第2話 むつみお兄さんと紅子ちゃんin《ぁゃ》の部屋 2

 むつみは部屋の中全体を見回すと、「ここがあやさんの使っていた部屋か」と呟いた。

 紅子は頷き、「そうっす、あやの――綾乃さんの」と答えた。


 机の椅子を引いて、むつみがそこに座る。そして、「とりあえず楽にして、どこでもいいから適当に座ってリラックスして」と告げる。

 自分の部屋であり綾乃の部屋であってむつみの部屋ではないのだが、とは思ったが、他にどうしようもないので仕方なくベッドに腰掛けた。


 むつみが視線を逸らして、「そんなつもりはなかったのに、なんだかすごいシチュになってしまった」と呟く。何を言いたいのか、まったく分からない。


「とりあえず、僕が今ここにいるのは内密にしてもらえるかな」

「いいすけど、なんでですか?」

「理由はいくつかあるけど、一番分かっておいてもらいたい理由だけ説明しておこうか。僕がノンだって知っているのが紅ちゃんだけだからだよ。僕は僕が何者なのか他の誰にも知られたくない」


 「だから内緒にしていてほしいんだ」と言う声が真剣だったので、一度頷く。

 頷いてから、紅子はまた、驚いた。


「あれって『ノン』って読むんすか!?」

「うん。むしろ、何だと思ってたの?」

「『ノネ』さんっていう女性なんだと思ってました」


 むつみの方が「はい?」とすっとんきょうな声を出す。


「あれは、英語の『誰もない』とか『何もない』とかという意味で、"none"と名乗り始めたんだけど――それにしても、女性?」

「自分のこと、『私』って言ってたじゃないすか」


 むつみが笑って肩をすくめた。


「あのね、紅ちゃん。世の中には、書き言葉と話し言葉がぜんぜん違う人間というのも、たーくさんいるんだよ」

「えっ、えっ」

「冷静に考えてごらん。セントはこってこての関西弁で喋ってるけど、P2に関西弁の奴はいた?」


 指摘されてようやく気がついた。


「他にもいると思うよ。ロキは2ちゃん語を多用していたけど、ここに来てから2ちゃん語は聞いていない。リセも文字だとものすごいハイテンションだったよね、たまに変な顔文字をたくさんつけたりもしていたし――でも、今あのテンションで喋っている人はいない」


 むつみが「まあ僕は半分わざとのところもあったけどね」と苦笑する。


「特定されるようなことは一切言わないようにと、細心の注意を払ってた。だから、いつだったかな、誰かに、ノンからは生活臭が一切しない、って言われた時、ちょっとドキッとしたよ」

「わざと……? あんまり自分の話をしたい人じゃないんだな、ってのは、感じてましたけど……」


 「リセが僕をP2に誘った理由、知ってる?」と問われた。紅子は大きく頷いた。


「面白そうだったから、とか……頭の良さそうな人だと思ったから、もっと話をしてみたかった、って、リセが言ってましたよね」

「そう。僕はプログラミング言語がまったく分からないんだ。たぶん、P2でたった一人だけ」


 いつか食堂でセントがしていたように、むつみが椅子の背もたれを抱き締めた。


「リセが、みんなリセがいろんなところでスカウトしてきた、と言っていたけど、それは本当なんだよね?」

「はい、そうだと思います。あたしもあやも、『ヒマヒマ』っていうフリーゲームソフトの配布サイト経由で、リセと知り合いました。リセからゲームの感想のメールが来て――」

「僕もリセにメールでスカウトされたんだ。それも、大学で配布されたメールアドレスに、捨てアドなのがバレバレの、フリーのメアドでね」


 ゴールデンウィーク前の、新年度の授業サイクルに慣れ、中だるみを感じていた頃だった、とむつみは言う。

 《Lise》が送ってきたメールは、むつみに言わせれば、怪文書そのものだった。

 むつみは普段から匿名でいろんな掲示板やSNSに出入りしており、特定されないようにわざと誇張や創作を織り交ぜて書き込みをしている。ところが、《Lise》は茂木むつみ個人を特定して、わざわざむつみの書き込みログを羅列したメールを、大学のドメインのメールアドレスに送りつけてきた。


「ホラーゲームの案内状みたいだったよ。正直に言うとかなりびびった。ハロウィーンでもないのに、遊んでくれないとイタズラしちゃうぞ、って。黒背景に赤文字のすごい配色に可愛いオバケのイラスト画像添付で」

「ていうか、ホラーじゃないすか! なんでそんなのノっちゃったんすか!?」

「ヒマだったから」


 あまりにも単純な理由に、紅子は開いた口が塞がらなかった。


「怖いもの見たさで、新しい刺激を求めて、といったところかな。ゴールデンウィークだからと言って帰省する気もなかったし。一応、リセがどんな手段で僕を特定したのか知りたかった、というのもあったけど――リセに見つかるまでは絶対に特定されない自信があったからね。リセがどんなマジックを使ったのか気になった」


 「まさかそんな大物を相手にしているとは、あの時はまったく思っていなかったよ」と言う。


「こんなことになるなら、興味本位で危ないことに首を突っ込むんじゃなかったな、と、今は反省している」

「そん、な、こと……今まで一回も言ってなかったじゃないすか……」

「言わないよ。これは僕とリセの駆け引きで、ひとつのゲーム――のつもりだった。昨日まではね」


 むつみが眉根を寄せる。


「昨日までは、僕らはゲームのルールを順守していた。ゲームはそうでないと面白くないから。でもさすがに、こんなところに監禁されて、人死にまで出て、あまつさえ十八歳未満の子供を巻き込んでいるというんじゃあ、僕も遊んでいる場合じゃない」


 「向こうがそのつもりなら、僕も勝手にやらせてもらう」と、彼は宣言した。


「ルール変更だ。リセを捕まえて冴さんに連れて帰ってもらえたら僕の勝ち。リセを捕まえる前に救助が来て、この別荘からリセまで一緒に解放されてしまったら、リセの勝ち。他は、もう、何でもアリにしよう」


 紅子は無意識のうちに唾を飲み込んだ。

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