ボクの纏う巫女装束《バトルドレス》

海 豹吉(旧へぼあざらし)

序章 東方の血

第1話 或る女の場合。

 声が頭の中に響いた。


『……撤退しましょう。いくら何でもこの状況で戦闘を続けていたら最悪の結果になりますよ』


「ダメです」


 或る女がその言葉に対して即座に答えた。彼女は凛とした顔立ちをしていた。容姿も悪くない。体形は背が高く、すらりとしている。長くしっとりとした黒髪は後ろで束ねられていた。


 何より彼女が着ている巫女服は、彼女の純潔さ引き立て、良く似合っていた。ただ真っ白な巫女服は赤で穢されていた。自分のものか、相手のものか、所在しょざいの解らぬ鮮血を白地に染み込ませていた。


 更に彼女には気になる点があった。それは彼女の左腕には白い、機械製の義手が付いていることだ。


「やらなければならなりません。東方ひがしかた部隊に失敗は許されない。ここでは結果が全てなのだから」


 彼女は淡々と告げた。だがその淡泊さに反して、随分と疲弊しているように見えた。首元には汗がにじみ、頭からは血をだらりと流している。


東方ひがしかたさんだって重故障状態じゃないですか! 戦闘体の四十パーセントの損傷に加えて、制御装置が片系ダウンしている状態での戦闘なんてあり得ませんよ』


 音声通信が頭の中に響いた。それは東方と呼ばれる彼女を心配する内容だったが、東方は聞く耳を持たなかった。小うるさく怒鳴り散らす音声通信との会話を他所に置いて、東方は薙ぐ風を受けながら、ぼうっと遠くを見つめている。


 周囲の光景は『異様』だった。それ以外の言葉で表すことができなかった。空は無く、上下左右どこを見ても町が広がっている。天井辺りにある建物は逆さ吊りに、正面から見て地面から垂直方向、壁に相当する場所に建った物は、地面と水平方向に延びている。


 遠くに目を辿らせていくと、先に見える地面は次第に曲を持って反り返っていき、そのまま天井に登っていく。どんどん辿ってゆけば、元の自分の場所へ視線が帰る。まるで球体の籠に閉じ込められているかのようだった。


 辺りは少し薄暗く、一帯に古めかしい木造の家が見え、一軒一軒橙色の光を窓からこぼしている。それが一面びっしりと家やら何やら建物が敷き詰められていて、上を見ればそこにも同じ光景が広がっていた。


 東方はぽつりと呟いた。


「……使者が来る」


 東方は前を向く。そこには悲惨な光景が広がっていた。巫女服を着た者が数人、血を大量に流して地面に転がっていた。彼女達は『この世界あのよ』に住む、『使者』と呼ばれる存在によって嬲り殺されたのだ。


 東方は軽く息をつくと、再度表情を硬くした。暗がりの奥に、何かが見えたからだ。それは人の形をしていた。細く背が高かった。それは白い仮面を付けていた。全身はボロボロになった茶色の布を纏い、布の隙間から青白い肌を覗かせていた。


 それは一体だけではなかった。よく見れば周囲の建物の陰から、何体ものソレが東方の事を覗いていた。


 東方は腰に差していた刀に手を掛ける。刀の柄から一本、ケーブルが伸びていた。それを自身の義手にある端子穴に差し込んでから東方は刀を抜いた。刀には特に変わった様子は無い。しかし、東方が何かしたのか、腕から火薬が弾けるような音がして、そこから薬莢の様なものが飛び出した。


「『サイコソード』、起動」


 その掛け声で東方が構えていた刀は赤く染まりだした。使者達は東方目がけて一斉に駆け出した。


 無数の使者、それに東方は対峙する。それが迫れば迫るほどに、東方の身体は冷え上がって、胸は高鳴った。死が迫る感覚を、命をやり取りするこの刹那を、東方は愉しむようにしていた。そして東方は、真正面から飛び掛かってきた使者を視界に捉え、刀を横に薙ぐのであった。


 ――その後の事については、戦闘記録ログが残されていない。


 これは或る女の日常。当たり前で、いつも通りの事。


 異常でも、非現実的なものではない、他愛の無い事。


 これが起きた事ははるか昔の事で、結果として彼女は生き残ることになる。今になって思い返せば、この位の出来事は大したことのない話だ。


 何故ならこれが彼女の、そしてある女達が生きる世界での当たり前なのだから。


 過酷で、悲惨で、地獄の様なこの世界。この度は、それに身を投じるある人物の物語を、徒然なるままに記す事にする。

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