第3話 誰が誰なのか分からなくて困る紅子ちゃん

 扉から向かって右側の壁に、大きな窓が四つ並んでいる。

 左側の壁の奥には、また別の、今度は白いシンプルなドアがある。


 全部で七卓、四人掛けのテーブルがある。

 右側には、窓に合わせて四卓。左側には、奥のドアを避けるようにして三卓置かれている。


 全員で六人の人間が待っていた。

 うち、四人が男性で二人が女性だ。

 女性二人がこちらを向いて座っている。男性二人がこちらに背を向けて座っている。一人は窓と窓の間の壁にもたれて立っていて、残りの一人は奥のテーブルの椅子を前後逆に使って座り背もたれを抱き締めていた。

 六人とも、無表情だった。楽しいオフ会の雰囲気ではない。視線を合わせまいとしながら、口を堅く閉ざしているように見える。謎の重圧を感じる。


 背もたれを抱いていた青年が、新しい客に気づいたようだ。

 顔を上げ、「あ」と呟いた。

 次の時、口元に手を当てて顔を背けた。一瞬何か恐ろしいものを見たのだろうかと思ったが、どうやら笑いを噛み殺しているらしい。


 テーブルに座っていた四人も、めいめいにこちらを見た。途端、四人とも表情を緩めた。窓側に座っていた女性と通路側に座っていた男性などは声を上げて笑い始めた。


「うっわ、《紅》だけ思いっきり《紅》じゃん」


 誰かがそう言った直後、全員が笑い出した。

 空気が弛緩しなごやかな雰囲気が漂い始めた。

 複雑な心境だ。空気が明るくなるのは良いが、自分がネタにされたと思うと素直に喜べない。


 釈然としない表情のまま、ひとりひとりを改めて眺める。


 こちらを振り向いた二人の青年のうち、窓側に座っている方――紅子の兄と同じくらいの年齢のように思う。緩いカーブの柔らかそうな髪、藍色のシャツの上に長袖の麻のシャツを重ねたファッションと、いわゆる『お兄さん系』をイメージさせられた。穏やかそうな印象だ。


 同じく、こちらを振り向いた二人の青年のうち、通路側に座っていた方――やはり、二十代半ばから後半くらい、隣に座っている青年と同世代に見える。こちらは、黒いVネックのシャツに大きく硬そうな黒い腕時計をしていた。少々怖そうだ。


 奥、こちらを向いて座る女性二人のうち、窓側の方――彼女も、二十代後半くらいだろうか、若いが『オトナのお姉さん』の雰囲気を纏っている。ワインレッドに染まった長い髪の毛先を豪快に巻いている。デコルテの大きく開いたトップスも、赤いアイシャドウやリップグロスも、紅子にはとても真似できそうにない。


 同じく、こちらを向いて座る女性二人のうち、通路側の方――隣の女性より若いが、紅子よりは年上、二十歳前後だろうか。黒髪をショートヘアにしている。スポーティな印象で、普段からパソコンいじりをしているとは思えない。服装も、プリントTシャツに七分丈のパンツをはいていて、動きやすそうだった。


 椅子の背もたれを抱いている青年――というより、紅子には少年に見えた。自分を除けば、彼が最年少かもしれない。ハーフパンツにスニーカーと、夏のアクティビティを楽しみに来た高校生のようだ。大きな吊り目はいたずらっ子に見えた。


 唯一立って壁にもたれかかっている青年――青年、だろうか。紅子は思わず息を吐いた。美人、だった。テレビで見たことのある何とかという歌手を連想した。まっすぐで真っ黒なショートヘア、白く滑らかな肌、切れ長の二重の目に納まる瞳は髪と同じ真っ黒だ。《ぁゃ》がさぞかし喜ぶであろう中性的な美青年である。黒いノースリーブのシャツに、黒い革のパンツをはいている。一人腕組みをしているが、左手には、怪我でもしているのか、水色のサポーターをつけていた。


 先ほど誰かが言ったとおりだ。誰が見ても一目で誰か分かるのは紅子だけかもしれない。誰が誰なのか紅子には想像がつかない。


 それどころか――何かがおかしい。


 背もたれを抱いていた彼が、表情を引き締め直し、口を開いた。


「――おかしない?」


 独特のイントネーションだ。紅子は生まれて初めて生で関西弁を聞いた。


「あやがおらんのになんでここに八人もおんのけ」


 緊張が場を支配したのを肌で感じた。

 ここには、慎悟を除いて、全部で八人いる。

 《P2》は総勢八名だ。《Lise》、《ニンファ》、《KATE》、《露輝》、《晴》、《ぁゃ》、《紅》、そして《NONE》――


「えっ、あや、いないんすか」


 紅子が感じた違和の正体は、これだ。

 女性の数が、足りない。自分を含めて三人しかいない。


 ともにやって来た眼鏡の青年が繰り返す。


「あやがいない? って、どういうことです?」


 後ろでドアの閉まる音がした。

 振り向くと、慎悟がドアを閉めていた。

 たったそれだけのことなのに、紅子は突然明るく重苦しいこの部屋に閉じ込められたような気がした。


「とりあえず、慎悟サン、だっけ? こいつらにも説明してやれよ」


 Vネックのシャツの青年が、顎で慎悟を指した。

 隣の麻の長袖シャツの青年もまた、「お願いします、僕らじゃどうしようもないので」と、呟きながらうつむいた。


「……お座りください」


 眼鏡の青年が歩き出し、他六人の向かい側――左手の、壁側のテーブルの通路側奥に腰を落ち着けた。

 紅子はその正面、通路側の手前の席におそるおそる座った。


 脈の音がやたらと大きく聞こえた。

 冷房の効いた部屋なのに、手の平が汗をかいて気持ち悪い。


 八人が八人とも、黙って慎悟を見つめていた。


 慎悟は、通路の真ん中に立ち、八人の顔を順繰りに眺めてから、大きく息を吐いた。


「申し訳、ございません。綾乃は、今、ここには、いません。来ることができません」


 奥歯を噛み締め、眉根を寄せ、肩で大きく息をした。


「四日前、遺体で発見されたので」

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