第3話 怒鳴り声を聞いてしまう紅子ちゃん
寝つくどころかひとりでいることが不安になってきたので、紅子は部屋をさまよい出た。
隣の部屋のドアをノックしてみたが、慎悟からの返事はなかった。
仕方なく、従業員スペースを出て、厨房も通り抜け、食堂へ向かった。
食堂にも、誰もいなかった。
誰かが持ち込んだのか、ワインボトルが二本と酒のつまみの
人の姿はない。
窓の外から雨の音が聞こえる。豪雨だ。滝のような雨が窓の表面を流れる。
不安がさらに募る。
食堂を脱しホールに出た時だった。
紅子は反射的に肩をすくませた。
「っざけんなよ!!」
薄暗いホールに布の束やプラスチック製品の散らばる音が響いた。
続いて何か大きなものが突き飛ばされて壁にぶつかる音がした。
玄関から見て左手、二階へ続く階段の途中で、カトーがコーヘイの胸倉をつかんで壁に押しつけていた。
二人とも先ほど食堂にいた時の様子とはまるで違う。
緊迫している。
「テメエ分かってんのか!? テメエが余計なことをしたせいでつけ上がってんだろ!?」
カトーの怒鳴り声が響く。煙草のやにだろうか黄ばんだ犬歯を剥き出しにして、目を怒らせ、コーヘイの首を締め上げるように胸倉を引き上げている。
「僕がどうこうしてどうにかなるんだったらとっくの昔に何とかしてるよ」
答えるコーヘイの声は弱々しい。カトーの剣幕に押されているようだ。カトーの顔を真正面から見ることもできない。斜め下、床に散らばる衣類や洗面用具を見ながら肩を縮め込ませている。
「あやには重要な仕事を任せてあったのに、このタイミングで消すなんて、考えられない」
「完成したんだろ。ブツさえ納品させることができたら用済み。そうだよな?」
コーヘイがきつくまぶたを閉ざした。
カトーが「何か答えろよ!」と再度怒鳴った。
「どう責任取る気だこのカマ野郎」
体を揺すぶられ、コーヘイが目を開けた、その時だった。
コーヘイと紅子の目が合った。
「あ」
コーヘイの呟きに反応して、カトーが手を緩めた。
振り向き、自分たちを唖然とした顔で眺めている紅子の方を見る。
カトーはコーヘイから手を離した。
コーヘイを怒鳴り散らしていたのが嘘のように優しい声音で、「悪ィ悪ィ、びびらせちまったかな」と苦笑した。
「あ、の。今の話、何の話……すかね……」
紅子のそんな問い掛けには、二人ともまともには答えなかった。
コーヘイは「何でもない、気にしないで、大丈夫だからね」と言うと、床に散らばった荷物を急いで掻き集めて、階段を駆け上がっていった。
カトーもまたコーヘイ同様に自分の荷物を掻き集めた。そして、「俺も風呂に入るわ、じゃあな」と言って階段を下りてきた。階段の下に大浴場があるのだ。
紅子はカトーに駆け寄った。
「でも、なんだか――」
「ごめんな大騒ぎして。紅ちゃんには何っにも関係ねェから心配すんな。イイコイイコ」
カトーは紅子の頭を撫でた。
のち、さっさと大浴場の戸を開けた。
男風呂まで追い掛けるのはさすがにためらわれた。
コーヘイの姿もとうにない。部屋に逃げ帰ったに違いない。押し掛けるのもためらわれる。
今の会話はどういう意味だろう。余計なことをしたせいでつけ上がった――《ぁゃ》には重要な仕事を任せてあった――ブツさえ納品させれば用済み――
《ぁゃ》が殺された。
鳥肌が立った。急に現実味を帯びてきた。
《P2》のメンバーのうち、紅子以外の誰かは、本当に、犯罪まがいのことをしていたのだ。
《ぁゃ》はその片棒を担がされていた。コーヘイはきっとそれに加担していて、カトーも事情は把握していた。
二人は、《ぁゃ》が巻き込まれていって最後には殺されるであろうことも予測していた――のだろうか。
二人だけでない。他のメンバーの間でも、さほど大きな動揺は見られない。
これは、紅子以外は全員、誰がどんな罪を犯していて、誰がどんなリスクを背負っているのか、分かっていた――ということなのだろうか。
階上から、話し声が聞こえてきた。
紅子は震え上がった。逃げなければと思った。ここは危険だ。
しかしいったいどこへ――
「紅ちゃんだ」
声をかけられてしまった。
おそるおそる顔を上げた。
階段を下りてこちらへ向かってきているのは、全部で四名だった。先頭がシズカ、続いてオサム、それからムツミ、最後にサエだ。
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