第4話 酒盛りをしたいお兄さんお姉さんたち
シズカは優雅な笑みを浮かべ、紅子に向かって小さく手を振った。
「まだ寝ない? 一緒にお喋りする?」
続くオサムは、両腕で瓶を二つとビニールパックをいくつか抱えている。瓶はそれぞれ日本酒とウイスキー、ビニールパックはするめいかや柿の種といったつまみとして定番の菓子らしい。
「何……すか? これから酒盛りっすか?」
「そうそう」と答えたのはムツミだ。
「シズカさんがワインを持ってきてくれたと聞いて、ご
オサムが「まさかワインが出てくるとは思っていなかったけどね」と、複雑そうな顔をする。
「泊まりがけで温泉なら、アルコールは必須、と思って僕もいろいろ用意していたんだけど、そんなことを言い出せる雰囲気じゃなくなったかな、と思って我慢をしていたところだったんだ。とんだ豪胆がいたものだよね」
サエが溜息をつく。
「ほんと、皆さん悠長ですよ。言い出しっぺのシズカさんも、便乗するオサムさんとムツミさんも」
サエを振り向き、シズカが悪戯そうに「そんなことを言って、サエも来た、ということは」と言い掛ける。
サエが肩を怒らせ、「あなたたちが何をしでかすか分からないからついてきたんでしょうが」と訴えた。
今度はムツミが「まあまあ、そんなお堅いことを言わずに楽しみましょうよ」と笑った。
「酒を飲まずにいられるか。いや、いられない」
断言したシズカに、オサムが「そう、こういう時こそ」と頷く。
紅子は大きく息を吐いた。
先ほどのカトーとコーヘイのやり取りとは打って変わって能天気だ。このギャップにどうやってついていったらいいのだろう。紅子は混乱しどおしだ。
シズカとオサムが食堂へ入っていく中、後ろをついてきたムツミが、紅子に小声で話しかけてきた。
「あの後何かあった?」
「へっ?」
「解散した後。……目、真っ赤だよ」
慌てて目元を押さえた。泣きすぎて腫れているのかもしれない。道理で熱いわけだ。先ほどカトーとコーヘイが妙に優しかったのも、紅子の泣き腫らした目に気づいていたからかもしれない。
後ろを歩いてきたサエも、紅子の顔を覗き込みながら「何かあったらすぐに言ってくださいね」と言う。その眼差しは真剣そのものだ。
《ぁゃ》は誰も信用するなと言ったが、紅子には、難しい。誰も彼も紅子には優しいのだ。甘えたくなってしまう。
気を取り直して首を横に振り、「大丈夫です」と答えた。
「あたしも参加していいすかねっ」
食堂のドアを開けつつ、シズカが「いいヨー」と微笑んだ。
「未成年だからおつまみだけネー。慎悟さんにジュースがないか聞いてみましょう」
オサムが「ちょっとぐらいいいんじゃない、一杯や二杯練習しておけば」と言う。他の三人が声を揃えて「ダメです」と断言する。サエはそれに付け加えて、「ほんと、ついてきて良かった」と溜息をついた。
食堂に入ると、ちょうど奥の従業員用のドアを開けて慎悟が出てきた。銀のトレイを抱えている。トレイの上にはワイングラスが四つ載っている。
「ワイングラス、ありましたよ! ペンション時代に使っていたものが倉庫に――ほこりをかぶっていたので洗うのに苦労しましたが――あといくついります?」
シズカが「四つでいいヨ」と答えた。慎悟が「ちょうどですね」と胸を撫で下ろした。
「本当は全員に声をかけたんだけどネ、セントには、こんな状況で酒なんか飲んでられるかと怒られてしまってネ。コーヘイとカトーは居留守で」
紅子が「あっ、カトーさんはお風呂です」と言った。
五人の視線が紅子に集中した。
「さっきホールにいたんすけど――」
途中まで言い掛けて慌てて口をつぐんだ。カトーとコーヘイの殺伐としたやり取りを他のメンバーに伝えるべきではない気がしてきたのだ。あの二人が怪しまれる――現に紅子は怪しんでいる。
「紅さん、カトーさんと何か話してたんですか?」
サエに問われて、紅子は視線を泳がせながら脳内で当たり障りのない回答を探した。
