第2話 人間不信がむくむく湧いてきてしまう紅子ちゃん

 次の時、晴太は、大きな溜息をついた。体の少し後ろに手をつき、顎を上げ、天井をあおぎ見る。


「なんしか、リセは卑怯なことしやるなぁ」


 「的確に弱いとこ突いてくる」と言う晴太に、むつみが「弱いところ? 具体的にどこを」と問う。晴太が「ノンはどうかしらんけど」と、前置きしてから答える。


「承認欲求、ってやつ」


 そのことばが出てきた時、紅子の心臓が跳ね上がった。


「どいつもこいつも楽しそうに喋っとったけど、実際、寂しい奴らばっかりやったな。行き場のない連中ばっかり集めやって、リセの奴、自分に都合のええようにコントロールしたんやなぁ」


 むつみが「そうなのかな」と訊ねると、晴太は「ノンは最近来たばっかりやから知らんやろうけど」と口ごもった。


「あやは一番分かりやすい奴やったけど。みんな、どっかで一度は、挫折、っちゅうか、問題抱えとってん。リセくらいのハッカーやったら、そこまで知っとって、その上でこのメンバーを集めたんやないけ、と思ってしまう」

「他のメンバーも? ロキやケイトの話?」

「オレも詳しくは知らんのやけど――ちゅうか、みんなトラウマなってるんか語りたない様子やったけど。ノンかて、この二、三ヶ月で気づかんかった? ロキが家族や友達の話してるとこ見たことある? ケイトは旦那以外の人間と交流してる感じしたけ? あやも兄ちゃん――今思えば慎悟さんやな、他の人の話せんかったな。ニンファもや、リセ以外友達おるんかな」


 「わざと話してないんならええけど」と、晴太は苦笑した。


「毎日全員おるんやで。おかしない?」


 むつみが「言われてみて気づいた」と呟いた。


「不規則にいたりいなかったりするのは、ひょっとして僕とリセだけ?」

「ノンだけかもしらん」


 晴太が「紅ちゃんは高校生やしおうちの門限とかあるからおるんやろうけど」と言う。紅子はそこで名を挙げてほしくなかった。


「あやは言わずもがな。ロキ、具体的には言わんかったけど、中学時代に『やんちゃ』しやって、地元帰れへん言うとった。ケイトも何やよう分からんけど、親兄弟とトラブったみたいで、旦那に捨てられたら行くとこないて言わはったことある」


 「かく言うオレもやし」と語る瞳は静かだ。


「オレはロキやケイトほど致命的に実家とあかんくなってるのんとちゃうねんけど――そういう意味では、ぬるいかもしれんけど。オレも両親とよう話さんのやわ」


 むつみが黙って晴太を見つめた。晴太はそんなむつみを見ることなく天井を見上げていた。


「オレな、弟おったん。二つ下やった」


 その言葉が過去形であることに、紅子はすぐに気づいた。


「生まれつき心臓がおかしかった。赤ん坊の頃から大阪の大きい病院で移殖を待っとった。うちの親、二人とも、『普通』やったから――『普通』の、我が子の可愛い親やったから、生まれつき長生きせんて言われてしもた次男のことしか考えられん。晴太は健康やし賢いから、晴太は一人でも大丈夫やから――何しても、口揃えて、あの子の分までお兄ちゃんが頑張ってくれる、て――」


 それ以上、晴太が具体的に自分の幼少期について語ることはなかった。一足飛びで結論を口にした。


「気づいたら、日本ぴょーん飛び出しとった」


 むつみが「ぴょーんか」と苦笑すると、晴太が「ついかっとなってやってしまった、今は反省している」と明るく笑う。


「リセはそういうとこまで全部調べ上げてたんちゃうかな。弟を引き合いに出さんで純粋にオレ単体が褒めちぎられたら、調子づいてリセのために働く、って、計算しとったんちゃうやろか。で、他の連中にも、同じようにしてったんちゃう? 特にあや、そういうの踊らされそうやろ」


 次の時、晴太が体を起こして、「そやから、みんな紅ちゃんに安心しとったんやろなぁ」と笑った。

 紅子は笑えなかった。


「紅ちゃんだけや。ちゃんとご家族おって、ちゃんとお友達おって、ちゃんと学校行って。紅ちゃんは唯一ちゃんとし――」

「そんなことないっす」


 まったく、笑えなかった。


「何にも知らないくせに」


 紅子は誰も疑わないようにしている。

 そうしなければ誰も信じられなくなることを紅子は知っている。

 そうして自分を保っている紅子にとっては、この状況はもはや耐えられるものではなく、


「なんで二人とも平気でひとのことそんな風に言えるんすか」

「紅ちゃん?」

「あやがどうとか、ケイトがどうとか、ロキがどうとか、ニンファがどうとか。しかも、あやとロキは死んでるのに。なんでそんな、普通の顔で、普通の声で、喋ってられるんすか」


 「ずっと一緒だったのに」と言ってしまうと、もはやき止められるものはなく、


「あたしは一生懸命みんなを信じてたのに、二人はみんなを疑ってばっかりなんすね。今までやり取りしてた上っ面の情報だけ掻き集めて、人間としての中身みたいなのにはすごい否定的なんすね」


 涙が浮かんでくるのが悔しかった。彼らの前で弱いところを見せたくなかった。

 紅子にとってはもう、目の前にいる二人の方こそ、信じられない。


「二人ともあたしが信用できるわけじゃなくって、あたしがひとを騙せるほどものを考えてないって思ってるんじゃないすか? あたしのこと何の苦労も知らないお嬢様だと思ってるからバカにしてられるんすよね」

「――えっ、ちょっ」

「紅ちゃ――」

「だいたい、二人とも、あたしが本当に《紅》じゃなかったらどうしようって考えたことないんすか? なんで考えないんすか? ガキっぽいからなんすかね。何にも知らなそうだから、何言われても分かんなそうだから?」


 二人が体を起こした。

 けれど紅子は二人より早くベッドから立ち上がり、二人を避けるためにわざと遠回りをしてドアへと向かった。

 この空間にいたくなかった。


 紅子は本当に好きだったのだ。全員を信じていたのだ。《NONE》も、《ぁゃ》も、《晴》も、《露輝》も、《KATE》も、《ニンファ》も、《Lise》でさえ、紅子は心から信頼していたのだ。

 それをこの二人は平気で踏みにじる。


 このままではまた誰も信じられなくなる。


「紅ちゃんあの、落ち着いて」

「どこ行くん、どうしてしもたんけ、オレ何や言うたかな」

「ちょっと放っといてください」


 一刻も早く逃げたかった。

 ドアを開けて外に出た。


 廊下には誰もいなかった。二人が追い掛けてくることもなかった。

 紅子はひとりだった。

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