第6話 安心する紅子ちゃん
「紅ちゃんも、こんなに頑張って、自分なりに考えて考えて生きているのに。男どもはよく知りもしないで酷いこと言うよなぁ」
優しく、頭を撫でている。
「それでも。そうやって頑張っている紅ちゃんが、頼もしく見えるんだよ。他の連中は紅ちゃんほど頑張れないからね。そういう意味では、やっぱり、紅ちゃんはちゃんとして見えるんだ」
「そう、すか」
「そうだよ。紅ちゃんはすごい。僕も、何があっても明るく素直でいようとしている紅ちゃんを、尊敬してるよ。憧れてた。それが、こんなに、華奢で小さな女の子だったなんてね」
「おとなげないよね」とコーヘイが言う。
「P2は、みーんな紅ちゃんより年上なのに、紅ちゃんに元気を貰ってたんだね。たまには恩返ししろって感じだね、今こそ紅ちゃんがみんなにちやほやされて大事にされてもいい時だろうに、こんな時まで寄りかかってくるなって感じだよ」
コーヘイの言葉に、紅子は思わず笑ってしまった。
「僕たちは、基本的には、文字でしかやり取りしてなかった。あやちゃんやムツミくんが言うことも大事だよ、文字だけなら何とでも言えるんだ、相手がどんな顔でどんな文章を打っているのか分からない。中には、途中まで打って、全部削除して一から正反対の発言をすることだってある――少なくとも僕はチキンだからそういうことよくしてた。それを嘘つきだと言われたら、そうかもしれない」
目と目が合ったコーヘイは、なおも穏やかだった。
「でも。――僕たちは、濃い時間を過ごしていたよね」
「ごまかし合ったかもしれないけど」と語る彼の声が紅子の心に浸透する。
「そんなの、リアルでもするよ。程度の問題だよ、リアルより分かりにくくなるだけで、見えにくいから誤解が起きやすくなるだけで――毎日何時間も積み重ねていけば、リアルで数日とか数週間とかに一回会うか会わないかの人よりよっぽど密度の濃い時間を共有できてるよ」
紅子と真正面から向き合っているのが恥ずかしいのか、コーヘイはそこで目を逸らしてしまったが、
「新しい社会のあり方だよ。これからの若い子たちにとってはどんどんこういう社会のあり方が当たり前になっていくんだ。これもまた、青春の思い出になっていくんだよ」
「実際、あやちゃんが亡くなったと聞いて、紅ちゃんはすごくショックだったでしょう」と彼は言う。
「紅ちゃんにとっては、あやちゃんはリアルな存在だったんだ。たとえ、顔を知らなくても」
そこまで語ると、「と、僕は思いました」と締めくくった。
「ウエメセだったかな。いろいろ語っちゃったけど、おっさんのうざがらみだった?」
紅子が大きく首を横に振ったのが分かったらしい。コーヘイは紅子の方を見て、力の抜けた顔で笑った。
「あっ、ありがとうございますっ。コーヘイさんのおかげで、あたし、なんか、こう、いいんだなって、間違ってないんだな、って――」
「僕は何にもしてないけどね。とりあえず、紅ちゃんは紅ちゃんを間違ってると思う必要はないよ。断言するよ、自分の感覚を信じて」
「まして今は触れ合える距離にいるからね」と、まだコーヘイのシャツの袖をつかんだままでいる紅子の手をコーヘイがつついた。紅子は慌てて手を離した。
「今はリアルで顔を合わせてる。文字だけじゃない、声、表情、仕草――全身でコミュニケーションを取れる環境がある。だから今は、とにかく、目の前にあるものを、感じたように、そのまま、信じてみてほしい。他の誰かが何て言っても、紅ちゃんが今何を感じて何を思って何をしたいと考えたのか、それを一番、大事にしてほしい――かな」
紅子はまた、頷いた。
「言われてみて、気づいたんすけど。あたし、あんまり、ムツミさんやセントさんに、自分がどうしたいのかって、言ってなかった気がします。二人に流されてた気がします」
「言ってみたらいいと思うよ。で、その二人が意地になって聞いてくれないようだったら、紅ちゃんの方が切り替えちゃってもいいんじゃない? 二人がいなくたって、慎悟さんや冴さんもいるし――こんなで良かったら僕もいるよ」
またもただ頷きそうになった紅子を遮るようにして、コーヘイは「あーでも、僕はやめた方がいいんだろうな」と呟いた。
その表情は今までとは打って変わって重く暗い笑顔で、急に話しかけづらくなった。
「僕は何もしてないから――何もできないから。紅ちゃん相手に偉そうなことばっかり言ってるけど、結局、僕が動かなかったせいで二人も死んだんだ」
突然の言葉に、紅子の胸は冷えた。言葉が出なくなった。
コーヘイが何を言わんとしているのか、分からなくなってしまった。
コーヘイが笑った。しかしその笑みは、唇の端を持ち上げただけの、正の感情の感じられない笑みだった。
「紅ちゃん、あの二人に、そこの踊り場で僕とロキがやり取りをしていたこと、話してないんだね?」
言われてから思い出した。
あえて黙っていたわけではない。あの後いろんなことがあり過ぎて頭から抜け落ちていただけだ。
確かあの時、清正はコーヘイの胸倉をつかみ上げて――
「ありがとう。その話を真っ先にみんなの前でされていたら、僕は今頃ここにはいなかっただろうから」
「いや、その方がもっと早く腹をくくれたのかもしれないな」と、彼は言う。
「年貢の納め時か。いい加減、僕もおとなにならなければ」
その時だ。
頭上から声が降ってきた。
「ナンパ?」
見上げると、階段の手すりに肘をついて、オサムがこちらを見下ろしていた。
「いいな、僕も紅ちゃんとお喋りしたい」
「いい加減にしろ」
コーヘイが低く鋭い声を出したのは、これが初めてのことだった。
しかしオサムには効果がなさそうだ。笑いながら体を起こして階段を下りてくる。
コーヘイは紅子を庇うようにして立つと、紅子に「一度部屋に戻ってゆっくりした方がいい」と囁いた。
「大丈夫、ムツミくんやセントくんとやり取りできる機会はまたあるよ。今は疲れているだろうから、とにかく、自分の部屋に戻ってゆっくり」
オサムとコーヘイの間の空気にただならぬものを感じて、紅子は頷かざるを得なかった。
「僕には紅ちゃんとお喋りさせてくれないんだ」
「これ以上困らせないであげてほしい」
「そんなイジワル言う?」
紅子は慌てて頭を下げ、「すいません、お昼寝するんで夕飯の時に起こしてください」と言った。
振り切るように場を離れた。従業員スペースを目指して、食堂の方へ駆け込んだ。
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