1章 シュレーディンガーが殺した猫

第8話 生と死の接続装置《インターフェースマシーン》①

 それから二人は元の部屋に戻り、ユイは巫女服に着替えることになった。ユイは東方の人間として迎え入れられ、東方の世界で生きることになる。学校については、引き続き今の学校に通うことが出来るとのことだ。


 未だにユイの心臓は高鳴ったままでいた。東方から契りを結びたいと告げられて、男であるユイはマトモな状態でいられるはずがなかった。目はおろか、顔を見ることさえままならない。


 しかし愛の無い契りなど行いたくないだろう。ユイが思うに、東方から見ればユイはお粗末過ぎて釣り合わないと感じていた。東方は、綺麗な容姿をしていること、実力と権力においても圧倒的な力があること、これらから何においても自身の能力が東方より秀でているとは思えなかった。とにかく東方とユイの関係は事務的に感じる部分があり、後ろ向きな思想しか頭に浮かばなかった。


 だが東方かのじょはユイの血を求めている。


 改めて東方を見つめる。誰かの意思で造られたと思ってしまう程に綺麗に出来て……いや出来すぎた容姿をしている。艶のある黒髪も、色白い肌も、細い身体も、凛とした顔も、全て誰かが与えたように思えた。ユイがそれをまじまじと見つめていると、東方が目を合わせてきたので、ユイは直ぐに目を背けた。


「お召し物です」


 東方は淡々と告げて巫女服をユイへ寄越す。ユイは目を他所へ向けて、ぶっきらぼうに東方からそれを受けとった。


「東方さんは……狂ってますよ」


 ユイは嫌悪する様に振る舞いながらも、少し頬を赤らめていた。


「そうかもしれませんね。しかし東方の血は非常に貴重な存在です。私達の世界では、仮に男の東方がいるなどと知ったら誰もがまぐわいたい筈です」


「…………ぶっ!」


 いきなり何て事を言うのだろうか。余りに東方が過激な発言をするので、ユイは噴き出したと同時、拍子に鼻血まで出してしまった。それを東方は見て、クスリと軽く笑う。


「随分と初心うぶなんですね」


「う、うるさいな!」


 全く、東方の前では調子を崩される。そもそも東方はユイにとって両親の敵に相当し、ユイもそれを許すことは無いと心に決めている。しかし主導権が東方にあるようで、どうにもやりにくい。


「あと、別件ですが自慰行為などは決して行ってはいけませんからね。仮にそれを誰かが悪用したら大変な事になります」


「さらっと変な事言わないでくださいよ! ……そ、そもそも私、そんなことしたことありませんし」


 ユイは顔を真っ赤にさせて反論する。そもそも人のソレを回収するなど、東方以外にそんな変態行為を働くものがいるのだろうか。そんな事をユイは考えていると、東方はこんな言葉をユイに告げた。


「それは私の為だけに使ってください」


 東方は柔らかく笑いながら言った。一方でユイはその一言で、顔はおろか耳まで真っ赤にさせてしまった。


 本当に嫌な女だ。


 ユイは本当に自分は安い人間だと思った。こんな状況で、下らない言葉に踊らされていることに嫌悪せずにはいられず、ナーバスな気持ちになった。


 ユイは受け取った巫女服を袖に通す。その際に服の隙間を風が通り抜けた。片腕にはその感覚が伝わらなくて、何だか自分なんてもう居なくなってしまったかの様に思えた。吹き抜けた風があおった髪はまとまらず、耳にかかっていた毛が少し前に垂れた。


 私を知っている人から見れば、今の自分の顔を見たら別人に見えてしまうだろうな。それ程に自分の顔がやつれているだろうと言うことに自信があった。ユイはそんな事を考えながら巫女服に着替えていく。


 ただ別人になったところで、態度が変わったところで、結果は変わらない。現に東方はそれを見て何か態度を改めるわけでもなく、張り付けた様な作られた笑みを崩さなかった。


「東方さんは感情が抜け落ちているんじゃないですか」


 ユイは大胆な問い掛けをした。すると東方はキョトンとしてから、軽く笑う。


「そうですね、きっとそうに違いないでしょう」


 ユイはその返答がままらないものだったのか、またよそを向いて着替えを続けた。慣れた手つきで袴を穿く。実家ではよく着替えていたおかげだ。おかげで東方は手持ち無沙汰でいる。


「私が東方である以上、仕方の無いことです」


 聞き流した。服を抜ける風と同じ様に。演じ続けた。駄々をこねる子供の様だと思いながら。


「では向かいましょう」


 ユイの着替えが済んだと同時に東方がそう告げた。


 二人は部屋を出てから長い廊下を抜け、本殿へと入る。祭壇は随分と大きなもので、全体は分からないが、広さからして立派な神社だと再認識させられる。


 ただ東方の神社はこの国では非常に有名な神社で、大和の東側に強大な勢力を持つ。だからこの程度の設備は東方からすれば大したものでは無いのかもしれない。


 西側にも同じ様に神社があるが、それは信仰の源流は同じだがけんか別れしてしまい、東側と対立して大きな溝を深めている。


「祭壇に上がってください。ここから入ります」


 よく分からないままにユイは東方について行き、本殿の一段上がっているところに登る。すると突然柵が降り、部屋全体が少し揺れ始めたと思うと柵の向こう側の風景が急に天に上り始めた。


