葉の意味を額面通りに受け取るならば、ユイは特別な存在だと言うことになる。


 しかし余りに出来過ぎていて、都合が良くて、何か裏があるのではと勘繰るところだが、ユイはその部分まで気がまわることは無かった。ユイは自身の才能が血統によって証明された事を素直に喜んでいた。だがその次の出来事で、東方が告げた言葉の意味合いはがらりと変わる。


「だからと言って、貴方は特別な訳じゃない。むしろその逆で―—貴方は殺されなければならなかった」


 そう告げられて、まるで崖から突き落とされよう気分だった。ユイは自分が何故そんな立場なのか分からず、その理不尽なに課せられていた運命に疑問と怒りを感じた。


「それは……どう言う意味だ……」


「東方の血は他に漏らす事を決して許されません。東方に産まれれば必ず霊感に優れた子が産まれますから。なので、東方で産まれた者は東方神社で一生を過ごすことになる。しかしその内、男性は不特定多数へ血を外部へ漏らすことができてしまう。よって東方の男は産まれてから即、殺される運命にあります」


 その話を聞いて血の気が引いてしまった。ユイに流れる血は財に相当し、同時に呪いになる意味も表している。ユイは自身の置かれている状況をようやく理解した。だから自分は誘拐されて、東方の長の前に突き付けられている。東方の定めに背いた罪を問われている。しかしそれらは身に覚えがない、ユイは不利を承知で東方に食って掛かる。


「何を言っているんだ……アンタは……! 私が今ここで、その運命を受け入れられる訳がないでしょうが!」


「……殺すとは言っていません。この神社の中には何人か東方の血を引く者がいます。しかしその内の誰か一人だけしか次世代の東方の長になれなれません。だから貴方はその座の奪い合いに参加するのです」


 その話を聞いてユイの堪忍袋の緒が切れた。余りに自由勝手に話されて、ユイが黙ったままで居られるはずがなかった。


「ふざけないで下さいよ! 殺されないにしても好き勝手に言って、私の運命を勝手に決めつけて、それで本当に良いと思っているんですか!」


 しかしその怒りは東方の言葉で一蹴される。


「話は最後まで聞くものです」


 余りに自分勝手過ぎると言い返してやりたかった。しかしユイにはできなかった。東方の言葉の強さに、ユイは口が開けなくなってしまった。東方の放つ圧は強烈で、あてられれば魔術にでも掛けられたかのように身は固まり、目を合わせれば息もできなくなってしまう。いくら何でも年が近しいとは思えない。それ程に東方の長は一般とはかけ離れた異質さと特別さをユイに感じさせた。


「東方は強い子孫の繁栄を望む。東方の血を引いても、東方の長しか子を産むことを赦されません。かつ東方の長に就いてからも、五年間は生き延びなければ異性との契りを赦されない。それだけ私達に流れる血とは貴重なものなんです」


「だから何なんだ。そんな事をいろいろ言われたって訳が分かりませんよっ! そもそも私の父はどうなったんだ……私は一体何者なんだ!」


「今は全て教えられません。ただ、現時点で教えられる事は……貴方の母親は産まれた息子に情が移って、息子を抱えて逃亡した。故に殺された。例に習って、貴方の父も極刑を受けた」


 知らなかった。母親はユイが産まれて直ぐに病気で亡くなったとだけ告げられていた。だがその前に、父が極刑を受けたとはどういう事だろうか。ユイは震える声で、恐る恐る東方に問い掛ける。


「……ち、父は今どうなっているのですか?」


「売りました」


 実に単純で残酷な言葉だった。ユイは意味が分からずとも、その悪意だけはくみ取ることができた。


「売った……?」


「そのままの意味です。人の肉体を売りました。人の体は無駄になる部分がありませんから。昨晩、捕らえた後、そのまま」


 気を失いそうになった。父は身体をバラされて売られてしまった。ユイは無くにも泣けず、ただ唇を噛みしめる。何で私達なんだ。意味が分からないと何度も心の中で叫ぶ。するとユイの気持ちを察したのか、東方はダメ押しする様にユイに言葉を掛ける。


「理不尽でしょう……余りに酷すぎると思うでしょう……しかし……」


 東方はユイに顔を寄せ、柔らかく微笑んでこう告げた。


「ここはそんな所です」


 ユイは我に返った。この女は悪魔だ。あの始めの優しさは演技で、こいつは私から全てを奪い去ったとんでもない敵だった。そして今、私の手元には何も、チリ一つ残っていないのだ。痛感して、絶望して、両手で何かに怯える様に自分を抱きしめようとした、その時だった。


