第6話 とんだ欠陥作品に登場している一同
「では、とりあえず――こういう時は、何からしましょうね」
ムツミの言葉に、コーヘイが「アリバイの確認……?」と首を傾げた。オサムが「それだ」と指さした。
「昨日の夜、土砂崩れを見に行った後、皆さん何をしてました?」
「ちなみに僕は」と、率先してムツミが語り出す。
「ホールで解散した午後十時過ぎから慎悟さんが起こしにきてくれた朝八時ごろまで、アリバイを立証できるものは何もありません」
関西人のさがなのか、セントが「おい」とツッコミを入れた。
ムツミはセントを無視して、「慎悟さんすみません、ちょっとメモっててもらえませんか?」と依頼した。慎悟が「ちょっと待ってくださいね」と言って一度従業員スペースに引っ込み、すぐさま古ぼけた表紙の大学ノートを持って戻ってきた。
「一応、十一時半から十五分か二十分くらい入浴しましたが、その間誰にも会っていません。その前は部屋で読書をしていて、その後は寝た、としか言いようがありません。以上です」
シズカが「素直でよろしい」と言う。ムツミが「どうもありがとうございます」と答える。
「私もムツミと同じ。日付が変わってから大浴場に行ったけど、その前後に誰も会っていない」
「僕もだな」と言ったのはオサムだ。
「日付が変わってから大浴場に行ったのは覚えている。でも、男湯と女湯で分かれているのはみんなご存知のとおりで、シズカさんがいたかどうかは分からない。その前後は、部屋で回線が死んでいてもできるスマホアプリでゲームをして、そのうち寝落ちした、としか」
「言うても、冷静になったらオレもや」
セントが溜息をついた。
「まず、食堂で解散して即風呂入ってん。けど、土砂崩れの時外出て、汗びっしょりかいたやろ? 部屋戻ってすぐ、もう一回お風呂入ってんやんか。ただ、出る時にコーヘイさんと擦れ
コーヘイが「そう言えば」と視線を泳がせた。
「もしかして、僕がカトーさんに会った最後の一人なのかな」
紅子は昨夜の二人を思い出して胸が震えるのを感じた。階段の踊り場で、カトーがコーヘイの胸倉をつかんでいた時のことだ。
「大浴場の脱衣所でセントくんと擦れ違ったのは、十時半前後だったと思う。で、一人で入浴して――十一時前くらいかな、やっぱり風呂に入りに来たカトーさんと階段で遭遇して。でも、」
一瞬、紅子は、コーヘイと目が合った――ような気がした。
「特にこれということもなく――というか、二人とも疲れていて、会話とかする余裕はなかったよね。本当に擦れ違っただけで、カトーさんはすぐ大浴場に入っていったよ。それで、その後は――やっぱりずっと部屋で一人です」
慎悟が書き取ったメモを眺めて、冴が「嘘でしょう」と呟いた。
「全員……アリバイがない、んですね……」
「あららら……」
ムツミが「これが推理小説だったらとんだ欠陥作品ですね」と言った。冴が「フィクションと一緒にしないでください」と怒鳴った。
「いや、一応それなりのトリックが必要になるのでは。密室殺人というやつだよね」
オサムが言う。
ムツミが「いやぜんぜん」と答える。
「は?」
「だって、鍵、開いてましたもん」
「……は?」
「慎悟さんにマスターキーを取りに行っていただきましたけど。僕がそのマスターキーを差して回した時、何の手応えもなかったんですよね」
空気が弛緩した。
「みんな寝る時にはドアに鍵をかけて寝るものだろうと思い込んでいましたが。なんと、カトーさんの部屋の鍵は開いていました。で、カトーさんは死体ですからね。そりゃあ、出入り自由状態だったでしょうね」
「マジで?」
