第5話 《Lise》を追い掛けている冴ちゃん 2

「やっぱり……、単独犯じゃ、なかった……んですね……」


 冴に向かってムツミが「そういうことになりますね」と答える。


「みんなリセに騙されていて、自分が犯罪に加担していると自覚している人は少なさそうですけど。自分たちの何がどう悪用されたのか分からないから――僕自身でさえ。だいたい、自覚した途端、P2から撤退させられてしまうみたいですし、ね」


 冴が「なんて奴なの」と蒼ざめた。


「リセに関して、どれくらい調べがついてるんです?」


 溜息をつき、首を横に振る。


「ぜんぜん尻尾をつかめないんです。本名も年齢も分からなくて――ようやく分かったと思ったら、ひとの個人情報を盗用しているみたいで、すでに亡くなっている人だったり――」


 オサムが、「トカゲの切られた尻尾をつかまされているかな」と呟いた。冴が自分の手で自分の口を押さえた。


 今度はコーヘイが質問を投げ掛けた。


「あやちゃんが――水村綾乃さんが、冴さんに情報提供をした、って言ってましたよね」

「あっ、はい! ここに全員が集まる予定で、きっとリセも来るはずだ、って――」

「どういう流れで、どんな話をしたんです?」


 冴の視線が床を這う。


「最初は、私が直接話をお聞きしたわけじゃないんです。警視庁のデータベースに、綾乃さんからの相談の内容が出てきまして――《Lise》と名乗る人物に謎のソフトを作らされている、おそらくこのソフトで盗んだ情報をどこかへ送り出すつもりなのだろう、と。それを私が独自に見つけて、綾乃さんと連絡を取りました。綾乃さんは、当初はしぶっていましたが、最終的には、ここの住所を教えてくださいまして……」

「しぶっていたんですか」


 それについては、冴ではなく慎悟が答えた。


「綾乃が警察に相談した、という話は、それとなく聞いていました。ただ、かなり冷たくあしらわれたみたいで、すごくショックを受けて帰ってきまして……どうせ警察はネットのトラブルでなんか動いてくれないんだ、とか何とか――」

「そんなことないですっ!」


 冴が力説する。


「最近は警察もネット犯罪に力を入れているんですっ! ネットでのトラブルをきっかけに殺人事件が起きたり、大企業が何千億も損害を出したり、とにかく、現代社会ではネットでの問題に対応できなかったら警察は市民の皆さんを守れません! 私はそういう、新しい形で皆さんを守るために働いてるんですっ!」


 シズカが拍手をした頃、冴は力なく「ただ」と付け足した。


「綾乃さんが最初に相談したのは、埼玉県警の、地元の警察署の生活安全課だったんですよね……。最初からサイバー犯罪課につながる専用ダイヤルに連絡をくだされば、専門家が対応したんですけど……」

「すみません……妹が世間知らずで……」

「いえ……市民の皆さんへの広報活動が足りないせいだと思います、警察の落ち度です……」

「あかんやん」

「そ……それでも、一応、情報共有ができたからこそ、ここまで来れたんだ……ということは、その……」

「ええよ、警察の威信とか、最初から誰も感じとらんから」


 うなだれた冴へ追い打ちをかけるように、オサムが鼻で笑った。


「ここに来るまで、警察官の冴ちゃんの方が、ムツミやコーヘイに尋問されているんだからね」


 コーヘイは「そんなつもりじゃ」と言い掛けたが、冴の方が意気消沈して「そうですね……すみません……」と言ってしまった。ムツミもまた、「なんだかすみません」と軽く謝ったが、冴は「私のせいで警察の威信が……」と嘆きながら肩を落としている。

 全員が深い溜息をついた。


「まさか《Lise》が殺人までするだなんて……。殺人は管轄外なのに……」


 セントが「縦割り社会やな」と漏らしたのを聞きつけたらしい。冴は拳を握り締め、「この件に関しては私がきちんと責任を持ちます」と宣言した。


「念のため確認しておきたいんだけど」


 オサムが手を挙げる。素直な挙動に安心したらしい冴が「はい、何でしょうっ」と応じる。


「容疑者はたぶん満場一致でリセに決定の流れでいいと思うんだけど」

「ですねっ!」

「被害者は誰だったのかな」


 また、冴が首を傾げた。「だからね」とオサムが両手を広げる。


「P2には、リセを含めて八人のメンバーがいました」

「それは、まあ、知ってますけど」

「でも、僕らは誰も、ここにいる人間がネット上で何というハンドルネームを名乗っていたのか、知りません。ただし《ぁゃ》こと綾乃ちゃんと《紅》こと紅子ちゃんを除く」


 突然名前を呼ばれて、紅子は肩を弾ませた。


「カトーが、僕らが認識していたうちの誰なのかが、分からない。候補者が六人もいる」

「そう、言われて、みれば……」

「カトーが誰か次第では、話が少し変わってきてしまうかもしれない。何せ、リセ以外にも、他のメンバーを殺したいほどの恨みをもっている奴がいるかもしれないんだから」


 あちこちで視線がぶつかる中、オサムが立ち上がった。


「僕らは毎晩ケイトが用意した専用ソフトを介してチャットをしていた。けれど、その裏では、同じソフトのシークレットメッセージ機能や、スカイプ、ツイッター、LINE――あらゆるSNSを通じて、一対一で話をすることもできた。誰が誰とどんなやり取りをしていたのか、網羅している人間はいないと思う。もしかしたら、カトーはリセ以外の人間にぜんぜん違う動機で殺されたのかもしれない」


 シズカが「ありえるネ」と頷く。


「最悪の場合――カトーがリセだった場合、事件はふりだしに戻る」


 食堂の中に沈黙が降りてきた。時間が停滞した。

 打開したのは、ムツミの咳払いだ。


「とりあえず、冴さん?」

「はっ、はい!」

「カトーさんが殺されたのはだいたいいつ頃か見当はつきますか? 死後硬直とか、何か、そういうので」


 冴が唇を一度引き結んだ。


「す……すみません……ぜ、全身が硬くなっていたようなので、たぶん、死後十二時間くらい……だと思うんですけど……」

「じゃあ死亡推定時刻とやらは昨日の夜中十二時ぐらいということでいいのかな。死因は?」

「しっ、死因!? え、えっと、後頭部を鈍器のようなもので殴ら……れ……?」

「後頭部を殴るだけであんなに血まみれになるものなんですかね? ものすごい出血があったように見えましたが」

「……あ。後で、遺体を確認します」

「凶器になるようなものは、」

「見当たりませんでした……」

「――というのは、もうすでに僕とオサムさんで確認済みです」


 そのうち、冴が下唇を噛んで小刻みに震え始めた。「しっかりせぇや!」と野次を飛ばしたセントを、シズカが「あまりいじめないのヨ」とたしなめた。


「ご、ごめんなさい……殺人現場なんて初めてで……」

「まあ、サイバー犯罪捜査官ですものね……頑張ってください」

「うっ、あり、ありがと、ございますっ」


 鼻をすすりつつ、「そうですよっ」と声を張り上げる。


「ひっ、人が亡くなってるんですよっ!? こんな時に本名もハンドルネームも伏せたままだなんて、おかしくないですかっ!? 皆さん改めて自己紹介してくださいよぉっ」

「異議あり」


 今度手を挙げたのはセントだ。


「こんな時やからこそやろ。自分が誰かバレた途端殺されるかもしれんやんか」


 オサムも援護射撃をした。


「百歩譲ってリセはどうでもいいとして。他にもハンドルネームと本名が似通っているアホが出てくる危険性があると思われる。仮にハンドルネームを伏せて本名だけを名乗ったとしても、それをきっかけにハンドルネームまで割れたら?」


 最後に、シズカが言った。


「どうせ崖が崩れたり吊り橋が落ちたりしてこの別荘は巨大な密室になってるヨ。焦らなくても誰も逃げられないネ」


 慎悟が冴に、「お茶、淹れましょうか?」と囁いた。冴は手の甲で涙を拭いながら「結構ですっ」と突っぱねた。

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