第1話 自分の得意分野を語る晴太くん
晴太の部屋は清正の部屋より一回り狭かった。追加で簡易ベッドを入れるのは難しそうだ。
他に備えつけのものはどこも一緒のようだとむつみが言う。彼の部屋も同じ構造らしい。
部屋に入ってすぐ、晴太が手前のベッドの上であぐらをかいて落ち着いた。
むつみは、晴太の隣に腰を下ろして、長い脚を組んだ。
紅子は、二人の向かい側、奥のベッドに膝を揃えて座った。
冴はどうやら清正の部屋で清正の遺体や遺留物を確認しているようだ。廊下を歩いていた時、清正の部屋から「ひぃ」だの「うぅ」だのという冴のうめき声が聞こえていた。
「壁、薄いんすか?」
紅子が問い掛けると、晴太は「どうやろな」と肩をすくめた。
「オレの隣めっちゃ静かやで。けど、こっちこいつで向こうコーヘイさんなん。この二人やからってのはあるやろ?」
確かに、一人の時のむつみは、別荘の中を探索しているか読書をしているかで、騒いでいる感じはない。コーヘイはそもそも、部屋で何をしているのか想像がつかなかった。
「隣が冴さんとかやったら何か聞こえてんかもしれんけどな。一番奥がシズカさんで、隣が冴さんなん、一応女性を隣同士にー言うて。で、コーヘイさんが真ん中、オレ、ノンの並び順」
「おっきい部屋はロキとオサムさんが使ってるんすね」
「そうやな。あの二人めっちゃ喜んどったな、最初は」
冴の苦労を思う。
彼女は、今、血の海の中で一人、脳髄の飛び散った清正の遺体を検分しているのか。
鉄錆に似た血液の香りを思い出す。吐きそうだ。
想像して蒼ざめている紅子をよそに、むつみと晴太が
「そうや、カトーさんの隣の部屋オサムさんやん。オサムさん、カトーさんの悲鳴とか聞かんかったんやろか。あと、オレ、医学的な知識ないねんけど、あんなに殴ってぼっこぼこにしとったら音とかせんかな。頭蓋骨が砕ける音」
「どうだろうね、向こうの部屋の壁の厚さが分からないし、オサムさんは確か日付が変わってから大浴場に行ったと言っていたから、その間に殺されていたら気づかないよね」
「そうやった。そうやし、オサムさんもアリバイがないことになってんやった、嘘つくメリットないわ」
むつみと晴太の会話は、紅子には、『普通』に聞こえた。二人で旅行か何かの計画でも立てているかのようだ。とても、人の命が失われた話とは思えない。何かもっと軽いテーマの議論に聞こえる。
「あとハレに聞きたいことがあったんだ」
「なんや」
「リセからの招待メールの内容。さっきちょっと言っていたでしょう、研究依頼がどうとか」
「あー、それな。オレ、大学で4D情報の記録媒体の研究してんねん。言うたら半導体作っとるみたいなもんやけど」
「そう言えばそういう専門の話は聞いたことなかったね。具体的にどんな感じなの? 文系オブ文系の僕にも分かるように説明してほしいんだけど」
「そんな難しい話やないで。二進法で4Dデータを焼くー言うたらえらい大容量が要るやんな。メディアライブラリがめっちゃ広いサーバー室占拠してんのん見たことない? オレな、あれ、めっちゃ無駄やと思てん。なんで人間よりサーバー様のがええ環境におるんや、って。いっそのこと国会図書館のデータみぃんなまとめて一枚のカードに入れられんかなーと思たんや」
「という建前で、本音を言うと?」
「ネトゲすんのにめっちゃスペックこだわった結果パソコン二台に外付けハード五台買うてしもてな……ハードがもともと256テラくらいあったら楽やったのに――って何言わすん?」
「ごめんごめん、続けて」
「今のとこ超大容量記録媒体を究極まで小型化するかしかないねん。いっそのこと二進法脱却したらええんちゃうかと思てそっちも手ェつけよったから、このセメスター自分で自分の首絞めてもうた」
「それで、リセはハレにどうしてほしい、と?」
「1ペタのハードディスクはいつ頃実用化されると思うか教えてほしいです、もしくはあなたの技術であれば今すぐに作れますか、って書かれとった」
「1ペタ?」と紅子が首を傾げると、晴太がすぐに「1024テラ」と答えた。想像もつかないサイズだ。紅子も普段大きな画像や音楽を扱ってはいる。しかし、フリーソフトとしてインターネット上に公開するには、サーバー側の制限のために質を落とさざるを得なくなる。結局、作品一つ一つがMBの域を越えない。過去の作品やパーツをすべて保存しているにもかかわらず、1TBの外付けハードディスクも使い切っていないのだ。
「オレな、うっかり、要るんやったら今すぐ組めんで、て答えてしもてん」
「本名でもろたメールやと思っとったから、真面目に対応してしもた」と付け足す。
「ただ日本の六畳間やとドえらいことになんねんけど、って返信したんや。そしたら、晴太くんならすぐにもっとコンパクトにできると思うので、それまで待ちますね、ってきた」
「そのやり取りでリセのことを信用してしまって、P2に入った、ということ?」
「そーゆうこと」
そこまで説明してから、晴太が「何に使う気なんやろな」と呟く。
「1ペタて、一人で宇宙工学でもやるんけ? スーパーコンピュータは個人所有にはまだ大き過ぎるやろ」
むつみが少し考えてから、「実はね」と晴太に打ち明けた。
「紅ちゃんが受け取ったあやさんの遺品の中にね、SDカードが一枚入っていたんだ」
むつみの言葉に、紅子は目を丸くした。
「部屋にパソコンがあったので開いてみた。中にはソフトが一個だけ入っていた。でも、綺麗な庭園の画像の背景の窓だけ出てきて、特に分かりやすいツールバーやヘルプもなく、使い方がさっぱり分からなかった」
それは、綾乃が紅子にくれたものだ。確かにむつみへ預けたが、それは本来綾乃のものであり、紅子のものでもある。
むつみが、綾乃と紅子の秘密を晴太に漏らした。
むつみが問い掛ける前に、晴太が「圧縮ソフトちゃう?」と答えた。
「圧縮? ZIPを作るような?」
「そう。窓に何かドラッグして持ってくのんが正しい使い方ちゃうかな。あやのことやし、新しい拡張子の圧縮ファイル作れるソフトくらい作るわ。解凍できるのんもそのソフトだけとかな」
「そしたら話もつながるやろ」と笑った晴太の顔に、先ほどの朗らかさはない。
「リセが掻き集めたデータを、あやにできる限り小さくさせて、オレが作ったメディアにぶち込んで持ち運びたいんちゃう?」
むつみが「さすがハレ」と呟くと、晴太が両手でVサインを作った。
「ということは、これがリセの手に渡るのはまたさらに一歩サイバー犯罪の道に進むというわけか」
「可能性は大やな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます