第7話 むつみお兄さんと紅子ちゃんin厨房 1
厨房の大きな作業台の端、破れかけたビニールの丸椅子を持ってきて、紅子とむつみが直角になるよう座る。
むつみは、ホールのカウンターから、メモ帳とボールペン二本を無断で拝借してきた。
横一列に《Lise》《ニンファ》《KATE》《露輝》《晴》と書いた。
そしてその下に並行して、カトー、セント、コーヘイ、オサム、シズカと列記した。
「今のところ、紅ちゃんの脳内では誰が誰ということになっているのか、線でつないでみてくれる?」
赤いインクのボールペンを手渡された。強く握り締めつつ、眉と眉を寄せる。
フリーズしてしまった紅子に、むつみが「直感でいいよ、インスピレーションだろうが女の勘だろうが何でも」と促した。
紅子にはまったく見当がつかない。
本当に、ただ何となく、オンラインで喋っていた時とオフラインで喋っていた時のイメージだけを頼りに、線を引いていった。
まず、《晴》とセントをつないだ。セントの関西弁はこの際無視した。むつみの言ったとおり、書き言葉と話し言葉は違うのだ。当初は眼鏡をかけた華奢な理系男子をイメージしていたが、セントの陽気ともとれる語りは《晴》に通じるものがある。
次に、《ニンファ》とシズカをつないだ。これも、完全に印象だけの、何の根拠もないことだ。美貌に裏打ちされた自信に満ちている、おとなの女性の雰囲気――たったそれだけの理由だ。
その先、ペンが止まった。
シズカの上に、小さくクエスチョンマークを書き足した。
それから、《KATE》からもシズカに線を引いた。
「女の人、足りなくないすか」
紅子が問い掛けると、むつみが「僕もそれは思った」と答えた。
「僕も最初はシズカさんがニンファで冴さんがケイトだと思っていたんだ。ところが冴さんがまさかの九人目だったので、どうしたものか、と」
「あたし、マジ、昨日来るまで、P2はハルとロキ以外全員女の人なんだと思ってたんすよね」
「そうだったね、そう思い込んでたら余計混乱するよね。僕は最初からP2の女性メンバーはニンファとケイトの二人だと思っていたから」
ややしてから、紅子は顔をしかめて、「あたしも女性っすよ」と告げた。
むつみは表情を変えることなく「紅ちゃんは女性というより女児では――」とまで言ってから、「女子だからさ」と言い直した。
ボールペンのキャップを投げつけた。むつみは何ということもなくキャップをキャッチして紅子の前に置いた。
「そう言や、ノン、さっきリセのことネカマだって言ってましたよね。リセって、本当に男の人なんすかね」
ためらわず頷く。
「あるいは、オネエなのかもしれないけど。少なくとも、100%の女性ではないと思うな」
「何か根拠あるんすか? 違ってたら超失礼だと思うんすけど」
「んー、初めて話した時からうすうす。――というだけでは納得してもらえないと思うので、具体的なエピソードを話すと。ニンファとあやさんが下着の話で盛り上がっていたの、憶えているかな」
「ブラの話っすよね。ニンファが毎回おっぱいの大きさ測ってもらって特注してるっていう」
「僕がぼやかしたところ思い切り言ったね。いやいいんだけどね」
「あの時すか? リセ、何か言ってましたっけ?」
「何も言っていなかったから、怪しいんだよ。リセならドヤ顔でいろいろ語りそうなのに」
指摘され、紅子は一人腕組みをし、考えた。
あの時は《晴》だけがおらず、他のメンバーはほとんど発言せずに紅子と《ぁゃ》と《ニンファ》のやり取りを眺めていたようだった。《露輝》と、今思えば《NONE》も、男性だったので女性下着の事情は分からなかったのかもしれない。《Lise》も同じだったということか。
「話題の最後になって、ケイトがリセに、交ざらなくていいの、って聞いていたんだよね。いつだか胸の形について熱弁を奮っていたことがあるのに、と」
「よっく覚えてますねぇ」
「ひょっとして、リセはケイトに下着の話ではなくて本当に女性の胸そのものの話をしたことがあるのかもしれないな、と思ったんだ。ケイトは潔癖なところがあるでしょう。女性の体みたいにデリケートな話題には触れたくなかったのかもしれない。そこをずかずか無神経に踏み込んでいくのがリセという奴です」
「あー、ケイトがあんまり発言しなかったのはあたしも憶えてます。あたしが、いくら食べても脂肪がつかなくて困ってる、って言ったら、ケイトから、わかる、って飛んできたの、すごいいきなりでしたもん」
そこで紅子がひらめいて、「ケイトも細い人ってことっすね!」と言ったが、むつみが「そもそも太い人いる?」と言ってきた。いなかった。強いて言えばむつみが一番筋肉質そうだ。
「そういうところでちょっとずつリセへの不満を溜めていたのかもしれないね。女性の怒りはメーターがどんどん上がってMAXに到達した時突然キレるような仕組みになっている、って、どこで見たんだったかな」
「でも、分からない」と呟いて、むつみが黒いボールペンの先でメモをつつく。
「シズカさんがニンファだと、じゃあケイトは、という話になってしまう……。シズカさんがケイトではないという確証も持てない。何せ、今朝の和食ご飯を作ってくれたのはシズカさんだった」
食事を振る舞っていた時の、シズカの様子を思い出す。
「シズカさん、家の人が和食が好きだ、みたいなこと、言ってませんでしたっけ」
「それだよ。その家の人っていうのが引っ掛かる。旦那さんのことだったら、と思うと」
紅子は頬杖をつきながら、「もしかしたらケイトが男の人なのかもしれないっすよ」と言ってみた。むつみにとっては想定外の言葉だったらしく、「は?」と返された。
「だって、ケイト、一人称が僕でしたもん」
「だから、書き言葉は信用しないように、って。あと、一人称が僕の女性、たまにいるでしょう。いわゆる僕っ
「まあ、そうですけど。あたし、最初、悩んだんすよね。ゲイなのかな、って。男の人と一緒に暮らしてる同性愛者なのかな、って――でもそれこそ、直球ストレートじゃ聞きにくいっすよ」
しばらく沈黙してから、むつみが「その可能性はゼロじゃないような気もする」と呟いた。
「ただ、本人が、主婦です、って名乗っていた気がするんだな。男だったら主婦って言うかな……」
「うーん……そう言われれば、そうっすねぇ……」
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