「いや、あたしは、なんか、部屋で一人でいたくなくって、何となくふらふらしてただけなんすけど……慎悟さんもいないし、食堂も空っぽだったから、何となくホールに出たら……カトーさんとコーヘイさんが喋ってて……たぶんコーヘイさんがお風呂上がりで、カトーさんはこれからお風呂に入るところで……お風呂の話をしてた、と思います、分かんないんすけど……あたしが来たら話が途中で切れちゃったんで」
「ということはコーヘイだけが本物の居留守ネ」とシズカが言う。面白くなさそうだ。
「嫌な人をむりやり引きずり出すことはないですよ」とムツミが手を振った。
「温泉をひいているんだよね、楽しみだなぁ」
眉間に皺を寄せたサエが「アルコールを入れた後に入浴して大丈夫です?」と問うた。
オサムは「ボトルワインの一本ぐらいで死にはしない」と断言した。
シズカが「全員が全員そうだと限らないので、各自無理はしないように」と釘を刺す。
ムツミも、「ワインは意外と度数があるじゃないですか、酔ってのぼせたら危ないでしょうに」と苦笑したが、ワイングラスを手に待っていることから察するに、彼も自重する気はなさそうだ。
既視感がある。
こんなやり取りは《P2》でもしていた。
ワインをグラスに注ぐシズカを見た。紅子の視線に気づいたシズカが、妖艶に微笑んだ。
「あ、慎悟さん。紅ちゃんにジュースがあったら嬉しいネ。何かありますか?」
慎悟が「ありますよ、オレンジジュースかりんごジュースで良ければ」と答える。紅子は慌てて「オレンジジュースください」と言った。
「ちなみにりんごジュースは、地元のりんご100%ですよ」
「うっ、すごいおいしそう……やっぱりりんごにします」
しかし紅子がこの夜りんごジュースを口にすることはなかった。
地鳴りが
その場にいた六人が六人とも硬直した。
巨大な何かが、一気に崩壊した音、のように聞こえた。地面も一瞬揺れたような気がした。
背筋が寒くなった。
「なに、今の」
「地震……?」
慎悟が青い顔をして口元に手を当てた。
「土砂崩れかも」
オサムが「音の大きさからしてすごく近かった気がするけど」と言う。
慎悟が「この辺りはどこも大雨警報が出たら土砂災害警報も出ます」と答える。
「僕外を見てきます」
そう言って玄関へ向かった慎悟に、サエが「私も」と続いた。シズカやオサム、ムツミも、ワイングラスを置いて駆け出した。
紅子もついていかざるを得なかった。こんなところで一人は嫌だと思う気持ちに衝き動かされて五人の後を追い掛けた。
セントとコーヘイが姿を現したのは、慎悟が玄関の扉を開けたちょうどその時だった。
二人とも階段を駆け下りつつ、「今の音何や」「まさか土砂崩れでも起きたんですかね」と早口で訊ねてくる。
慎悟も早口で「今から見に行ってきます」と答えた。
「オレも行く」
「僕も行っていいですか」
「構いませんが気をつけて、地面がぬかるんでいると思いますし、もし本当に土砂崩れだったら次もいつ起こるか分かりませんから」
言いつつ慎悟が出ていった。
幸いにも雨は止んでいた。
真っ暗だ。街灯どころか民家の灯りすらどこにもない。底なしの闇が広がっていた。
一筋の光が夜の闇を照らした。慎悟が持っていた懐中電灯の灯りだ。
続いて、サエもポケットからスマートフォンを取り出した。スマートフォンをライトにできるアプリを入れているらしい、鋭い光が辺りを照らし出した。
浴場の戸が開いて、カトーが顔を出した。髪の水滴もそのままで、上半身は裸、臍から下にはバスタオルを巻いている。
「なんか今すごい音しなかったか!?」
他のメンバーも次々と出ていっているので、最後尾にいた紅子が答えた。
「土砂崩れかもしれないらしいっす」
「みんな見に行くのか」
「カトーさんはとりあえずパンツだけでもはいてください!」
「さすがの俺もこんな恰好じゃ外に出ねェよ!」
「俺も追い掛けるっつっとけ!」と言い、カトーが浴場に引き返した。
紅子はすぐさま踵を返して外に出、扉を一度閉ざした。
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