第6話 むつみお兄さんと紅子ちゃんin《ぁゃ》の部屋 6
「追伸に書いてあったもう一個の話。マスキングテープって、何のこと?」
それもまた、むつみに言われてから思い出した。
よほど混乱していたらしい。会ったら絶対にやり取りすると張り切っていたのに、今の今まで思い出せなかったとは――思わず手を叩いた。
「そうだマステ貰うんだった!」
「マステって、あの、製図とか絵とかに使うやつ?」
「元はそうなんすけど、ちょっと前に流行ったんすよ、お洒落なマステ。いろんな柄のマステが出て、めちゃ可愛くて。貼っても剥がせるし、何メートルも全部同じ柄だし、便利なんすよね」
紅子の学校のクラスでは流行を超えて定着している文具だ。ノートや手帳に柄付きのマスキングテープを貼り、デコレーションを施すのである。女子高校生にとって何の変哲もない大学ノートの表紙を使って個性をアピールすることは非常に重要なことなのだ。
《ぁゃ》にそんな話をしたところ、《ぁゃ》もマスキングテープが好きだと話した。人気メーカーを追い掛け、鬱病の身を押して都内で開催された限定の柄の販売されるイベントに出掛けたと言う。
紅子はそれを非常にうらやんだ。高校生の紅子は、住んでいる神奈川県からなかなか出られない。文房具店にある柄のテープはクラスメートの誰もが持っている。限定の柄に憧れた。
そんな紅子に、《ぁゃ》はいくつか譲ると約束した。
「そんなの使う?」
「超使います! ノートとか、教科ごとにデコってるんすよ! マジ腕の見せ所なんすから!」
「へー。女子高校生ってそういう生き物なんだね」
興味なさそうに言ったむつみを押しのけ、紅子は机のひきだしを片っ端から開けた。
真正面、椅子の入るスペースの上のひきだしにはない。
右側、三段になっているひきだしの一番上にもない。
二段目を開けた時だった。
キャラクターものの菓子の缶だと思われる、十五センチ程度四方の箱が出てきた。
「これだーっ!」
急いで取り出した。
その場にしゃがみ込んで、膝の上でふたを開けた。
紅子の小さな手には余る宝箱には、見たことのない柄のテープが二十本以上詰め込まれていた。
「ふああああああ」
思わず奇声を発してしまった紅子を、むつみが冷めた目で眺めている。
「そんなのが欲しかったの?」
「そうっすよ、めっちゃ欲しかったんすよ! ホントに全部貰っていいんすかね」
「いいんじゃないかな。だって、あやさんは死んでるんだから」
途端、紅子は沈黙した。
これは遺品だ。そんなマスキングテープを、自分は軽々しくノートに貼りつけるのか。
紅子が写真に撮って送ったデコレーション済みのノートを見て、綾乃は絶賛してくれた。こういうものは才能のある子が活用すべきだと言っていた。
きっと使うよう望んでくれるだろう。
綾乃の形見だ。大事に持って帰ろう。そして、大事に使おう。
そんな紅子の心情をよそに、むつみが「ふたのところ、何かついてない?」と言ってきた。鼻をすすってから、紅子は「へっ?」と答えた。
缶のふたの裏側を見た。
何か小さなもの――二センチ四方程度の薄いカード状のものが、マスキングテープで厳重に貼りつけられていた。
「何だろ、これ」
マスキングテープを剥がした。
出てきたのは、SDカードだった。4GBで、ラベルに"Miniture Garden"と書かれている。
「みにちゅあがーでん……? 箱庭?」
「それは、何か、聞いていないの?」
「何にも……」
「中を見てみようか」と言い、むつみが椅子を回して机の方を向いた。そこには綾乃のノートパソコンが鎮座していた。
ノートパソコンのふたを持ち上げる。どこにでもある日本のメーカーのノートパソコンだ。
電源ボタンを押す。
ためらいの一切見られないむつみの動作に、パソコンはプライベートなものだという認識の強い紅子は「ちょっと」と声をかけた。
ウィンドウズのロゴが浮かんだ時、紅子はまた、黙った。
綾乃はすでに死んでいる。ノートパソコンを勝手に立ち上げられても文句を言えない。
それが、死ぬということだ。
