電脳カリカチュア

日崎アユム/丹羽夏子

1日目 昼

紅子ちゃんの冒険の旅が始まった

 県境の長いトンネルを抜けても、そこは山林だった。


 車窓の内から鬱蒼うっそうと茂った木々を眺める。

 枝葉の隙間に青い空が見える。

 木々の向こう側には、目もくらむような夏空が広がっている――らしい。

 さぞかし暑いことだろう、と飯田いいだ紅子べにこは思った。

 他人事であった。

 列車の中は冷房が効きすぎている。紅子は、今、薄手のカーディガンを羽織っている。


 新宿で乗車した直後は圧死するかと思ったが、窓の外の建物が減るたび乗客の数も減った。高尾でホームに謎のオブジェがあるのを見つけた時には、反対側の窓際にいても別の窓からホームの様子が見えるほどには人がいなくなっていた。


 青春18きっぷを選んだことを、紅子は後悔していない。

 紅子は女子高校生だ。それなりの名門として名をせる、私立の女子校に籍がある。しかし、学費を払うのは紅子の保護者であり、紅子自身ではない。紅子は毎月小遣いを貰ってやりくりしている。その上校則ではアルバイトを禁じられていた。毎月几帳面に小遣い帳をつけて交遊費や漫画代を捻出する紅子が、自分を裕福だと感じることはなかった。

 しかも、単独で複数の都県をまたぐ長距離移動をするのは、人生で初の試みだ。

 旅路を楽しむ高揚感より、路銀を案じる不安の方が勝った。

 先週、紅子は社会人の兄に泣きついた。そして青春18きっぷの存在を教わった。挙句、ちゃっかり買わせた。とりあえず交通費は浮いた。


 それにしても中央線が長い。新宿を出てすでに一時間は経過しているというのに、ようやく山梨県が始まったところだ。

 紅子の目的地は長野県にある。

 覚悟はしていたつもりだったが、残り四時間少々、いったいどうやって潰せばいいのだろう。友人に借りたライトノベルは読み切ったし、スマートフォンは圏外を表示している。


 それでもなお――路銀の不安も、単身の不安も、長時間移動の不安も、目的地に辿り着いた時味わえるであろう歓喜の敵ではなかった。

 十七年の人生の中でもっとも魅力的で刺激的な時間が待っているはずだと、紅子は確信していた。


 紅子はまぶたを下ろした。

 昨夜は興奮してなかなか寝つけなかったのだ。

 おそらく今夜もあまり眠れないことだろう。

 今のうちに体を休めることにした。

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