「ルームキーは机の上に置きっぱなしでしたし。おおかた、カトーさんは何にも知らずに犯人を迎え入れ、殺された。で、犯人はカトーさんの遺体を放置し、普通にドアから出た。窓からの出入りは面倒臭いでしょうしね、二階だから」
冴が「最悪ですね」とぼやいた。
「じゃあ、もう、ここにいる全員が犯行可能、ってことじゃないですか」
「そういうことになりますね」
自分で自分の髪を掻き毟り、セントが「最悪やわ!」と叫んだ。
「こんなとこでほんもんの殺人事件に遭遇するとかありえん! 地元でもまだ殺人事件には
コーヘイが「どこ? 関西でそんなに治安が悪いところって」と問い掛ける。セントが肩を震わせる。
「大阪はヤクザが多い、みたいなことは聞いたことがあるけど」
「……出身は奈良やけど」
「奈良ってそんなに治安が悪いの? 修学旅行で行って以来だけど、鹿、大仏、そして山、みたいな……」
ムツミが小声で「奈良だから『セント』なんだ」とこぼした。セントが「何や文句あるんやったら正々堂々言うてみ」と中指を立てた。
そんなやり取りは
「――なんか、実感、ないすね」
紅子は久しぶりに声を発した気がした。それこそ、数年ぶりに喋ったような気がした。
「昨日まで、ここにいた人が、死んだ、んすよね。殺された――んすよね」
「紅ちゃん……?」
「あやも、殺されて。カトーさんも、殺されて。ここ、ホントに、二人も、殺された、ところ……なんすよね……」
冴が紅子の顔を覗き込むようにして見ながら、「大丈夫ですよ」と囁いた。
「紅さんのことは、私が何が何でも守りますから! それに、その、人が死んだだなんて、すぐには受け入れられないと思いますので……無理して考えないで、後でちゃんとカウンセリングを――」
「紅ちゃんは大丈夫」
冴の言葉を遮り、紅子の頭を撫でたのは、今度は、オサムだ。
彼は美しく勝気な笑みを浮かべて、「紅ちゃんが心配することなんて何一つないよ」と断言した。
「紅ちゃんが狙われることは絶対にない。紅ちゃんはまだ何もやらかしていないんだもの」
「まだ……何も……」
「そう。紅ちゃんを殺す動機は誰にもない。むしろ、紅ちゃんはP2のアイドルだったんだから、紅ちゃんに手を出すなんて愚かな真似は絶対に誰もしないはず。深呼吸をして、カトーが残した朝ご飯を平らげて、お昼寝しなさい」
冴は口を開けてオサムを見上げていたが、オサムは微笑んで紅子を見下ろしていた。
紅子もまた、オサムを見上げていた。
オサムの言葉と笑顔にはよく分からない説得力があった。何となく、大丈夫であるような気がしてきた。
「では、凶器を探します! 皆さん持ち物検査をしますからね、ご協力お願いします!」
冴に
食堂に紅子と慎悟の二人だけが残される。
「――食べる?」
慎悟に声をかけられ、紅子は弾かれたように顔を上げた。
慎悟が苦笑しながら、紅子を優しい目で見下ろしていた。
「カトーさんの分の朝食。冷蔵庫に、ラップをかけて入れてあるよ」
「あ……」
「みんな、昼食を食べずに行っちゃったけど。紅ちゃんはまだ高校生だし、お腹、空かない、かな。それに――どっちにしても、食事はちゃんと取った方がいい」
紅子はうつむいて、腿の途中にあるスカートの裾を握り締め、「そうすね」と呟いた。
「食べ……ます……」
慎悟が「支度をするからちょっと待っててね」と言った。
紅子は頷いた。
温め直した食事を並べつつ、慎悟が紅子に言う。
「紅ちゃんはみんなに愛されてるんだね。みんな紅ちゃんのことを気遣って――大事にされてたんだね」
そう言われた瞬間、なぜか涙がこぼれた。
結局、紅子も昼食を食べることができなかった。
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