「窓だ。しかもヴィスタ。意外だな、あやさんくらいのプログラマーだとリナックスを使っていそうなイメージだったけど」
「あー……持ち運び用なんじゃないすかね。三台ぐらいパソコン持ってるって言ってましたから……」
やがて、OSが完全に起動した。デスクトップ画面が出てきた。
それにしても、シンプル過ぎるデスクトップだ。コンピュータとごみ箱のアイコンしかない。
「初期化したのかな」
むつみが呟いた。
「パスワードも設定されていなかったし、これは、誰かが立ち上げるのを想定していたのかもしれないね」
紅子は唾を呑んだ。
綾乃は何を思ってここにノートパソコンを置いていったのだろう。
「さっきの、貸してもらえる?」
むつみが差し出した手の平に、SDカードを置いた。
むつみはパソコンの脇を覗いてカードの挿入口を探した。そのうちうまくはまる部分を見つけられたようで、SDカードを差し入れた。
パソコンはすぐにSDカードを認識した。自動で新しいデバイスのアイコンを表示した。
パソコンについていたマウスを、むつみの大きな手が動かした。アイコンをクリックした。
SDカードの中には、アイコンが一つしか入っていなかった。何らかのソフトのようだった。タイトルは、SDカードのラベルに書かれていたものと同じく、"Miniture Garden"だ。
むつみはさらに、アイコンをクリックした。
小さなウィンドウが開いた。美しいグラフィックの画面だった。英国風の庭園を思わせる、緑の豊かな背景画像だ。
しかし、使い方がまったく分からない。
一応メニューバーはある。けれど、よくある『上書き保存』や『名前をつけて保存』などばかりで、特にこれといって目新しい機能は見当たらない。他にツールバーもない。
「何すかね、これ」
「いや、今僕が紅ちゃんに訊こうと思ってたことなんだけど」
「心当たりなし?」と問われた。紅子は「なしっす」と即答した。
「リセなら、使い方が分かるのかもしれない」
紅子の心臓がはねた。
綾乃が《Lise》に作らされていた、犯罪に使うためのソフトが、これ――なのかもしれない。
「ちょっと……、これ、僕が預かっていてもいいかな」
「どっ、どうぞどうぞ!」
むつみはウィンドウを閉じると、右クリックでデバイスの取り外しを選択した。ややして右下に準備ができたというポップアップが出てきた。SDカードを取り外す。
「なんてものを紅ちゃんに渡そうとしていたんだ……僕が気づかなかったら、この子、絶対知らずに持って帰っていたよ……」
パソコンをシャットダウンしつつ、むつみが頭を抱えた。紅子は何も言えず再度下唇を噛んだ。
「では、最後に」
電源が消えたパソコンから離れて、むつみが改まった顔で紅子に向き直った。
「紅ちゃんに、言っておかないといけないことがある」
紅子も慌ててその場に座り込むと、膝を抱えて唇を引き結んだ。
「はい、何でしょう」
「あやさん、手紙に書いてたよね。P2のメンバーは基本的に信用するなと」
「はい」
「確かお兄さんもいたよね。お兄さんも、何か、言っていなかった? オフ会に行くなんて危ないんじゃないかとか」
「はい、言ってました。ほいほい一人になったり誰かについていったりするなよって」
「ところで、僕と紅ちゃん、かれこれ一時間以上ここで二人きりだと思うんだけど、何にも思うところはない?」
「そんなに時間経ってます?」
「もうちょっと踏み込んで言った方がいいのかな」
むつみが、溜息をついた。
「紅ちゃん、男に対して無防備過ぎないかな……。パンツ丸見え現在進行形だし」
紅子は慌ててスカートの裾をつかみ床にしゃがみ込み直した。頬が真っ赤になっていくのを感じた。
「ちょっ、何なんすか!! 出てってくださいよ!!」
「分かった! ごめん! タイミングを誤った! 大きな声を出さないでください今ここで慎悟さんや冴さんに踏み込まれたら僕が社会的に死にますっ!」
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