「……え?」


 ふとどこからか音がしたのだ。静かに、重たく響く、何かの駆動音がどこからか響いてくる。しかしユイには音の正体が何となく分かってしまった。それが自身の身体から聞こえてくる事も、そしてその音は身体を動かす度に聞こえてくる事も分かっていた。ただ確認する事だけが、ひどく恐ろしかった。


 身体を捩る。それにつられて音がする。


 右腕を少し動かす。音はしない。


 息を呑んだ。


 では、そう言う事なのかと、次に右手で恐る恐る左腕を触る。それは余りに奇妙なものだった。触っても、触っても、右手に何かが触れる感覚が無かった。左腕の感覚は消えていた。


「私の……腕は……?」


 それはふと見ただけでは分からなかった。よく見ると左腕の様子がおかしい。腕の大体の部分は普通の人と見分けが付かないほど精巧にできているが、袖を捲って肩の付け根に接合部が見えると確信した。


「……き、機械になってる?」


「これは少し特殊なロボット義手です。まず腕の合成皮膚を剥がしてみてください。空気を少し入れてからゆっくり引っ張れば簡単に取れますよ」


 ユイは指示に従い、手の皮を引っ張る。


「何だこれ……?」


 吐き気がした。


 ずるりずるりと、嫌な感覚を引っ張る手に伝えながら、合成皮膚に隠れていた白いフレームがあらわになっていく。普段あるものがそこから無くなるその衝撃たるや。またそれが妙なものに挿げ替えられて一体化している気味の悪さも、ユイの脳を圧迫する。自分の中に住みついた何かに乗っ取られるような、ある種の嫌悪を感じずにはいられなかった。


「何だこれっ……!」


 腕は随分妙な姿をしていた。何かを挿すのであろう端子穴が複数有り、アタッチメントを取り付ける為の溝があり、ブローバック式の拳銃の背中をそのまま取り付けた様な機構まである。


「何だよ……何なんだよこれはッ……!」


「何もどうも、私達にとっては当然の事です」


 そう言って東方は慣れた手つきで自身の合成皮膚を剥がし、それを座り込むユイの前にやった。


「……ひぃ!」


 堪らずユイは声を出す。見上げれば東方はユイと同様に、左腕が機械化されていた。


「ここの人間はみんなそう、体のどこかが弄られています」


 投げ捨てられたそれは人が身に着けるモノとは思えない程で、感情を失っており、また酷い嫌悪感を発している。ユイは自身の人工皮膚もこれと同じようなものだと考えるだけで吐き気がした。


「……何でだよ……何でこんな事をしたんだっ!」


「『巫女』とは何か?」


 ユイの言葉に東方は全く関係のない質問をぶつけた。


「質問に答えろよッ!」


 余りそれがユイの問いに対してズレた言葉だったので、ユイは怒りの言葉をぶつける。しかし東方はそれに意も介さず、淡々と言葉を続ける。


「……巫女は人の命を自由に運用できる存在。しかしその表現は余りに曖昧で、亡くなった人の魂を呼び戻せることができる『技術』があると説明することが正になります。その義手も、私達にとって無くてはならない『技術』の一つです。その腕の機能についてはまた後で説明します。これから貴方には正装をしてから付いてきてもらいます」


 その機械の腕を片方にぶら下げて、かしこまった言葉を発するそれは、人の機能を失い切っていた。それは自分の未来の姿を見せつけているようで、胸が痛くなって、しばらくは息をすることさえできなかった。


「……一体私をどうする気だ?」


 ユイは震える声で問いかける。


「私には野望がある」


 またも東方は質問に対してズレたことを言い出した。だがその言葉にいちいち反応する事さえ無駄に感じられ、ユイは無視することにした。


「私は最高傑作の東方を生み出したい。血の純度が高い東方をこの手で創り出したい。だからユイさん……」


 東方は顔に優しい微笑みをかたどって、こう言った。


「貴方は東方で『巫女』として働き、東方と競い合い研鑽し、そして真の東方となった私と契りなさい」


 ユイは言葉を失ってしまった。ユイは東方の長と『子作り』をする事になった。その言葉は衝撃的で、情熱的。しかし余りに無感情で無機質なものだった。


 東方の意思に背きながらも血を引いたユイの運命を巡り、静かに物語は動き始める。

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