「昇降機ですよ。これから地下に向かいます」


 二人の顔は天井からの薄暗い橙の灯りに照らされ、より鬱蒼に見えた。


 この後、何をされるのか分からない。しかしユイには実にどうでもいいことで、まるで興味が無かった。いや持てなかった。


 頭を一切働かせたくない、耳に何も情報を入れたくない、何も話したくない、我に返りたくない、返れば全て失った自分と向き合わなければならないからだ。


 そんな時、東方はふいに声を掛けてきた。


「少し話をしましょうか」


 だがユイは虚ろな目をしたまま無視をした。それを見た東方は特に意に介していないようであった。無視をするユイを無視するように東方は口をまた開く。


「ユイさんは死後の世界について考えたことがありますか?」


 何故そんな事を聞くのか、ユイは少し疑問に感じたが黙る事に徹した。東方は一方的に質問を続ける。


「では人が死んだ後、元々人を動かしていた心や魂の部分はどこに行ってしまうのか、またどうなってしまっているのか気になりませんか?」


「さぁ……ね」


 ユイは興味無さそうに髪の毛を弄りながら壁に寄りかかる。


 しかしこの様な問答に何の意味があるのか全く皆目が付かない。それどころか馬鹿にされているようで実に腹立たしく、一度強く言ってやろうかと思った程だ。


 そう、ユイは思っていた。


 この話には意味は無く、人を嘲る為の事だと信じてやまなかった。しかし東方は、妙な事を口走る。


「私は知っている」


 それは人の死後の魂の在り処について知っていると言う事だろうか。ただそれをやすやすと知っているなどと言えるなど狂言に違いない。しかし東方の顔は大真面目で、妙に落ち着いている。演技にしては上出来、それも過ぎる位にだ。


 東方はまた口を開く。その語り口には力があり、人を引き込む魅力がある。だからユイはこの後の東方の話を聞いてぞっとした。何故ならこんな事を喋り出したからだった。


「人の存在意義を知っている。この世界の成り立ちも知っている。死の概念、その過程とその後も全部知っている。そして……貴方も知ることになる」


 ユイは唖然とした。東方は人の死後について本当に知っている。東方は『それをユイも知ることになる』と言ったのだから、はったりや嘘でなく、真の事だと、ユイに証明する事ができるのだ。余りにそれが現実味が無い為、ユイは東方に問い掛ける。


「…………それは、どういう意味?」


「具体的に話すのであれば、貴方はこれから……あの世に行く事になる」


 何だ? 『あの世へ行く』と言うことは、つまり死ぬことになる言う事だろうか。やはり東方の血を継いでいながら男であるから、しきたり通り死ななければならないのだろうか。それが東方の真意なのだろうかとユイは考えてから、体中から嫌な汗が噴き出した。


「い、意味が分からない。それは結局私に死ねと言っている事と変わらないんじゃないの? ねえ何とか言ってみなさ……!」


 その時だった。ユイの言葉は途中で遮られ、強い、圧のある、東方の言葉が割って入ってきたのだ。


「死ななくても『あの世』へ行く方法があるとしたら?」


 ひとたび二人の間に沈黙が生まれた。


 生きながらして死ぬ。そんな事が可能なのだろうか。しかし、一度は唖然としたものの、目的の見えない会話に苛立ちを感じたユイはついそんな言葉を漏らす。


「何を言っているか分からないですね……つまり何が言いたいんですか? この話は私の一体何に関係があるんです?」


「仕事内容ですよ。貴方はこれから『あの世』で働いて頂きますから」


「……何?」


 あの世で働く? 余計に意味が分からない。東方の頭のねじは飛んでしまっているのであろうか。一つ一つユイは頭の中で事象を整理していると、チン、と言う鐘の音が聞こえて、昇降機は動きを止めた。


「そう言っている間にもう着きましたよ。いい時間つぶしにはなりましたか?」


 部屋に響いていた機械の唸る様な音は止み、再び柵が上る。どうやら目的地に到着したらしい。


「あ……」


 ユイは思わず声を漏らした。何故なら、そこには見覚えのある人物達が、暗い顔をしてその場に立っていたからだ。


「……来てもうたか。ユイ」


「ユイさん……」


「木虎に……ひ、響……?」


 ただただ驚愕した。クラスメイトの二人、九十九と木虎がそこには居た。当たり前の様に、ユイの気持ちを蔑ろにする様に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る